無明の闇がありがたい。闇に慣れた目でも、新月の曇り、あげく鬱蒼としげった森の中にあっては、人間は盲目と同じだ。瞬きをしてようやくに自分が目をあけていることを感じられたが、光を見ることができるかはわからなかった。

諦めて目を閉じる。深い闇を直視するのは昼間と何が変わるわけでもないのに、いまでも怖い。まだ瞼の裏で変な光が踊るのを観ているほうが良かった。

(まずいな)

腕を持ち上げるのすら、息が乱れる。体を支える筋肉がふかふかと綿のような感じがして力が入らない。目を閉じて呼吸を整え丹田からチャクラをめぐらせても、追いつくものではなかった。

腹のあたりを抉られた時点で手持ちの薬餌を飲み下して一時的に痛みを消しているが、どうにもならないだろう。副作用は終わったあとの激痛と、抵抗力が弱っている場合は、手足に通った末梢の神経が壊死して使いものにならなくなる。



もう使いものにならなくたって良かったが。



握力をなくした右手に、クナイをくくりつけ、かろうじて動く左手に千本を握った。

そうとう深く裂かれたから、腹圧でぶよぶよした内臓が飛び出ている。さらしで無理やり押し込んではいるが、ズボンの腿辺りまでずっぷりと濡れて重くなっている。想像したくない。

だから今、闇がありがたいのは、自分の傷の状態を見れないことだ。傷を直視した瞬間、ショックで死ねるほど脆弱な生き物が人間だ。つい先ほどまで敵を屠っていた仲間が、すぐに心臓を止めるのをいくらでも見てきた。



死んでるとわかるまでは、この心臓は止められない。



細い雨がしょうしょうと降り出した。折り重なった枝葉にあたって、滴がぱらぱらと小さな音を立てる。濡れた土の臭いがして、息苦しい。深い森の中では、雑多で濃密な気配がしずかに満ちていた。危険は感じない。そもそも感じたところでどうにかなる状況ではなかったが、職業病的な習い性で気配は絶っていた。

死ねないと思う一方で、同様に諦めていた。

ふしぎと心は凪いでいる。朝を迎える海の、色をもたない透明な水を覗き込むようにただ淡々と時が来るのを待っている。悪い気分ではなかった。

まだ下忍だった頃のときは、ぷつんと細い糸が切れるように叩き落とされて、背中からのしかかって来る闇に飲まれてしまった。今は大樹の枝に背中を預け、慎重に呼吸することだけに神経を傾けている。喉を通って肺からしみわたる空気が、体中の何かを削りながら燃やしていくのがわかる。肩を上下させるたびに、腹のあたりに痛みが弾けた。痛い。もう歩けない。雨が血と一緒に流れ出させてしまう。

「……いてぇぞ、ちきしょう」

痛い。やっぱり死にたくない。まだ自分は大事なことがなにもできてない。














いつかしら、何かが変わっているのを感じていた。

端から尊敬などできるとは思わなかったが、背中で守ると言い切った男の言葉に、何かしら感じるものはあった。手のひらから零れるものを守りたいと思ったのは真実だ。教え導く言葉は、たしかに自分を引っ張っていった。

唾棄されても頑なに額当てを守る少年が、どんなに殴られても昂然と頭を上げ声高に叫ぶ姿に、焦げつきそうなほどの憧れがあった。洋々と広がっているものを飲み込むことを然りとするのに、引きずられるようにして走った。息が切れるまで走った。抜くことも抜かれることもどうでも良かった。ほかならぬ自分が走りたいから走っていたのだ。なにも考えなかった。

小さく寄せられる好意にどうすればいいのかわからなかった。なにもしなくていいとはっきり明言されても、返せる何かがないことが居心地は悪かった。それでもどこか救われることがあったのは、あくまでも傍観していてくれたからだと思う。聡明な少女はひたすら花のように強く笑う。

