never more







まさかサスケに気がつかれるとは思わなかった。ぴくりと手裏剣ホルダーを触ろうと動いた指先に、いい反応だとどこかで思う。サスケはかなしいことに聡い。変な顔してるよ、と言えばまるで痛みをこらえるような顔をした。

右目のところだけ皮一枚、笑っているのに背骨からじわじわと暗がりがやってくるようだ。優しいなとなんでもないことのようにいった声が耳の奥で響いた。自分はあのとき、嬉しかったのだ。面映かった。

先生、とナルトが見あげてくる。

「ま、じゃ、薬のんでお前は様子みようか」
「ごめん」

腹をおさえて丸まったナルトの頭をくしゃりとなでる。手のひらに小動物とおなじしめったやわらかい熱を感じた。なに謝ってるのとカカシは笑った。サクラがあったかくしてなさいよとフェイスタオルをナルトに渡してやっている。

優しいなあ、とカカシは思って頭を掻いた。優しいなと零された声をいわれたときサスケのまっすぐな眼差しに喜んだ自分は、その声に眼差しにかなうようたしかに優しくありたかったのだ。

(でも、もう来てくれない?)





解散といいわたして、それぞれ家路につく。森をぬければサクラが別れ、ナルトもアパートのある路地へと消えていく。川にかかった橋に二つの影が伸びた。

「ここのさ」

カカシの声にサスケは左斜め上をみる。たちどまったカカシにサスケも足をとめた。

「ここの橋から里をみると川の面がやたらときらきらしてる。夜景っていうには貧乏くさくてしみったれてるけど、むかついてるときとかね、いいよ」

マスクと額宛に隠されてカカシがどんな眼差しをしているのかはわからなかった。見えないことわからないことにささくれ立つところが確かにあって、わずかに眉を顰めたサスケはカカシが見ているだろう夕暮れの川をみつめた。残照を雲にはりつけた太陽はもう街並みのむこうに沈んでしまい、鬱金を流した川面は眩しげにきらめいても目を細めないで見ていられる。淡墨をながしたような黄昏に影はいっそう青なずみ暗くなり、ほつほつと点りだした里の明かりに緑や橙が混じって水に揺れだした。

木々が覆いかぶさった夜はもっと深い。近づけばどれだけ明るかろうと、宵闇のなか疎らに群がる光はどことなしに寂しいものだった。

「好きな人とか嫌いな奴とか、思い出したくもない厭なこととかいいこととかが、あんな小さいとこでせせこましいなあっておもう。そんであそこに帰る」
「それだけかよ」
「それだけ。だって結局さ、里にしかそういうのは、みんなないわけじゃない」
「妥協じゃねえか」

そうとも言う、とカカシがすこし笑う気配がした。夕凪が終わって風がサスケの髪を揺らした。

「でもこっちが妥協してんのが誰かの精一杯なときだってあるわけでしょ。まあなんでもかんでも聞き入れたらお人よしのばかだけど」
「矛盾してる」
「臨機応変ってことだよ。べつに、いまわかんなくたっていいんだよ」

ものやわらかい声に形のいい眉をしかめてサスケは毒づいた。

「ばかにすんな」
「ばかになんかしてないよ。すぐ、わかるよ」

笑えば、サスケは細々とした明かりを見つめたままあんたの、と呟いた。

「そういうのがいやだ。あんたはオレがガキだってわかってねえと思ってるだろう」
「……」
「言い訳を遠まわしに言うな」

淡々と放たれた言葉にちょっと絶句すると睨んだサスケはやっぱりかとため息をついた。ナルトには多分なにかがあるのだ。サスケの上司がカカシになったようにナルトにも同じく里の思惑があるのだろう。老いたりといえど三代目火影はサスケがアカデミーでしかしらない数多の戦場を多くの忍を率いて生き抜いてきた人だ。

