「ごめん、サスケ、俺がまちがってた」

あけはなった窓から何処かにある工場の終業サイレンが流れこんできた。床に胡座をかいて巻物を広げていたサスケは窓の方に頭をめぐらせる。カーテンの向こう窓の端に淡い桜雲がかかっている。梅雨が長かったぶん、夏が来たともおもえないうちに暦は秋になってしまい、気づけばもうずいぶんと日暮れが早い。

読んでいたところを確かめたサスケが墨のにおいもうすれかけた巻物を巻きなおしていると、曲げていた膝の横にひたりと節ばった足が下りた。すこし電燈の明かりが遮られるのに視線を上げる。

「そろそろ帰る?」
「ああ」

それ、とベッドに腰かけ上から覆いかぶさるようにして手元をのぞきこむカカシがサスケの読んでいた巻物を指差す。

「持って帰っちゃっていいよ」

いいのか、と肩越しに視線を投げればカカシは右目だけで笑う。自室ということもあって、額宛の代わりに眼帯がしてあり、顔のほとんどを隠すマスクもそのままだ。

「じゃあ借りる」
「はいはい」

ポーチに古い巻物を入れ、サスケは帰り支度をすると立ち上がる。カカシものそりと立ち上がり、足音もなくサスケを見送りにドア辺りまで歩く。

「じゃあな」

ドアノブに手をかけたところで振り返ろうとすると、視界が翳った。

「カカ……」

視界をおおう手のひらは体温が、特に指先が低い。ふ、と唇に息が当たるのに瞬きをはやくすれば、睫があたったのかカカシの手のひらが少し跳ね、ひたりと瞼の上に張りついた。押される。 唇がかさなる寸前、サスケは手で遮った。笑うカカシの息が手のひらに触れる。

「ダメ?」
「あんた、そういう趣味なのか」
「のわりに、けっこうさせてくれてたじゃない。嫌ではないんでしょ」

嫌なら無謀と分かっても蹴りの一発ぐらいはお見舞いしている。

「つまり、おまえが訊きたいのは……そうだね、そうか。そうだな」

一人会議を開催しているカカシの声を頭上に訊きながら、サスケが眉根を寄せるとカカシは手のひらで気がついたらしい。

「わるい、サスケ。俺が根本的にまちがってた」
「何の話だ」
「はっきり言わないとわかんないよね。俺ね、おまえとしたいよ」

したい、って何をだとサスケが眉根を寄せるのに、カカシが笑う気配がした。「だから、こういうこと」 ぺたり、と股間にカカシの手がおかれて心臓が一度、強くはねた。

「おまえとしたいよ」

冷えたドアに後頭がゆっくりと押しつけられるのと、唇が重なるのは同時だった。瞼の裏があかく染まる。 目を覆っていたはずの手がいつのまにかはずされ、下唇を撫でた。触れるか触れないかのくすぐったさにサスケが心なし首をすくめる。震える瞼をあけると、ぼやけた右目と目が合ってわずか右目を眇めたカカシが笑う気配がし、また唇を押しつけられた。顎の付け根を押さえた指に少し力を入れられ、人差し指の腹がかさついた下唇の端をなぞる。うながすような仕草に思わず唇を開いた。

「…ん…ッ」

肩につっぱった手を難なく握りこまれる。背中から入り込んだ手のひらが背筋にそってなで上げ、逃げようとする体をおさえる。ぬる、と口腔にはいりこむなまなましい感触にはまだ慣れない。ぬるま湯のような得体の知れない感覚が背筋をつたい落ち、おもわずカカシの手を握るとゆるく握り返された。 息苦しさとカカシの熱に変になる。上顎をつつくようになめられて、頭にのぼった痺れに身をよじると、解放された。サスケの髪にカカシが顔をうずめ長い息を吐く。サスケはきつく閉じていた目を開く。そしてカカシはあっさりと顔をあげ、いつものように笑った。

「じゃあ、また明日な」

口布の下にすぐ隠れてしまった、まだ見慣れぬうすい唇がやけに赤く濡れていたのが目に付いた。まだ息の整わないサスケはサッと頬に血の色をのぼらせて視線を伏せる。自分もそんな顔をしているかと思うといたたまれない。まともに視線を合わせることはできなかった。

