出汁ようのかつお節をさがしていたゲンマはスーパーの陳列棚の間にしゃがみこんで物色しているめずらしい人影におや、と眉をあげた。 「カカシさん」 「ゲンさん、こんばんは〜」 「なにしてるんすか」 「鰹節、なにがいいかなあとおもって探してんのよ」 「ふつうの真空パックでいいんじゃないですか。珍しいですね、あなたがここにいるなんて」 「餌付けしようかとおもって」 「へえ。じゃあこの徳用パックでいいんじゃないですか」 「ん」 朝風呂しよう ごきん、と首の骨がなったのにゲンマは眉をひそめ、目頭を親指とひとさし指で押さえた。 人間の三大欲求は一に睡眠、二に食欲、三に性欲、一、二がある程度みちたりていないと三はほとんどおこらないらしい。つらつら考えている間も下瞼と上瞼がひっつきそうになっていた。 里境をぐるりとかこむ隔壁のうえ、狼煙を見てとれる位置、火影岩そばにある高台は隠れ里の危難を察知するための見張り台になっている。大戦がおわり、五大国間で同盟がむすばれようと隠れ里は火の国の要塞である。隠密・奇襲を得手とする忍びが夜討ち朝駆けを警戒しないはずがない。中忍試験直後の木の葉崩しの爪痕はいまだ深かった。通常ならば下忍が三人人と中忍の一斑がかならず持ち回りで見張り台の詰め所にひかえることになっていたが、いまだ警戒体制をしいているため、二班がつめている。 (大国の威信っつうのも考えものだよな) がつ、と千本を噛んだところでゲンマは立ち上がる。すり鉢状になった里の底にほつほつと残っていた明りも消えだし、東の空がしらみ出しているのをみていた臨時でくまれた部下がいぶかしげにゲンマを見あげた。見張り台の外階段につうじる鉄製のドアをゲンマが開く。 今まさにノックをしようとしていた拳が空を切った。 「おせえぞ、ライドウ」 「すまん、引継ぎ事項はあるか」 「ない。よし、あがりだ、出るぞ」 肩越しに顎をしゃくったゲンマは解散をいいわたされ、ほっとした顔をする下忍たちの顔にすこし眉をあげると唇をもちあげた。 「よく寝とけよ、おまえら」 「はい」 「班長、報告書に認印ください」 「あー。今日はいい。風呂よってから帰るからな、俺が出しとく。とっとと帰ってやれ」 詰め所の階段をおりながらもちまわりの報告書提出をさりげなくひきとったゲンマに、下忍はありがとうございます、と折り目正しく頭を下げた。 「いま二ヶ月だったか?」 「はあ」 「写真みたけど、お前に似てるよなあ」 「皆にいわれますけどね、自分ではわからないです」 とたん相好をくずした部下にもうひとりの部下が親ばか、といったが、幸せそうな表情はみじんも崩れない。 「じゃあ、班長すみません」 「気にすんな、奥さんとユズちゃんとカリンちゃんによろしくな」 「はい」 おつかれさまです、と散った部下たちをみおくったゲンマは千本を口からとって、ひとつ欠伸をすると歩き出した。 報告書をあげたあと、帰り道にある二十四時間営業をしている銭湯への道を屋根から電線、カラスの驚く声もおかまいなしににとんでいく。風呂だ風呂風呂、と呟き、ゆ、と藍染の暖簾のかかった玄関前に着地した。 「!」 「あ?わるい」 いきなり聞こえた子供の声にゲンマはとりあえず謝ってから首をゆるりとめぐらした。泥と土、よくつかいこまれて汚れたサンダルがうつり、視線をあげていくと黒い服をきた見覚えのある顔だ。 「えーと、うちはサスケか」 「あんた」 あんた、ときたかと思いながら俺もこんな年のときはうまく敬語はつかえなかったな、と思いゲンマは膝に両手をついてゆっくり立ち上がった。 「不知火ゲンマだ。あんとき以来だな。カカシさん元気か」 「顔をみてないから俺はしらん」 「そりゃそうだな。……こんな時間に風呂か?」 さっきあがりだったから、と無愛想につづけ、話はおわりとばかりに暖簾を片手であげると頭をかしげて銭湯の中にうちはサスケは入った。たいした身長もないくせに、とすこしわらってからゲンマもあがり框にこしかけ、サンダルの留め金をはずし、小銭をさぐる。そうするとちょうど靴箱にサンダルをいれているうちはサスケの膝あたりに視線がとまった。 黒いサポーターがまかれ、テーピングがされている。 