世界の
真ん中の
へそ


















sideN



ガスコンロに火をつけながらナルトは手の平にじわりと浮いた汗をズボンで乱暴に拭った。換気扇の紐を引っ張るとファンが回りだすかすかな音が唸り始めた。コンロはガチガチと火花を散らすばかりでなかなか火がつかない。なんなんだ、と思ってコンロを睨みつければ昨夜から閉めっぱなしの元栓があった。

(くっそ)

こんどこそ、と思ってガチンととやるとようやく青白い炎がヤカンの底を舐めた。中身は二人分の水だ。

「サスケ、腹空かねえか」
「ああ」
「ラーメン食う?」

こくりと黒髪の頭が上下するのを見ながら、戸棚からカップめんを取り出そうとしゃがみこむ。サポーターを巻いた膝がぎしりと痛んだ。膝のおく、おそらく関節があるだろう深い芯の場所で、ぎしぎしと軋むのにナルトは顔をしかめた。

換気扇から真夜中の空気の匂いが入ってくる。台所の擦りガラスの外にはうすピンクの花をつける夕顔の蔦が絡まっていた。
手の平に浮いた汗をもう一度拭った。
背後のテーブルにはサスケが腰掛けている。退屈そうに頬杖をついて巻物を眺めていた。

(何日ぶりだろ)



この一年、サスケと過ごす時間がだんだんと増えていた。任務が終った後に、ならんで修行をするのが日課になった。あるときはナルトがサスケの部屋のドアをくぐり、あるときはサスケがナルトのアパートへの階段を上った。

だがなんとなく、そのことを誰かに言ったことはなかった。本当になんとなくだ。カカシは相変わらずチームワークだぞと呪文のように唱え、サクラはサスケ君に絡むな、と怒鳴っている日々だった。仲良くやってるか、とお決まりのイルカの声がすると、「こいつがでしゃばる」と指差すのはまるで合言葉のようだった。

サスケがナルトの部屋に泊まったのは一度だけだ(ナルトがサスケの家に泊まるのはよくあった。ナルトの家には布団が一人ぶんしかないからだ)。珍しく任務がない日で、うまれてはじめてエロビデオを見た日だった。その日はベッドの上で、床の上で何度も寝返りを打った。お互いが寝たふりをしていると気がつきながら、どちらも沈黙を破らなかった。それから後、一度もお互いの部屋には行き来はない。修行だけはいつもどおりそれぞれこなした。

また喧嘩?とカカシに訊かれて、そんなんじゃない、と答えた。本当に喧嘩でもなんでもない。喧嘩にもなりはしなかった。喧嘩になる以前の問題だった。そして喧嘩にならないのが問題だった。

おもえば喧嘩以外に話をしたことがなかった。自分は大概、話すというより一方的にいいたい事を垂れ流す感じだし、あまりこむずかしいことに頭が回らない。サスケはサスケで口を動かすと何かが減るとでもいいたげなほどの無口だから、会話が成立しなかった。立て板に水のようなナルトの喋りが途切れれば、部屋の中は沈黙だけが無意味に落ちる。だが不思議と沈黙がいやだとは思わなかった。サスケも沈黙を気にした風もない。

いままで他人の沈黙は恐かった。

会話に間隙ができることが嫌いだ。沈黙は相手への働きかけをやめることだ。自分への働きかけをやめられること、相手への働きかけをやめること、最初からなにかを諦める事だ。誰も自分を見ないし、誰一人、自分がいていいと言わない。だから夢は火影になること。きっと誰一人、自分がいらないなんて言わないから。

自分ひとりだけでも自分のことが大事だと言ってやると思っていても、時々できないことがある。拒絶もたくさん知っている。拒絶をした奴を馬鹿にした奴を殴り飛ばすのとおなじぐらい、足元を見つめるしかないときがある。だから他人の沈黙には慣れることができなかった。沈黙はナルトにとって無関心と同じだ。だから恐かった。

(オレ羨ましかったんかな)

