Toothache








いいか、忍者って言うのはひたすらに隠密、隠密、隠密なわけだ。

各国の思惑を背後に兵がぶつかる、前段階の前段階、戦闘以前、情報収集の時点で動く。だから、そもそもスキルを身につける云々の前に、どれだけ気づかれないか、ということにかかる。

だけどお前らにそんなの無理だから、といつものごとく斜めがけの額当てとマスク、顔が四分の一しか見えない上司は緊迫感の欠片もない口調でさくりと言う。

基本は奇襲だ。まず、と三人の目をそれぞれ見ながら口を開く。

一、機先を制すること。
二、正面から向かわないこと。
三、退路の確保を優先すること。

できない場合は、ま!お前らの実力しだいだな。とさりげなく薄情な爆弾を落とすと、三人の子供に緊張が走った。そのことに男はほんのすこし満足する。自分の力量を知ることはとても大事だ。

指を三つ立てる。

まず、先制することは希望だ。一撃必殺も希望だな。相手の動揺を誘えたら運がいいと思え。三つ立てた指のうちひとつを曲げてみせる。

二ができない場合は、ひどい状況な訳だが、大勢をもった相手でも付け入る隙はある。多勢に無勢で当たる場合は、兵力を分散させ、各個撃破を狙うこと。また多勢であるということは小回りが利かないことと同じだ。かなり拓けたところに出ない限り、個人の技能で勝負できる。多勢に相手が油断をする、そこをつけ。というか、それしかやりようがない。有効なのは一と同じくパニックを狙うことだな。

ただし、これもひとり頭が冷静な将がいれば利く方策じゃないことを念頭におくこと。

つまり?と金色の髪をした少年が青い目を眇めると、隻眼の男は心底情けなさそうに眉尻を下げた。おまえねえ……。ナルト、あんたそんなのもわかんないの?と才媛が呆れた眼差しを投げるのに、少年はえへへ、と曖昧に笑う。最後のひとりがとどめを指した。

頭を最初につぶせってことだ、ドベ。むきい、と掴みかかりそうになる襟首と、迎え撃とうとする襟首の両方を男はふんづかまえて、やれやれとため息をつく。

説明続けるよ、というと、ふたたび子供たちの視線が男に集中した。

最後の退路の確保は戦うときの基本だ。背水の陣などと簡単に言うが、退路補給路の確保は兵法の基本中の基本、奇襲奇策はあくまで補助的な一時凌ぎに過ぎんことをおぼえておくこと。何度も通用するものじゃない。正攻法、基本ほど強いものはないと知れ。

最後に、とカカシは笑う。

忍者は尖兵だ。
尖兵の役割は状況を俯瞰し、生存帰還して報告することを第一と心得ろ。
死ぬな。


















とん、と背中あわせになって互いの肩がぶつかる。

「カカシ先生も簡単に言ったよなぁ……」
「てめーが気づかれんのがいけねえんだ」
「だってよー」

ダダダダダダダダダッと廊下の板を踏み抜きそうな勢いで走ってくる十数人の足音をよそに、サスケとナルトはそれぞれ手に馴染んだ武器を悠々と取り出す。お互い似たような笑いが唇の端に浮かんでいた。

死地?そんなものはどこにもない。

勢いよく開け放たれた障子に向かい、千本を投げはなったのは二人ほぼ同時だった。

(一、機先を制すること)

柔らかいものを貫く鈍い音とはじき返す鋭い金属音、よろめいた仲間の影を認めて、一瞬ひるんだ男の後ろにサスケは回りこみ、羽交い絞めにしてクナイを横一文字にひいた。気管から空気の漏れる笛みたいな穏やかな音が場違いで、金気くさい雫がぼたぼたと落ちた。背後からひびく風を切る音に弛緩した体を蹴り飛ばして、とっさに体を沈み込ませる。

胴を狙ってなぎ払う斬撃が頭上を掠めた。

両手を畳について右下段で男の軸足を払う。まともにこけはしなかったものの、たたらを踏んだ相手の懐に飛び込み、膝を鳩尾に叩き込めば骨の折れる手ごたえがある。低くうめいて男は膝をつき、畳に倒れこんだ。だめ押しで背中から正確に心臓をつらぬけば、事切れた。目の前に落ちた影に体が先に反応する。サスケは後方へ飛び退った。