「ごめん」
「怒ってねえよ」
「嘘はついてないよ」
「ほんとのこともいわないけどな」
「鋭いなあ」

困ったようにいうのに、嘘をつこうと思えばいくらだってつけるくせにと思う。怒ってないと、上手に笑えて言い放てばよかっただろうにできなかった。怒ってなんかいない。

「あのね、俺さ」
「なんだよ」
「俺、真面目にお前らの上司やりたいんだ。いったと思うけど、新人持つなんてお前らが初めてだし」

困ったように言われてサスケは目を瞬く。カカシはサスケが驚いているのに右目をすこし見開いて猫背をまるめ、所在無さげに頭をかいた。

「誰もそんなこと、言ってねえだろ」
「――ごめん。うん」

俯いて、カカシは照れくさくなってすこし笑った。サスケは笑った顔から目をそらして、口早に毒づく。夕日がやたらとくすぐったい。夕風がでてきてるのに顔が熱い気がする。

「あと真面目とかいうなら遅刻すんな」
「いや、だから人生って名前の道に迷ってさ」
「迷走しっぱなしじゃねえか」
「はは、うまいね」

笑い声は黄昏の町にずいぶんやさしく響いた。子供なんて苦手なだけだと思っていた。なぜだろう、サスケといるとまるで自分がいい人間みたいに思えてくる。ナルトやサクラもそうだ。優しくなれる気がする。いいチームになる、と思う。

(あした、中忍試験の申込書を取りにいかなきゃ)

俄雨が近いのか、水の匂いがした。





風に侵食されるばかりの断崖がそびえたっている。夜の崖のぼりを終え、水を使って体を適当に清めて戻るとサスケは寝袋のなかでもう眠っていた。カンテラの油の匂いがうすく漂っている。

夜のなかサスケの瞼はあおじろく光っていた。撫でようとしてふと手を止める。触れてもいない手のひらの下、瞑っていた睫がすこし震える。寝息と違う息をむりやりしずめたこともわかってしまう。けれどどうしようもないサスケの嘘を暴いてしまうこともできず、髪をなでた。柔らかくてほそい、子供の髪の毛だ。

一尾の砂使いがきてから、焦れたサスケが爪を噛むものだから寝袋からのぞく親指はいびつだ。チャクラを錬るのがうまくいかないときにできた傷跡で左手もぼろぼろになっていて包帯がまかれている。けれどイタチの名前を出せばサスケの眼はあきらかに変わり、倒れ臥すまでチャクラをしぼりだす。

わずかに血の色を透かすうすい瞼の裏にあるのは犬みたいな目だろう。おろかな眼差しだ。

喉仏が目立ちだしてもなお細い首筋に血の色をした呪印と封印式が刻まれているのを見下ろす。大蛇丸の牙はたしかにサスケの深淵に突き立てられ、カカシの手のひらには深々と傷がついた。目をそらしたくなるほど一途にまっすぐ向かう、おさえようもない熱を溢れさせたおさない眼差しをになにを、自分はまちがっていたのだろう。嫌われてるとは思わないが、サスケのベクトルはいつだって一つだ。

思えば自分だって、サスケに面影を重ねなかったといえるだろうか。硬い黒髪が似ている。声が似ている。面差しが似ている。口調はにていない。性格も。だけどなぜだろう、ひたむきなところだけは同じだった。自分の心臓以外にいつでも大事なものを持って、その前に額づくことを躊躇いもしない。明日が続くことを太陽が昇るよりあたりまえであるような顔で、南をさしてわたる鳥みたいになにひとつ怖がらない空でも歩けそうな眼差しで道のはるか先を見る。

身じろぎするのに息が詰まった。 カカシ、と口がわずかに名前を呼ぶのに心臓がざわつく。

「もう、ちょっと」

頭を撫でる。開こうとする黒眸がのぞく前に手のひらで隠した。声は震えなかっただろうか、懇願の色をうかべはしなかっただろうか。もうすこしだけ。

「寝てな」

胸苦しくささやいた声音は自分のものだと思えないほどひどく甘い。祈りのように切実だ。手のひらの下で冬眠する蝶の翅の軽さでうごいた睫がとじるのにカカシはすこし笑う。背中を押してなんてやれない、ましてや引き止めることもできない。だから望むなら目を閉じたがるならずっとこの手でおおっている。眠ったふりをしているのにも自分は右目をとじてなにも知らないことにする。サスケが望むのなら。

(もうすこしだけ)

日に夕に土を鍬き肥を与えて手ずから鋏をいれた花が咲くのをみるのはこんな心持だろうか。咲かない花はない。散らない花もない。花は疑いようもなく美しい。 春が来てしまう。そして花は昔の花ではないと人はいう。自分ばかりがいつまでも同じままなのだという。たしかにそうだ。季節も誰も彼もいつもカカシの周りを過ぎていってしまった。