怪我かなとおもいながら、ゲンマはのそりと男湯の暖簾をくぐり、番台の老婆におはようございます、と頭をさげた。 当然のことだが、早朝の風呂場に客はあまりいない。 天窓の曇りガラスにうつる空の色がだんだんと青くなっていくのをみあげながら、ゲンマは顔をぬぐって足をのばし、ため息をついた。首や肩、脹脛に砂でも詰めていたような間隔がお湯にとけていく感じがする。家にかえって風呂をわかしてもよかったが、面倒くさいのだ。アカデミーにもシャワーはあるが、あまり好きではない。 ふうっとため息が聞こえたのに、ゲンマが視線をめぐらせるとうちはサスケが片足をお湯につっこんでいるのが見えた。腰掛のようになっているところに足をつけるのが、子供じみている。 「おまえ、その膝どうした」 「……」 手をのばすと、すこしお湯を跳ねさせて立ち上がる。過剰反応にびっくりしたゲンマにびっくりしたのか、うちはサスケはばつが悪そうな顔をして、またお湯につかった。 「わりい」 「いや、あんたのせいじゃない」 日焼けをしている腕や足もしろかったが、服をきてないところは尚更だった。まだ伸び盛り前の子供の体は、丸みをのこしながらすこし細い。反応が見知らぬ男に腕をつかまれる女そのものだ、と思ってからあほなことを考えるなとゲンマは打ち消した。 「腫れてんならあまりお湯につかるなよ」 「すこし、痛むだけだ」 「痛むっつうのは危険信号だろ。あー、でもあれか」 おまえぐらいのときなら、成長痛かもしれないな、と呟く。斜めに視線をよこしていただけのうちはサスケがすこし首をめぐらして、ゲンマをみる。筆ではらったような切れ長の目尻がふっとたわみ、唇がすこしもちあがる。 (お) 生意気な顔すんな、とゲンマもすこし口をゆがめる。試験会場で名乗りをきいたときも物怖じしないいい眼をしていると思った。 「膝とか肘、ぎしぎししてんだったら、そうかもしれないぞ」 「そんなもんなのか」 「専門家じゃねえからわからないがな。夜ねむれないぐらいなら診てもらったほうがいいな」 声ががらんとした風呂場によく反響する。 体にたまった疲労が抜けていく感じに目をつむりたいが、朝の光に体は起きだしようとしていて、気分は妙によかった。とりとめもないことを話し続ける。 「おまえ綿屋にいったことあんのか」 「綿屋?」 ゲンマはサスケが体を洗うのにつかっていたタオルを指差す。 「そのタオル。山奥にある、じいさんとばあさんがやってるとこだよ」 「こないだ泊りがけで任務だった」 「あそこの露天風呂いいよなあ。秋とか紅葉がすんごいきれいなんだよ」 ああ、と頷きながらサスケの眉間にはなぜか皺がよっている。 「なんだ、どうした」 「いや、すこしむかつくことを思い出しただけだ」 「ここ結構くんのか?」 「いや、最近はあんま来てなかった」 「風呂洗うのめんどくさいよな」 無言でうなずく。 「カカシさんも常連だろ」 ぴくり、とサスケの眉間に皺がよったのにゲンマはおや、と目を瞬く。あの唯一のオリジナル技を伝授された弟子にしては、空気がぎすぎすしている。 「どうした」 「いや」 「あの人もだらしがないからな」 「……」 「任務に関しては鬼だから納得はできるんだけどよ、遅刻ばっかりは勘弁だよな」 あの人の遅刻癖だけはうつされんじゃねえぞ、本気で、といえばサスケは不機嫌そうに顔をしかめた。 風呂からあがるころは、豆腐屋は湯気をあげながら営業をはじめていたし犬の散歩をする人影がちらほらしだしていた。 うすあおい花をさかせる朝顔の鉢を倒さないよう気をつけながら、豆腐屋の列にならぶ。おからと木綿豆腐を一丁購入するととつられたのかサスケも油揚げを買っている。聞けば帰り道の方角もたいしてかわりないらしく、なんとなく二人でのろのろと歩いて帰った。 「おからってなんだ」 「おまえしらねえのか。卯の花だ卯の花。豆乳のしぼりかす。炒って食うとうまいんだ」 卯の花、といえばようやく合点がいったようだ。あれか、とゲンマのぶらさげたビニール袋からはみでている袋を見下ろしている。 「豆腐はいいんだぞ、高タンパクだし」 「肉のがいい」 「俺もおまえぐらいんときはむやみやたらに食いたかったな」 あんた料理すんのか、と聞かれたゲンマはまあ、独りが長いしな、と首筋をなでた。 「凝り性なんだよ。