天路ゆく二匹を見れば幸せが、その彼方には夢の国。











Wolkenkuckucksheim

















しろく陽炎を浮かばせる校庭を横目に渡り廊下をわたった。夏に向かい開け放たれた窓のむこうで、アカデミー生の踊るような影が校庭の真ん中へと駆けていく。数十人の生徒に囲まれた教師は肩に三メートルはある笹飾りを担いでいた。

笑い声が聞こえる。額当てのしたから汗が伝い、サスケはそれを乱暴にぬぐい、階段を昇った。

学期末の人気ない学校はとてもしずかだ。人々の気配が残響のようにかすかに漂い、しらじらしい空虚さにいつも息を潜めそうになる。職員室へとむかう途中、開け放たれたドアを覗き込んで驚いた。

床いちめんを色紙がおおい尽くすように散らばっている。まるで花のようだった。

サッシにバランスよくもたれて窓の外に片足を出した男の髪が銀色に宙を遊ぶ。すこし煙たい夏の風にカーテンはゆるりとはためいて、そのたびに外に茂った緑から漏る白けた光が部屋の中を波打った。色紙がきまぐれに乱されてひらひらと流れる。けれど眠る男は動かない。サスケはまるで水槽の中にいるような気分になった。

ここにいると息ができない。

「なんか用?」

びくりとすくみ上がった。カカシは目を瞑っている。起きてるなんて、と思い、だがすぐ上忍だった、と思う。

「来月の助成金申請だ。この色紙、なんだ」
「七夕用のだよ。アカデミー生のお泊り演習で使ったやつ。今日が最終日だから。……あー、ひどいな、これ」

足跡ついてるよ、とカカシは笑うと、左目を額当ての上から押さえてうつむき、ひとつ欠伸をした。

アカデミー特別棟の図工準備室は歴代の生徒たちが確信犯で忘れていった手造りの椅子やら、のこぎりで削られてぼろぼろになった机、その上に教材が山積して、塗料の匂いや埃の匂いが混じり、古い書庫のような眠い空気が漂っている。ワックスで水彩絵の具が塗りこめられた床は今、色とりどりの紙が散らばっている。

紙を拾い上げてまとめ、さしだすとカカシは短く礼を言った。すると何を思ったか、カカシはごそごそと模造紙やら画用紙の詰まった引き出しを探って、鋏をとりだす。じゃきじゃきと鳴らした。

「おまえ七夕飾りつくれる?」
「……しらん」
「こまったな、俺も知らない。イルカ先生なら知ってるかなあ」
「きっと毎年作ってる」
「へえ、らしいな」
「そんで何すんだ」
「なにってしょうがないから七夕しようかと」
「書かねえぞ。笹ねえし」
「つまんない子だねえ、お前」

たいした落胆もないくせに、わざとらしく呆れた響きにムッとして視線をそらす。

「もうやぐら組んでるぞ」
「あ、ほんとうだ。まだ七日なのに、律儀だなあ」

カカシは鋏を床に放り出して、大きな紙を窓ガラスに押し当て長い指で折り曲げた。無造作に、でも迷いのないたしかな動きで角をそろえ、きれいに押さえて、形をつくっていく。そしてペンで何かを書いている。

窓の向こうに乗り出した背中をサスケは仰いだ。

「短冊代わり」
「あんたバカか」
「ちがうよ」
「なにが」

ちがう、と訊くまえにカカシは口にくわえたペンキャップにペンを戻して振りかぶる。クナイを擲つのとはうってかわって、乱暴で大きなモーション。水色の紙飛行機を目で思わず追いかけて、届くわけないだろ、も云えなくなった。ななめ上にとんだ紙切れは、ゆるい風にもひらひらと頼りない動きで、思わず目で追ってしまう。しろい紙は進まずに、きりきりと墜落する。けっきょく枝に引っかかってしまった。とうぜん笹飾りまで届くはずもない。

「……あれ?」
「届くわけないだろ」

きりりと珍しく顔を引き締めたカカシは言う。

「自慢じゃないが俺は負けず嫌いだ」
「聞いてねえ」

脱力したサスケをほうっておいて、再び足跡がついた色紙を折ったカカシはまた勢いよく振りかぶる。

(力みすぎだ)

