今日はおもとが来ないから早めに帰って夕飯の支度をしなければいけない。老人だから食が細いとはいえ、三代目はいまだに道場にたっているし、サスケは最近三度の飯でも足りないような腹心地をしているし、カカシもそれなりに食べる。男所帯三人の飯を炊くとなると明朝の分もあわせると思いのほか時間がかかるのだ。 草履をはいたサスケが歩き出すと、ようよう若葉が枝の間をうめだしたばかりのうすい木陰にしゃがみこんでいる金髪頭がみえた。 「……ほんとか?」 「うそいわないよ、ナルトのにぃちゃん」 「じゃあよ、じゃあよ、俺が家帰ってからいってやっからちょっとイナリに待つよう言えってばよ、な?」 駆け出した子供の背をみおくって、たちあがったナルトは両腕を頭の後ろで組んで、にししと笑う。 「なにが大丈夫だドベ」 「サササササササスケェ?」 ひとしきり驚いたあとナルトはむうっと眉をよせる。 「ドベッつったろ、おまえ」 「言ったがどうした。何たくらんでるかわかんねえがドベがにあわねえことすんじゃねえぞ」 「またドベ……!」 「ドベが足りない頭でよけいなとこに鼻先つっこんでんじゃねえよ」 フン、と鼻先で笑われてナルトが平然としていられるはずもない。頭をがしがしとかいたナルトはばたばたと草履をならして地団太をふんだ。 「ムッキィイイイイイイイ!てめ、てめえ、ちょっと裏きやがれ!勝負だ!」 「望むところだドベ」 顎をそびやかしたナルトに腕まくりをしながらサスケが続く。ケンカの終わりは鉢植えがひっくりかえった音だった。 「……あ」 「じっちゃんの躑躅……が」 素焼きの鉢がころがりおちて小さいながら大樹をおもわせるような枝ぶりをした躑躅が見事にひっくりかえっている。そろそろ花の季節とあって、枝の上のほうから淡紅の花がほころびだしていたのを、三代目が日記につけるほどよろこび、朝な夕な鋏と水差しを手に丹精していたのをサスケもナルトも知っている。視線をかわしたナルトとサスケの判断ははやい。ぐっと口元をぬぐうとサスケは顎をしゃくる。ナルトも立ち上がった。 「ずらかるぞ、ナルト」 「おう!」 ぜいはあと息をはいて走り続けてどれくらいだろう。 「おい、ナルト、おまえどこまで行くんだ」 「いいから来いって」 「今日晩飯炊かなきゃいけねえんだ」 「カカシ先生だって子供じゃねーんだし、夕方になったって大丈夫だって」 ぐいぐいとナルトが歩いていくのに、いますぐ寺にかえってしまってはたしかに盆栽をひっくりかえしたのは自分たちだとばらすようなものなのでサスケはしょうがねえなとため息をついた。 「それよりおまえあのガキになんつってたんだ?」 「あ!そうそう、それなんだってばよ!タズナの爺ちゃん!」 「うるせえな」 へへ、悪ィ悪ィ、とナルトは頭を掻きかきサスケをふりかえる。 「イナリが、タズナの爺ちゃんの財布がめた巾着きりみたって言うんだ」 「イナリが?」 「んであいつけっこう考えなしだしチビだしよ、心配じゃんかよ」 まんまお前のことだろうがよ、と喉元まででかかったサスケだがかろうじてのこったやさしさで無言を貫いてみる。 「だから俺がどうにかしてやろうかってよ」 「アホかお前は」 「アホってなんだよ!」 「そんなあぶねえことに鼻先つっこんでんじゃねえよ!イルカ先生に知らせて終わりだろ」 「んだよ、つまんねえの」 肩をわざとらしく落としたナルトにサスケは眉をひそめ、吊り上げる。くるりと青い眼をもちあげたナルトは口端をもちあげ、いっそみごとなほど憎らしい顔をした。 「いっつもでっけえこと言ってるくせしてよ!