「お前はなにがいい?」

隻眼の男は笑う。

「何でも好きなものあげるよ」

やめときな、といった同じ声音で、あの時と同じように答えが返せない。自分はこの男の前だと安易な沈黙に逃げすぎる。だが、言葉にできないものばかりざらついて傷を生みながら生まれるなら、どうすればいいのか。







バイバイ ミスタホリデイ



いつもどおり、ノックもせずにドアを開けようとしたらドアのほうが開いて驚いた。あれ、サスケか、と言われて、いつもどおり寝起きのような顔をした上司を見上げる。出かけるならいいのだ、たいした用ではなかった。ポーチから落ちそうになっていた巻物を無理に詰めこんで階段を降りていく。だが上のほうで鍵をかける音がして、鉄階段がぎいぎいと鳴った。

「何の用」
「べつにたいした用じゃない」
「質問?」
「ああ」
「修行見てやろうか」
「出かけるんだろ」
「なら交換条件。ついておいで」

町外れ、坂道を下っていくつかの果樹畑の間にある、トラックの轍だけ草が生えなくなっている道の先にあった。畑の一角を借りているようで、小さく作られた畦道だけが土地を分けていて、隣には鬱蒼とした林があった。

あんたの、と聞くと知り合いの、と答えられた。

「ある程度片づけたら、とろう。なにから収穫しようか。何がいい?」

トウモロコシ、エンドウマメ、ジャガイモ、ナス、ピーマン、トマト、キュウリ、と狭苦しいくせに種類だけはあるらしい。夏物ばかりじゃねえか、と言えば、寒いと外出る気しないだろ、と言われてしまった。

麦藁帽子からタオルが犬の耳のように垂れている、虫に噛まれないようゴム長と帆布でできたような厚手のズボン、農家の兄ちゃんそのものといった格好が笑えるほどに似合わなかった。蚊トンボかぬらりひょんのような印象があるからだ。

だがまくりあげたシャツからは傷と縄のような筋肉におおわれた腕が伸び、一定のリズムで波打っている。土を噛む鍬の先に石がぶつかる音もせず、空気を混ぜるようにして畝を作り上げていく様子は、呆れるほどこの土の上を歩いたのだと教えてくれた。

サスケの前の畝はまだカカシの三分の一ほどしかできていない。

「あんたこれ好きなの」
「んー?これってなに?」
「畑仕事」
「ううん、別に」
「じゃあなんで」
「三年ぐらい放っておいたらさ、もう駄目なんだよ。畑じゃなくなってるんだもん。一面すごいよ、雑草の茂みって言うか、森だなあれは。俺ぼーぜんとしたよ、どこがどこだかわからなくてさ。元に戻すのにどれぐらいかかったかな」 「ひとりで?」

尋ねる声に男はすこし驚いたような顔をした。訊くまでもないようなことを尋ねられた、というような顔をし、それからくしゃりと目じりに皺を寄せて笑った。笑顔の遠いものを見る静けさに訊くんじゃなかったと後悔した。こいつのマスクも笑顔も嫌いだ。いつも見えない。

「一人だよ。とりあえず、雑草きったあと、ここら辺の土、雑草の根っこごと全部ひっくり返してさ、でも石は出てくるし、種まいても鳥に食われるし、狸に植えたばっかの苗齧られるし、虫に食われるし夏場はあっというまに雑草が生えるし、目はなす暇ないんだよね」

めんどうくさい、といいながら色々なものを放りださないことを知っている。しゃがみこんで近くに生えた雑草をとりあえず引っこ抜いていく。小さい奴はまだいいが、根っこが土をつかんでいるようなのはとり難くてしょうがない。

「ほんとう、ここがまた雑草だらけになってたら俺泣いちゃうよ」
「嘘つけ」
「畑はいいぞー、手を入れれば手を入れただけ、いいのができるから。メシ代浮くし」
「けちくせえな」
「心外だな、けちじゃないよ別に」

小さなシャベルを何度も土に刺すようにして、サスケは雑草の根を切る。それから掘り出すとまるで大根の子のような太い根が出てきた。雑草の山に放り投げて、また土のなかに手をねじ込ませる。かつん、鉄の先に何かが当たった。石だろうか。

何かの骨だった。

忍びの最後はしっているから、あまりに出来すぎた想像をサスケはすぐさま捨てた。屍は風に送られることも水に流されることもまた土に還ることもなく、燃やし尽くされ、のこるのは碑の傷跡だけだ。あり得るはずはないと否定した。予想ではない、確信だ。

骨だと思った瞬間、カカシを呼びそうになったことはきっと一生誰にも言わない。

「放っておいていいって言われたからね」

トウモロコシの、花びらもない花が風に揺れている。細い金色の糸が風が吹くたび眠そうで、麦藁帽子からのぞく銀色の髪もまた太陽の光のまま、うすい金色のぼやけた色で揺れていた。緑にすっくりとたったトウモロコシがカカシが実を取るたびにわさわさと揺れた。