誰かに名前を呼ばれるのが当たり前。好きだと誰かに言われることが当たり前。サクラちゃんがまっさきにペットボトルを投げてやるのが自分ではなくこいつであること。アカデミーでお手本として引き合いに出されること。そのくせ、本人は当たり前の様な顔をしていて、感謝どころか面倒くさいとでもいいたげな顔をしていたこと。ナルトが欲しいものみんなぜんぶ持っていて、好きなものはないが嫌いなものはたくさんあると言い切った。

むかつく。それは変わらない。

「仲良くやってるか」と夕飯をおごるイルカに訊かれて、おもわずいつものように滑り出たのはサスケがでしゃばる、という子供じみた顔と声だった。困ったようにわらい、しっかりやれよ、というイルカをみて、いつもどおりだと噛みしめた。それから何を話したらいいかわからず、ラーメンに飢えてるふりをしてイルカに適当に相槌を打っていた。イルカとの沈黙ですら恐い。でも言葉が出てこない。もうもうと上がるラーメン屋の湯気に白熱球の明りが潤んでいた。

イルカに両手を振って別れたあと、一目散に走っていったのは自分の部屋ではなかった。蝶番のところから錆じみて、いつかもっとナルトが力が強くなったときは蹴破れそうなそのドアを何度も叩いた。口実はあった。イルカ先生から古びた巻物をもらった。見せてやる。捲くしたてた。

迷惑そうに顔をしかめていた。困っている顔だと見抜けるようになっていた。だからナルトはこれまでになく上手に笑った。口元を引きあげて目を細める。連動する筋肉の動きはなめらかで忠実だった。

いいから来いよ。

そのひと言だけでよかった。呆気に取られた顔をしたサスケを見て、来いよと繰り返す。しょうがねぇな、といわれてむかついた。

何だその態度は。オレが親切に見せてやるっつってんのによお。
頼んでねえ。
じゃあ見ねえのかよ。
……見る。

サンダルをはくためにしゃがみこんだ背中が嬉しくて、意味もなく膝でこづいた。直後、弁慶の泣き所に爪先がめり込んで、悶絶した。絶対これ青タンになる。だけど笑いは消えなかった。うるせえ奴だな、というような視線を向けられても気にしない。ナルトは笑った。



(羨ましいだけなんかな)



手の平の汗がやたら気になって、もう一度拭って振り返る。サスケを見た。サスケの指が巻物のおなじところを何度もなぞっている。視線はまったく動いていない。テーブルの前にナルトが立つ。一瞬、文字をたどる指が止まりかける。だがすぐなんでもないことのように動き出す。

沈黙だ。お互い何も言わない。あの夜とおなじ沈黙がここにある。

(羨ましいだけなんかな)











sideS



おどろくサクラにサスケもおどろいた。碧眼の注視にここまで緊張するのは初めてだった。緊張のせいか、問いかけは不必要に尖って、失敗したかと思う。

「なんだよ」
「ううん、ちょっとおどろいただけ」

サスケはならいいとばかりに踵を返そうとして立ち止まった。このあと、いつものようにフン、とか、何も言わずに踵を返せばよかったのだ。もう一度、サクラに視線を向ける。

「なにが」
「怒らない?」
「べつに」
「……悪い、って言ったから」

なんだそれは、とサスケは眉をしかめた。地雷を踏んづけたかと慌てたサクラは両手を振って、違うの、ちがうのと何度も言った。

「あのね、いままでサスケ君てあたしが誘ったりしても、『行かない』のひと言だったでしょ。あ、別に断られるのは一緒だし、断られるのもこのわかってるからそれはそれでいいの。なんだか、いつか来てくれたらいいなあってぐらいで、だからそれは別にぜんぜんいいの」

ちっともフォローになっていない。オレは一体どういう人間なんだ、と尚更サスケの眉間の皺は深くなった。それでも黙ってサクラの話の続きを目だけで促す。

「でも今日、悪いって言うから、びっくりしたの」

だからその一言でびっくりされるオレは一体どういう人間とみなされているのか、という答えにはなっていなかった。演習場までの道を歩きながらサスケは思う。

(ただちょっと考えただけだ)

台所のビニール袋に勝手に置いていかれた乾麺がいつまで経っても減らないことだとか、上司が勝手にとどけてくる生野菜の恩着せがましい横流しが無くなったことだとか、そんなことだ。

