ぼくは、泣かない 「アウト」 顔をみなくてもわかる、欠伸交じりの声と同時に眼の前で船をこいでいた白髪頭がかき消える。後頭部を軽くおされ、軸足を払われて床に思い切り倒れこんだナルトは鋼糸でぐるぐると縛られぎしぎしと歯を噛んだ。 「だぁあああっ!ずっりーってばよ師匠!」 「夜討ち朝駆け金的なんでもありっつったがのォ。さ、わしはもう行くぞ」 床に転がったせいで、額を思い切り打ち付けて涙目に喚くナルトの腹を裸足で蹴り飛ばした自来也は、鼻の下を三ミリちかく伸ばしながらにやにやと笑って見下ろしてくる。どういった早業か一番お気に入りの派手な服をきてるのにナルトは眉を顰めた。 「なんでそんなめかしこんでんだってばよ。つか宿代今日までだって」 「サユリちゃんのデビューに花を贈らんといかんでのォ」 「んだよ!こないだ金落としたとかいってたくせに、そんな金あんのかよ!ざけんな、オレも行く!」 「おまえにはまだ早いわい。修行してろ、修行」 「っだ!」 思いきりデコピンを額宛にされてナルトは芋虫のような格好で悶絶する。また飲んでいたのだろう、ふらついた足取りをした自来也はバタンと無情にもドアを閉じて出て行ってしまい、ナルトは項垂れた。しかしそれも一瞬のことだ。 「甘いあまい甘い激しく甘いぜ、師匠」 ここで諦めねえのがうずまきナルト様だっつの、と呟き、縄抜けをしてたちあがったナルトは、階段をおりる。番台に座っていた宿屋の亭主がじろりと見てくるのに肩をすくめた。 「あしたまでに金が入れてくんないなら、警務隊につきだすよ」 「ごめんなさい!とりあえずコレ!」 パチンコ屋の判子が押された封筒をさしだすと、煙草を喫んでいた店主はひったくるようにナルトの手からとりあげ、中をのぞきこんだ。紙幣を唾でしめらせた親指で数えてから鼻を鳴らした。 「ふん、でもまだ残ってるよ」 「わかってるからさ、とりあえずそれでちっと支払い待ってくんねえかな」 頭をさげると煙草のフィルターを噛んだ亭主はしわついた新聞をのばしながら、ナルトを見あげた。 「……あんなどうにもダメなおっさん、見捨てたほうがいいんじゃないの」 「そういう訳にもいかねーんだってば」 あんなんでも師匠だし、と笑ったナルトはあんがと!と亭主に笑うと窓枠に足をかけた。 窓から飛び出して向かいのビルのアルミサッシに着地をすると、屋上にむかうはしごによじ登ってぐるりとあたりを見回す。雑居ビルが蟻の巣のように立ち並ぶ町は小路が入り組み、看板が邪魔をしてよくみえない。それでも自来也のように一見して余所者とわかるような者は目立つ。 発見、と呟いて唇をなめたナルトは駆け出した。 ちょろい、と笑いながら屋根から屋根へと飛び移っていたナルトの眼が見開かれた。自来也は色とりどりの電飾が点滅する看板と花束がおしげもなくかざられた雑居ビルのドアに消えていく。 銀色の三角形で小さく胸の先と股間をおおっただけの若い女性の写真、ショータイムと書いているのにまだ早いってこういうことかとナルトは頭をがしがしとかき回した。 「あんのクソ師匠……」 ずりーってばよ!といきまいたナルトが降りようと身をのりだしたときだった。自来也が両脇を強面の男たちに抱えられて、ビルの裏手から引きずり出されてくる。すぐに花を抱えた黒髪の長い髪の女の子が地下の階段から顔をだした。秋口だというのにコートをまとっているが、裾からのぞく膝とふとももの白さやかかとの高い、スパンコールがやたらと散らばって安そうなサンダルに下はたぶん下着にちかい格好なのだろうと想像がつく。 「ちょっと、おっさんにそんな乱暴しないであげてよ」 女の人が強面の片方の袖をひっぱった。 「只見されたら商売にならねえっす」 「このおっさん有名なんすよ、そこらじゅうの店でツケてばっかって。作家とかいってるけど嘘にきまってんでしょ」 「お金なら私がはらってあげるから、入れてあげてよ」 「そういうことやってばかりだからサユリさん、男に騙されんでしょ」 「アンタに関係ないでしょうが。ほら、はなしなよ、前の奴と切れるときにこのおっさんが助けてくれたんだから」 サユリと呼ばれた女が財布をとりだして紙幣を強面の男達におしつける。とたんしょうがないというように自来也の体が放りだされて、路地裏にしりもちをつく。こつこつとヒールを鳴らしたサユリはコートの前をかきあわせて自来也を見下ろした。 「もう、なにやってんの、オッサン。ここのお店、ちゃんとしてんだから、適当なことできないにきまってるでしょ」 「そうだのォ。顔の傷はもう平気になったか?」 「ドーランぬったら大丈夫よ、アイツ思い切りやってくれちゃってさ」 おっさんがやっつけてくれたけど、とサユリはわらってしゃがみこんだ。道路にしりもちをついたまま頭をぼりぼりとかいた自来也の手をサユリが引っ張った。 「そろそろ出番なんだから来てよ。