つまるところサスケちゃんはへっぴり腰になってるだけだろうがよォ!」 叫んだナルトにサスケがぴたりと動きを止める。 「……つれてけ」 「へ?」 「イナリのとこつれてけっつってんだウスラトンカチ!」 雨上がりをうたうように飛ぶ紋白蝶を手で追い払ってカカシはくあ、と欠伸をした。あわあわしい時雨はもう去ってしまって軒端からしずくがぽたぽたとおちた。すっかりぬるくなってしまった茶をのんで喉を潤しながら白い花房を重たげにたれる藤棚をぼんやりとみている。ところどころの水溜りに空がうつりこみやわらかい土と草のにおいがした。 春も終わりだ。 町をあらい、花を落とす雨ごとに空は藍をかさね、若緑もいろを深めて夏にちかづいていく。門のあたりにきた気配にカカシは腰をあげ、おざなりに体についたほこりを払った。 「ありゃ、棟梁」 あらわれたのは頭から腕まで日焼けと酒やけとでつやつやした老人だ。 「超おひさしぶりじゃな、先生」 「どうしました」 「なに、ちっとばかし転んじまったのよ。薬が切れたんでもらおうとおもってのう」 ひらひらと吊った手首をうごかすタズナにカカシは眉をひそめる。 「巾着きりとききましたが」 「なぁに、あんまり懐には入っておらんかったのよ。イルカ先生もたいそう気にしてくださったがのう、気にするほどのもんじゃないわえ」 つまらんつまらんとタズナは笑った。ただいま、との声にカカシとタズナが首を門のほうへめぐらせる。 「おや、来てたのかい、カカシ。タズナのじいさんも」 「あがらせていただきました」 「今回は大分ながかったね、江戸もひさびさだろう」 「はあ」 「ジジイから話はきいてる。待たせてすまなかった」 ふたつにまとめた髪をさらりと細い指で長し、あらわれた女は薄い唇をほころばせる。火伏せをするガエンのように羽織を肩からはおり、短袴をはいた格好は袷がおもいきりひらいて白い膚がのぞき胸乳もあらわだ。どうかんがえても尋常の女ではない。 「薬種問屋までいってたもんでね。タズナのじいさん、はい、いつもの通りだ」 ぱたぱたと草履を脱ぎ捨てると足湯をつかいもせず座敷にあがるともう包んであったのだろう、紙袋をタズナに手渡した。 「いつもお世話になりますのう」 「なあに、あんたなんかは払いがきれいだからいいのさ」 年末になっても踏み倒す奴が多いんだからマシなほうだよ、と笑ったツナデに頭をさげてタズナは帰っていった。みおくったツナデは板じきの床に行儀わるくどかりとあぐらをかいて座り込む。ツナデさま、と咎める声にひらりと白い掌をふっただけでカカシに顎をしゃくった。 「脱ぎな」 「……」 「なんだい、その顔は。情けない」 「いや」 怖いなあなんていったらますます般若みたいになるからカカシは口をつぐみ、袖から左腕をぬいて片肌脱ぎになった。 「随分あぶないとこだね、肩口だ」 「ええ、やられました」 細くはあるが縄のようにしまった首から肩の中ほど、袈裟がけに切りかかられたのだろう、傷がはしっている。ツナデのほそいながら力の強い手が後ろから押し当てられた。 「お前さんがこんな傷をうけるとは」 「脇差一本折られましたよ」 いやあ危なかった、とカカシが笑うのに、薬箱の抽斗からつんと鼻につくにおいのする薬をさじですくい薬研にいれながらツナデは眼を細める。 「暁とやらか」 「ああ、聞いてます?」 「自来也からな、すこし首を傾けろ」 傷口がひきつれたのか、カカシはあいたた、と声をあげる。貝合せの膏薬に調合した薬をいれたツナデは顎をしゃくってシズネをそばにこさせた。シズネの手には絹糸と鉤のついた針がにぎられている。 