夕べの唄
肩にかついだ足が引き攣っている。ひきしまったふくらはぎから、もっと潤んだ肌のやわらかいところをついばむようにしてたどる。膝裏に口づければ声が上がり、なじむまでじっと待ってからゆっくりと動きだした。しろい花びらのようにシーツにぽつぽつとカーテンから洩れた明かりが散らばり、揺れる。 口元を覆う手を掴み引きはがそうとすると抵抗が強い。包帯がまかれた腕をきつく掴むと、サスケの喉仏が上下し、ひくい呻き声がきこえた。 「久しぶりに、へましたね」 「……る、せえ」 じわじわと引きはがすと、息が切れてるくせに睨みつけてくる。アパートの階段をあがる足音がきこえる。任務上がりにそのまま部屋に連れこんでしまったため、まだまだ日は高い。カーテンをしめてもみんな丸見えなのがいやなのか、サスケはずっと顔を背けっぱなしだった。 「傷になるよ」 「あんたが、いうな」 急所と利き腕ではないためにしょっちゅうさらされるカカシの左腕はそれこそ傷だらけだ。温存されているだろう右にしても手のひらには口寄せや術式のためにはしったうすい傷が無数にあって、かさつている。サスケはすこし後ろめたそうな顔をすると、手首を掴むカカシの指を舐めた。 カカシは眼帯をしていない右目を眇めると、動きを止めため息まじりに困ったなあと笑った。 「サスケ」 「なに」 「首に手、まわして」 ん、と素直にだきつかれてますます弱る。起こすよ、と声をかけて引き起こすと、足を肩にひっかけたままだったのがきつかったのか、サスケはまた呻いた。 涙の膜をはりつかせる黝い眸を普段はできないよほど近い下からのぞきこみ、カカシはなるべく声が揺れないよう、喉に力をいれて耳元に顔を寄せた。 「……」 肩を上下させ呼吸をくりかえしているサスケはカカシの囁きにすこし、息を詰めきつく柳眉をひそめる。 うつむいた首筋から背中までつらなる頚椎の突起をひとつ一つたしかめるように撫でる。海のにおいがするしめって温い黒髪のあわいに指を差しいれ、ぼんの窪を戯れに押した。どんな人間もここをやられたら死ぬ。ぐるりと白い傷跡が首周りをおおっているのは暗くても知っていた。急所をおさえられるのがいやなのか、はぐらかし続けたカカシの指がいやなのか、きつく噛みしめられて血色を失った唇が見えた。さっきその口で欲しいといったくせに。 すこしそげだした顎のエッジに目を細める。明日あたり、髪を切ってやろうか。間近でにらみつけられるのにカカシは笑い、腹の上に跨ったサスケのはりつめた腿を軽く叩いてうながした。 「いいようにうごいて」 それでもサスケはむりやりに抑えた深呼吸をするばかりでうごかない。いまさら妙に頑なな相手にカカシは首をかしげた。めずらしい。だが焦れったいのもおもしろいとなかば楽しみながら、うるんだ腿から膝のあたり一番肌のなめらかなところを撫でる。 「まだ痛い?」 いっぱいに充ちみち繋がっているけれど、うごかないままで我慢のきくようなつながり方はしてこなかったし、男の生理としてとりあえず熱をもったら吐きだすか、よっぽどショックなことがないかぎり衝動は終わらないつくりだ。カカシはめったに負ける賭けを仕掛けない。 「俺、今日マグロー」 もう疲れたから好きにして、と言って重ねた枕とすっかり乱れて皺よるシーツに背をあずけた。ジジイ、と舌打ちつきで声が返り、指先まで熱っぽい手が膝に置かれたままのカカシの手をきつく掴んだ。 右手でカカシの左手をつかまえたまま、まげた両膝それぞれに手をおき、サスケは呼吸と同じ速さでゆるやかに動きだす。行儀よく正座してる子供みたいな格好なのに、と思えば条件反射で唇のはしが持ちあがった。 (こんな傷をつくって) いっぱいにつっぱった上膊には血の滲む包帯が白々しく巻かれ、うすく筋肉の流れをすかして、震えている。いいよ、と小さく息の混じる声で言ったのが聞こえたのか聞こえなかったのか、カカシの手の平にサスケの切りすぎで短い爪が食いこんだ。 「……ぅ」 ときどき手ひどい扱いを受けたいと思う。棒切れみたいに無価値だと言われたいときがある、それが大事な人間ならよりいい。