そもそも衝動とは抑えがたいからこそ衝動というのだ。















Strobelights

















「せんせー、俺は俺は俺は!?」
「あー、できたできた、よくやった」
「やったあ!さすが俺!」

犬でいうなら尻尾が振り千切れそうなぐらい、全身で期待と喜びを示す子供がどすんと脇腹に突っ込んでくるのを避けそこねた。火影になるってばよ、をバックにぐらりとよろけたところを叱り飛ばすような声。

「何すんの、危ないでしょー!カカシ先生が転んだらどうするの!」

澄んだ声のお説教に男三人は反射的に直立不動で次の言葉を待つ。大きな碧色の目を眇めた少女は、カカシの腰にしがみついたまま、恐る恐ると言った視線を向けてえへへと笑う少年を見る。半分体を隠しかけているのは悲しい哉、ナルトはヒエラルキーがとてもはっきりしていることを自覚しているからだ。ナルト本人にとってはいつでも下克上を狙っているのだが、まだ道のりは長い。

白い両手を腰に当てた姿勢でサクラは少し芝居がかったため息をつくと、カカシに視線を投げた。そしてもう一人、サクラの脳内ヒエラルキーのトップに位置するであろう少年にやや躊躇いがちな視線を投げて、もう一度カカシに視線を向ける。いじらしいほどにひたむきな眼差しに思わず目を逸らしかけるが、マスクで隠された口元は笑う形になる。この班を受け持ってから最近は意図しなくても自然に。

「サクラもな」

少し緊張した顔に安堵が広がっていくのが鮮やかだ。女の子はどうしてこうもまっすぐなのだろうとカカシはサクラを見るにつけて思う。ぐりぐりとやたらとちょうどいい位置にある金色と薄紅色の頭を撫でながら、カカシは首を横向けた。最後の一人。

「で、お前が一番早かった」

よくやったな、と言ったか言わないか、見上げる黒い目の中に一瞬だけ、意外そうな光と嬉しさと誇らしさが走り、少年はうつむく。すこし長い前髪から覗く、上がろうとする口の端を抑えようとする顔のわずかな動きを見つめながら、手を伸ばすとフン、とおなじみの可愛くない声が聞こえた。

タイミングを逃したせいで、なけなしの勇気で出した手は所在なげに泳いで、仕方なしにカカシは頭を掻いてみる。不自然な動きに子供たちは気がつかなかったようで、何となく安堵した。

ポケットに手を突っ込み斜にかまえて何も興味がなさそうなくせに、やればできる。皆が汗水たらしたその横でなんでそんなのもできねえんだとでも言いたげな顔で立っている。

ナルトや同年代の子供に言わせればすかしてる、もしくはクール、大人からは生意気だのなんだの言いようは色々ある。が、つまりはそういう姿勢なわけだ。

(なんだかなあ)

甘いものを無理やり口に入れられたみたいに、胸焼けしそうな気分になって、顔の半分が隠れていてよかったと思う。見られていたらサクラあたりに何をいわれたかわからない。心外なことに、どうせ視線がいやらしいとかいわれるのだ。だが誤解の根本原因であるオレンジR本を手放すつもりはないのだから、言えたことではないのである。

おのおの長い影を足元につけて遠ざかる三つの背中を見送りながら、首筋辺りがやけにこそばゆくてたまらない。小さな背中の小さな家紋。

誇らしい時に嬉しい時におさえこむ、その癖がどうもいけない。頭に無理やり軌道修正を図った右手がうずうずする。なんだかなあ。すごい厄介だ。

(任務の報告しなきゃ)

夜に透きとおりだした青い空を、金色の茜雲が帯のように流れていく。それをぼんやり右目で見ていた。























「あ、切れた」

カカシはのんきな声をあげて手を止めた。音が床に落ちて転がり、波紋を空気に浮かべるような余韻がある気がするのは、単純に人気がないからだ。職員室で残業している教師の机の上だけにともされた蛍光灯、廊下はすっかり静まり返って、床の上に非常口を示す緑色のライトが影を落としている時間。何をしているかといえば、学期末テストの丸つけの手伝いをしている。

