ぼくの右手

 








なんで、とナルトはいつも思う。
何でオレはこんな奴がいいんだろう。

顔の造作が良かろうが無表情、無愛想、口を開けば毒舌で、きわめつけ、薄情だ。
情がないのではない、情が薄い。でもどちらかといえば無頓着なのかもしれない。それは揺るぎもしないという信頼ゆえなのか、ただ生来の鈍感ゆえなのか、ナルトには良くわからない。そのくせ妙に敏くて、さりげない気配りをしたりするから、タチが悪いのだ(最近になって、彼があんなにくの一連中に人気があった理由はそれではないだろうかと思った。非常に業腹なことだが)。

ばしん、と無情にもはたかれた右手を見つめ、なんで、と思って、思わず殴りかかった。

「サスケ、てめえ!」

不意打ちだったから、よけることもできなかった。握り締められた拳が向かってくるのをよけようとして、何故だか足が土に張りついたように動かない。危ない、いう自分の思考が水の中から聞く音のように輪郭がぼやけていて、当たり前だ、殴られそうなんだから、とか意味のないことを考えていた。

足が動かない、と思いながら、つまり上の空でよけようとして、そのまま水たまりのぬめる泥を踏んづけて滑った。とっさに体勢を立て直して、今度こそよけきれない、と思う。

殴り合いの喧嘩なんて何年ぶりだろう。少なくとも上忍に上がってから一年はしてない。

何でよけきれないことは良くわかるんだか、訳がわからない。自分の時間が加速して、目に映るものが瞬きのたびに切り取られて入れ替わるスライド画像みたいで、体や周りの感覚を置いてけぼりにする、そんな感じだ。

がしん、と工場の煙突が夕空の中でぶれる、仰け反る寸前にナルトと目が合った。

拳の重みと言ったら、当たり前だが下忍のころとは比べ物にもならなかった。たたらを踏んでこらえると、容赦なしにナルトの腹に中段蹴りを叩き込んだ。

ああ、くそ。マジで痛え。唇の端が切れて、ぬるついた血の味が最低だ。
くの字に折った背中に肘を入れようとしたら、頭突きが顎にきた。吹っ飛ぶ。顎を押さえながらも、咄嗟に足蹴りをすると、後頭部を押さえていたナルトも後ろにごろごろと転がった。

演習場のフェンスにがしゃん、とぶつかる。

駆け寄って土の上に引き倒した。馬乗りになって、顔面に拳を入れる。がっとうめいたナルトが、膝蹴りを腹の上にのったサスケの脇腹に叩き込む。思わずよろけると、今度は自分のほうが下にされて、殴られた。ぐわん、と頭の芯が揺さぶられる。ぐりぐりと押し付けられた口の隙間に土が入りこんだ。それでも必死で手を伸ばし、拳を掴んだ。

ばたばたっと血なまぐさい雫が落ちる。

ぎりぎりと至近距離でにらみ合った。場違いにきれいな青い眼の中には怒り以外の、何かを必死で訴えるような、視線を外したら許さないと言うような、切羽詰ったものがあった。なんなんだ、いちいちうぜえ。何で殴られなきゃなんないのか、ちっともわかんねえ。いつも扇風機みてえに首回して叫びまくってるくせに、何で黙ってやがる。言いたきゃ口で言え。

「どけ」
「……どかねー」
「どけっつってんだ、ウスラトンカチ」
「どかねーつってる」
「もう気が済んだろーが、いい加減どけ、うぜえ」

面倒くさくなったサスケはため息まじりに吐き捨て、力を抜いた。掴んでいたナルトの拳を放す。うぜえ、の言葉にぐっと一瞬気まずさを呑むような顔をし、視線をそらしたナルトは歯を食いしばった。

「ぜってーどかねー」

ぎゅうっとからだの横で拳を握るのが、叱られるのを待つ子供のようだと思った。罪悪感のはけ口を外側に求めるような幼い顔だ。罪悪感?何が気まずい。殴ったことか。てめえから殴ってきたんだろうが、いまさらビビッたとかいってんじゃねえぞ。
ナルトの視線はサスケの首筋あたりの地面に据えられて、動かない。

「……んで、すんだよ」
「あ?」
「なんで、サスケあんなことすんだよ」
「あんなことって何だよ」

ナルトの顔がぐちゃりと歪んだ。なんで、と口だけが言う。

なんでおまえ、わかんねーの。

語調ほど、響きには責めるものはなく、ただサスケは喉元を熱の塊にふさがれるような気がして、息を呑む。夕暮れの薄い光、色をうしないだした世界の中で、ナルトの顔は影になってよくわからなかった。ただ、ナルトの拳が、ぶるぶると何かを堪えるように白く握り締められて震えている。わかんねーのかよ、とその手からだらりと力が抜け、指がほどけるのを見た。