「だからほんとうに放っておいた」

後悔はほんとうに背中の後ろからやってくるものだ。声にした後、目があってしまった後、手を振った後、通りすぎた後、全部あとだ。あやまちは過ぎてしまったことだ、全部。

むかし、もしも、といった奴がいた。俺は鼻で笑った。

放っておいていいよ、残しておくほどのものじゃないと言われた。残したいものが何もないのか、と思ってしまった自分の目はなにも見れていなかった。あのころ道の先を走っていたのを自分だと思っていたが、手を引かれていたのは自分のほうだった。小さな体に力とプライドだけを詰めこんでいた。

バカだね、そんなのかんがえたって意味ねえだろう。なるようになるだけだろう。ちがうか。

苛立ちにまかせた言葉にあいつは答えずに困ったように笑った。傷ついたときにも人間が笑う生きものだと知ったのは、それから随分あとのことだ。

あのとき笑い飛ばしてしまったことを、何気ないとき、たとえばメシを食っていたり、ふと街を歩いているときに思い出すことがある。ときおりふりかえっては足元に伸びる自分の影に目を落とし、そのたびどんな言い訳もできないと思う。同じ答えを返すか、返さないか、今でもわからない。あのころの迷いの無さを若いのだと片付けてしまう程度に時を経てしまった。しょうがなかったことをしょうがないと知ってるから悔やむこともできない、それがどれだけ辛いのかを知っている。

(だけど、おまえがなんに傷ついたなのかなんて、いまでもわかんないよ)

いっそ本当にあとかたもなく緑に飲み込まれてしまえと思ったのは本当だった。忘れてしまいたかったし、思い出すのは痛かった。けれど鏡で毎朝、左目の上を走る傷跡を見なければならないのは変わらない、忘れえぬことだった。傷は傷のまま、残るのだ。ならば傷を撫でるしかない。

「でもさ、雑草だらけなのに、野生化して生き残るんだよなあ、こいつら」
「あたりまえだろ」

つまらなさそうにカカシから受け取ったトウモロコシを籠にサスケは投げ込んで言う。

「もともと雑草じゃねえか」
「まあね。でも不味いんだよ、痩せてるしね、すごく」
「不味いならひっこぬけばいい」
「なんで」
「野菜はうまいから生きびれたんだろ。まずかったら雑草だ、食えない」
「手厳しいなあ」

言いきる強さに、カカシはまぶしいものでも見るように目を細めた。そんなに急がなくてもいいじゃないか、と思ってから、かつての自分の影をサスケの上に重ねて口に出すことをよした。いつかの会話と同じになってしまう、それは見たくない。声にしたのはちがう言葉だ。いちいち深読みをするのは、悪い癖だった。

でも手をかけて美味いもの食えるほうがいいだろ、と言った。

「まずいのだって、手をかければちゃんと野菜に戻ったよ」

お前だって食費が浮いてうれしいだろ、下忍が。といやみたらしくつけ加えれば、サスケは柳眉をひそめた。

「ナルトは喜んでなかったぞ」
「だからあんなちっこいんだよ、あいつは。よし、今日のも持っていってやろう」

子供は勝手に育つものだ。知っているけれど、子供は自分の過去と未来だから、手前勝手に光って眩しいものばかり押しつけてしまいたくなる、いつだって。誰よりも早く大人になりたくて、誰よりも早く大人になったことを後悔した。ないものねだりばかりだ。子供らの背に乗せてしまうのは感傷だったり期待だったり姿は色々だが、水底にかつての子供たちの祈るような思いがあるのもわかってくれはしないだろうか。わかる頃にはきっともう、子供ではいられないのだろうけれど。

隻眼の男は笑う。傷跡なんてものは自分の名前ひとつでたくさんだと思いながら、こうして日々を愛しむのはいつでも死を背中あわせにした時を生きているからだ。傷跡ひとつない一生なんてろくなモノじゃない。

だから、どうか、もしも。

言い訳しながら吐きだす言葉は、少年にどう伝わるだろう。
やわらかな未来に広がる無限の道のりをあきらめず望みさえすればすべて、あげたいなんて言ったら鼻で笑われるに決まっていた。頭の中だけで何度も書いては消した落書きは神さまでなければできないことで、自分も少年もどうしようもなく人間だった。だけれど人間だから。

「お前はなにがいい?」

一言でもいってくれたらと思う。

「何でも好きなものあげるよ」

もしも、の言葉につながるのはいつでも過去形と架空の未来しかないから、言葉にはしない。














「BYE BYE MR.HOLYDAY」/(親友と)カカシサスケ




サスケからカカシに。 カカシから親友さんに。

back