彼はまだ目を開けない。ずっと開けなくていい。髪を撫でる手が放しがたいのがなぜなのかなんて、知りたくもないし知られたくもない。指先から鋼色の髪がするりと落ちた。羽の名残りだという貝殻骨が手足をちぢめた少年の背中で窮屈そうに開こうとして、閉じる。







お疲れ様です、と頭を下げるとどうも、とイルカが頭をあげ傾いた赤い日を斜めにあびるカカシに気がついてすこし頬を綻ばせる。蜩が鳴いていた。

「お久しぶりですね」
「最近、違う任務いってたもんで。ご無沙汰してます」
「サクラがちっとも顔を見てないって心配してましたよ」
「部署が違うから時間合わないんですよ。どうせ悪口じゃないですか」

笑って言えば、イルカがどことなしにひきつった笑いするのにまったく正直な人だと笑ってしまった。

「ああ、そうだ。この間の試験でサクラが中忍に昇格しましたよ」
「ほんとですか。今度お祝いしなきゃなあ」
「同期連中とまとめてやっちゃったんですけど、やっぱりカカシさんに言われると嬉しいでしょうから」
「そうします。ありがとうございます」

頭を下げると五代目火影印の押された規定の書類を一式そろえて差し出したイルカが、顔をあげた。

「今日は盆ですから、祭に行ってるかもしれませんよ」
「ああ、そういやそうですね」

言われて、そんな季節かと思った。ナルトもサクラもどうしているだろう。自来也と綱手のことだ、いることもいらないこともたくさん教えてくれてるに違いなかった。腹なんて壊してないだろうか。

アカデミーを出る頃は日が落ちきっていた。サクラを探そうかとも思ったが、任務明けですこしだるいし、人ごみにまじる気もしない。ゆるい坂を下り灯篭に明かりをともした橋にさしかかれば、精霊流しの灯がとおく下流に見えた。

川面にも町にもいくつもの灯りがひしめいているが、地面にこぼれ落ちたスパンコールみたいに鈍く暗がりの底できらめくばかりで夜は夜だ。ふと橋から見れば坂の向こう、里の一角に黒々と夜を切りとる町並みがあった。なぜあんなに暗いのだろうと思ってから、気がついた。そうだ。

(もう、誰もいないのか)

冥道がひらけてもこの世にさまよいでた鬼ししゃたちはもう帰る家をもたない。住む人を亡くしたひとつの町を清めて門をひらき、どれだけとぼしくとも毎年迎え火を点しまた送り火を門で焚いた少年はもう木の葉にはいないのだ。どれだけ明かりに目を凝らしてももう彼はいないし、門扉は主がでていったときのまま風にゆれるだけだ。

はじめてあったときに好きなことはないが嫌いなものならたくさんあると言った。地平にへばりつくやけにいじましい明かりの中にはあの少年を生かすものも殺すものも、泣かすものももうなかったのだ。手ひどく傷つけるものすらなかったのだった。

『好きな人とか嫌いな奴とか、思い出したくもない厭なこととかいいこととかが、あんな小さいとこでせせこましいなあっておもう』

緑や赤、橙、小さく瞬いてはゆれる川面をみつめた。妥協じゃねえかと呆れたように言われたのを思い出した。だけどいま目にうつるどの明かりの下にも、誇りかに伸びた背中がないのはわかっていた。

ガキだってわかってねえと思ってるだろうと悔しそうにいった声が、眼差しが思い出せなかった。ただ火傷のように指先に、瞼の震えだとか黒髪の硬さが残っているような気がした。

あの夜、カカシと呼んだ声に応えていたら、と考えてやめる。花はどれだけ似ていようと昔の花ではないのだ。

川にながす花灯篭をもった子供がカカシを追越していった。母か父をまたせているのかいっさんにかけていく子供の右左にひらめく生白い足裏、無数のちいさな灯りでできたいくつもの影がつながれ音もなくついていく。やがて子供の姿は宵闇にまぎれて見えなくなってしまった。

踏みしめた土のあまいにおい、草いきれにむせるような夜の底、暈をかぶって空をにじませる月にカカシは背を向け、猫背をまるめて辻辻に明かりをこぼす町へと歩き出す。どこかの庭先で火を切るちいさな音が幾度か響き、とだえればにわかに秋虫の声がわきあがった。











「never more」/カカシサスケ




no placeは
どこでもない(middle of nowhere)ではなくて
「どこにもない」で。

完結です。
→059:「グランドキャニオン」










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