「こんど、本返してね」

ドアを閉じ、階段を駆け下りても、カカシの喉で笑うような声が追いかけてくる気がした。
ふと視線を感じて、サスケは目を細める。
近所に住む顔見知りの男がいた。

その男はカカシの下宿の隣、同じく下宿である建物の三階、ひるがえるシーツと洗濯物、室外機でせまくるしいベランダにしゃがみこみ、缶ビールを片手にタバコを吸っていた。すでに空き缶らしいのを灰皿がわりにタバコを消しているところで、ひょいとサスケと目が合った。

鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。なんなんだ、と思いながら目があった手前ぺこりとやると、男は少し困ったようなはにかむような淡い笑みの色をうかべた。部屋の中から呼ばれたのか、男は腰をあげる。一度サスケのほうを振り返りひらりと肩越しに手を振って、窓の中に姿を消すと、後ろ手に窓とカーテンが閉じられるのが見えた。

(なんなんだ)

カカシといい、もう、訳がわからなかった。









「さーてと!そろそろ解散にするか」

横に広がれないため、上にのびた高楼のひしめく狭隘な路地からアカデミーまでのゆるやかな坂道、風雨にさらされた安いピンクの「新装開店!」がはりついた塀にかこまれている。いつもどおりの班長の号令に七班の面々は三者三様の返事だ。と、がさがさと塀の上からはりだした山茶花の枝がゆれ、淡紅の花片といっしょに甲高い声が降ってきた。

「兄ちゃん!今日こそ忍者ごっこだ、コレ!」
「お、木の葉丸じゃん!よおし、修行つけてやるってばよ!」

忍者が忍者ごっこ、とナルトと木の葉丸たちの声にカカシは眉尻を下げて笑い、サスケは呆れ、サクラは異口同音に突っ込む。と、木の葉丸がサクラに目をとめて、人差し指をつきつけた。

「あ、暴力女、ブスデコぴかちん!」

カカシ、サスケ、ナルトの三人が固まり、木の葉丸はすべらせてしまった自分の口を両手で押さえた。すでに時は遅し、ゆらりとサクラの影がゆれる。

「……ナァールゥートォー……」
「お、オレじゃねってばよォーーー!」
「うるさいっ!問答無用!」

パキパキッと手の関節を鳴らすサクラにナルトと木の葉丸はお互いの体を抱きしめあってしゃがみこむ。どうやら逃げるという選択肢も考えつかないらしい。騒々しいなあ、と苦笑一つで怒れるサクラと子供たちの悲鳴をしりめにし、カカシは短くため息をついた。サスケの視線がカカシのほうに流れ、右目だけで笑う。

「じゃ、オレは任務報告に行かなきゃならんから」

ごく小さな声で、ドアのところにおいておいてくれればいいよ、と続いた。何を、と云われるまでもない。

「…!おい、」

腰にさげたポーチに手をやったサスケが振り返ったときには白煙がのこっているだけだった。サスケは唇をかむ。

(あの野郎)









「云ったんですか?直球で」
「そう」
「で、もう一週間こないと」
「そう、やっぱ望みうすいですかね」

うなずいて風呂吹き大根を頬張るカカシに当たり前でしょうがと不知火ゲンマはため息だ。木の葉通りからすこし外れた「酒酒屋」という小料理屋である。

「あんたらしくもないやり口ですね、口八丁手八丁でどうとでも丸めこんできたんでしょうが」

グラスに口をつけていたカカシは例によって読めない一瞥をなげるだけだ。

「そんなの断っても断らなくても角が立つじゃないですか。来たら即行食います、準備万端、連れ込み宿にいつでも電話一本招待しろ、って云ってるようなもんです」
「ずいぶんヤクザなたとえですね」
「がっつくと女は引く生き物ですよ。もうすこし断りにくい状況をつくってからにすれば、あんたもその娘もやりやすいでしょうに」

んー、とグラスをカウンターに置きながらカカシは云う。

「なんかそういうやり方したくなかったというか」
「じゃあそんなはっきり言わなきゃいけないほどにぶいんですか」
「……いや、にぶいっていうか、知らないっていうか」
「じゃあ、断られるって考えもしない自信過剰か悪趣味ですよ。そんなあからさまじゃなきゃいけないんですか」

箸を小鉢につけようとしていたカカシの手が止まったようにみえたのに、ゲンマは慌てて言葉をついだ。

「どちらにしろふられても自業自得でしょうが。愚痴らないで下さい」
「手厳しいね」
「今オレにはちゃんとお付き合いしてるのがいますし、他人の色恋ほど鼻先つっこむとろくでもないことはありませんから」

