サムデイ、エヴリデイ 喧嘩の理由はいつだってつまらないことだ。 ティッシュ箱からとったティッシュを破いて丸め、鼻につめこみながらサスケは眉間の皺を深くした。理由が思い出せない。つまりはやっぱりその程度のことかと、毎度のことながら苦々しい。 ああそうかよそんなこと言うんかよ、だったらオレもうお前なんかしらねえんだからな、と怒鳴ったのに、勘違いしてんじゃねえよオレこそお前との腐れ縁なんざごめんだ、いつでものしつけて塩まいてやると切り返した。お互い後戻りのできない位置まで足を踏み出してしまい、心中またやってしまったと思っても後の祭りだ。 案のじょうナルトは頭のてっぺんから湯気でも出そうな顔色になり、近所迷惑な怒鳴り声を押さえ込むかわりにサンダルを突っかけてドアに怒らせた肩をぶつけながら出ていってしまった。 真新しいシャツの襟首は鼻血ですっかり汚れてしまっているし、剥き出しの拳で殴ったものだから人差し指から小指まで皮がズル剥けで、黄色い体液がにじんだひどい状態だ。 ノンフロン表示のない時代遅れの冷蔵庫から救急箱を下ろし我が物顔でダイニングの椅子に座ればぎしりと足が鳴った。オキシフルをかければ傷口に白い泡が立つ。テーブルの上に投げだした足の傍にきいろい花びらがちらけているのにサスケは思い出した。 何たるくだらなさだ。 牛乳パックにさされた金木犀の枝を一瞥し、トイレくせえと言ったらナルトがいきなり怒り出したのだった。 人から貰ったもんだっつうのにお前って奴はお前って奴は、というのにそいつは悪かったなと返せば、反省がなってねえってばよ、そもそもお前って奴は昔から、と続くのにカチンと来た。 それからあとは副将軍の諸国漫遊記なみのお約束、脱線に脱線をくりかえし、お互いの生活習慣のことや食べ物の嗜好にまで文句をつけだし妥協点を見出せないまま平行線をつっぱしって、家主が出て行くという事態だ。 (お前が出て行ってどうすんだっつうの) ため息をついたサスケは窓を開け、ベランダを蹴ると屋根の上を駆け出した。 泥棒が入ろうが知ったことか。 サスケはまるであたりまえみたいに人の好意をうけとっている。ナルトがどれだけそれがほしかったかも知らぬ気に、どんなに切ない思いも「うざい」の三文字で背中の向こうに放り投げる。なんて傲慢。 こまごましたいろんな道具でぴかぴかに爪をみがいたサクラちゃんとヒナタがのあの細い手、あの手で見るからにおもたそうな鉄の花バサミでいちばんきれいな枝を切ったにもかかわらず、かわいい恋心を言うに事欠いてトイレくさい、だ。最低だ。どこがクールでかっこいいだ、ウスラトンカチトイレ野郎じゃんか。 (なんでいのもサクラちゃんもあんな顔だけの奴がいいんだよ) ぶうぶうと不貞腐れてみても、気分がよくなるはずはないことはわかっていた。 ナルトがすきなのは真っ向勝負、真正面からがつんと言ってやることだ。下忍になってからイタズラなんてかっこよくないことはしないのだ。認めない奴には認めさせればいいだけ、バカにする奴は口をふさぐようなことをしてやればいいだけ、火影になるにしてもカッコよくなかったら駄目だ。 だけどさっきの自分は、カッコ悪かった。最低だ。 自分はあの喧嘩のどさくさまぎれになんて言ったのだろう。 「おまえってそういうとこ無神経だよな」 はじいたらビー玉みたいに硬い音がしそうな黒眸が見開かれ、その中に不貞腐れた自分をナルトは見つける。だれがどんなに好きでも自分には関係ないいらないものだと言い切る、その傲慢さが大嫌いだ。 「サクラちゃんとヒナタがくれたんだぞ。なんでそんなふうに言ったりできんだよ、オレそういうとこ信じらんねー」 見開いていたのは一瞬、ぽつぽつと落ちた言葉にすっと眼が細まった。鋭さもなにもない色に凪いだまま、うすい唇の端が持ち上がった。こういう、他人にいっぺんの価値すらないと思わせるむかつく笑い方ばかり上手な男だ、こいつは。 「そういうお前の台詞こそムシンケイなんじゃねえの」 いつもぼそぼそとはっきり聞き取れない言葉を「ムシンケイ」のところだけ丁寧に言う。 