べつに約束事でもなんでもない、ただなんとなく、あっちが来るかと訊いたり、あっちが来てもいいかといっていたのに、応とか否とか言っていただけで、修行のあと必ずというわけではなかった。オレンジ色の背中を見て、それから見るのをやめた。そんなことを考えていたら、思わず「悪い」なんて科白がでたのだ。

(だいたい、何であんな戯けたことしやがった)

明日こそとっちめてやる、と今日も思った。そして見ないふりをした。

夕飯を食べ終えたあと風呂に入り、それからクナイと手裏剣に錆止めの油を塗っていたときだった。チャイムが続けざまに鳴る。何時だ、と呆れて時計を見れば、短針はすでに10時を少し過ぎていて、非常識な奴だと呆れた。どんどん、とドアを叩くのにうるせえなとばかりに応対すると、明日こそとっちめてやろうと思った奴がいた。

「イルカ先生から新しい巻物もらった。見せてやる」

夜分遅くにもうしわけありませんもなにもない。開口一番いった。みたこともない印があるだの、でもちゃんとオレらぐらいでもわかるとか、捲くしたてて来るのにあっけにとられていた。思えばいつも自分勝手に好きなだけ喋ったり騒いだりする野郎で、捲くしたてるなんていつものことだ。けれど呆気に取られていたのはそういうのではなくて、ぜんぜん違うことで。

(もう来ねえかと思ってた)

しばらく生野菜買う余裕が無いから、月末は買い置きしてた缶詰でもたそうとか、いつまでたっても減らないあまり好きなわけじゃない(やっぱり米の飯が好きだからだ)乾麺で食いつなぐしかねえなとか、自分ひとりだけを収納する部屋の中で考えていた時間から、いきなり変わると頭がついていかない。

「おまえ、どうせこれからあと寝るだけじゃねえの」

何を言ったらいいのかわからず顔をしかめていると、ナルトはなんでもなさそうに笑った。空気の明度が上がるような、ぜんぜん変わらない前とおなじ楽しそうな笑い顔だ。

「何でもいいから来いよ」

ドアを閉じたら終わりだという確信はあった。この夜にナルトの部屋まで行けば、泊まった時と同じ空気が来るかもしれないとも思った。だがドアを閉じたら、また缶詰や乾麺のことを考えなければいけなくなり、またサクラにフォローにもならないフォローを聞かされるのだろうと思った。

「しょうがねえな」



巻物の内容はちっとも頭に入らなかった。
サスケは視界の中央に巻物の文面を据えながら、焦点の合わない視界の左端にある金色ばかりを気にした。気を取り直しても墨のにじんだ跡や、虫食いのあとばかりが目に付いて、ミミズみたいな文字だと思った。夜食のラーメンを平らげた後、巻物を挟んでああだこうだと言い合いをして、印を組んだりした。それからナルトもサスケも惰性で歯をみがき、ナルトはベッドにサスケは床の上にぶあつい掛け布団を敷いた上に横になる(ベッドを貸そうかという申し出もあったが遠慮した)。

そこで思わずサスケは安堵に言葉をすべらせた。

「……しねーのか……?」
「……してえの!?」

がばりと跳ね起きて訊くや口角唾でも飛ばしそうなナルトにサスケはギョッとする。目的語は抜かしっぱなしで、お互い変な顔を見合わせた。夜で電気を消していたのが幸いで、顔が赤くなったのは見られないですんだ。

「したくねえに決まってんだろ」
「んじゃ、いーじゃん。寝る」

ナルトはごそごそと背中を向けてタオルケットの下に丸まった。ナルトのアパートは街中を通り抜けてみおろすような高台にある。だから深夜すぎても営業をする明りがちらちらと瞬いて、窓際の観葉植物がシーツの上に淡い影をつくっている。