そりゃそうだ、と苦笑いしたカカシと小一時間ほど飲み食いしてわかれた。猫背に手を振りながら白くなりかけの息を吐き、ゲンマはすこし考える。

(そんなにあからさまじゃなきゃいけないんですか)

あれは虚をつかれたのではないだろうか。
男が女とつきあうとき、おまえとしたいなんてあからさまに言うのはよほど自信があるか、自棄になってふられ覚悟のときぐらいだ。いくらでも冗談にできるだろうにしないのは。相手に敢えてカードをちらつかせて、選択を迫るのは。

(……まさか、な)

カカシ相手に想像するにはぞっとしない、とゲンマは肩をすくめた。そして、カカシを血迷わせたのはどんな相手なんだろうとも思ったが、歩き始めて二分後には忘れた。
一週間前からの恋人に会ったからだ。
今夜はお泊りだ、当然のことながら。










(悪趣味、ねえ)

ゲンマと別れ、帰り道を歩きながらカカシは思う。街灯の青白い明かりに呼気がしろく朦朧とした。夜天はさえざえと星を浮かべ、明日はすこし冷えこみそうだと考えて憂鬱になる。 ゲンマの言葉は否定できない。

(あからさまじゃなきゃ、いやなんだよ)

ゼロか一かの選択肢で、ゼロをあえて選んで欲しいのだ。

大事なことはいつだって今日の修行と明日の修行、それから同じ班の奴になめられないこと、負けないことで他のことは二の次三の次、彼の優先順位はわかりやすすぎてしょうがない。

錆びくさい階段を上がるたび、ギイギイと軋んだ。緑がかった蛍光灯の明かりが疲れたように明滅をくりかえしている。右手には柵、左手には合板のドアが均一にならんでいる。部屋のまえにたどり着き、鍵を取り出そうとポーチを手にやったところで、カカシは視線を下げた。紙袋がドア前に置かれているのを見つけてしまい、カカシはため息をついて屈みこんだ。

(……で、負け)

自信がないわけじゃなかったんだけどなあ、とうそぶいて紙袋をひろいあげた。立ち上がろうとして、なんだか気力が萎えた。

(まずい)

けっこう、あっけなさすぎる勝負の終わりに本気でへこんでいる。

(あ〜ダメかも)

紙袋に手をつっこみ、巻物をとりだして、指先でもてあそんだ。小細工なんてしなければよかったなあと、今さら後悔した。蛍光灯がときどき光を弱め、そのたび冷たい夜が足元にわだかまってはゆれた。

ほんとうはけっこう流されやすいのも知っている。もっと断りにくい状況だって作ることはできた。

(そんなの、いやなんだよ)

たったの十二歳だ。視界はせまいし、自分が無知なことにさえ気がつかない。いつだって少年の背中だけははっきり見える。置いていかれると思うし、止められるとも思わない。

情けないが、不安だ。
結局、サスケの心にはイタチの影があって、自分には左眼があって、そこに意味付けがないなんて否定ができるわけがない。

(人生の半分も生きてないような子供に、なに望んでるんだろうね)

だれかの心の中での自分の重さと、自分の中でもだれかの重さがつりあうことは幸福だろうがとても稀だろうと思うし、だからめったに期待しない。

でも、サスケに期待したのだ。
鍵をさがそうとして、手元をみたカカシは目を細めた。ゆれる明かりのしたに巻物を持った手を差し出して、見る。

(ちがう。貸したのじゃない)

カカシはきびすを返した。

「行ってもいねえよ、ウスラトンカチ」
「……なんで、いんの」
「あんたの真似」

忍者は裏の裏を読めだろ、と言われてその通りと笑うしかカカシにはできない。

「慌ててどこ行くつもりだ」
「おまえ、性格悪いね」

あきらかに返しまちがえた巻物をちらつかせるカカシはフン、と鼻で笑われてしまう。

「反面教師だろ」

背後の柵に音もなく降りたったサスケの表情は、うすぐらい蛍光灯のあかりではゆらいで、良く見えない。

「のぞき見なんて趣味悪いよ」
「あんたには負ける」

サスケの右手がぶんと振られ、顔面に命中しそうになった巻物をカカシは寸前で受け止めた。皮革の手甲ごしでもびりびりと痛い。しかも小さい舌打ちつきだった。

「怒ってんの?」
「そう思うんなら笑ってんじゃねえよ。わざわざ来させやがって」

歩みよってくるサスケにカカシはマスクの下ですこし笑みを深くする。サスケの眉間の皺がすこし深くなった。明かりにてらされてサスケの白い面が現れ、まっすぐにカカシの目を見あげた。視線がふせられ、睫が頬に影を落とした。