デスクライトの明りの下で、赤ペンの色がだんだん薄くなってピンク色になってたのには気づいていたのだが、ギリギリまで使ってしまう貧乏性だ。掠れても頑張って丸つけを実行していたのだが、花丸の途中で途切れた。いい答案だったから植木鉢までつけたかったのに、悔しい。また右手がうずうずする。

「替えありますよ。どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

ひょい、と差し出されたペン先に顔をあげると、辞書やらファイルやら書類が乱雑に積みあがったデスクの向こうに鼻一文字のスカーフェイス。目が合った瞬間、イルカはにこりと笑う。おもわず笑い返してしまう。

中忍試験で少々ぶつかりはしたものの、カカシは気にするような繊細な神経の持ち主ではないし、イルカも小さいことにいちいちこだわらない鷹揚な性格だから、職員室ではそれなりに仲がよい。何よりカカシの班には、イルカのいちばんの気がかりがいるので。

報告終わりに帰る廊下で、両脇にテストの答案を入れた封筒を抱えて困っているのにでくわして、親切心もろくに持ち合わせないカカシでさえ、思わず手伝ってあげたくなったのだ。

キャラだな、とカカシは判断を下した。笑顔を見るとやっぱり掛け値なしにいい人なんだろうなあ、と思わせるのだ。顔は人生の履歴書だといったのは誰だっただろう。

「アカデミー担当でもないのに、いつも手伝ってもらってしまって、すみません」
「いえ、べつに」

ぬるくなって底に緑色を沈殿した湯飲みを、あたたかいものと替えながら恐縮するイルカ先生に笑う。この言葉は嘘じゃない、意外に楽しかったりするのだ、これが。

「問  木の葉がくれの里で一番えらい人は誰ですか」
「答  顔岩のハナんところのいちばん先っぽをつくった大工さん」

問題を出した側の意図を読むことを最初から間違ってるが、こたえを書いてる文字の勢いが自信満々に書いた様子を伝えるようで、元気があって楽しい。あげくへたくそな図示までされては、何かリアクションをしたくなるのは人情だと思う。

点数は上げられないが、花丸植木鉢はあげたかった。おろしたての新しい赤インクの匂いに笑って書き足すが、色の濃さが違いすぎて植木鉢が目に圧しつけがましいぐらい毒々しい赤で異様に目立った。

……心意気は伝わると思うのだが。男同士だし、とわけのわからない理屈をこねてみる。

改めて見直して、カカシは思わず喉を鳴らして笑ってしまう。不思議がったイルカを赤ペンで招いて示すと、ため息をついてそれでも笑う。愛しくて仕方がないものを見る目で笑いながら、教師の鑑を体現したような中忍は口を開いた。

「……なんとなく」
「え?」
「何となくこういうのを俺たちぐらいになると懐かしんだりしますけど、有りがたがっちゃ駄目ですよね」
「……それはどういう意味で?」

唐突なセリフから意味を汲み取れずに尋ね返すと少し驚いたのか、何度か瞬きをしてからイルカは困ったように笑った。

「こういう破天荒な答えが楽しいのって、いわゆる俺たち大人側の勝手な感傷なわけでしょう。こんなイタズラをしたとか、したかったとか。確かに違う視点と言う意味ではいいかもしれないし、一部の人は有りがたがって喜んで点数を上げたりしますけど。でも正解を一生懸命に習った子供の努力を考えないのは駄目ですよね」

しょうじき驚いた。大人の勝手な懐古趣味と一刀両断するのが、いつもナルトと笑ってる姿とそぐわない。丸つけの終わったテストを出席番号順にまとめて所定の封筒にしまう、生真面目な横顔に思わず問い掛けてしまう。