「へらへらしていつまでも期待させるようなことしてんじゃねえよ」 完膚なきまでに叩き潰されて、反論すら出なかった。 (あ〜、むかつくむかつく、むかつくってばよ!) たどり着いたのはアカデミー、給水塔のてっぺん、パラボラアンテナにしがみついてガシガシと頭をかきむしり、ナルトはサンダルばきの足をばたばたと揺らした。 だってサスケは、誰の気持ちも「うざい」で片づけてしまうのだ。サクラの気持ちも、ナルトの気持ちも、きっとサスケの気持ちもだ。 きっとサクラのことも嫌ってなんかいないのに(だったらおいしいところばかりかっさらってサクラのフォローをする意味がわからない)、嫌われてあたりまえみたいなことを涼しい顔でやってのける。サクラに嫌われたらサスケは悲しくないのだろうか。 (好きな相手には好きっていってほしいし、嫌いな相手にはべつに嫌われてたっていいとおもう) だからナルトは好きな相手には何度でも好きだという。じゃないと嫌われてしまうからだ。嫌いな奴ではなくても、嫌いという気持ちを向けられるのは辛い。好きな相手ならなおさらだ。気持ちの糸はどこかで繋がっていて、おいしいものを好きになるのと一緒だ。甘いものを好きじゃない子供はめったにいないし、歯医者が好きな子供もめったにいない。だったら甘い気持ちをくれる人を好きになるのはあたりまえだし、苦い気持ちをくれる人はあまり好きになれない。 (へらへらしてんじゃねえよ、って、だからって「うざい」なんていえるかよフツー) 嫌いな奴以外の相手に嫌われてもサスケは構わないのだろうか。ナルトは嫌われたくない。 なんだかサスケのことを考えるのはまるでドアノブのないドアをノックしている感じだ。たしかにドアの奥にサスケはいるのに、ドアが開くことはない。でもドアがあってそこからサスケは顔を出す。一方通行だ。なんだか寂しい。 (でも好きな相手が好きになってくれるわけじゃない) だったらもとから誰かを思う気持ちなんて一方通行なのだろうか。サスケが誰かを思う気持ちと、誰かがサスケを思う気持ちはちっとも繋がらないのだろうか。ナルトの気持ちの糸はたくさんの人に繋がって、甘くなったり苦くなったりするのに。 考えてくるうちに訳がわからなくなってきた。 ああくそ、無視してやろうかなと思うが。 (でもここであやまらねーのは将来火影になる男としては、めちゃくちゃカッコ悪い) あいつにごめんなんていってたまるもんかと思う。だけどカッコ悪いのは駄目だ。 カッコ悪いのはかっこよくない。かっこよくないし、いつまでも胸のあたりがムカムカする。 無神経なサスケにとってダメージはない言葉だったのかもしれなくても、ムシンケイといわれたナルトのダメージは相当だ。しかもここで謝らなかったら、いまいましいことにナルトはサスケのいうとおり「ムシンケイ」な人物であることを認めるようなものではないか。それは火影らしくない。だめだ。 「〜〜くっそ、謝ってやる!」 態度もでかく鼻息あらく立ち上がったナルトは給水塔の上にたまっていた水溜りにずるりと滑った。すっぽ抜けたサンダルが落ちる。 「……って」 「げ、ごめんってばよ!」 梯子ではなくポールにしがみついてするすると降りたナルトが下を覗き込めば、顔面を押さえていたのはサスケだった。 「げ……」 うめいたナルトの視界の中でサスケの手がひらめいたかと思ったら、顔面に泥まみれのサンダルが命中した。 額宛を解かずにずりおろし、サスケはアームカバーをはずした。すこし不規則に白い呼気が目の前をかすませるのに、もうそんな季節かと思った。東から音もなく暗い夜がにじみだし、西のはしにオレンジ色の残照が残っている。 喉をとおる呼吸は荒く体も熱いのに、手足だけはすこし冷えているのは喧嘩したとき特有だ。ぎしぎしと固まったような蛇口を苛立ちながらひねると、シンクから散ったしぶきがシャツの腹あたりをすこし濡らす。頓着せずに顔を伏せ、べろりとぬるつく口の中をゆすぎ、水を飲んだ。