「……あんた、オレが」

短い言葉をめずらしくサスケが言いよどんだ。

「サスケ」
「なんだ」
「おまえのことが好きなんだよ」

サスケの瞳がゆれた。
言ってみれば単純なことだ。

(おまえだって、俺が気づかなかったらどうしてたの)

わざとまちがった巻物を入れてみたり、いちいち返せと催促してみたり。

(つまんない小細工したよね)

二人が二人ともだ。

「好きだよ」
(今ならやめられるよ)

深入りしすぎだ、という声は脳裡でいつでも囁いている。まちがったかもしれない、と何度だって思う。視界のせまさにだまされているだけ、おまえの幼さにつけこんでいるだけだよ、と胸に衝きあげてくるものもある。関わらざるをえない確信は、左眼のせいで、いい意味でも悪い意味でもあった。

(おまえの一番が何かなんて知ってるし)
(俺はそんなに情が深いわけでもないし)
(今なら、後戻りができるよ)
(いつだってやめられるよ)
(捨てられるよ、おまえも俺も)

自分に少年に内なる問いをつきつけながら覚える安堵は安っぽいだけ甘くて苦い。氷の針で刺されるようだ。ドアノブに鍵を差しこむカカシの喉が震えた。くっと笑うような音が出た。右目だけで視線を流す。

「どうする?サスケ」

わかっていても、しっていても問いかけずにいられないのは。
どん、とサスケの拳がカカシの胸を打った。

「回りくどいことばっかしてんじゃねえ」

ここにいるだろ。
サスケの答えにカカシはようやく、心底から笑った。









心構えも何もない。

犬の子のようにいきなりベッドにぼすんと放り出されて、窓からさしこむ夜明かりがかげった。ハーフパンツからのぞく膝をかさついて冷えた指先が撫でる。触るか触らないか、空気の微細な振動に感覚が一気に尖った。 頭の後ろの髪をつかむ手は仕草ほどに乱暴ではなく痛みはない。待て、という言葉はよせられた唇にあっさりと黙殺された。それでも諦めずに肩を叩くと、男は顔をはなした。影がずれて窓からさしこむ薄明かりがまた戻ってくる。

「なに」

目隠しをしないカカシに顔が一気に熱くなって血が上ったのがわかる。そっちから誘っといて、と手前勝手なことばかり言う男の色の薄い眼の中に映る自分の顔は、いったい全体どれだけ情けない面をしていることだろう。そういえば、とすこし焦ったサスケが云うと唇を首筋に埋めていたカカシは今度こそ不機嫌そうに顔をあげた。

「なに?」
「あの人、あそこに越したのか?」
「あの人って誰」

尋ねるカカシにサスケがざっと特徴を上げると、ゲンマか、とカカシは頷いた。

「で、なんでゲンマよ?」
「いや、人の顔見てカーテン閉じるから」
「あ、あー……、なんて云うかね」

視線をそらすカカシにサスケはなんだと眉根を寄せる。

「こういうこと。ま、気にしない、きにしない。ほら」

カカシはおざなりな声を返す。サスケが眉をしかめたところでジャッとカーテンが閉められた。

「わかった?」
「……」
「開けてすんのが好きな人もいるけどね、どうする?」
「……閉めろ」

光量の変化についていけなかった眼細胞にまやかしの暗がりが落ち、また覆い被さられた。首筋にかかる男の息遣いに逃げ出しそうになる体をどうにか抑えている。

カーテンを閉めても、電気をけしても、すぐ闇に目が慣れてくる。布の合間からのぞく街灯の明かりから目をそらせば、シャツを捲りあげられた自分の首あたりに動く銀色の頭、そこに散らばって皺のよりだしたシーツに線を描く青いの窓明かりが白々しい。目を閉じた。今度こそ膝の上を撫で裾からしのびこむ指にサスケが小さくすくむと、音ではなく重なった体を通じて振動がきた。

笑ってやがる、このやろう。ちきしょう。見えすいた手口にわざわざ自分からはまらないと顔も見せない、ずるい男だ。

だが悪態もあっという間にほどけた。

「ッ……、ァ」

指先に何かあたった。

(……?)

