夜明けのけもの



かすむ山並みをおおう雲間からのぞいた旭日が淡青い靄にしずんだ町を照らした。霧う川端からおおきな白羽をはばたかせてしろい水鳥がゆっくりと飛びたつ彼方、水脈をひいて小さな貨物船が霞んでいく。

堤防が築かれた水路にかけられた石造りの橋の上にさしかかったところでサクラは立ち止まった。街灯が瞬いて消えていった。

「こんなところでなにしてるの」

行動パターンが数年前とまったく変わらないことに、俯いたサクラはちょっと笑った。

「……戻ってたのか」

二週間の演習参加による医療班の研修を終えてもどってきたのはついさっきだ。シャワーも浴びれてないから服はくたびれているし、汗のにおいもする。一方のサスケは支給される装備とはすこし違う格好をしている。だが荷物の多さに里の外にでるらしいことは容易にみてとれた。

「徹夜の強行軍よ。三時間後に会議があって」
「ならとっとと休め」

次の人事会議で特別上忍に推挙されると打診はあった。

「とりあえず、体には気をつけてね」
「ああ」

頷くサスケにサクラはやれやれと呆れ果てて、腰に手をあててすこし首を傾げた。取り繕うことをすこしずつやめだしてもうしばらくになる。自惚れでなく嫌われやしない自信はあった。

「……それだけ?」

眉をしかめて口を文字通りへの字にしたサスケと対照にサクラは唇の端をもちあげた。おどけたついでに片目でもつぶってやろうか。サスケにはできない芸当だろう。存外に不器用なのだ。

「行って来る」
「来期の中忍試験には間に合うようにね。上忍試験ならまだ十ヶ月あるけど」

階級の高さは国家機密の閲覧権限に密にかかわってくる。里抜けのせいでサスケはいつまでたっても下忍のままだ。

「必要ない」
「って思ってるのなんて、ナルトとサスケくんだけよ」
「あいつと一緒にすんな」
「なにが違うの?」

木の葉最強の下忍、とうそぶいたナルトを思い出して真顔で返すと、サスケは虚をつかれたのか目を丸くしてちょっと黙った。

川沿いに植わった青柳がゆれる。午の暑さをおもわせる草のにおいを乗せた朝風が前髪をなぶってサクラの目頭を叩いたのに目を瞑って俯いた。

「……無茶は、しないで」

しくじって、にわかに掠れて乾上った喉からもれた声は、随分よわよわしく震えた。数ヶ月地雷がうまった死線をくぐりぬけた人が数時間後に階段でころんで死んだりする。肋骨の奥で跳ねまわっていた心臓は動くことにも止まることにも重力とおなじくらい躊躇いがない。

かさついた唇をしめらせると、わずかにひび割れていたのかすこし痛んだ。土ぼこりでよごれたサスケの爪先に視線をあてながら、唾をのんで口を湿らせて声をだす。今度はかすれなかった。

「わたしが、」

サクラちゃん、なんでいるの?と心底おどろいた声にサクラは顔をあげる。なんてタイミングなの、とサクラは心の中で毒づいた。

「うわ、いつ戻ったの?」
「私のことより」
「なにサスケ、おまえバレたの?だっせえなー」

バッカでぇ、と笑っていたナルトが、顔をあげたサクラに目をとめると、すぐ口をつぐんだ。

「あんた、知ってたのね」
「……や、いや」

両目を泳がせてもじもじと片手を頭の後ろにもっていったナルトは、すぐに両手をさげて腰の下辺りで手の汗をごしごしとぞんざいな仕草でぬぐう。

「――――ゴメン!ほんっとうに、ごめん!」

直立不動から、きれいに九十度頭をさげたナルトを見下ろす。
悪い、ゴメン、と目を瞑って謝るナルトが、それでもサスケのせいにしないことに、ますますむかついた。いや、オレが、とサスケがなにかいってるのも火に油を注いだ。いつもは真っ先にお互い責任を押し付けるくせして、無駄に結託しているのが頭にくる。かっこつけどもめ。

眉間にしわを寄せると、目頭と鼻のおくに潤んだ熱がたまって、まずい、と思うまもなく零れそうになって慌てて瞬きをした。

(どんだけ、人のことなめてるの)