足の横につきたった刃を鉄板入り足の甲で叩き折り、ひるんだ相手の顎を、逆立ちの要領で下から蹴り上げる。三半規管をまともにゆさぶられた男はあっさりバランスを崩した。延髄に刃をたたきこめば感電したように男の四肢が引き攣る。無造作に床に蹴り転がして、頬に散った返り血を拭う。のこり三人、外の気配も入れれば、十はかたくない。

サスケの戦い振りにはいつも無駄がない。一つ一つの動きが必ず次へ繋がり、事務的なまでに削ぎ落とされた最低限の動きだ。自分にはできない、とナルトは思う。

ナルトは狭い部屋で大段平をふりまわす相手をからかうように楽しんでいた。襖を閉めながら奥の間に逃げ、反撃せずにのらりくらりと攻撃を避ける。

(二、正面から向かわないこと)

相手が苛ついて大ぶりになったところで、ナルトは笑った。透かし彫りのきれいな欄間を噛んだ刃を抜こうと相手があわてていると、よっと暢気な掛け声をかけて天井の梁を掴んだ。懸垂の要領で体を持ち上げ、両足で相手の首をはさみ、肩車をさせられたような格好になる。あわてた男が引き剥がす暇もなく、耳の穴に千本をゆっくり差し込んだ。

ぱちん、と泡が弾けるような鼓膜の破れる手ごたえ、更に押し込めばスポンジのような柔らかい感触が手に跳ね返り、男はかぼそい最後の息を穏やかに吐き出した。

とん、と着地するのを負う様に、屍骸が足元に転がった。

(三、退路の確保)

呼子の音。サクラちゃんだ。顔を上げたサスケが口に指を押し当てた。鳥の声にも似た高音が短く二度、まだ片づけは終わっていない。まだ。

襲い掛かる白刃をクナイで受け止める。散った火花がナルトの頬を焼いた。あおじろい束の間の雷電にナルトは笑う。

(『死ぬな』?)

重く伸し掛かる刃の重みを膝から支える。血走った眼球の中で、笑う自分の顔に短い息吹を送る。ぎゃっと鼻面に火を押しつけられた犬のようにうめいた男は刃を放り出して畳を転げ回った。

(死なねえよ)

どん、と男の手の平にクナイがひとつ突き立った。丸い柄を靴底で踏みにじり、ナルトはもう一度、死なねえよ、と胸の中でだけ唱え、クナイをもう一本かまえる。含み針に貫かれ、血の赤と苦痛で濁った男の目が見開かれ、静止した。



「終わったか?」
「おう」

サスケに答えながら、ゆっくりとクナイを引き抜く。サスケが唇に指を押し当て、長く細い音を出した。夜陰の影から鳥のさえずりのような呼子が帰るのが聞こえる。任務成功、帰還命令。

じわじわと赤黒い色が畳に広がっていった。男の目は瞠かれたまま、断末魔に凍りついていた。右顎の奥に違和感を感じて、ナルトは顔をしかめる。舌を捻って一番奥のほう、奥歯の奥、歯茎が腫れている感じがした。

手裏剣を拾い集めて、ポーチに戻す。踏みしめた畳からじゅわりと血があふれる。血膏でぬめる刃を障子から破りとった紙でぬぐったナルトは死体を部屋の真ん中に積み上げるサスケを振りかえった。

「後始末は?」
「全部燃やして終わりだ」
「ふうん」

口の中に指を突っ込んで、腫れている奥歯を触る。血の味がした。ああ、爪の間に血が入り込んでいるのだ。口の中に指を突っ込んでしゃぶったまま、畳の上の頭数をひい、ふう、みい、と数えていく。

「オレ、6人。サスケは」
「んなもん数えてどうする」

たんなる死骸だろ、とサスケはいった。ポーチの中から消毒用の酒の小瓶をとりだし、死体に振りかける。横顔はひどく静謐で真摯なもので、降り注ぐアルコールは燃やすためだとしても、敬虔な弔いに見えた。