枕をかかえこんで顔をうずめていたサスケはなんだろう、と思い、手の中に握る。

「……サスケ?痛かった?」

思ったより響きの弱い声に目を動かし、首をどうにか振ると後ろからほっと息をはくのが聞こえた。おどかさないでよ、とかなんとか言いながら、また挿しこまれた指を動かされそうになるのにサスケの体がびくびくと竦む。とっさに手の中のものをカカシに突きつけた。

「待……っ、こっ」
「ん?」
「これなんだ?」

カカシは幾度か視線を泳がせ、それから困ったような顔をしてサスケをみた。頭を掻き、もそもそと言う。

「なにって……いや、男のエチケットだし。それにそろそろ、いいんじゃないかなって」

さっぱり要領を得ないサスケは、眉をしかめる。カカシは何度か瞬きをしたあと、知らないんだ、あ、そっか、そうだよな、うん、とぼそぼそつぶやき、頭の後ろを掻いた。

「……貸して。ちょうどいいや」

サスケの手から取り上げると、カカシは口にビニールの端をくわえて、開ける。輪っかになった場所に指を差しこむと、ゴムの薄いピンク色の膜がカカシの指にはりついて伸びた。風船みたいだと思って、ようやっと気がついた。

「アンタ……っ、それ」
「そ、ゴム、スキン、コンドーム。ジェルつき」
「てめっ」

(準備万端じゃねえか!)

つるんとした感触が後を探った。ぬる、とコンドームをかぶせた指が入りこむのに枕をにぎる。

「…無理…てッ」
「そんなこといわれてもね。お前がしていいって言ったんだろ」
「ッ」

頭に血が上った。グッと首をねじ向けて睨みつければ、カカシはうすく笑う。ざけんな、は添えられてもぐりこんだもう一本の指に邪魔され、噛みつぶされた。

カカシは呆れるほど焦らなかった。きつくゆるくあやすような動きに翻弄されて、じわじわとはいのぼってくる。体が思うようにならない。語尾がヘンな風にはねあがる。

「……、んッ」

背中をそらせたサスケはシーツをかき寄せた。左頬をベッドに押し当てて、きつく歯を噛みしめる。

「ここ?」
「んの、…変態…ッ」

きもちよくない?と耳のそばでささやかれて背筋が震える。ひきつるたび、太股から膝までういた汗が幾筋もつたった。

「ぅ、ん」

耳の後ろに濡れた息、背筋からお湯をかけられるように生ぬるく伝った感覚に、あまり見たこともないカカシの唇だと認識する。

「まだきつい?」
「ぁ、……あ……ァ」
「一回目より二回目、二回目より三回目、だんだん良くなるよ」

サスケ、と呼ぶ声の響きばかりやさしいくせに、まったく手つきはえげつない。触れられもしないうち、高ぶった前を空いた手にたしかめるよう包まれて、サスケは犬のように鼻を鳴らし、枕を噛んだ。

「きもちいい?」

わかりきったことを訊きながら指の腹をいいところに押しあて、手首ごと揺すった。焦らしに焦らし先延ばしする手管にうわ言のように言葉にならない悪態をはいて、首をふるサスケをよそに、このまま一気にいかせてしまおうか、それとも長引かせようかと、不埒なことでカカシは悩む。産毛の生えた耳元に唇をよせる。

「やだ?よす?」
「……ッ」

いやだ、と言っていた唇がはっとしたようにつぐまれる。ちょっとこのタイミングは卑怯だったかな、とカカシはまた笑った。

「サスケ」
「……ぅ」

サスケは必死で口をつぐんだが、もう一度うかれ声で呼ばれ、もう我慢ができなかった。

「サスケ?」

いきなり首にしがみつかれ、とまどったカカシの声が頭の上からふれあった体から響いてくる。ふうふうと息をするたびにしめった自分の息とカカシのにおいを吸いこんで、息苦しい。けれどしがみつく手をはなそうと思わなかった。カカシの手が背中のあたりでうろうろと迷うのがわかる。中途はんぱな抗議は黙殺していたくせに、いまさら。

「……サスケ?」

こんな声、任務中にだって聞いたことがない。ナルトもサクラも、サスケだってこれまで知らなかった。でも知ってしまった。知ってしまったらもう、知らないとは言えない。ばかにするな、と何度目かの科白を心の中で云う。