こいつらはいつだってそうだ。サクラがいつまでたっても二人ともを大切で好きで可愛くていとしんでやると思い上がってる。

(わたしがいない所で)

あんまりなめるんじゃないわよ。サクラの愛だってたいがい高いのだ。望むとおりのやり方でかわいがってもくれない奴らにどうしてサクラが抱きしめてあげたり優しくしてあげなければならない道理がある。安売りなんてするつもり今までもこれからも金輪際ないのだ。

(わたしがいない所で、死んでみなさいよ)

サクラの知らないところで死んだりしたら、恋人のキスひとつで忘れてやる。使い古したパンツより扱いは下だ。雑誌みて大笑いして明日のデートの服はなんにしようで頭は一杯、葬儀にもでてやらないし、花を手向けにもいかない。きれいさっぱり忘れて思い出しもしないで長生きして死んでやるのだ。天国でだって知らんぷり。

(私は余るほどあんたたちのことが好きなんだわ)

泣くなよ、と聞こえた声に呆気にとられて瞬きをすると、熱くなったハチミツみたいな涙がいきなり零れた。いきなり泣き出したのにナルトが慌てて、目を丸くしたサスケが眉間に皺をよせる。

「うわ…、おまえ、サスケ!」
「るせえ。……おい、サクラ」

ナルトに怒鳴りつけた直後に落とされた声がありありと困って右往左往してるのに、いい気味だと思いながらやたらと甘ったるい気分が胸を突き上げてきて、こんなとき女でよかったなんて思うのだからおしまいだ。ハンカチも準備できないくせして泣かそうなんてバカにしている。





寝させてよ、といきなり訪れたいのは呆れた顔ながらベランダの窓を開けてベッドの半分を譲ってくれた。

「あんたあたしより先に帰ってなかった?」
「……サスケくんが、発つ日だったから」

またァ?といったいのは朝の空気で冷えたのかちいさくくしゃみをする。
いやだな、といったサクラは俯いてそれから、さみしい、と呟いた。いのが頭をかき混ぜてくるのに笑い顔に手をあてていのの目から見えないようにする。手のひらのしたからポツポツと涙がおちて膝にちらばった。

「……最近、むかし泣かなかった映画とかで泣けたりすんだけど、これってなんだろ」
「あるわねー。まあ十代だからよー」
「なにそれ」

なんとも乱暴な言い方にサクラはすこしだけ笑った。いのも笑う。

「年のせいなの?安直だし適当よ」
「ちっがうわよー。アスマが言ってたんだからー。十代の最後のほうっていやになるって。辛いこと、かなしいことにたくさん気がつけるって。かなしいって気持ちがちゃんとできあがっちゃうんだってー」

へんなこというわよねー、でも納得もできるのよ、といのはすこし鼻をすすった。声はかすかに潤んでいた。

「同じ煙草すってる人みただけで、いきなりぼろぼろ泣けてきたりすんだからー」

死んじゃうのはやっぱりいやよ、といのは呟く。

死はほんとうにひどい。わかっていても、知っていてもかわりがなくても平等に酷く、つらい。大切に思う気持ちは変わらないのに、思い出で永劫にとまってしまうこと。会いたくてたまらないのに、いつか会えるかもと慰めることすらできなくなってしまう。いとしい気持ちは変わらない。でもたしかに終ってしまっているのだ。

「だから不思議なのよ。私の場合、死んだりとかそういうわけじゃないでしょ。笑い顔とか思い出しただけなのに、いきなり涙が出たりするのよ。わけわかんない」
「ばっかねー、かなしいってことは好きってことでしょー」

あんたがすっごい、あいつらのことが大切で好きってことよー、といわれてサクラはいやだなと呟いて、瞼をおろし笑いながら涙を落とした。

嬉しくも誇らしく、けれど叫びのように喉元まで溢れかえって体温の熱をもって揺れる。こんな気持ちをかなしみと呼び、愛というなら随分と救われない気がした。笑えはするのだけれど。

「……なんかすごい、しゃく」
「じゃあ殴っちゃえばー?」

もう殴った。









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