いまは亡き里長のジジイは好きにしろとほざいた。皺枯れた手が幼い自分を撫でたことを覚えている。アカデミーの中忍教師はなにも言わずに悲しそうに笑った。沈黙が優しさから来るものだとはつい最近まで知らなかった。

向かい風はやむことがなかったが、いろいろなものを連れてきた。信頼は信頼を連れてやってくる。闇に伸ばした手の先につかみあげる誰かの手があること。それは何物にも変えがたいと知った。

血を失いすぎたせいで、歯の根が合わないほど寒かった。がちがちと歯を鳴らすうちに、とんでもなく重ったるい眠気が襲ってきた。いつかの満月の夜から何年か振りの、泥のように重い眠りを誘うものだった。寒さも忘れた。目覚めた時が想像を絶するほど辛いとわかりながら、意識を手放した。暗転。





走りきったら空っぽになって死んでけると思っていたのに、ぜんぜん予想と違う。

好きなものはないが嫌いなものはたくさんある。
だが、そう、ぜんぶ、そう悪くなかった。


















がさりと横合いから響いた音に、一気に覚醒する。その場から飛び退りざま、握りしめていた千本を投げ打った。臓腑に焼け杭をつっこまれて脳髄をかき回されるような激痛に、古い木の根元に転がり込んで、ずり落ちる。濡れた枯葉混じりの土に倒れこみ、うめき声と金気混じりの涎が唇から垂れた。

風笛のような細い音を立てて、千本は枝を鳴らし幹を穿つ音が響いたが、全部はずれてる。意図的に開放された気配はひとつだが、罠かもしれない。雨音は他の音を消し去り、臭いもあまりはこばない。それに他を探るだけの余裕もない。

(くそ)

あぶないなあ、と緊張感を削いだ声が聞こえて、舌打ちした。眼を閉じる。要らない体力を使わせやがって。

「……他のはどうした」
「ナルトもサクラも待ってるよ、お前だけだ、死にぞこない」
「……るせえ、死にぞこない」

同じぐらいの血の臭いが漂ってくるのに鼻で笑う。自分を見つけたときに音を消す余裕すらなかったくせに。お前が言えたことかよ、とかつての上司に吐き捨てれば、動けるだけマシだと返ってきた。納得。

肩の下に腕を入れられ、担ぎ上げられる。頭から血が一気に下がって、目眩がした。男の声が耳に遠く、負ぶわれて接した腹の方から低く響いた。

来るとちゅうで見たよ。
「死んでた。お前の手柄だ」
「そうか」

宣告を、水が砂に落ちてしみこむように当然のものと受けとめた。

振り上げた刃の意味を、誰よりも貪欲に牙を磨いた理由を、背中を押されるようにして走りつづけて来た、すべてのはじまり。鏡は二度と見ないと決めた。そらおそろしいほどに似ていたからだ。

熱で潤む眼をさらにきつく閉じた。抱きとめる背中に今は預けて、感傷に流されることを今だけ自分に許した。幾度となくこの男はわかりきった言葉で自分を罵ってきたから、きっと同じようにするだろう。だから他の誰にも気づかせない。こいつだけだ。

「ばかだね、おまえ」
「……知ってる」

どうして最後によけなかった。できたはずだ。なのに、闇の底で光った末期、真赭まそほの瞳の静謐が焼きついてはなれない。この両眼は同じはずだ、だけど、きっと自分にはできない。

けっきょく三文芝居は望みどおりの陳腐な幕引きで終劇となった。日常のすべてを染めあげて埋めつくしても、触れ合えたのは刃をつきたてた一瞬だけ。

あなたののぞむとおりに。

支えられながら足を引きずって歩む道の先には小さな明かり。名前を呼ばれた。すこしだけ霞んでやわらかく揺れていた。みんな笑っていた。










「ほら、サスケ」















遠雷のような最後の歓声に応え、彼は左手を上げる。











「カーテンコール」/サスケ





贋物100%。


(改訂 2003.11.21)
















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