一時期味噌とか自分でつくったときもあるしな。うちの漬物とかまじでうめえぞ」 「ぬか漬けか」 「いや、さすがに毎日家にかえれるわけじゃないから水漬けだけどよ」 あー、はら減ったな、とぼやくゲンマの横をサスケは淡々と歩いているだけだ。すこし膝を庇いながら歩くたび上下する旋毛をみおろしたゲンマは自分のアパートの前で立ち止まった。 「おまえも飯くってくか?大したもんは用意できねえが」 「……?」 「ついでにあまってるテーピングとか湿布薬もやるよ。期限きれてるかもしんねえけど」 「おせっかいだな」 「好意は素直にうけとっとくもんだぜ、ガキ。別にとって食おうってわけじゃないんだしよ」 塩もみにした千切り大根と焼いてほぐした新巻鮭に熱いだしをたっぷりかけて三つ葉と白ごまをちらしたお茶漬け、昆布と生姜でつけこんでおいた茄子と胡瓜の水漬け、木綿豆腐はレンジで温めて鰹節と葱のあまめのたれをかけてだし、韮をまきこんだだしまき玉子と三十分もせずにならんだ朝食の膳にサスケがすこし目を大きくしているのが小気味よい。また食べっぷりもきもちがよかった。昼分まで含めて炊いておいた炊飯ジャーをからりと空けてくれたのだから、つくりがいもあろうというものだ。 おもわず冷蔵庫に常備していた切干大根とひじきと大豆の煮物も出してしまった。 「……うまかった」 「だろ」 「この水漬けどうなってんだ」 「昆布はさいしょに布巾でふいといてな、塩ふって胡瓜と茄子、水につけこんどきゃいいんだよ。鷹の爪をすこし入れてもうまいぞ。夏場の胡瓜と茄子はなにして食ってもうまいけどな」 台所の格子がはまった窓に箸をおいて両手をあわせてごちそうさまという。 「悪い、飯までもらっちまった」 「いんや。趣味みたいなもんなんだ」 「趣味?」 「だからよ、新しく料理本みたりとかすると、作りすぎちまうから他人に食わせんだ。それが趣味」 まじでうまかった、と言われようものなら嬉しくなってしまう。しかもいかにも口下手そうなサスケが本気でいってる感じにゲンマもうれしくなって思わず、また来いよ、と言ってしまった。さすがに疲労がたまっているらしく、眠そうに目をほそめるサスケの手にビニール袋にいれた湿布薬やテーピングをおしつける。指先がほわりと温かくて、ほんとうに眠いのだと知れた。 「ま、子供が徹夜なんてすると伸びねえから、とっととかえって寝ろ」 「ああ」 「今度は卯の花くわせてやる。干し椎茸がうまいんだ」 斜めからさす朝の光にまぶしそうに目を細めたサスケを玄関までおくり、じゃあな、と手をふった。安普請のアパートの階段をおりていくのに、ゲンマはゆっくりとドアノブをひっぱる。たまった洗濯物をとりあえず洗濯機につっこんで、それから寝よう。 ふ、と気配を感じたゲンマはドアノブを押して再びひらく。ざっと大きな鳥のような影が、アパートの玄関前をとおったかとおもえば、サッシを音もなく踏んで向かいの屋根まで軽く飛ぶ背中。 「……なにやってんだ、あの人」 朝は苦手中の苦手、重要じゃない任務の遅刻は「ま、あのひとならしょうがない」で終わってしまうぐらい専売特許のくせに。 とんとんと飛び石のようにトタン屋根カワラ屋根を踏んで下りていった人影が向かう先には、先ほど見送ったばかりの背中がある。 びしっと左の髪の毛をかすめ、玄関に何かが当たった。 肩をすくめ千本を噛みなおしたゲンマは足元にころがったものを目で追いかけた。なんの変哲もない石ころだが、玄関のドアがすこしへこんでいる。 ひらひらと手をふるカカシにゲンマは目を凝らした。 (餌付けしようかとおもって) (わりい) (いや、あんたのせいじゃない) あんたのせいじゃないってことは誰のせいなんだろう。 にらまれたような気がするのは、気のせいなんだろうか。 (いや、俺、メシ人に食わせんのが好きなだけだし) (いい食いッぷりしてたから気に入っただけだし) (裸とかみてハァハァしたわけじゃねえし) 「あー……疲れてる、だけだろ」 下を見下ろしたゲンマはがちゃんとドアを閉じた。 ……なにかいろいろ気のせいだと思いたい。 男の生理がうらめしい。 |
「朝風呂しよう」/ゲンマサスケ(カカシサスケ) |
ゲンマさんは、年下に慕われる雰囲気ありませんか? |