しがみつかれたカカシは訳がわからず、サスケの顔をのぞきこもうとするのだがちょうど肩口に顔を埋められたせいで、首が動かない。しかたなくあいた左手で汗ばんだ背中を撫でると、うでの中のまだ骨ばって筋肉はあっても丸みのあるからだが、ぴくりと反応した。やめようか。一言、それだけでいい。我慢できないこともない。
……きっと多分。

「……サ」

スケ、は前髪をいきなりがしりとつかまれた驚きに、声にならず、カカシは思わず左目も開く。にじむ視界の中で、黒い両目に焦点をあわせようとしたのだがぼやけた。

(……髪の毛痛いんだけどね)

ちょっといろいろふっ飛びそうになったのは、悔しいので顔には出さない。でも手のひらが汗をかいて、ばれるかもしれないとキスを受けながらカカシは思ったが、どうでもよくなった。

いい気になったカカシが今度は自分から唇をよせ、かさついた唇を舐めれば、顎を引くようにされたので口を開いてかぶりついた。頬におしあてられたサスケの爪にすこし引っかかれたが気にしない。これから切らせることにすればいい。

顔をはなすと、サスケはすこし不機嫌そうな顔をしながら、またカカシの髪の毛をかきまぜる。額をおしつけては、ぎこちないキスを顔じゅうやみくもによこしてくるから頬骨がぶつかって痛いぐらいだ。なんだかかまいたおして欲しい犬か猫の子供のようで、カカシはふと笑って名前を呼びながら、耳の後ろに鼻面を埋め、汗とすこし土っぽいサスケの匂いを吸いこんだ。悪くない。こういうのは得意だ。

やめようか、なんて言葉はもう言わない。それでもなるたけ気を使ってあげたいなと思いながら、手をもぞもぞとさせていたら、カカシ、とせっぱ詰まったかすれ声に思わず手が止まる。サスケがカカシの顔を両手で引き寄せ、息がかかるくらい真正面からのぞきこんだ。

「……ちゃんと、すきだからな」

告白がつたなく小さいだけ、カカシは今度こそぶっ飛んだ。
……今夜はお泊りだ。当然のことながら。









上忍控え室だ。

「で、うまくいったんですか」
「ん?」
「先日の子です。昼までカーテンぴっちりしめきって、ナニやってたんだか」
「いつ見てたのよ、んなとこ。ゲンさん、もしかして俺に気がありますか」
「冗談は顔だけにしてください。いまの彼女があんたんところの斜めうえの部屋なんです」
「ふろ場でするのはよしてね、音ひびくから」
「……いつ聞いてたんです」
「やってんだ、わー、元気ですね」
「……」

ほんとうにこの男は、とゲンマは唇を歪めた。

「あ、でもうちのアパートあれですよね、ぼろいからギシギシすると分かっちゃいますよね」
「どうぞ、お構いなく」
「風呂でするとき、音がもれないなんかいい方法って、ありますかね」
「エロ本から探せばどうです」
「なに言ってんです、あれは崇高な愛のための本なんです」

臆面もなく言いきったうえ、十八まで読まなかった、と胸をはるカカシにもはや反論する気すら起きない。

「……はいはい、いわくエロスってやつですね」

ゲンマがげっそりとしたとき、上忍控え室入り口に顔見知りの子供が顔を出した。
おい、カカシ、おまえんところのだぞ、と同じく待機中のだれかに呼ばれ、カカシがのそりと席を立つ。やれやれと目の前にただようタバコのけむりをおざなりに手で払いながらゲンマはひょいと視線を流し、あげた手を軽くふった。

「……よう」

朝、ゴミ捨て場などで顔をあわせるとどちらともなく会釈をする。ビニール袋を破りそうな生ゴミの日だったりすると、実にさりげなく辺りのゴミ袋を片付けて置きやすくしてくれたりする。サスケの手からゴミ袋を取りあげたりするなれなれしさや厚かましさとは無縁なので、ありがたくサスケは好意を頂戴しているのだが、なんとなくお礼を言いそびれてしまっているのだった。

実にきまずいアレやらコレやらがあるが、視線が合ってしまったからには仕方がなかった。

「……どうも」

耳たぶを赤くするサスケにカカシは笑った。サスケはろくでもない教師のつま先をふみにじる。

さて今日はカーテンを開けようか閉めようか、それとも風呂場にしようか。夕暮れまでに決めようとカカシはサスケの背中をおした。









「Peekaboo」/カカシサスケ






いないいないばあ、というわけで。
カカサスお初アンソロのゲスト原稿より再録。
これの続編が「朝の歌」「果物ナイフ」になります。









back