万有引力 











強い風に窓ガラスが鳴っている。
ベッドに腹ばいになって本のページをめくっていたカカシは、スクリーンに指を差込む。

ばちばちと窓ガラスに水滴が当たっては弾けていた。ボロアパートのトタン庇がめくれて揺れ、風にあおられてはそっけないコンクリートの壁にぶつかって音を立てている。ネジがゆるんで歪んだ雨樋からは壊れた蛇口からでるように水流が落ちていた。ときおり紫や青い光がひらめいてのしかかる雲を浮かび上がらせ、雷がとどろく。

ばちん、と弾けるような音がして明かりが落ちた。ピンク色ともオレンジ色ともつかない火毬が残像として闇に落ちた視界の中を泳ぐ。数度瞬きをするうちに習性として緑めいた自分の部屋が浮かび上がりだした。スクリーンで切り取られた夜の薄明かりはほのかに青く、風の音とともに波打っては乱れた。

「サスケ、停電」

壁のハンガーには標準装備のベスト、ホルダー、ポーチが置かれている。手探りでポーチの中からロウソクを取り出した。ライターはないので仕方なくどこかの飲食店の土産のマッチを手に、カカシは立ち上がって洗面所に向かう。風呂場からは水音が響いている。

「開けるぞー」

ガラスの引き戸をからりと開けると、湯気が頬を撫でた。ちいさな明かり取りの小窓から落ちた明りが浴槽の中にいる少年の輪郭を浮かび上がらせていた。ゆらゆらと水面の光がうつろっている。浴槽に背中を預け、仰向くように天井を見ている。

(きっかけなんて単純なものだ)
「明りもって来たよ、ロウソク」

裸足で踏みこめば濡れたタイルがひやりと冷たかった。

悪い、と返る声といっしょに濡れた手が伸びるのに、カカシはマッチを持った手を遠ざけた。むっと気配がわずかに尖ったのに、笑う。ほんとうに単純なものだ。

「手、濡れてんだろ、おまえ」

また伸びたので、カカシは一歩下がった。いらない、とぶすくれた声がする。低い声だが、ゆるんでいる気配は都合のいい勘違いではないだろう。後からこじつけの理由を付け加えるなら、なつかない獣が手ずからえさを食うようになった、そんな程度でいい。

「夜目は利く」
「でも不便だろ」
マッチを1本する。燐はすぐに発火し、小さな炎をともした。橙色の明りが顰め面をする少年の面輪を照らす。黒髪の先から落ちた水がまだ細い頤から落ち、波紋を浮かべた。サスケが何か言おうと口を開いたところで、ふいと明りが消える。束の間ぼかされた闇はすぐに幕を下ろし、白い煙が緑色の残光といっしょに漂った。

雷が再び天を裂き、腹のそこに響くような音がとどろく。
ばちゃりと水音が響いた。お湯と石鹸の香りがつよくなる。

フン、と鼻を鳴らす音がして、カカシは思わず口元を笑いにゆがめてしまう。別に雷にびびったとかからかうつもりはないのだから、そんな変な意地を張られても、と思う。

「なに笑ってやがる」
「べつに。お湯加減は?」
「悪くねえ」

マッチを吸って蝋燭に火をともす。数滴を浴槽のふちに落とし、固定した。ゆれるオレンジ色の明りにほんのわずか頬がゆるむ。生業として暗がりは恐ろしい以前のものだが、明りは気休めながら人がいることや安全を示してくれる。わずか、眩しそうな顔をしているのが目に入った。しゃがみ込んで浴槽に肘をつき、黒髪に手を伸ばす。

「髪伸びたね」
「そうか?」
「また切ってやろうか」
「いや、まだいい」
「じゃあ洗ってやる」













暗がりはゆれる水のように炎の動きに沿って天井や床の角にわだかまっては呼吸するように大きくなる。サスケは泡が入らないよう目を閉じた。

「まだ電気つかないね」
「ああ」
「お湯熱くない?」
「平気だ」

反響する声は響きがいい。サスケは俯いたまま答え、ぼんやりと考える。

カカシの手は大きい。指先も手の平も肉刺があって皮が厚い。働く手ではないが、鍛えられた手だ。耳の後ろを撫でられて、首筋が少し粟だった。

……考えをカカシの手から散らさないと変なことになりそうだった。

「流すから、目瞑れ」

子供のように耳をカカシの手に覆われる。添えられた手にすこし頭を傾けられて、お湯をかけられる。

「反対側」

ぎゅっと目を瞑った。耳を硬い手の平が覆う。狭い中温められた空気を、水音が揺らす。ぞくぞくと首筋を背中をつたい落ちる。それからシャワーで丁寧にお湯をかけられ、濡れた髪をカカシの指がかき回した。