「……なんだよ」
「……」
「あんなことって何だよ。言え」

ナルトの手を掴み、上体を起こしたサスケは畳み掛けるように声を浴びせた。

「言えよ、ナルト」
「怒ってんだかんな」
「何だと?」
「すっげえ、オレは怒ってんだ」
「それがどーした」
「……いわねえぞ」
「は?」
「サスケがごめんっつって謝るまでオレはいわねーかんな!」

悪うございましたっていうまでゆるさねーぞ!と人差し指でびしっと顔を指差されて言うのにサスケは脱力する。ここまで緊迫感を削がせることができるのは才能だと思う。すこし安堵した、とちらりと思いながらサスケは無表情を貫き口を開いた。

「……なら話は終わりだ、とっととどけ」
「えっ?」
「なにが悪いんだかわかんねえのに何でオレがてめえに謝んなきゃなんねえんだよ。てめえが言うつもりがねえんなら、こっちも聞く気はねえ。どけ」
「えっ?ちょ、ちょっと待てってば!」
「なんだよ」
「え、え、なんだよ、サスケ、気になったりとかしね―の。ほら、何でオレがあんな怒ったとかさ」
「ぶん殴って気がすんだからいい」

ナルトを押しのけて立ち上がると、サスケは服の肩やら尻やらについた土ぼこりを払った。湿った泥の感触に眉をしかめる。乱暴に服のすそで泥を拭い、鼻血もぬぐった。明日は目の周りが青く腫れているだろう。サクラやいのあたりがうるさくしそうだ。

「ぶん殴って気がすんだって……」
「だから話は終わりだ、どけ」
「オレの話ってば済んでねえんだぞ!」
「オレのは済んだ」

短い即答にぐぐぐっとナルトが押し黙る。こうなったらあと一押しだ。サスケは内心手がかかる、と思いながらナルトが単純でよかったと思う。押して駄目ならひいてみろ、まさにそのとおりだ。そして兵法の基本、孫子いわく、相手をとことんまで追い詰めてはならない。窮鼠猫を噛むとも言うからだ。きびすを返すと、躊躇う気配がした後、いらだたしげについてくる足音がしたのに、すこし笑った。

「じゃあ、何でお前あんな怒ったんだよ」

譲歩はタイミングが大事なのだ。肩越しに振り返ってみれば案の定ナルトはいぶかしげに眉根を寄せる。

「オレにはわかんねーから、言え」
「……」
「おい」
「……気になんのかよ?」

なんだか勝ち誇った響きに聞こえて、顔をしかめたサスケは短く舌打ちをした。だが今ここでナルトの臍を再び曲げるのは好ましいことではない。

「……気になる」
「じゃあ、いい」

にいっとナルトはまったく変わらない笑みを見せた。なにが嬉しいのかよくわからない。もう一度サスケを見る。ナルトの目は青い。あの海辺の国、晴れた日に外洋へ広がる膨大な水、あらゆる河を呑みこんで空を映しこんだいちめんの紺青の色だ。

「あ?」
「もう別にいいってばよ」

どうせサスケにゃわかんねーんだし、と歯を剥き出しにして笑うのに、睨みつけてもちっともナルトは揺らがない。切った唇の端を乱暴にぬぐうと、しかめ面のサスケの横を当たり前のように歩き、里へと向かう坂道を下りていく。とんっと手の甲に何か当たった。草や木の枝ではないし、下を見ても何もない。まあ気にすることでもない。坂道の先に赤やオレンジ、緑色の明りが小さく灯りはじめていた。

昔は五センチ以上差があったが、いまはナルトの方が若干高い。
それもむかつく。吐き捨てた。

「わけわかんねー奴だな」

とん、と手の甲にまた何か当たった。なんだ、と思うまもなく握りこまれ、包まれる。冷えた手にしみるのがナルトの体温だとわかって、手を繋がれたのだとわかった。反射的に振り払おうとすれば、ぐっと骨が軋むほど握りしめられた。じわり、と汗がにじむ。お前がこういうの、やがんの知ってるけど。

「……坂、あそこの坂下りるまででいーから」
「……ガキか、てめーは」

きっと横を歩くナルトの顔は自分と劣らぬほど真っ赤だ。
















「ぼくの右手」/ナルトサスケ









ブルーハーツの名曲から拝借。
好きなヒトはすみません。
痴話喧嘩です。



→034:「手をつなぐ」










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