白熱球の明かりがまるでちゃちなスポットライトのようだ。節約のためだろう、テーブルの上以外の明かりはどこにも灯っていない。なまぬるい南風に窓がガタガタと鳴り、野良犬の吼える声が響いてきていた。旧式のラジオがスピーカーからザラザラとした音を垂れ流していた。テレビはない。 箸の掻きこむ動きはまるで時計の振り子のように正確で精緻な動き、ひたと皿に据えられた視線はもくもくとまるでひと目そらしたら消えうせてしまうと恐れるような、切迫したものだった。口の中に食物という名の飼料を押しこむ、きつく眉根を寄せて口に入れて、あまり噛み砕きもしないで飲み下す。嚥下する喉の動きが苦しそうだった。 まずい?なんてことは訊ねない。少年は視線にすら気づいていないのだ。常なら考えられないことだ。視線に気がついていても黙殺するか、いぶかしげな視線を投げ苛立つぐらいだが、今はどちらでもない。 冷めたご飯に急須から茶を注ぎ、かつかつと流し込む。食べ終わると皿をまとめて流しに放り込んだ。 (九時ごろかな?) 女のところを追い出されてからどれだけ経ったのか、判らないが少年の時間はきっちりと埋め尽くされているので、予想はつく。 これから茶碗を洗う。茶碗を洗い終わったら、アカデミーから借りてきた巻物を読み、印の組み方を練習する。それがひと段落すると風呂にお湯を張りに行き、そのあいだにホルダーに入った装備を床に広げ、鈍っていれば刃を研ぐし、錆止めの油を塗る。何も不都合がなければ、ひとつひとつ几帳面にホルダーに戻し、ベッド脇の棚に額宛といっしょに乗せる。 風呂から出ると、一人暮らしには大きすぎる冷蔵庫を開き(何しろ旧型で小型にすれば電気代が浮くのではないかと思うのだが)、牛乳をとりだす。呑み終えると寝台へと移動し、髪の毛を拭きながらまた巻物を膝の上に広げる。ひととおり読み、欠伸を数度すれば手を伸ばし、電気を消す。手探りで時計をさがし、目覚ましをセットする。枕もとには明日の服が畳んでおいてあるだろう。 春、夏、秋、冬、いつかの満月の夜から変わりもせず、前へ前へひたすら前へ。 ガチャガチャと皿を洗う水音にカカシは目を閉じる。今日の朝、サクラにおはようといわれて、おはようと返していた。ナルトに突っかかられて、短いながら毒づいていた。 (どんな声をしていたっけ) あまり喋らないから忘れそうになって困る。声というものはすぐに忘れてしまうものだ。写真は残るけれど、声は残らない。自分の部屋に帰ってきたときでさえ、ただいまをサスケは言わない。ただひたすら、頑なな沈黙だけがあった。 図らずもすることになった覗き見に、バカな子だと短い感想をもらして、気配を解き放つ。 「コンバンワ」 「……」 びくりと跳ね上った細い肩、睨みつける眼に笑えば返事はため息が一つだけだった。愛想もない。 唇の戯れに長い息を吐くと、満足げに右目を細めている。睫毛を唇でくすぐられるのがこそばゆい。 触れられることは嫌いではない。人肌はぬるま湯より確かで気持ちがいい。夜中の部屋に自分が独りきりだというだけで、今さら死にたくなる瞬間があるのだといってしまおうか。アンタは平気かと訊いてしまおうか。笑うだろうか、黙すだろうか。 (……香水) ひととおり終った後まだいる男に、すこし驚いた。何かまだ用事でもあるのだろうか。 「さっきお前なんか言おうとしてなかった?」 億劫そうにというより眠いのだろう、瞬きをしてからサスケの目が天井辺りを泳ぐ。猫のような虚空を見つめる目に、たいして期待もしていなかったカカシは脱ぎ散らかしたベストに手を伸ばし、タバコに火をつけた。しばらく吸っていなかったせいか、やけにきつく感じられる。灰皿がわりの空き缶を取ろうと床を探るころ、ぽつりと掠れた声が背後でした。 「においがきつい」 空き缶にトントンと灰を落とし、カカシはフィルターを噛む。声には怒りも何もなく、字面以上の感情をどこにも乗せていなかった。サスケは目を閉じ、もぞもぞとすわりのいい寝相を探している。 (言いたいのはそれだけ?) 世間一般で言えば一発二発程度なら殴られて当然だと思う。だが一方でそれは責められることや、殴ることで相手の溜飲が下がるだろうと想像し自己満足するだけで、なにひとつ、相手のためではないことだ。この子のためになにひとつ、捨てられる自分ではないと改めて噛みしめ、胸にひろがる苦味に笑う。なんで、とか、どうして、とか一言でも責める言葉があったらと考え、――ばかげている。責められても自分は笑うだけだろうと思い至ったからだ。 無駄だから何もいわないのか、言う気が端からしないのか。それって相当ひとをバカにしている。言ったら口先だけでもごめんと謝るかもしれないのに、言質をとって詰れるのに。自分を棚に上げながら、おそらく、笑って片付ける自分でなければ駄目だったのだろうとも思う。 (もうこれ以上、重いものなんて背負いたくないもんね) 寄せられる感情をうざいの一言で切り捨てて、踏みしめる道は上り坂下り坂、わかりもしないが日の昇るほうでないのは確かなことだ。改めてこの子をかわいそうだと思い、最初から知っていて乗じる自分に笑う。タバコを灰皿に押しつけ、シーツの隙間から無表情に伺い見る目に右目だけで笑いかえした。 「もう一度しようか」 非難もないかわりに希求も拒否の言葉もないまま、沈黙の裏を手さぐりする需要と供給のバランスはおそらく均等、そのくせ呆れたような目を直視できずに片手で覆う。 (でもお前はにげないし) メロドラマみたいな陳腐なセリフは、他所でさんざん使い古しているのに、この子にだけはきっとずっと言えない気がする。嘘だから?嘘にもならない嘘だから。笑えない冗談なんて最低だし、だってお前、俺に期待しないでしょう、俺もおまえにあげられないでしょう、なにひとつ。 「もう一度」 なるたけ優しく、壊れ物を扱うようにする。 夜が明ければ白々しい、ぜんぶ嘘だと知っている。 「サーカスの夜」/カカシサスケ 寂しんぼ甘えんぼ、お互いひとり舞台。 アンケート回答御礼とは別もの。 |