血を浴びてもサスケは変わらない。サスケの戦い方はいつもまっすぐできれいだと思う。サスケが殺すのではなく、サスケが動くところに敵がなぜかいる、その当然の帰結として死骸が転がるように見えるのだ。

(今日、6人)

手の匂いを嗅ぐと、いつも鉄錆のかわいた匂いがするようになった、風呂上りでも、ご飯のときでもいつでも、金気の匂いはまつわりついていた。それはいつからだろう。もう分からない。

腹に居着いた災禍をバケモノだと罵ることも絶えて久しい。かなしいほどにナルトはナルトでしかない。九尾ではなく、胸に抱いた夢の輝かしさも変わらない。長の役目は最小限の被害で最大限の損害を与えること、どちらも単位がヒトの命であるだけでしかない。

最後の死骸の足をナルトは掴み、積み上げた。死骸は本当に重い、それを忘れない。脈打ったはずの心臓を止めた、帰る家があった、待つ人がいた、自分と同じく、おそらく名も知らぬ男が流した涙があり、流される涙がある。じわりと忍服の袖に血がしみて、ぬるついた感触が不快だ。かわくとゴワゴワになるから洗濯もしないでコレも生ゴミ行きになるだろう。あ、そういやゴミ出しっていつだっけか。めんどくせえなあ、腹減った。

(マジでなんだこれ)

顎の違和感が強いあたりを舌で強く突っつけば、ぐらぐらと揺れ出した。乳歯の換わり損ねだろうか。それとも虫歯?だが期限切れ牛乳のカルシウムのおかげか、イルカに叩き込まれた歯磨きのおかげか、ナルトは虫歯になったことはない。気になって何度も舌で舐めた。なんだかもうちょっとで抜けそうだ。

「口ン中になにいれてんだ、お前」
「あ?」
「アホ面してんじゃねえ」

オレまでアホになる、と心底バカにした目つきをされて、むかついた。アホだってアホなりに並行する脳味噌でいろいろ考えてるのだ。まじめな事も阿呆なことも考える。たとえばサスケの顔に血が飛び散っていて、固まりかけているのがなんだかやらしいとか、そういや明日は休みだけど泊まりに行っていいのかなとか。……やっぱアホか。

だって生きてるのだ。生きてれば眠くなるし、腹が減るし、やりたくなる。

ぐらぐら軋む歯で笑いを噛み潰したナルトは、死体の積み上げ方にこだわるサスケの腕をひく。邪険な仕草で払われて、なんだか悔しい。前に回りこんで頬にこびりついた血を舐めた。汗の味がしてしょっぱい。無視して作業するのをいいことに、顎を掴んで噛み付くようなキスをすると、あおのいたサスケはゆっくりと唇を開いた。すこし驚いて、なんでだろ、とか思うがあっという間に溶けていく。今のところキス以上に大事な問題なんてあるんだろうか、一体。

「……っかげんに、しろ、ウスラトンカチ」

がつん、と入ったこぶしに、根こそぎ持ってかれた。ひでえ、サスケだって積極的だったくせに。ぬるりとした口腔の粘膜の残骸と血の味を舌が感じる。くらげとかって溶ける時こんな感触なんじゃねえのかな。唾液で濡れた口元を手の甲で拭って睨みつけるサスケに、ナルトは不満の声をあげる。

「あー、ひでえ。歯が抜けちまったじゃねえかよ」
「うるせえ、妙なとこで盛ってんな」
「なあ、サスケ、オレ、これどうしよー」
「知るか、ウスラトンカチ」

殴られて口の中も切れている。血まじりの唾を手の中に吐き捨て、ナルトは笑った。こうして今日も自分は生きている。髪が伸び爪が伸び、歯が抜けて、腹が減っている。まったく、今日も自分は生きている。

成長の骨を屍骸に投棄すべく、ナルトはゆっくり右手を振り上げた。








「歯痛」/ナルトサスケ







数年後。生ける者の驕慢。
ナルトがちゅう魔人だ。なんでだ。
そしてカカシが出張る……。






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