「はい、終わり」
「――ッ」
「ん?どーした?」

耳を抑えてぎりぎりと睨みつけてくるのにカカシは笑う。何せ停電になったら本も読めないし、何もできない。だったら暗がりに相応しいことをしたい。明りが薄暗いせいで耳が赤いかわからないが、お湯から上がったときより頬が少し熱をもっていたこと、ぜんぶお見通しだった。耳が好きだってこともお見通しだ。濡れた手を振って水を切る。

「たっちゃった?」
「……テメェっ」

派手な水音に明りが消えた。

















「クソ教師」
「ははは、うん、否定しない」
「淫行教師」
「それも否定しない」
「狭ぇ」
「仕方ないだろ、賃貸だし」

誰が聞くわけでもないのに、声をひそめてぼそぼそと話すのは楽しい。三十センチの距離しかとどかない秘密ごとだ。浴槽に腰掛けたサスケの前に膝立ちになったカカシは、濡れた額に犬のように鼻をこすりつけた。石鹸の匂いがする。呆れたような顔をしたサスケはしばしの逡巡のあと、ため息をついてほんのわずか、笑ったようだった。

「髭、いてぇ」
「おとついから剃ってないからね」

裸で抱き合うと、腕の中にいるのがほんとうに小さく、自分より早い鼓動を刻む動物だとわかる。どんなに鍛えても身長に行ってしまって、筋肉にはなりきらない時期だから、こつこつとした肋骨の感触がなまなましい。余すところなく温かな体を撫で、手の平で鼓動を探る。ついばむように唇をかさね、胸の尖りを指先でいじる。

「ン」

背中をなでおろすと、くすぐったそうにする。子供特有のつるんとした皮膚、女の人の柔らかくひんやりした感じと違い、うすくてもしっかり筋肉のついたおしりで、肌埋細かい。ふっとサスケの息が首筋にかかった。

指先でさぐれば細くて柔らかな下生えの感触、楽しむように指を這わせれば、腕の中でサスケが身じろぎをする。まだ核心には触れてやるつもりはなかった。ふわふわとつかず離れずもどかしい感覚を、意識するぎりぎり、やさしさにも似たじれったさで、無視できないぐらいに。

「おっきくなった」

ごん、と殴られた。エロじじい、と胸元に吸い込まれて、くぐもった響きになる。いつもは無口なくせに、そこだけするどい悪態もいい。やわらかな絨毛を掻きわけて指をかるく上下させる、それだけで噛みしめて赤くなってしまった唇がほどけて、上ずった声が漏れた。だけどまだ。サスケの手が、カカシの肩をぎゅうっと掴む。

まだうっすらとした茂みを乾いて硬い指先が掻きまぜる、戯れに絡めて遊ぶ動きにサスケの頬に血が上った。カカシは右目を細める。震えながら立ち上がり、とろりとこぼすさま。ああ、何だか食べ物みたいだ。

ふ、とサスケが湿った息衝きを感じたときには遅かった。そのままぱくりと含む。

「ひ……ッ」

はねたサスケの足に蹴られた腰掛ががたりと鳴る。ずる、と崩れ落ちそうになるのを許さない。唇裏の滑らかなところをおしあて、舌で茎からくびれをなぞり、指でうしろの袋を柔らかにもむ。みるみる硬くなる。

「ン、ぅ、う――」

一瞬、目の前が白く灼ける。数秒をあけず轟いた雷鳴に、ばちんと電気が戻った。茫洋とした瞳に強い光が走る。

「カカシ、はな、せっ」

逃げを打つ腰をなんなく押さえこんで、脅かすように歯を緩く立てれば、びくびくと竦んだ。視線を上げると眉をしかめて口元を押さえている。視線が合った。口元の手を外させようとして、やめる。かわりにちゅ、と先走りを吸い上げて、視線をそらさずにこれ見よがしに根元からゆっくりと舐めあげる。膝がかくかくと揺れた。

「ふ、ぅ」

ぎゅうっと目をつぶり、首を振る幼い仕草に黒髪が揺れて、冷えた水滴がぱたぱたと落ちた。シャンプーを指先に絡め、きつい入り口を撫でる。胸が膨らみしぼむ、息を吐くタイミングに合わせて根元までぬるりと入れ、ほぐすようにして深みを探る。指先で感じるとろけるような熱を、はやく別の場所で感じたいと体が急きたてる。