趣味が悪いのは知っているが、モルヒネのようなものだ。 「…ぁ―…、あ」 今日は最低の扱いを受けたい。自分勝手なセックスの道具にして欲しい。 (だってそのほうがお前の望みがわかりそう) なにが好きとか嫌いとかは結局わからないままのことが多い。昔、左眼を見せてくれとサスケがいうのを断ったら、二度と頼まれなくなってしまった。それ以来、サスケから修行以外のことでなにか頼まれたことはあっただろうか。思い出すことが出来ない。 いつもは引き結ばれるか、ふてぶてしい笑みしかたたえない唇があえかにほどけているのにキスをしたい。背中のとびきりいい声がでるところにキスしてやりたいのに、この格好だとできない。けれど上体を起こして心臓より奥深いところで波立った衝動にまけるより、没頭するサスケを見ていたかった。 そこばかりすんな、とピントが合わないぐらいの間近で切れ切れに言われて気づく。震える声も繋がった場所もとっくに限界が近いことを知らせているのに、なぜかサスケは我慢しているようだった。 がまんしないでいいよ、と言えばなおさら唇を噛んで頑なに首を振った。 痩せがまんをかわいいと思えるような気分ではなかった。どこか年の差を理由にサスケをバカにする節が自分にはあって、手の中でサスケがおさまりきらないとひどく嫌なときがある。ひどく身勝手で理不尽だとは自覚していた。やさしくもできないくせに、突き放しもしない。ろくでもないことめんどくさいことなんて火を見るより明らかだ。 (お前のいちばんは俺じゃないことなんてわかってるし) (俺だってお前のためになんて死ねないし) だったら手なんて伸ばさなければよかったじゃないかと声がする。 ざらりとしめった下生えをかきわけ、ゆっくりと熱をもつところに埋めた。 とたんあがったくぐもった声の湿りにざわざわと波立った。がくんと肘をくずしたサスケを受けとめ、髪を何度も撫でて口づける。ぴたりと合わさった胸が汗ばんでいる、お互いの乳首が潰れそうにこすれあって小さく息をつめる。カカシの肩越し、枕に額を擦らせて息を切らせるのがもったいない。けっきょく顎をひきよせてキスをすると、揺らすたびに唇がふるえるのが伝わってきた。 骨のようなテトラポットを乗りこえコンクリートの埠頭に波が白く砕けた。冬にしては生ぬるい風がうねる波とともに甲板に叩きつけられ、ふたたび闇がおりる。吹きながされた雲で月が翳ったのだ。季節外れの台風が近づいてきている。 ふいに膨らむ海に揺れる船をかろうじてつなぎとめるロープが軋み、ビニールシートがはためきばたばたと耳ざわりな音を立てた。時化る夜に海辺で過ごすものは皆無だ。だがテトラポットで囲まれた入り江の端、暗がりに潤む明かりが一つあった。 ガタガタとぶれる明かりに船室の床に座り込んだ男は棚のように壁にとりつけられたベッドの隙間、気圧計と時計を見やり、足元に転がる男のこめかみを利き手に持った刃の柄ではたく。見張りの交替まであと数時間はある。デッキへと繋がる階段に座りこみ仲間の鼾だけを聞いているだけでは暇でしょうがなかった。ややして降り出した雨は勢いを増し、数分後には灯台のあかりさえかすませるほどになった。 暗がりから殷々とわきおこる波涛のなか港に舫われた船から船へいくつかの影が走りぬける。ロープでつながれた船を浮橋のように走り抜け、先頭をきった影が明かりにむけ、くだけた波に洗われる船端を蹴る。静観していた狗面がゆるくあげた左手を下ろすと同時、船室の窓を見据えていた狐面はひきしぼった弦から指を離した。 がしゃんとガラスの割れ砕ける音に明かりが掻き消え、とびこんできた波の音と水の冷たさ、わきあがった白煙に男は狼狽し、階段の上をふりあおいだ。くら暗のなかのっぺりと白く猫をかたどった面が浮かんでいる。 息を呑むのと同時、がつんとこめかみにクナイの柄を打ちこまれ床に倒れこんだ。ぐらりと歪んだ視界の斜め上、闖入者に目を覚ました仲間が何か声を上げる、その目の前、黒髪がおどった。腕を無造作にふるう。 ぬれた雑巾を壁に叩きつけるような音がしたあと、ぐるんと仲間の頭が廻り、前のめりに突っ伏して動かない。