ミリオンダラーモンスター



オレのこころのど真ん中には、夜空の一点で永劫うごかない白い星のように誰とも分かちあえない光がある。それは人間のはじまりで孤独のはじまりで、皮膚をつくって心をつくって寂しいと思う気持ちをつくって、夢をつくって、それから、誰かを好きになる心もつくってる。

遠ざかっていくだけ決して触れ合えない、けれどどこからでも見ることのできるまぶしい光だ。

サスケが長いながい沈黙のあと、サクラちゃんに泣くなよ、と低くかすれた声で言ったとき、ぶらさがったサスケの手の甲はあまりに強く握りしめられたせいで白くなって血管が浮き凍える人のように震えていた。

口下手でめんどくさがりで一人で勝手にどこかに行ってしまう、サスケはいつだって悪口ばかり得意な口よりべつの場所をみてたほうがいろいろ分かる。

十二歳のころから、サクラちゃんが泣いた顔をみた回数は同期のなかではダントツだとおもうが(たぶんカカシ先生にはまける)、そのうち確実に四回はサスケが原因であることをオレは知っている。心臓にどこかの聖典をあてて宣誓したっていい。

初恋の子が他の奴が好きでそいつのせいで泣いてるってのはあまり面白くないし救いがないことだけど、どんだけ涙で目や鼻をあかくしてもサスケのことをめげずに好きなサクラちゃんが大好きだった。

強くて賢くてかわいくて真っ当で、めちゃくちゃガッツがある。サスケがいないとこでオレ相手にちょっとひどいのだってずるくてかわいい。昔もいまもオレの憧れだ。サクラちゃんに好きになってもらえたら、一生死ぬまで幸福を約束されるにちがいない。

だけどサスケは駄目なのだ。

精一杯、努力すればかなわないことなんてないと誰かはいう。でもどれだけ頑張っても、駄目なことはやっぱりどうしようもなくあるのだ。努力が足りないとかでも、誰が悪いとかでもない、どうしようもない理不尽はあるのだ。

サスケがしたいことは、どうでもサクラちゃんを泣かせずにおれない。どれだけサクラちゃんが泣きたくないと思っても、涙は来てしまうのだ。

面のせいで不機嫌になれば誤魔化せるサスケも、ほんとはてんで女によわっちいことをオレは知ってる。泣いてる女の子を上手に慰める方法をこれっぽっちも知らない奴だ。すかしきった仏頂面の奴だ。

オレはいつだってサスケを心配して頑張るサクラちゃんを振り向かない、サスケが嫌いだった。むかついたし、男としてかっこ悪いと思ってた。羨ましかったのはもちろん、あった。サスケが里抜けしたあと、唇を噛んで悔しいと全身でいいながらオレにお願いをしたサクラちゃんを見たとき、丁重にぶん殴ってやろうとかたく決めてた。

だけど、ぶん殴るのを堪えるように震えるサスケの手の白さに、いまさらなことに気づかされる。

サスケが、サクラちゃんが泣くのをなんとも思ってないはずないのだ。
泣かせようと思ってるわけ、ないじゃないか。
どれだけ無頓着で無愛想で我侭だって、血を吐いた口で一度だって仲間を失いたくないっていった奴が平気なわけないじゃないか。

でもどんなに泣かせたくないと思っても、サスケがサスケであるだけでサクラちゃんは泣いてしまうに違いない。

ちいさく聞こえたぶきっちょな、泣くなよ、という言葉をサスケはどんだけ心の中で云ってたんだろう。どれだけ云おうとして云いたくて云えなかったのだろう。気休めにもならない空しい、「泣くなよ」という言葉をどれだけ胸に沈めて苦さを味わって、拳に爪を食いこませてたんだろう。

でもサスケは泣くなよ、といった。努力してもかなわないことや理不尽は言うのもばからしいぐらいに沢山ある。でも努力すればかなうことだって同じくらいあるのだ。

(遅ぇんだってばよ)

泣かすだけ泣かして一方的にためまくってたツケは、ぽかんとサクラちゃんがサスケを見てたことがなによりの証明だ。カカシ先生が遅刻しないのと同じくらいの晴天の霹靂だ。

ウスラントンカチ、とお家芸をうばって呟いたオレの鼻先、音速の壁が破れたんじゃないかっていうものすごい音がした。

体重がたっぷりのっかったサクラちゃん渾身のボディブロー。サスケの踵が一瞬浮き上がった。冗談でなく、数センチ浮いてたのをばっちり見た。

そのときのサスケほど傑作なものを生まれてこの方オレはしらない。直後にオレもまた腎臓打ちをやられた(ボクシングでこれをやると反則)。腕のガードはあっけなく吹っ飛ばされた。

謝んないわよ、といったサクラちゃんがもちろん即効でなおしてくれて痛みは消えた。

サスケが里抜けをして、一時期オレは禿げた。無理矢理に笑おうとしたせいで顔面神経痛になって、しょっちゅう口元がふるえていたときがあった。眠りながら怒って叫んだ自分の声で飛び起きたりした夜もあった。