おたがい何度目かの寝返りのあとだった。

「……サスケ」
「……なんだ」

なんだかいつかの夜のようだ。虫が夏夜の底でじいじいと鳴いている。だがあの時と違ってここはサスケの部屋ではないし、窓の外には花も咲いていない。あの木も今は緑の葉を茂らせて、土の上に濃い影を落としている。明日の昼はどんな修行をしよう。そうだ、修行だ。巻物の術を試すのがいい。そうだ、そうだ、そうしよう。だが、ごそりとナルトが寝返りをうったのにサスケは背中の神経を尖らせ、明日の修行のことが頭の隅に飛んでいってしまった。

「キ、キスしていい?」
「……」

べつに、とナルトは更に言葉を続けた。ぼそぼそとした声がマットレスを揺らしてくぐもった響きになり、サスケの耳に体に柔らかな振動になってやってくる。

「こないだみたいに、へんなことしてーとかじゃ、ねえし」

今までお伺いなんか立てなかっただろ、と思って答えが出ない。

「やならいい。しねーから」

サスケはむくりと起き上がった。背後をみれば、ナルトのタンクトップの背中がタオルケットの中にもぞもぞと丸まって縮こまっているのが見える。タオルケットのみの虫からはみ出ているのは枕にぐしゃぐしゃになっている日の光にはちみつの様な色になる髪、穂波の色だ。サスケは人と話すのに背中を向けるとは何ごとだとおもった。

「いやだなんて言ってねえぞ」
「――うわッ」

膝立ちになったサスケにタオルケットをべろりとはがされてナルトが勢いよく振り向いた。

「すんのか、しねえのか」
「すッ、……する」

マットの上に起き上がり、あたふたと正座したナルトはまるで置物みたいに膝の上に両拳をおいている。そんなに緊張することかよ、と毒づいたサスケはゆっくり顔を傾けた。ナルトが目をつぶる。歯磨き粉の味。

「……サスケ、もっぺん」
「……」
「……もうちょっと」

へへ、とナルトが目を閉じたまま笑うのに思わず頭突きをした。だがナルトはそれでも笑っている。

「サスケ」
「なんだ」
「夜中とか、肘とか膝、痛くならねえ?」
「ならねえ」
「オレ、伸びてるぜ」

いま気づいた、とナルトはにいっと笑う。たしかに目線がおなじぐらいだ。前は座高でもサスケのほうが高かった。

「てめーなんかかるく抜いてやる」

サポーターをまいた膝を崩しながらナルトが言うのを、サスケは鼻を鳴らすだけで一蹴した。

「言ってろ、ウスラトンカチ」
「抜いてやる」

サスケの前髪をナルトが引っ張る。成長痛という名前があるのだとは教えてやらないと思った。顎をひくと下からすくいあげるようにナルトが唇を重ねてきた。

「へん、なことしねーつったろ」
「やならしないって言っただけだってば」

服のすそをはぐる手を止めようとしていたサスケの手はいったん逡巡するように止まり、ゆるく握られる。それからナルトの頭を撫でた。頬にあたる息の感じでナルトが笑ったのがわかって、柔らかな髪を引っ張った。いつもどうやったらあんなにツンツン立つのかと思っていたら、そうとうな猫毛だったらしい。ふわふわと細くて軽い。あれだ、ヒヨコ。悪くない。まあいいかと思う。

ナルトの指がサスケのへそをくすぐる。
サスケもナルトのへそを触った。深呼吸をした。悪くない。

(――――悪くない)













「世界の真ん中のへそ」/ナルトサスケ








純情だけど不純におばかども。
スミマセン、こっぱずかしくて。
ワケわかりません、タイトルも。
連作から「金星ロケット」に至るまで(14歳ぐらい)。
いれてません。



















<おまけ>







「いいへそ」
「は?」
「サスケのへそ」

ヒマワリの種でもぴったり嵌まりそうな縦長のいいへそだと言う。べろりとタンクトップをまくって見せたナルトのへそは横に長い。ナルトはしげしげとへそを見比べている。

「オレもそんなへそがいいってばよ」

ナニいってんだ、とでもいいたげなサスケはごそごそとトイレットペーパーで手と腹を拭いながらしかめ面のままぼそりと言った。

「……昔でべそだった」
「うそだろ?」
「しらねえうちにひっこんだ」
「ひっこむもんなのか?」
「本気にすんなボケ」

トイレットペーパーの芯が投げつけられた。






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