ふわりと音もなく床におりた影が顔をこちらに向けた。浮かびあがる胡粉の白い面にうがたれた二つの虚、窓からさしいる明かりが波うって揺れる加減だろうか、笑っているように見えた。 しんねりとした闇にひたされ梟の白面がぽつりと浮かんだ。ゆらりと身をかがめながら動くさまも羽のようにかるそうな動きも現実ばなれしているのに、手足ばかりは爪の生えたヒトそのもので男はがちがちと歯を鳴らした。子供の手遊びのような単純な丹青の線でかかれた目鼻がなにかの冗談のようだ。 「女と子供はどこだ」 仲間が寝ているはずの船倉、床にとりつけられた板戸から伸びた黒い腕が男の喉元を押した。利き腕の右肩を膝で押さえられている。皮膚がうすく裂ける感触に息を呑むこともできない。仲間に助けてもらうという望みがつぶされ、掠れた息が長くほそくもれた。今度は狗だ。猫と狐は苛立つように船室をひっくりかえし、梟は縛り上げられていた男を担いでいた。 「女と、子供は?」 再度問いかけながらカカシは嫌な予感に狗面の下で眉をひそめた。 拘束する相手はすくなければ少ないほどいい。 犯人たちの交渉相手は結局、人質家族の父親であり脅迫の材料になるのは男だけだ。 最悪、死んでいる。 「……あいつらは」 カカシ、と短い警戒の声。風が唸る音がきこえた。空を裂く刃の音と同時に、押さえ込んでいた男の額にナイフが埋まり、電流をながされたように死骸が痙攣した。跳ね起きて数本のナイフを叩き落す。まだ生き残りがいた。 猫面のサスケが飛来するナイフの軌跡をたぐりクナイを数本打ち込むのが見えた。 くぐもった声と倒れこむ姿に誰もが安堵した一瞬。 まったく別方向からナイフが飛んでくるのに舌打ちした。 (まだいる) 踏みこんでクナイをなげ、狙ったナイフを叩き落す。体が動いてから頭に映像が浮かぶ。体に染みついた経験が教える。間に合う、タイミングは合っている。 投げ打とうとして水に濡れた床板にカカシの膝が滑った。 (あ) 頭の中たどった銀色の軌道上にはサスケがいた。 がん、と床をけって上体をむりやり跳ね起こす。 眼前にナイフだ。 あ、まずい。俺死ぬ。 思ったところでシャボン玉がわれるようにぱちんと目が醒めた。 湿りきって冷え、生臭いシーツに現実に引き戻される。窓にうつる椛の影は赤く、裸だと肌寒い。横で寝息を立てるサスケを見た。髪はぼさぼさではりついてるし目やにはたまってるし、ちょっとヨダレは出てるしで、女の子がみれば幻滅するだろうに違いない子供くさい顔だった。けれどすこし躍るこの胸はなんだろう。 肩から筋肉のしっかりついた腕の傷を撫でた。すこし鳥肌だっている。 現実にはカカシはナイフを見送り、サスケに傷がついた。みんな夢だ。 「……サスケ」 喉をすべりでた声が自分でもびっくりするぐらい優しげでこっちが驚いた。寝起きのいいサスケの睫毛があがり、なんだと言わんばかりにうごいた眼に光がすこし映っていた。 「風呂、はいろう」 なんだか狭苦しいところで骨ばった体を思いきりぎゅうぎゅう抱きしめる理由が欲しくてそんな台詞が出た。 「包帯もかえて、そしたらごはん食べよう」 「……いやだ」 寝起きでかなり悪い目つきで返されてカカシはなんで、と返す。サスケの答えは実に淡々としたものだった。 「……あんたがそういう顔してるときは、ろくなことがない」 心外だとカカシは情けなく眉尻を下げた。終わりの光がカカシの睫毛を粉砂糖のように見せる。 「これでもお前を甘やかしてやりたいとおもってるんだけど」 「気色悪ぃ」 吐き捨てるのに思わず苦笑だ。夢にしたってうっかり命をかけた相手にそれはないんじゃないのと思いながら手をひっぱると抵抗がない。 「……」 「なんだよ」 はは、と眼を瞬いてからカカシが笑うと、サスケはもう一度きしょく悪いと呟いてため息をついた。それから唇のはしでしょうがねえなと笑った。 だったら手なんて伸ばさなければよかったじゃないかと声がする。 手が伸びたんだからしょうがないと答えた。 だれかのために死ねる自分なんてはじめて見た。 |
「夕べの唄」/カカシサスケ |
数年後。 |