風にもてあそばれて紙飛行機はきりきりと回転して落ちてしまった。ああ〜と情けない声がする。

羽はもっと大きく、先のほうの紙を折って錘にすればいいのだ。投げるときも叩きつけるのではなくて、もっと手首はやわらかく、空気のあわいにすべりこませるようにすれば、きっと翼は風をはらんでどこまでもゆるやかに飛ぶ。

「サスケもしようよ」
「勝手に使っていいのか」
「だってもう汚れちゃってるよ」

後ろから抱き込まれて手の中に紙飛行機を押し込まれる。まっしろだった。ペンも渡される。

「七夕だし、書かない?」
「書いてもあんたには見せない」
「ひどいなあ、それ」
「あんたは」
「書いてもお前には見せなーい」

ほとんど同じ抑揚で返されてサスケは押し黙る。

「……でかいこと書きなよ」

顔をあげようとして、あげられなかった。カカシの顎が頭にのっている。笑う振動が背中の体温越しに伝わってくる。







「かないそうもないこと書いたほうがたのしいだろ」







笑っているのにとても静かな声だった。振りかえってカカシの顔を見たいのに、顎を乗せられているせいで振りかえれない。

間があいた。エアポケットのように二人の間に落ち込んだ、思いもよらぬ沈黙にサスケは慌て、思わずなにもかかない飛行機を飛ばした。飛び出していった紙飛行機を目で追いかける。校庭にのたのたと小さな影が落ちている。ふらりとよろついて、たとえ焚火までたどり着いても陽炎に踊って燃え上がるだけだ。それが星空まで届くなんて誰が信じる。

「サスケうまいね」
「……信じないのか」

そう思ったのに。我知らずもれた問いかけには意外そうな声が返った。

「信じてるの?」
「そんなの、無駄なだけだ」

カカシは笑った。物言わぬカカシの手首が蝶のようにひらめいた。紙飛行機があぶなげなく離れ、滑空する。

行方も見ずに、上を向いた。カカシが顎をどけて覗き込んでくる。銀色の前髪を引っ張り、爪立ってくちびるを寄せた。マスクを噛んでずりおろす。

「……なに、めずらしいね」
「たまにはいいだろ」

顎をさめた指先がすくいあげた。両耳を覆われて、風の音がする。下唇をなぞられた。

銀色の睫でけぶり、瞬きをする色の薄い眼を覗き込んだ。光を虹彩が透かし、水中のガラス玉のようなのに、瞳孔の奥にはたしかに深いところへつながる暗がりが見える。怖くて目を閉じた。覗き込んでいるのは自分だろうかカカシだろうか。よくわからないし、怖いから見たくない。

のしかかるほど深く透明な夏の空を服に包まれた肩越しに見た。あがった息を整えて机の角をつかむ。カーテンに隠れて太陽はみえない。なだれ落ちてくるようないちめんの青、切り裂くスプリンクラーの軌跡に虹が引っかかっている。灼ける雲の白さが視細胞に焦げついて埃が舞う。おしよせる蝉時雨、正午を知らせて炙られる地上にのたうつサイレンの悲鳴が遠くなる。汗ばんだたがいの肌が空気すら間に入れるのを許さずにはりつき、ぬるんだ机についた背中が滑る。

「……はっ」
「サスケ、へいき?」

手首を噛まれて、つま先が宙を掻いた。気づかうぐらいなら最初からすんな、と思う。自分から手を出したことは棚に上げる。だって慣れてきたとはいえ、この瞬間だけはどうにもならない。体じゅうの毛穴がぶあっと広がって、腹の奥底、しゃっくりのときに引き攣るよりさらに奥で下、落下のときの浮遊感と違っても内臓がぞろりと押しあげられ広げられる感覚は、気色がわるいとしか言いようがなかった。

それでも震える両手ですがりつけるのが目の前に一人きりしかいないのだから癪に障るというものだ。バカみたいだと毎回おもう。自分だけ丸裸になる。けれどカカシが脱ぐのをあまり好かないのは、服の下が傷だらけだからだと知った。左目の上だけではない、手甲の下も。