「なにか、あったんですか?」
「いえ、えらそうなこと言ってますね。やっぱり子供相手って難しいなあと思っただけで」
「イルカ先生が?そうは見えませんよ、教師歴ちょっとの俺からすると」

思ったままを口にすると、いやあ、と照れたように鼻の傷を撫でた。

「まあ、それは一つの仕事で長いですから。でも失敗もたくさんありますよ。子供たちは頭がいいってことをわかってないと」
「なめるな、ってことですかね」
「まあ、そうなんですけど。なんていえばいいんでしょうね。子供たちはちゃんと力の均衡をわかっていて、教師の好き嫌いまで読むから、自分の態度が子供たちの構図に影響してしまうって事を知らないと」
「つまりいじめだとかに発展する?」
「ええ、好悪っていちばん敏感にわかるものですから。どんなに隠したつもりでも」
「はあ、そうですね」

ちょっと認識を改める。どんな生徒も同じぐらい好きだと言ったら、ナルトに対する過保護なまでの心配振りをみてきたカカシは、この教師を薄っぺらい人間だと思い、鼻白んだにちがいなかった。だが勝手な予想はいい形で裏切られる。こういうのは悪くない。

裏切られついでに、ほんのすこし、ペンをデスクに片づけ、使った湯飲みを流しに入れている背中に向かって反撃してみた。

「かわいげない子供って嫌いですか」
「みんなかわいいですよ。教科書どおりの正解で100点をとる子だって」

イルカは振り返らなかったが、声をあげて快活に笑った。

蛇口から溢れた水がザアッと音を立てた。

































鉄製の階段を上がる小さな足音。もう日はすっかり暮れて、電気もつけない部屋の中は青い夜明かりだけが黒い影を描いている。壁越しに気配を読みながら、ドアノブが外から回されるのを、カカシは待ち遠しく見つめていた。

とうぜん気配は絶ったまま、そして部屋の持ち主は消された上忍の気配を読めるだけの力量を持っていない、のかもしれない。もしかしたらただ単に自分の家だから安心しているのかもしれないけれど。それでもダメだよ、と教師ぶって少し笑う。

(忍者失格)

アパートの廊下の明りが差し込む影になっていたせいで、帰り人がどんな顔をしてるのがよく見えない。だから不法侵入者は勝手に想像してみた。きっと大きな黒い目を見張って、いつもは引き結んでる口元もほんのすこしだけ、開いている。めったに見れない驚き顔が闇に慣れた目に映る。予想通りだ。

「カカ……」

お帰りも言わずに引きずり込んで引きずり上げて、ほそい背中を鉄製のドアに押し付けた。ドアが閉じる音と同時に、強く掴みあげた手から、スーパーのビニール袋が玄関におちて、一人分の夕飯の材料が散らばる。最近知った。好物のトマト。旬が過ぎて割高になっても買ってくる。あまり財布に余裕があるわけでもないくせに、それは譲れないらしい。

(けっこう、こだわるよね)

そんなところも好きかもしれない。
ドアをあけて一番に自分の名前が呼ばれかけたことにいい気になりながら、少し笑ったカカシはサスケを見る。ドアで頭を打ったのか、くらりと目眩がしたらしく、いつものきつい顔がほんの少し幼く見え、黒い眼差しが泳いでいる。それでも気丈に文句を言おうとするところを、唇で無理やりふさぐ。息苦しさにか、思わず口をあけたところに舌をねじ込んだ。

唇の裏側、やたら柔らかいところをしつこく押しつけて、逃げようともがく舌も絡めとる。軽く歯を立てると、噛まれるかと思ったのか、すこし抵抗を躊躇う。歯列をなぞると、ちいさく背筋を震わせた。唾液が顎を伝って首筋を滑るのを唇で追いかけながら、まるで食らいついてるみたい、と頭のななめうしろで他人事のように思う。呼吸困難かなんなのか、押しのけようとする手から力が抜けたのをいいことに、ファスナーを降ろす。