「縫うがかまわないね」 「……痛くしないでくださいね」 「そりゃお前さん次第だね」 終わったよ、といわれてカカシはため息をついた。強ばっていた体が自然ほぐれていたのにすこし苦笑してしまう。お勤め中の傷は気にならないが療治のための痛みにはどうもなれる事ができない。 「怪我はたいしたもんじゃない、一週間もしたら稽古にでるがいいさ」 「へ?」 「一ヶ月は休んでいろとのジジイからのお達しだったろ。違ったかい?」 間抜け面をしたカカシにツナデは首をかしげる。 「一ヶ月は江戸にとどまれって頂きましたがね、休みとは?」 「ふぅん。ま、あんまり期待はすんじゃないよ」 「心得てますよ〜」 抜いていた袖に腕を通したカカシはありがとうございました、と頭を下げる。ツナデの住まいをでて歩き出すが今日は休めといわれているからはなはだ暇だ。 (桜餅食べたいなあ…) うすい色をしたなかに紫のふっくらした粒餡、桜葉のにおいがさっぱりしていて、あんまりあまいものが好きなわけではないが無性にたべたくてたまらない。渋くいれたお茶と一緒にたべたらどれほどうまいだろう。 (おみやげ、とかにしたら許してくれないかなあ) 朝、土間にしゃがみこんでいた小さな背中と黒い頭を思い出す。いつだって顔をあげて振り向きもしない。けれど昨夜あんたかえってたのか、と呟いた声音がすこしうれしそうに聞こえたのは欲目だろうか。お役目で江戸を離れて帰るたびに迎えいれてくれる明りは、隠密としてはたらくようになったころから変わらない。だのに数年前から懐にむかえいれた窮鳥の朝膳をかこむときに自分の帰宅に驚く顔だとか、見下ろせてしまう旋毛だとか思い出してこそばゆくなるのをしったのはつい最近だ。 (おれもなかなか兄さんぶりが板についてきたんじゃないかね) それでも少年が手放しで甘えることは、あの蝉がやけにうるさかった夏の日から最後けしてもうないのだろうし、カカシが彼の兄になれるはずもないのだ。 (でもすこしは懐いた、んじゃないのかな) とりあえずの行き先は大川の渡しから向こう岸に渡って名物桜餅の長命寺だ。言問い団子と渋茶もわるくはない、と思いながらいまたべたいのは桜餅だ。下れば本所深川界隈、聞こえてきた三味の音に、悪かぁないやね、とにんまり笑った。 すこし痛みのはしる左肩をうごかさないようにしながら道端で呑数奇宿酔のみすぎしゅくすいが江戸を留守にしていた隙にだしていた新作をひろげ、そぞろ歩きをはじめたカカシである。 そのときふと足が金竜山浅草寺にむかったのは昨夜のイルカの言を思い出したためであった。 竹屋の渡しそばにいけば「たけやあ」となんともひびきのよい女の声、浅草寺の花祭りとあれば参道や堂内にしつえられたた花御堂、くさぐさの花を香らせるなか、ひしめきあう人が甘茶を仏にそそぐためところせましと押し寄せる。 そも由来をさかのぼれば人皇三十四代推古天皇の御宇にまでいたる名刹である。祭礼がなくとも日々参拝する人の足は途絶えず、そろそろ夕刻になろうという時分でありながら仲見世どおりをぬけてみればまた同じくである。 人酔いしそうだとおもいながらカカシは境内をながめていた。 香具師連中がおおくあつまって、猿回しのてんつくとした太鼓、でろれん祭文ととなえる修験者姿のもの、人魚のみせものといって小屋をはるものと様々いる。杵つきのたびに身振り手振りもおかしくはやしたてながら餅をまるめては投げとなりにおかれた盆にきれいに並ぶのもまた立派な見世物で、女子供がやんやの喝采で、みるからに泰平としている。 (巾着きりねえ) 「ってあれ」 仲見世をのぞきのぞき、散策していたカカシの目にとまったのは見覚えのある金色と黒い小さな頭。