火傷痕のように少しだけつやがあって皮が引き攣れた、カギ裂きのようになったもの、抜糸痕のあるもの、つぶれたようなもの、無数の傷痕がある。気がついたのは、何時ごろだったろう。

「ふ、ぅ」

脈打つ痛みと疼きに目を閉じて浅い呼吸をくりかえしていると、こめかみにくちびるを押し当てられる。ひざ裏をすくいあげた指が筋と血管の浮いた皮膚の薄いところをなぞり、ひくりとのどが鳴った。指先が思いのほかやさしいと思うのは、じわじわと熱にすりかわる感覚に頭が変になっているからだろうか。

「も……うごけっ」

ちらとでもよぎった都合のいい考えと、何より体の中でうだる熱に焦れて身をよじると、カカシはふと目を細めて笑う。眼差しが外れないのが居たたまれない。突きつけられた欲望はありありとしていて、触れ合った場所は汗ばみ熱さえ通うのに、息弾ませる自分とのこの違いはなんだ。ぐるりと隙間なく受け容れたふちを指がたどる。

「まだ辛いよ」
「……はやく」
「そんないそがないでよ、時間はあるのに」
「……いいから……っ」

せがむような声になった。くっと男ののどが鳴り、笑ったのだとわかった。両手をきつく押さえつけられた。そのカカシの手には傷痕。息を詰める。ふりおとされないように。高天を翼で切りわたる飛行機に光がはじける、それを赤い瞼の裏に見た。







(かないそうもないことを書いたほうが楽しいだろ)







水にさえぎられて七つ尾に分かたれる光を瞼の裏に描いた。散らばるプリズム、ひらめく色紙、雨過のまぼろし、透明なカカシの目の穴には光も見通せない暗がりがある。

(信じてるの?)
(そんなの無駄なだけだ)

紙切れに書いたことばはことば、それ以上でもそれ以下でもなく形象を記号で受け取る相手がいなければ雲の形と同じ、何もない。紙くずを炎で燃やしたって昇った灰が雲をつきぬけたって、ミルクの川に届いてもなにもない。

そんなことわかっている。

そんなことわかっている。紙切れに何を書いても、どんなことをしてもあの人たちはもう帰らない。家の明かりは灯らないし、おかえりの言葉もない。ただいまを持たないサスケが夕方に急ぐ道はねぐらへと続いても、家路ではないのだ。それはサスケが負った疵だ。

けれどナルトにサクラに、カカシに背中を押されてあの夜から振り返ることを教えられてから、そこはとても暖かい。

短冊にためらいなく色鉛筆を走らせたこと、初詣で父とあの人と手をつなぎ、握り締めた硬貨の生ぬるさ、指きりでからめた小指の温み、あのとき坂道をかけおりるように自分の手足を衝き動かしたもの。名前がわからなくてもきっと忘れない。無駄なだけだという自分も本当なのに、後生大事にかかえているそんな感傷を捨てきることもできない、だって忘れたくないのだ。忘れたらきっと後悔する。

願いごとがあった。信じきっていた。いつでも心はそこに帰る。
忘れたらとても悲しい。



(かないそうもないことを書いたほうが楽しいだろ)



カカシの肩を噛む。そんなことを云わせた傷痕がどこか知りたいのに、わからない。

「いたいよ、サスケ」

ああ、ひとつだけわかる。

困ったような声のあたたかみに目を瞑る。眦があつく潤ほとびて、涙がこぼれた。サスケ、どうした、と掠れたやさしい声が降ってきて、息を吸ったらしゃくりあげるような音になった。どうした、ともういちど尋ねる声がして、頭を撫でられる。

「いたいの?」
「……ちがう」

きづかうカカシの手こそ消えない傷だらけなのに。











だからカカシといると、とてもかなしい。

















「Wolkenkuckucksheim」/カカシサスケ







(独)夢の国。願いごとは。
アベマチコさまにささげます。
子供遊びが下手なカカシと背伸びのサスケ。
暗い!贋者!わああ、すみません、すみません。











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