ときたま、ものすごくサスケに逢いたくてたまらなくなった。写真でいつだって顔を思い出すことはできる、面影をおいかけることだってできる、けれど声だけはもうどんな声をしていたかが分からなかった。心のなかでもうボロボロに擦り切れて光の入りすぎた写真みたいになにもかも見えなくなってしまいそうだった。そんなのいやだった。

サスケの思い出ばっかり、もううんざりだった。
オレの体はバケギツネの宿代で傷はのこらない。だけど見えないところだってたしかに傷はつくのだ。

サクラちゃんにおいてはなにをかいわんやって奴だった。だから殴られるのはしょうがない。

オレがサクラちゃんにぶん殴られたのは、ちょっとサスケの味方をしちゃったからだと思う。

サスケは何かを選ぶということをごく自然にやってのける。取捨選択をし選んだものを心底大事にすることをしってる。オレはちょっとそれが羨ましいのかもしれなかった。選ぶのは簡単に見えてしんどいのだ。サスケの白い拳が云っているとおりに。

オレにはできないことだ。

オレはほんとはオレの気持ちだけで風船みたいにいつだってなにもかも放り出して飛び出してしまえる人間だということを知ってる。誰かの泣き声も怒りも置き去りにして糸のきれた風船みたいに自由にいけてしまえる。空飛ぶ鳥が羽をそなえて生まれるのと同じ自明の理だった。

大事なものをそういう人間はあんまり持たないほうが世のためかもしれない。サクラちゃんを泣かせてしまったときに思った。オレはサクラちゃんに泣かないでよ、といった同じ口で泣かしてしまうのだ。人間の手のひらは二つしかないってことを、オレは時々忘れる。オレって人間なのかしら、と真剣におもう。

たとえば一人の命とひきかえに世界が滅びるとする。世界中がそいつを殺せという中で、オレは世界と一人をどうにかするために、世界と一人に博打を打とうぜともちかけてしまう奴なのだ。

人魚姫みたいに泡になんてなれやしないのだ。

オレはいつか火影になる。自分のために死ぬことができなくなるときが必ず、来る。自分勝手に自分の願いだけで自分の心配だけして走ってなんていられなくなる。肩は重くなって足は動かず、肺はつぶれそうになる。空なんて飛べなくなる。

だけどオレはオレを繋ぎとめるものこそが好きだ。オレはどこにだって行けてなんだって選べる。でもなんにも選びたくない。だからでっかい荷物が欲しいのだ。

ひらいた目に純色の青空、ひるがえる色とりどりの旗、ゆれる木々と火影岩、みあげてくる人たち、バケモノをかかえたオレを石もて迎え、だけど愛したオレのふるさと。オレの心が帰る場所。オレをいつか完膚なきまでに打ちのめし根こそぎ掠奪していく黄金の死。

サクラちゃんやサスケ、みんなめちゃめちゃ好きで、いっしょにいたくてずっと隣で走りたい。できたらどれだけすばらしいだろう。

だけど俺等一人ひとり胸の真ん中には、誰ともわかちあえない光がある。

命とか魂とか夢とか野望とかうずまきナルトとか、そういうど真ん中。オレがいつかジジイになったオレに胸をはるため、ジジイになったサスケにかわいいおばあちゃんになったサクラちゃんの前で胸をはるための光だ。

オレは一人で、ずっと独りで、でもイルカ先生がオレを木の葉の忍者だっていって、オレのドアにおもいきりでかい風穴をぶちあけてくれて、そこからひろがったむちゃくちゃに広くてでかい、皆と会って笑って泣いてきたこれまでの途、これからの途、その大事なところにサスケがいてサクラちゃんがいる。

だからほんとはさよならをいって手をはなしたって、ぜんぜん大丈夫なんだ。オレがいうさよならなんて、ちんけでちっぽけだ。だって空はどこで見上げたってひとつだけでいっしょだ。手をはなしたって元気、大丈夫。

生きることは灯火を頼りに身を寄せ合ったりはぐれたりして、手をつなぐこと、繋ごうとすることの繰り返し。オレの右手からサクラちゃんの左手にオレの左手からサスケの右手に伝わる熱、そこにうずまきナルトの火花が瞬いてる。オレの命は地球を一秒に七回半まわる光とおんなじ、いつだって元気、だから平気。いつでも会える。さよならなんていわなくていい。さよならしたっていい。なにも失くしてなんかない。

ちょっと淋しくて時たま泣きたくなる、それだけだ。

強がりだってよかった。

行ってらっしゃい、とサクラちゃんが背中を叩くのにいつか笑うだろう。サスケにびびってなんかないと嘯くだろう。

体をささえる足は震える。声も震える。泣き出したいくらいオレは一人になる。ばかでかい天とばかひろい地の間、たった一人、ただ一人立つ日がいつかくる。

でもオレは、何一つえらばないまま世界を食ってやるのだ。









back