ろくろく小遣いをやってるわけではないし、家にかえるまでに寄り道をしていいといった覚えもない。 (それにサスケ、今日は夕ごはん……) とっつかまえてやろうか、とカカシは踏み出したところで首をかしげた。 ナルトとサスケのそばにいるのは近所の大工の棟梁の孫、イナリだ。三人でひそひそと囁き合ってはなにかをみている。 すこし物騒な視線を追いかけていけば、年のころは十七か八、みるからに柄のわるそうな少年が二人ほどつるんでいた。 (………おいおいおいおいおいおい) 「あいつらか?イナリ」 「うん、あの左のでっかいほう、じいちゃんの足踏んづけやがった野郎だ」 ナルトの声にまるい頬をすこし怒りに赤らめ、イナリは唇を噛む。タズナは腕のいい大工だ。道具箱ひとつで何十年もやってきて、工場をもって働いてきた。お天道様にはじることなく生真面目にがんばって日々腕一本でかせぎだした金を横からかすめてやろうというなめた態度がゆるせない。 「でも俺らでどうすんだ」 「ソレが問題なんだよなァ」 「んだよ、ナルトのにいちゃんもサスケのにいちゃんも!」 かんしゃくを起こしたのかイナリが怒鳴る。ぎょっとしたナルトとサスケを後目にとびだしそうになった首根っこを二人がかりで慌てて掴まえた。 「落ち着けっつうの!」 「ったく、ガキはうるせえな。自分でなんとかできもしねえくせに」 サスケの科白にイナリがぎゅうっと拳をにぎる。眉をつりあげたのはナルトだ。 「おい!」 「焦るんじゃねえつってんだ。俺らがでてったところでどうにもなんねえから頭を使ってんだろ。ちょっとぐらい辛抱しろ」 「じゃあ、なんかいい方法あんのかよ。俺ら木刀しか持ってねえぞ」 「……お前な、兵法習ってんだろ」 「お経みてえなんだもん、寝ちまうってばよ」 あっけらかんと答えたナルトにサスケはため息をついてお決まりの科白を吐いた。イナリが声をあげたのにナルトとサスケは視線を少年たちに戻すと、彼らが寺の裏手に回るところだった。 「今日はあんまりついてねえなあ」 「とっつかまりそうになるしな」 つまらねえやと呟いた彼らは頭を掻いた。 「でもあと三日で十両ためねえと……」 「どうすんだよ、伊蔵。こうちまちま小銭ばっか稼いでたんじゃ埒があかねえぞ」 こうなったら、と顎をなでた少年に顔をしかめるのが伊蔵というほう。 「元手はあるんだ、悪い手じゃねえとおもうんだが」 「よせよ、清二。そういってこないだ中間部屋でおもいっきり赤へこの親分にしぼられたのはてめえじゃねえか。見え透いたいかさまにひっかかりやがって、いきがンじゃねえ」 どなった伊蔵に清二と呼ばれたほうはわざと伸ばした無精ひげを撫でてせせら笑う。 「博打のいろはもわかってねえくせに、生意気言うない。ありゃあ、勝ってた勝負だったんだ。べつによ、いいじゃねえか。日本橋の松島屋つったらたいそうな呉服問屋だ、あと十両ニ十両、なんとかならねえ道理もあるめえ。たった一人っきりのかわいい弟の尻拭いだ、喜んでくれるだろうよ」 「姉ちゃんとこにゃもういかせねえぞ!」 さあっと血の色をひかせ怒鳴った伊蔵に負けじと清二も怒鳴り返した。 「じゃあてめえは斎藤さんに斬られちまっていいっつうのか!赤へこの親分はそんな甘かぁねえぞ!」 ぐうっと押し黙った伊蔵に清二は打って変わって声音をやわらげる。 「な、俺だってお前のことはかわいい弟分だっておもってんだ。他ならぬお前の姉ちゃんだ、もらいっ放しとはいわねえ、な、今ならお前だってタズナの棟梁んとこに頭さげてもどったら許してくれるだろうよ。