お金はわたしが払ってあげたからさ」 おっさんがくれた手切れ金にはたりないけど、と笑うが自来也はひらひらと手をふった。 「ん?いいよ、今日はもう帰る」 「帰っちゃうの?」 「ガキがいるんでな」 「子持ちでこんなとこ来てるの?呆れた…ってちょっと触んないでよー、もう」 さりげなく肩をから胸にまわろうとした自来也の手を笑いながら叩いたサユリは勘違いしないでよね、と軽く睨んで立ち上がった。 「おうおう、わかったわかった」 「お花ありがとうね」 「うん」 サユリさん、と鉄製のドアがひらいて明かりが零れるのに、振り向いたサユリはすぐ行く、と返して、もう一度自来也の手をひっぱった。 「今度、見に来てね、それで遊びにつれてって」 「うん、わかったわかった」 がんばってな、と自来也がいうのにサユリは遠めにも子供っぽく白い歯をみせて笑い、立ち上がりビルのドアに消えていった。ふう、とため息をついた自来也はやれやれと立ち上がる。 「覗き見はもうちっと修行してから来い、ナルト」 「……若い子騙してんじゃねーってばよ」 「わしの魅力は年齢問わずってことだのォ、たぶんあと一回でいけるな。それで、おいナルト」 「なに」 「金持ってるか?」 「ハァ?」 なにいってんの、といったナルトの肩にがしりと自来也の腕が回る。がしりといつの間にか極められていた。首で血流がとまって頭がすこしくらりとする。 「落ちる落ちる落ちる!」 「金は持ってるかのォ?」 「やだ!」 「おまえ、あそこのパチンコ屋で荒稼ぎしとったろーが。わしの眼はごまかせんぞ」 ぐいぐいと締め上げられるがナルトは足をばたつかせて、抗議する。 「ざっけんな!あれはおれの金だっつの。ぜってえやだ!」 こないだもオレのこと騙して、オカマバーに放り込んだくせに!と叫ぶナルトに自来也は悪びれることなくにやにやする。 「美人ママのバイトなら引き受けるっておまえがいったんだろ。くるみちゃんは美人だったろうが」 「写真でだろ!しかも二十年前のだし!オカマだし!師匠のツケのせいでタダ働きだし!危うくオレ、あのマスターにケツ掘られるとこだったんだぞ!」 洗い場にたっていると、通り過ぎざまに中指を尻の間にねじこまれそうになるあの恐怖を自来也も味わえばいいのだ。 「社会勉強も忍者にとっちゃ大事とおもった師匠の心がわからんのか」 「飲んだくれてるだけだってばよ!」 「けしからんのォ」 実にけしからん、といった声が耳元でしたかとおもえば腰のポーチに自来也の手が侵入する。 「あーっ!なにすんだってばよ!」 ずっとつかっているカエルのがま口を取り上げた自来也はいそいそと懐にしまうのに、ナルトはがっくりと項垂れた。鼻歌をうたいながらまぶしくともりだした夜の街の明かりにあるきだした背中をちらりとみる。うつむいたナルトはこっそり唇をもちあげた。 「そいでもっておまえ、両足のサンダルにも隠し取るだろ」 ぽん、と肩に手をおかれて横をむけばにやついた自来也の顔がある。酒臭い息がふきかけられるのに、背中と脇の下にいやな汗がじわりと浮いた。 「自分の女じゃない女に奢らせるのは男としてどうかとおもうだろ、ナルト」 どこかで犬がさびしく遠吠えをする秋の夕暮れだった。 へそくりのサンダルのゴムの隙間にかくしておいたなけなしの紙幣もとりあげられてしまい、ナルトはとぼとぼと宿屋にもどった。せっかくパチンコ屋で大当たりをだしても、いつも自来也の酒場のツケや宿代にむしりとられている。今日は一楽のラーメンには勝てないけれど、そこそこ有名なラーメンを食べる予定だったのに、缶ジュースも買えないぐらいの小銭しかのこってない。 しょんぼり帰ってきたナルトに、帳簿から眼をあげた宿屋の亭主はやれやれと肩をすくめて、さめた夕食を出してくれた。あんたも苦労するねと言われて、ちょっと鼻の奥がつんとして、あまり食べることができなかった。 「……ちっきしょ」 ごん、とベッドを蹴飛ばせば、ぬぎ散らかした服を踏んづけてすべって転んだ。腕にひっかけたシーツから頭にばさばさ荷物が落ちてきて、星が目の前に飛び散る。さかさまにうつった窓ガラスの向こう、冴えざえとした暮れ空の中天で青は深く地平は赤く、糸くずのような雲が貝のように光り金星が瞬いている。師匠のクソ面白くないエロ本の下でナルトは歯ぎしりをし、瞼の痙攣を抑えようとしたけれども無理だった。こめかみをなまぬるく濡らして髪の毛の間をゆっくり伝っていく。 「ちきしょう、クソジジィ、見てやがれ」 悔しさに泣くことにも慣れてしまった。ラーメンを食べそこねたおなかがぐうぐう抗議するのに歯ぎしりをする。ちきしょう、と繰り返す。サスケを取り戻せるようになるまでの辛抱だ。 「ぜってえ、ぶっ飛ばす!」 十四歳の誕生日、最悪の誕生日だった。 |
「ぼくは泣かない」/自来也とナルト |
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