楽園の扉はただしくあいたのか、閉じたのか。 It ain't a love song not like a love song ページは紙もまだこなれていなくてかたく、だれも開いたことがない証明にかるくはりついているのにすこし心がはやる。深爪しすぎた指でひらけばまっさらな紙から洋墨のにおいだ。ふと影がさしたのにカカシは眼をあげた。 「ニ匹みつけた」 「んじゃ終わってないでしょ」 「写真もってんの、あんただろ」 「あ、忘れてた。悪い」 サスケはふっと視線をはずし軽く膝をたわませると木に飛び乗り、枝から枝へかけていく。よっこいしょ、と足をあげたカカシはかるく首をひねると、森の中をあるきだした。野分が綿雲さえふきあらい木立のすきまからみえる青一色の空はもう随分と高く、蝉の声もうせてしまった。 森の土は太陽にあたためられて降り積もった落ち葉をふむたびに音をすいこんでやわらかいにおいがする。すこし上滑りするような温かみのうせた木漏れ日がまだ茂みをのこした木々からふりそそいでは、水の中のように光が揺れた。片目の身としてはあまりうれしくない。 (見る分にはいいんだけどねえ) 「はやくこいよ」 「ん?あー、うん、はいはい」 ぶっきらぼうな声におまえもねと思いながらカカシは枝の上に飛乗ればしなると同時に水滴がきらきらと飛散った。ちょうどとびうつろうと枝をけったサスケが、げ、と声をあげるのが聞こえたのに、チャクラといえばすぐ思い出したようだ。足の裏にチャクラをつよく集めて、幹にはりついたかとおもうとはじく。 「そうそう」 「チィ」 うまく飛び移ったサスケの隣の枝をかけながら笑うとうっかり忘れてた事がよほど不甲斐なかったのかおなじみの舌打ちが聞こえた。ばさばさと鳥を愕かせながらすすみ、ひらけたところに先にでたのはサスケだった。木下闇からいきなり日なたに放り出されたカカシは目を細める。 「おっせーよ、サスケ!」 「どーせ先生がちんたらしてたんでしょ」 「あはははは」 鋭いなあと笑っていると三色の目が睨みあげてくるのにカカシはあらぬ方向をみて頭を掻き、三人の顔を見回した。 「んで、どうよ」 「んなことでごまかそうとしてんだってばよ」 「絶対そうよね」 「卑怯だな」 いつからこんなひねくれた子になっちゃったんだか、とカカシは悲しそうでもなく呟いてから肩をわざとらしくしかめた。今日の任務は木の葉の森のなかに逃げた羊を捕まえることだ。ある農場の主が市場に売りに出そうと移動中に檻つきの車からにげだしてしまったのだった。 「おまえらねえ、日暮れまでにあと五匹みつけなきゃいけないってわかってる?」 「げ」 「だめだったらあしたまで延長になんのよ」 「げェ」 「わかったらほら、はやく散った散った。お昼になったらここに戻ってきてね」 しっしとハエでも追い払うようにすると、傍若無人とか人非人とか聞き捨てならないことも聞こえるが、大人の余裕で相手にしない。ただ手伝う気がちょっとうせただけの話だ。 「ま、おまえらの成長を気長〜にまってるわけよ。わかってよ、この先生心」 にこりと言えばぶつくさ文句をいいながら待ち合わせと合図の取り決めを確認して、森に散っていく三人が素直でいい。カカシはさてと息をつくと、横倒しになった木の上にすわりこみ本をひらいた。 二晩まえの嵐の名残だろうか、ときおり強い風が吹き渡る。頬の横をかすめた風に目を細めれば冷たいしずくが落ちてきてページをぬらしていった。そばの木の幹に縄をつながれた二匹の羊がとなりあって座りこみ眠そうに口をゆっくり動かしていた。 中味はまっさらでも外見は古びている、ハードカバーの本だ。 落ち葉をふむ音にカカシは眼をあげ、ごくろうさんと声をかけた。サスケの手から縄が伸びて羊の首につながっている。近くの幹につなぐ背中からまた本に目を落としながらカカシはそろそろお昼ちかいからここにいなとつづけた。 「面白いのか」 「面白いよ」 「なんの本だ」 「祈りの本。世界のはじまりと終わりについて、愛について書いてある。物語りもあるよ」 そうかとサスケはつまらなさそうに口を閉じた。 つれてこられたばかりの羊はすこし気がたっているのか落ちつかなげに足元の土を蹴っている。そのせいで先にいた二匹もそわそわとなきだしてしまった。羊の群れを買うとき、何匹か山羊をいれたほうがいいらしい。羊がおびえても山羊は泰然としているから、パニックになるのがおさまるそうだ。怯える羊というのは誇張でもなんでもないのだ。 「あ」 結び目がゆるかったのだろうか、羊がにげだしてしまった。小さくサスケが舌打ちをして落ち葉を踏む。更地ではしるのも森で走るのも羊のほうが速い。ざんと枝に飛乗った背中が遠くなるのにやれやれとカカシは本をとじると、残った二匹におとなしくしてろよ、と声をかけ、かけだした。 だんだんと枝をふんで気配を追っていけば、大きな木の下にサスケが立っていた。羊の姿は見えない。 