「……待っ」
「やだ」
「てめっ」

残念。正気に返ったらしい。でも離すつもりはない。冷たい指先でいきなり握りこむと、抗議の言葉を喉の奥で硬直させた。服に忍ばせた手のひらが感じる鳥肌は嘘じゃないのに、乱暴な手つきと手甲のざらつきに過敏なほど反応してくる。肩を叩いていた手が、ベストを縋るように掴んで白くなっている。

前言撤回。残念じゃない。
追いつめられても、拒みきれない中途半端さであらがってくるから、遊戯が楽しくてたまらないのだ。

「ぅ――――っ」

まだつるりとした幼いフォルムはあやすような指にすぐ滲んでのっぴきならない状態に追い込まれる、膝が笑いそうになっているのを、必死で隠そうとするのがよかった。足首にひきずりおろされたハーフパンツが絡まって、身を捩るのを邪魔している。

「逃げないで」

耳元でささやきかけて、熱をもってぐずるところを指先で軽くいじめてやれば、脇腹がびくびくと引きつった。すぐに高ぶってしまうのが恥かしいのか、サスケはきつく閉じた目をあけない。痛みを堪えるような顰め面も、夜がしのびよる暗がりの青い部屋でカカシが全部見ているのにかわりないのに。

「ふ……ぁっ」

すぐに熱っぽく滴で濡れた指先をうしろに滑らせると、冗談じゃなく腕の中の体が強ばった。たしかにきついかもと思う。でも、我慢ができない。一分一秒でもいい、今すぐがいい。逃げようとするのを抑えこんで、ほそい片膝を抱え上げた。いきなりの暴挙にサスケが抗議しようとする、一瞬の隙に指をくぐらせる。がち、と奥歯を軋ませる音が響いた。

「……っ、むり……!」
「だいじょうぶだって」

言うだけは無料なのをいいことに耳元で安受けあいして、緊張にみちりと狭い肉を割って熱を探る。たとえ同意でなくとも、前立腺を軽く押してやるだけで、すぐに言葉もなく体を震わせて、力が抜けてしまうことを知っている。だって、そういう風に教えこんだ。

「ゃ……っ」



(百点ばかり取る子もあれで案外可愛いんですよ)
(よくやったな、っていうと、当たり前だって顔するくせに)
(ほんのすこしだけ嬉しそうなんですよ)
(こっちが気づいてないと思って、得意そうなんですけどね)
(そこがかわいいですよね)



まったくもってそのとおり。これも好み、かもしれない睫毛が長い、切れ長の目尻ににじんでしまった涙を舐めとりながら、カカシはイルカの言葉に笑いを噛み殺す。ガタガタと地震でもないのにドアが揺れる。

息を切らせる唇をきつく噛んで、濡れた目が睨みつけてくるのに、ごめんねと囁いた。にきび一つないなめらかな頬の輪郭をやさしくぼかす産毛が浮かびあがって見えて、なにしてるんだろう、と馬鹿げたことを考える。今さらだ。

そう、イルカのせいだ。イルカの言葉を聞きながら、苛立ちとも痒みともつかないざらつきが始終胸を逆撫でていた。アカデミーの雑務を終えてからあと、思わず屋根伝い電線伝いに駈けどおしてしまったではないか。

部屋の明りがついてない事にどこに行ったのかと心配して、でも日課の修行かもと思い直して部屋を飛び出すのを止めた、帰るまで待とうと決めて、明りもつけないで玄関先に立って、アパートの階段を軋ませる足音に隠れ鬼をする子供のように耳を澄まして、青い夕闇に沈むドアノブだけを視界に閉じ込めていた数十分。

夕方の帰り際に見てしまった、淡いはにかみに名もなき衝動をどうしようともうずっと右手が困っている。サンダルをはずす暇も与えなかった、いいわけじみたセリフを付け加えるなら。



















そもそも衝動とは抑えがたいからこそ衝動というのだ。

















「Strobelights」/カカシサスケ





一瞬一瞬に思います。
我慢ができないのです。







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