な?これっきりだ、これっきり。まっとうに稼いで返すっていや、おまえの姉ちゃんだって厳しい顔もできねえだろう」 なあ、伊蔵、とくりかえす清二に伊蔵は唇を噛みしめる。 「嘘ァねえか」 「ねえよ。俺がお前に嘘ついたこたぁねえだろ。ほらは吹くがよ」 しぶしぶながら伊蔵がうなずこうとしたときだった。横っ面と頭にいきなり熱がはじけてに二人はぎゃあと悲鳴をあげる。 「……なんだァ!」 「清二、あっちだ、あんのガキ!」 通りの向こうで楽しそうに飛び跳ねる小面憎い子供が一人。かあっと頭に血を上らせた二人が走り出すと、ひらりと踵をかえして逃げていく。 「逃がすか!」 裏木戸をくぐりぬけて、見知らぬ小路へふたりは駆け込む。ひょいひょいとからかうような子供の足取りにますますかっとなって、伊蔵は歯噛みをした。ぎゃあと悲鳴がきこえたのはうしろ、清二が縄にでも足をとられたのかひっくり返っている。 「清二!」 「ちきしょう…!おっかけろ、伊蔵!」 あははと後ろから聞こえた笑い声に羅漢のように顔を真っ赤にした伊蔵はどかんところがっていた盥を蹴飛ばし、追いかけた。 子守り女をつきとばし、上がった泣き声をうしろに曲がり角をまがったところで袋小路、ざまあみろと腕をちぢこまった七つか八つの子供にのばしたときだ。ばちんと脛にあたったのはよく撓った竹だ。痛みに小路に倒れこんだ背中にどかりと圧し掛かられる。はねのける暇もなく、ばさりと布がはためく音におどろくやいなや、視界を布地に覆われた。 どかどかと木刀でなぐられるのに伊蔵はたまらず悲鳴をあげた。 「やっちまえってばよ!」 じいちゃんのカタキ!といわれて強かに頭を殴られる。子供の手とはいえ本気だから痛みは相当なもの。ぐっと身をちぢこめて耐え切った伊蔵は吠えた。 「こなくそ!」 わあ、とはねのけられてしりもちをついた子供に鼻血をぬぐった伊蔵はつかみかかる。どかんと背中をけりとばされるのもお構いなしに掴まえた。いってえとナルトが腕をさすりながら、伊蔵にくみつこうとしたが、大声に腕をひっこめてしまった。 「イナリの坊ちゃん!」 「おまえ、じいちゃんとこの!」 顔をつきあわせて見開いた眼、イナリがうしろをみてサスケのにいちゃん、と呟くか否か。首筋にきれいにはいった木刀に伊蔵は昏倒した。 「なにしてやがるウスラトンカチ」 「サスケ!もう一人は」 「あっちで転がしてる」 「おし!」 じゃあいってくる、と駆け出したナルトの真正面、ドン、と跳ね飛ばされたナルトはしりもちをついた。 「おい、清二、こいつらか」 「そうです。斎藤さん」 洗いざらしの木綿の上下、腰にさした大小二本、みるからに人相のあぶない浪人をみあげてナルトの血の気がさあっとひく。サスケも同様だった。ナルトががしりとつかまったのをみて袋小路のおくに駆け込んだサスケはイナリを肩にかつぐ。壁際に手をつくと、イナリに囁いた。 「道場んとこまで走って逃げろ、いいな」 ぐっとイナリが頷いたのにサスケは笑って、イナリを放り投げる。がしっと壁の上に手をひっかけたイナリが向こう側に消えるのを見送って、ナルトをつかまえた浪人をサスケは見上げた。 はなせえ、と聞こえた声に顔の上にひろげていた読み本をばさりとたたみ、カカシは本堂の階から体を起こした。 「なんであいつら捕まってんのよ…」 今日は矢場にも顔出したかったのに、とカカシは頭をかいた。胸乳もあらわな女たちが射た矢を拾っては取ってきてくれるのを冷酒をあおりつつじっくり眺めてあわよくば、と狙ってたというのに何たる災難、とカカシは毒づく。