「あ、……や、いやだ、も」

詰めた息がカカシの耳にかかった。体を丸めるようにしてカカシの頭を抱え込む。もう、と掠れた声が耳元に落ちた。カカシの髪を掴む力は曖昧で、求めるものか引き剥がすものか、よくわからない。焦らすようにもどかしい愛撫を続けると、きりっと髪を掴む力が強くなった。夜目にも悔しげな顔がわかる。

「も、……か、せろっ」

きれぎれの懇願をカカシはあっさり受け容れた。中の指を捏ねるように動かし、敏感な先端をねぶるようにして、きつく吸い上げる。口元を押さえたサスケはぶるぶるっと胴震いした。

「……ァッ」

バタバタと激しい雨音の下でちいさな嬌声と、青臭いにおい。カカシがゆっくりと顔を上げれば唇との間に繋がった糸がぷつんと切れた。コックを捻りシャワーヘッドを口に近づけてゆすぐ。

髪からほどけたサスケの指が汗ばんだカカシのこめかみを探り、頬を滑った。遠まわしなねだる仕草に、下唇をあまく噛んで重ねる。ずるずるとサスケはカカシの膝の上に体を落とし、残滓に眉をしかめながらも、すぐ貪るように答えてきた。

「寒くない?」
「へ、いきだ」

背中をたどった指で窄まりを探れば、そろりと腰を浮かせる。辛そうな顔をしているが、ゆっくりと指を動かし始めると肩口に額を押し当てて熱っぽい息を吐いた。

「そろそろ平気か」

こくりと頷くのを確認して、かき回していた指を添えながら押しひらく、みちりと狭い肉を割る感触にくうっと喉が鳴った。なだめるように背中を撫でて、ほそい腰を支えてやる。

「は、ぁ――……」

ゆっくりと全部納め終わって、サスケが深呼吸をする。下腹から太股にかけてじわじわと広がる心地よさにカカシも呼吸をふかくして、濡れた髪を撫でた。汗まみれになった体の熱にタイルもぬるまってきている。

胸と胸がぴったり合わさると鼓動がずれていることがよくわかる。流れる時間が違うことがよくわかる。呼吸もずれていることがわかる。でも呼吸をあわせることが出来る。汗を交え息を絡め声を殺し、体温があいだに挟まった空気を温めることもわかる。それだけで何かわかったような気分になれる。

自分がいて、相手がいる。ことばはいらない。ことばにならない。今、サスケと自分の間にあるものはことばの外にあるものだ。

(きもちいいし?具合もわるくないし)

ちいさな後悔はいつだってある。最初からそう、少年にしか発情しない性癖ならよかったと思ったこともある。だが手を伸ばした理由なんて、ただいまを言わない唇や、雷に怯えた背中だけでいい気がした。きっかけが同情だろうと哀れみだろうと自己投影だろうと、きっかけはきっかけでしかない。

(少なくとも夜1人で寝ないことは出来る)
(おいしいご飯をたべるとか)

ばちん、とまた電気が切れた。焦れたような気配を感じ、すこし笑う。ごまかしようもなく、今つながっているのだ。自分からは動きだせない、けれど物欲しそうないい顔をしているだろう。それだけが残念だった。ゆっくりと動き出すと、切羽詰った声があがる。

遠雷が聞こえた。もうすぐ二度目の夏が来る。

(こんな夜に抱き合えるとか)

たとえばどんなことが出来るとか出来ないとか、そんなことを考えた。

















「万有引力」/カカシサスケ





それはひき合う孤独の力。
谷川俊太郎、「二十億光年の孤独」より。

お題、「け、たま、『いかせろっ』」
でした。クリアでありましょうか。
小生の精一杯であります……ッ(脱走)





















「よ!揃ってるな、お前ら」

諸君おはよう!を言う前にカカシはくしゃみをした。

至近距離にいたサスケは厭そうに眉をしかめる。ナルトが先生ってば風邪かよ!といい、サクラは心配そうに眉根を寄せた。

「先生も風邪?」
「も?」

サスケくんもなの、と言われてカカシは目を丸くする。

白々しく、体調管理も大事だぞ、といいかけたところで、くしゃみが二つ響く。水たまりには青空と白い雲がさかさまに映っている。

「うわっ、サスケ唾飛んだってばよ!きたねえ!」
「……悪ぃ」
「…………」
「……カカシ先生?」

黙りこくった上司にサクラが変な顔をした。

「ん、なに」
「耳赤くなってるわよ」











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