眠れぬ夜の無聊にと教えこまれたろくでもない遊び。
札を切りながら交わすいくつかの言葉がどうずれてそんな話になったのか、前後は覚えていない。

「別にそれぐらい平気だろ」

けろりとのたまうのに眉をしかめると、男は器用に片方の眉だけを上げた。

この男と話していると、実に言葉というものが不便だなと思う。だからといって物を喋るのが上手なわけでなし(それはむしろ目の前の男の方だ)、他の行為や表情の方が饒舌なのかと問われれば別にそんなこともない。共通認識を元にして行われる意思疎通は、けっきょく共通認識がなければ成立しえないわけで、そもそも言葉が根本から違うという結論が導かれるのだろうか。
つまるところ、あんたってさ。

「暖簾に腕押しって感じだよね、おまえ」

間と呼ぶには長すぎる沈黙の終わりに投げつけられた科白は横取りめいて受け止めそこね、ますます眉間の皺が深くなった。

「心外?」
「それがどうした」

男は無造作に手札を切って場に投げた。

「ほい、勝負。九一くっぴん」
「チィ、……オイチョだ」
「残念。悪いねー」

カカシの札は九月の菊と一月の松、自分の手札は弥生の花見の桜と皐月の菖蒲で足して八。十一月の柳と十二月の桐をのぞいた一から十までの札を、二枚、もしくは三枚で下一桁をどれだけ九に近づけるかの単純な遊戯、そのなかで少ない役を出されれば、どうにもならない。

役はそう多いわけではない。親だと九一、子だと四一、親でも子でも札三枚おなじ月がそろう嵐と呼ばれる役が九のカブを超えて上に並び、九一、四一、嵐と並びその中でも一番上が三月の桜三枚の嵐。そして勝負をなんであれ流して引き分けに持ち込むのが四月の藤と六月の牡丹、もしくは四六に紅葉の十(零)で、四六のカスという。

数の呼び名は八がオイチョで、九がカブ、それをあわせてオイチョカブだ。

ぱたぱたと場にあらわになった札を男がかき回し、賭け代がわりにした飴玉をとりあげて、チラシで作った箱に落としこむ。勝負は八回目、男が四の自分が三、引き分けが一。経験不足だと言い訳するには自分は負けず嫌いだった。親をおしつけられて、ぱたぱたと黒い札を配る。

「で、どういう意味だ」
「つまんない話だよ。あ、もういっちょ」

手を伸ばそうとしたところで男の存外に整った指が場から花札を取り上げる。手札に視線を落とし、サスケは山に伸ばしかけた手を止めた。

「とっとと言え」
「せっかちな男はいろいろ女の子にもてないよ」

くっくっ、と鳥のように喉を鳴らして笑うのがガラスを引っかいた音を耳にしてしまった時の不快に通じて、よけいなお世話だと胸中でだけ呟く。

「オレが女だったらセクハラだぞ、それ。……勝負」
「サクラに嫌われちゃうのはやだなあ。おまえ、とらなくていいの」

眉宇をひそめたサスケは山に手を伸ばした。

「とる。もういっちょ」
「お前がさ、黙るのって答えがないから?それとも無駄だから?面倒くさいから?」

唐突に放り投げられた問いかけに目だけを上げる。

「黙殺すりゃ飽きてきかないだろうと思ってる?それはちょっと甘いんじゃないの」

隻眼が細まり、笑っているのだと察してさらに不快は増した。黙るなよ、と命令でもない、感情もない、色のない声が滑り込んでくる。いつだってこの男の声は平坦だ。調子が変わるにしてもそれは威圧や脅迫、戦略を都合よく進めるための手段にしか過ぎず、カカシ自身の意思を伝える何かとも思えず、推し量ることがあまり得手ではない自分には不可解にすぎた。

そもそもこの男は何かを望むことなどあるのだろうか?
何かに感情のベクトルを向けることなどあるのだろうか?

問いかけは言葉の形を持っても音になって昇華することもなく、サスケの中に凝っている。躊躇いに名前をつけてしまえば夜の遊戯はお終いだと思った。いつだってこの男の声は平坦で、問いに答えるときですら同じ響きだろう。マスクだって何も意味はないと思う。けっきょく見えはしないのだ、何も。

「言っても通じねえだろうが」
「薄情な子だね、おまえ。伝える努力ぐらいしてよ」

わかってるふりぐらいするよ、と言われて、悪態がわずかに遅れた。
伝える努力はいつだってしていた、あの満月の夜までずっとだ。
だがそれを言って何になるだろう。あの人は行ってしまった。

(じゃあアンタはなにか伝えようとしてるのか)
「アホか」
「こんなに頑張ってるのにナァ」

サスケの動揺をくみとりながら吐いた戯けた科白に、だから暖簾に腕押し、と男は付け加えた。安易な沈黙に逃げようとして、黙るなと言われたことを思い出す。だがどうにも言葉は出ない。

「勝負しようか」
「?」
「この勝負で最後にしようよ」
「それでどうすんだ?」
「勝ったほうのお願いをかなえる」

そろった三月、桜の嵐にカカシは苦笑して札を放り投げた。八月、九月、三月のカスだ。こんな札でよく勝負するとあきれ返った。

「それで?なんでもしてあげるよ」
「……別に、なにもない」
「なんでも教えてあげるよ」

気になるだろう、と見透かすように右目を細める。額宛の下。
いつだってこの男は知っても知らなくてもいいことしか教えない。
そうしてたいがい自分は知らなかった方がよかったと思ってしまうのだ。
そんなことを言ったら笑われた。

「それって喜んでいいんだか悲しんでいいんだか、って感じだね」
「どういう意味だ」
「どういう意味って、言葉のまんまだよ。俺はお前の親じゃないし。悔しいなら考えな」

いつでも答えが転がってると思うんじゃないよ、わかってもらえるとも、と穏やかに言われ、それから肉刺のできたかたい手で手を繋がれた。幾多の血で濡れたはずの手はまるで酒毒に侵されたように震えていた。こんな手では何ひとつ殺せはしないではないかと思い、何ひとつ繋ぎとめられないと思う。この手がカカシがオレへと伝える努力だというのだろうか。

唇に唇が重なる。

この臆病な手は唇は平坦な声とマスクと、根を同じくするものだろうか。

問いかけはいまだ音にはできず、心臓に似た場所に刺さるこの痛みをなんと呼べばいいのか。 この男を知らなかったころ今より深い夜の底に瞬きもせずしゃがみこんでいたことを思い出し、今とは違う孤独の中にいたことも思い出した。息をするのは容易かもしれなかったが戻りたいとは思わない。すでに息苦しさはサスケに寄りそってしまっている。サスケの後悔を喜びか悲しみかわからないといった男の手の震えも、同じことなのかも知れない。

ならばなおさら、水のように波立つ後悔のうしろ姿に名前をつけてしまえば今度こそお終いだと思い、カカシの傷を思った。思うほどこの背は遠くないのだろうか。手を伸ばしたら届くのだろうか。

頭をよぎった考えを噛み潰し目を閉じた。
夜の沈黙はまだ明けない。





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