が、見えてしまったものはしょうがない。 「まったく、もう」 たちあがって道をしばらくいったところで、もう見世物は仕舞いなのだろう。かわいらしい獅子の頭をつけた子供たちを叱りながら、毛氈をまるめている男にカカシは話し掛ける。 「もしもし」 「なんだい、お侍さん」 「すみませんがこれっていかほどですかね?」 「お土産かい」 「まあそんなものです」 「由緒ただしいお品じゃないからねえ」 「じゃ、お代はここに」 ばらんと投げられた銀錠に面食らったのは緋毛氈をしまいかけていた猿回しの頭だ。いくらなんでももらいすぎだと追いかけようとしても、宵闇の落ちた小路にいるのは自分とゆれる花明りばかり。なんともおかしなこともあるものだと首をかしげながら、今日は子供たちに団子の一個ニ個はやれるぞとほくそえんだ。 ぐるぐると体中を蓑虫のように巻かれてナルトとサスケはどこかの空家に放り出された。紙燭の丁子を鋏でばちんときると、炎がほんのすこし大きくなって、清二の顔を照らした。 「なに一晩ぐらいのことだ、悪ィようにはしねえよ、大人しくしときな」 なにか口答えをしてやろうにも猿轡をかまされてしまってままならない。 斎藤とかいう浪人と伊蔵はどこかにでかけたようだ。清二のほかにも似たような職人くずれの男が数人たむろして、どぶろくをあおっていた。 窓の外を見ればすっかり空は青なずんで、どこかで飯を炊くにおいがする。まったく厄介ごとに顔をつっこむんじゃなかったとサスケは後悔するが後の祭りだ。ナルトとはいえばいまだ気絶したまま、ぐうぐうと鼾をかいて寝ているのだから恐れ入る。どかんと蹴飛ばしても、幸せそうに笑うばかりでサスケはがっくりとうなだれた。 「おい、ぼうず」 よびかけにぎろりとサスケが視線を上げる。清二という男がサスケの顎をつかんだのに、花札をしていた男が酒ににごった目でみておざなりに止める。 「よせよ、清二」 「うるせえや。なんだおまえ、お武家の子か、気味の悪い目つきしやがって」 ああ痛ぇ、と清二はぼやくと両手をくくられたサスケの腹を蹴り上げた。縛られてのことに避けようもなくて、サスケは埃くさい畳にしたたか顔を擦り付ける。猿轡をしたままむせたせいで、ひどく息が苦しかった。 髪の毛をむんずとつかまれて手の甲で頬を張られる。唇の中がきれたらしく、ぬるりと鉄錆びの味がひろがった。 「ったく、貧乏道場ゆすったって十両なんて金がでるかよ。伊蔵のやろう、怖気づきやがって」 そのままサスケの頭を土間にぐりぐりと押しつけていると、ひやりと夜気が清二の頬を撫でた。なんだと顔をあげた清二の目の前で空家の板戸が空いていて、伊蔵がうっそりとたっている。 「なんでぇ、伊蔵。脅かすな」 ぐらりと伊蔵がよろめいたのに清二は目を剥く。かつんと響いた下駄の音に清二は誰だぁッと叫んだ。 「かどわかしたあなんとも物騒じゃないかい」 あとじさった拍子にどんと紙燭をたおしかけ、熱くなった油が飛散る。あつっと叫んだ清二はゆらぐ明りにうかびあがる男の面相に青ざめた。ぞろりとした呉藍の内掛けを肩から羽織って八重桜のしろい花明りにぼんやりとうかぶ異形の面。 「な、ななな、なんだてめえ!」 「名乗るほどのもんじゃあないねえ」 じゃらりとばら撒かれたのはひのふのみ、あわせて六文。どういう意味だとふりあおいだ清二にひょろりと猫背でありながら丈高い男のかぶった天狗の面がなんとはなしに笑ったよう。 「冥途の駄賃は六文と聞く。盗人にはおにあいだろうよ」 なに、と目を剥いたのをひとわたり見渡したのか、天狗面を被った男は喉を鳴らしてわらった。 