吾等惑いの星なれば



天のなかばを赤くそめあげた火柱に照らされ、わきおこる風に髪を遊ばせたその人は水を甘そうにのんでからため息のように呟いた。

『海に行きたいね。暑い』

休暇申請あげて、というとそりゃあいい、と口々に答えて笑い声がぱらぱらと起きた。

『慰安旅行組んでくださいよ。一泊二日とかケチなこと言わないで。最低で三泊』
『じゃあ幹事頼むよ』

おれがですか、といってお前がやれよ、お前が、とお互いに押し付けあう。

『経費で落としてくれますか』

それ大事ですよね、ときこえた声に若い里長は、働きぶりによりますねえ、と白い歯を咲かせた。

ジジ、とノイズまじりに待っていた通信が入る。

『法印二式、準備完了しました。いつでもいけます』

術式ひとつに忍頭クラスを要の術者とし僧たちにも多く要請をかけた。補助として法術の使い手を五人、尾を警戒しての護衛を含め十人が一班、八方に展開した方陣のなかに巨妖を封じこめる。だがそれもわずかに一瞬足をにぶらせるだけのことだろう。

『了解』

じゃあ行こうか、と笑った彼がたちあがる。足裏で水にぬれた素焼きの杯が鳴る。かぼそく響いた音は、骨を踏み砕く音にとてもよく似ていた。

海を選んだのは、あの言葉があったかもしれないと男は思う。海も空も青く楽園とよぶにふさわしい、珊瑚にかこまれて白い砂が耀く。船着き場ではウミネコが飛び交っていた。 泊まりならいいとこあるよ、と話しかけると、戴冠式の客をあてこんだ熱心な客引きに袖を掴まれていた青年がふりむく。不機嫌から驚愕へ、唖然とする教え子に隻眼の男は、よ、と片手をあげた。





「……誰かと思ったぜ」

見慣れないから変な感じだな、とサスケが目を細めるのに、カカシはなにもおおっていない顎をさらりと撫でた。髭はあたってるから見苦しくはないはずだし、眼鏡をかければあまり顔の傷痕も気にはならない。もっとも気にしてすらいないが。

「そんなに悪くないでしょ」
「もったいぶる面かよ」

陽に灼けたから、分からなかったのかもしれない。カカシは戴冠式の様子をながすラジオを聴きながら、手遊びに網をつくろう。手はよどみなくテグスをたぐりよせて絡め、またほどいていく。

「あんた、ここに住んでるのか」
「悠々自適って奴だね。新王にご縁があってさ。昔の話だけど」
「……どういうツテだ」

呆れたようなサスケに数年前、この国をおそった謀叛と、退位間近の現王即位の顛末を話して聞かせれば、あいつららしい、と口元を緩めた。少年のころからは想像するべくもない穏やかさと静けさだった。光のまぶしい思い出をみる眼差しだった。

「あんたは、戴冠式に参列しないのか?」
「とっくに引退した身だからね、現役に譲るよ。年金もあるし」

小鍋に珈琲豆と水をいれて煮立たせれば香ばしいにおいが立つ。火をとめて豆がおちるのを見計らってカップを渡せば、ありがとうと短く礼をいう。受け取って画面を見つめた教え子はすぐに知り合いをみつけたらしい。

「派手な格好してやがる」
「ナルトは何着ても派手に見えちゃうタイプだからねえ」
「あんたは似合わない」

地元の洋品店で土産ものとして売られている花柄のシャツをカカシは引っ張った。

「おまえに言われたくないよ」

自分の分を鍋から注ぐと、サスケの左後ろの壁にもたれてたった。

「戻る気はないの?」

カップの縁を指でたどっていたサスケの眼差しがカカシを見つめる。
木ノ葉隠れの里の一隅、最後の住民すらなくしたうちは一族の集落が一夜にしてやけおちたのは数年前のことだ。不思議なことに延焼は一切なかった。焼けのこったのは集落を封じていた門扉の柱だけ、だがそれも見守る人のまえでゆっくりと傾いで灰と土に帰っていった。

成し遂げてしまったのか、とカカシが思ったのと同じく、思い当たったらしい五代目が付近の探索を命じ検問がしかれたが、網にかかる人間はいなかった。うちはイタチの訃報が届いたのはその数日後のことだ。

「あんたが言うのか?」

優しいとすらいえる声で穏やかに返したサスケから目をそらし、カカシは俯いて笑った。返す言葉がなかった。

「もう見えないんだな」
「明暗ぐらいはちゃんとわかるよ。よく気づいたね」

左眼をおさえるとサスケは肩を竦める。

「死角に、入れないようにしてたからな」
「職業病って奴ばかりはどうもね」

惜しいんだがね、と飾らずにいってくれた五代目も子供の手をひいた友人も苦笑していた。後輩には告げなかったはずなのに律儀に門のところに見送りにきてくれた。

顔をあげて窓の外をみれば平らかな海と空が見える。傷つけるもの傷つけられるものはここにはなにもない。絶え間なくうちよせる波と光がすべてを洗ってさらっていって砂だけが残る。この国は訪れるものにかぎりなく優しく穏やかに出来ている。祖国のような爛漫の春も草いきれにむせそうな夏も足早な秋もしずかな冬もない、スコールと太陽だけでめぐる国だ。北は厭だった。寂しすぎる。

「しばらくいればいい。この国には一生のうちに見といたほうがいい、きれいなものが沢山あるよ」
「すこし、波の国に似てるな」

ぽつりと呟かれた声に限りない希望へつなげられた橋をもつ、つつましくも穏やかな国を思い出した。森の中で光のふりそそぐところ小さな花にうずもれるようにして二つの墓標があるだろう。鬼と呼ばれた人間がいつか泣いた国。

「あれから行った?」
「一度だけ。長くはいなかったけどな」
「そう。あいつらも暇ができたら行きたいって言ってた」
「連れてってやれよ」
「厭だよ」

おまえがいないよ、と続けた。すこし黙ったサスケはバカか、と返しカップをもちあげた。 せまい部屋に鳴り響いた電話のベルにカカシは立ち上がり、受話器を耳に押し当てる。 先生、と周りの声にかきけされないようほとんど怒鳴っているのだろう、勢い込んで興奮気味に聞こえてきた声に微笑んで、うるさいよ、と耳をすこし離す。

「うん、いい加減、落ち着きなさいよ。立場ってもんもあるでしょうに。……ちゃんと見てるよ。おまえの格好目だつからね、よく映ってる。馬子にも衣装って奴だね。テレビ映りのおかげじゃない?……うん?……知り合いとはなしててさ。うん…うん。まずい珈琲ぐらいご馳走するから、二人でおいで」

画面の中、紙吹雪が遠い祖国の花のように舞い散り、玉座へと歩をすすめる上気して赤い頬も耀く瞳もわかわかしい王子の肩へと降ってあたらしい御世の始まりを祝福している。玉座の前、礼式にのっとって両膝をつきうつむいた青年の頭上、厳かに掲げられた至尊の冠が一年で一番たかい場所からそそぐ陽光にかがやいていた。

「うん、たまには帰るよ」

とおく王城から湧き上がった万雷の拍手と歓呼の声がつかのま波の音を掻き消した。ドアが閉じる密やかな音をカカシは背中で聞く。
待ってるよ。

「遅くなってもいいよ、気にしないよ、べつに。――――うんそれじゃあ、またね」









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