冷たい水がぴりぴりと細かな擦り傷に沁みた。 アカデミーの昇降口近くに備え付けられた水場のあかりは電柱についでのようにくくりつけられた蛍光灯だ。数ヶ月まで毎日通い、昼間のざわめきを下手に知っているだけ、暗がりにしずまりかえった曇りガラスの向こうに浮かぶ非常口の緑光が薄気味悪い。 つまったような気がする鼻の穴を指でつぶして、ふんと息を吐けば、ぬめった血がびちびちと飛び散った。二度目の鼻血だ。 (ウスラトンカチめ) 沁みるのも気にせず鼻腔をあらい、こびりついた血のぬるつきがなくなるまで顔を洗った。腫れたような気がする顎のあたりをなでると、サスケはぬれてうっとうしい前髪を軽く絞って額宛を結びなおした。アームカバーを水流に突っ込み、ぎゅっと絞ると、壁によりかかったままの相手の体の脇をけとばした。 「……ってぇー……」 「うるせえ」 口をつくのは尖った言葉ばかりだ。金色の髪の間、うつむいて左眼をおさえる指から赤い血がしたたり、オレンジ色の上着の袖口を汚している。人差し指から小指までの皮がめくれ血まじりの体液が滲んでるのは、とうぜんさっきまで殴り合いをしていたからだった。サスケの手も同様だ。 アームカバーを持たないほうの手でナルトの手をひきはがそうとすると抵抗にあった。短く舌打ちする。 「意地はってんじゃねえよ」 「はってねっつの」 通った鼻筋の下、すこし厚めのナルトの唇が不貞腐れる。顎さきからまた血が垂れて服を汚すのにサスケは眉をしかめた。 べりっと剥がすと案の定、ナルトは顔をしかめて左眼をつぶっていた。しかめた顔のせいで眇めた碧眼が睨みあげてくるのを無視し、サスケは濡れたアームカバーをべちゃりと乗っけた。 「つべてえー」 「文句いうな」 「へっへっへ」 なんとなく日常でもつれこむ喧嘩のルールは単純、金気のもの、つまり武器は持たないこと。忍術は使わないことだ。ナルトもサスケもアカデミーを修了し下忍として登録された時点で、武器を構えるのは木の葉の里のためだけ、つまりは直属の上司であるカカシから命令が下ったときのほかは禁じる文書にサインしている。幼くともひとたび刃を抜けば互いにただではすまないため、徹底していた。 笑うナルトはサスケが自分でぼこぼこにしたくせに(当然ナルトも負けじと同じ数だけ殴る蹴るはした)、こんな歯切れの悪いまねをする理由がわかっている。アームカバーのベルトについている金具があたり、瞼の上がぱっくり割れてしまったのだ。皮膚がうすいところだけに傷はたいしたことがなくても、かなりのスプラッタ面になった。 びちゃっと飛び散った血に驚いたのは、怪我した本人よりむしろサスケだ。血が入って視界がおぼつかなくなったナルトが左眼をきつく閉じたのを、サスケは目に怪我をしたのかと危惧して動きを止めた。隙を逃さずにくりだした右フックが拍子抜けするほどいいタイミングでサスケの顔面にヒットしてしまい、慌てたナルトはそこでやる気が削がれてしまったのだ。 一日で二回の喧嘩となるとさすがに疲れて、へばってしまう。上をあおげば星が白くきんと光りだしていた。 (なんでこんな顔だけの奴がいいんだろ) サスケが濡らしてきたアームカバーは冷たくて気持ちがいい。 最初冷たくてじわじわぬるくあったまるのだ。 (なんでこんな顔だけの奴がいいんだろ) 「おい、目は平気か」 「おー。上のところがぱっくりいっただけだから」 ついこの間、いつか仲良くなるんじゃないの、と罵りあう本人の真後ろでカカシ先生が言っていたら、男のいつかは永遠にこないのよとサクラちゃんがつっこんでいた。カカシ先生は笑うだけで、いつでも殴り合いする二人をほったらかしだ。 ドアノブもついてない欠陥品のドアのしたから、髪の毛みたいに糸が大量に生えているのを想像した。 「ひひひひひ」 「なに笑ってやがる、うぜえ野郎だな」 「ひひひひひ」 いつかなんかではない。 |
「サムデイ、エヴリデイ」/ナルトサスケ |
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