「まだ金が欲しいってんなら思う存分やろうじゃないか」 しゃりんと月明かりに青白く抜いた九寸二分、持ち直していったことには「延べ鉄だけど」と。さあっと頬を白くして頭に血をのぼらせたのは一人二人のことではない。 「てめえ、何者だ!」 「あー……、うーん、世直し天狗とでも」 しとこうかなあ、と呟いた男の姿がかききえる。ふわりと打掛が床におちたさきにあるのはしんねりとした闇ばかり、清二の狼狽した耳に抜き打ちに鞘ばしるかすかな音が響いた。 見開いた目におどった呉藍の内掛け、峰でひとりのこめかみをうち、かえした柄で背後から襲い掛かった男のみぞおちを打ち貫いている。天狗の髭にぎょろりとした目の愛嬌がまた妙にこわい。 「ちょっと面白いなあ」 「……なめやがって!」 があんと脳天をおもいきり打たれた清二の目にうつったのは一面の八重桜とぽっかりと浮かんだ満月だ。 翌朝、仲見世通りを掃除しようとした下男が赤裸にむかれ、石灯籠にしばりつけられた伊蔵、清二ほか数名をみつけた。なんでも頭ににしめたようないろをした褌に先頃ゴ城下ヲ騒ガセシ巾着切ニ候、とたいそう立派な手蹟、腹にそろってへのへのもへじが書いてあったとかなかったとか。 さてツナデの療養所である。 奥の間にねているのはナルトとサスケの二人。さすがにつかれたのか二人ともくうくうと気持ちよさそうに寝ているが、隣の板の間はいささか剣呑な空気である。 「どういうつもりだえ?」 「……はあ」 「あれほど勝手に動くんじゃないよと言ったろうが、特になんにもしらないガキらの前で隠密がなにやってんだい、こんの」 ばかたれが、とツナデに怒鳴られてびりびり痺れる耳をひっぱられるカカシだ。 「イタ、アイタタタタ、痛い痛いいたいいたいですって!」 「隠密は身分素性をかくしてなんぼだ、あの子らにばれたらどうするつもりだい」 「いずればらすくせに」 「芥子にしてやろうかえ?よっく効くだろうよ」 「いだだだだだだだ」 練っていた膏薬を木べらで掬いとったツナデはカカシの背中に湿布にして張ってやりながらこのバカめと毒づいた。 「だからってガキどもを見殺しにゃあできんでしょ」 「……」 「ったく誰譲りですかねえ、あの物見高さは」 「ナルトはともかくうちはの小僧は違うだろう」 「一緒に首つっこんでんだから同罪ですよ」 「兎も角お叱りは免れんと思えよ」 「覚悟の上ですよ。そうそうそれとこれ」 どさりとカカシが投げ出したものにツナデは細い眉をしかめる。 「なんだい、これは火筒かい?」 「種子島にしちゃあ、短い。こう、火皿に火をいれないでも弾が撃てるようになっている」 時代がくだれば拳銃とでもよばれるだろうもの、だが江戸の町にあってはあるまじきものだ。 「ご禁制の、こりゃ、抜け荷だね」 「あいつらの潜んでる床にあったんですよ」 「きなくさい話しじゃないか」 ジジイにはいったのか、と尋ねたツナデにカカシが頷いたときさらりと障子があいた。 ひょいと見やれば診療所の庭にたった派手な風体の男が一人。 「お久しぶりです自来也さま」 「ジジイからはお咎めなしじゃ、よかったのお」 「お咎めなし?」 「ただし……」 号外、号外ィと鈴をうちふって読売が日本橋を駈けていく。 わっと群がる江戸雀、どうしたい、と尋ねる面々を見渡し、ひょいと高台にのぼった小僧は懐から袋をとりだし一枚十文だァ!と叫んだ。 「世直し天狗がまた現れたよう!」 |
「序」/カカシサスケ |
そんなこんなで世直し天狗なのでした。
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