「どうしたの」 答えずにサスケはテグスのついたクナイを取り出すと木の枝にまきつけてのぼりだした。カカシはなんなのよ、と首をかしげながら子供の背中をおいかける。 「サスケ、どうしたのよ」 「羊が消えた」 「消えた?」 「こっちに道がある」 はずだ、と続けて登っていく。 「あらまあ」 立ち止まったサスケの隣に立てば、たしかに道があった。比較的太い木の枝ばかりを蔓でまきつけて交差させた場所はかすかにひらけていて、陽光がおしげもなくふりそそいでいた。森の上に緑の道ができているようなものだが、したからみれば枝が重なっているようにしか見えない。 「なんでわかったの」 「羊がとんだかとおもったら枝ん中にもぐってった」 「へえ、よっくできてるねえ」 ためしにカカシが足をのせてみても、枝がわさわさと鳴るだけで折れそうな気配はない。 「誰かが作ったんだろうね。ナルトとサクラが喜びそうだ」 いた、とサスケが駈けだすのにカカシは笑い、枝と枝とをむすびつけている蔓をたしかめる。よくしごかれてなめらかになった蔦は強靭だったがけっこう古かった。手入れをされた痕があるのに眼を細める。 (もう何年もこの森つかってるけど、これは知らなかったな) 国境を警備する隊あたりが保護しているものかもしれなかった。カカシも幾度か哨戒をする隊に属したことがあったし、ひきいたこともあったが森のほうは範疇外だ。こういった通路があれば敵にみつかることなく楽に移動することができる。 さぐってみようかとカカシがいうと、羊をもとの木にしばりつけたサスケがうなずく。まだサクラとナルトは戻らないようだ。声がきこえたら森の上をはしるこの道から降りればいいだけの話だった。 ギィギィと枝が軋む。ところどころ修繕がおいつかず、一メートルほど穴があいているところもあった。 「トンネルみたいだね」 奥深いところでは夏に日の光を恋しがって伸ばした枝葉がしげり、まるで緑のトンネルだ。水滴をまとった蜘蛛の巣をしげしげとみつめるサスケがいる。 (……しゃべることないなあ) 修行の時はまだいい。教えること、教えたいこと伝えるべきことの十分の一もまだ自分は教えられていないし、カカシが全部おしえたとしても、サスケは貪欲にほしがるにきまっていた。砂漠の土が水を吸いこむようにサスケはカカシから色々とりこんでいく。 「いい天気だな」 「台風のあとだからね」 おそらく、七班の中でいちばんカカシが時間をさいているだろうし、サスケの態度もはじめにくらべれば随分やわらかくなったように思う。つっけんどんだった口調がすこし笑いをまぜるようになったとか、ほんとうにわずかではあったけれど。だがなにかの距離がいつまでも縮まらない。 (縮めてどうすんのよ) 「出口がちかいよ」 独り言とおなじ口調で言いながら目の前にしげった枝をかるく押しのけると、葉に残っていた水が落ちてきて右目に水がはいったのに目をつぶる。出口が近いからかだんだんと荒くなった継ぎ目をふみつけ、ずるりと足が蔓を踏みつけてすべった。 「うわ」 ずぼっと太股ちかくまで落ちたカカシにすこし驚いた目のサスケがうつる。だがすぐ呆れたような顔をして情けねえなと呟いた。いいながら手を差し出してくるのに笑ってしまう。 「ありがと」 手をのばして体を上にひきずりあげれば、つんのめったサスケが足を踏み外す。結局枝にふたりしてぶらさがってから飛び降りるとちょうど二股になった枝と枝のあいだ、狭いところだった。狭いといいながら、下への道をさがすが、とりあえずバランスが悪い。髪の毛についた水滴を頭をふってはらいながら、サスケが小さく呟く。 「こういうのにおちたときって暴れるとだめなんだよな」 サスケがなにか喋るとなると、話なれていないからだろうし、年齢差もあるだろう、つまらないのに、とつとつとした口調はなにかを伝えたがっているのがわかる。わかるから適当に相槌を打ったり時折さきまわりして結論をカカシがいってしまったりもする。 「昔やった?」 言ってからしまったと思った。誰となんて。 気がつけばサスケは黙り込んでいる。無表情のまま強ばっている表情はあからさまにほどけた結び目をいそいで結ぼうとしている顔だった。 サスケの左眼と右眼の視線が合う。左眼はなにをみているのだろう。 視線をさげてもサスケの意識が左眼にむいてる気がしてならない。沈黙がひどく重くなる。降りてしまおうと向かい側の枝に手をついた拍子にサスケと目が合った。なにをいえばいいかなんてわからない頭に関係のないことが気泡のようにぽかんとうかぶ。 (キスの距離だ) 冗談だよと間近で伝えるはずだった声が、ふるえる唇を感じて音の羅列になりもせず、喉の下のほうそれどころか胸当たりで消えてしまった。唇にサスケの息が触れる場所から離れながら、手を伸ばす。頬の上をくるむ体温でしめった空気にふれた指先が心臓になってふるえている。 「なんで」 サスケが緩慢に瞬きをするのに表面張力がやぶれた。口走りながらはやくも後悔するが、脳からはしった信号に思考がおいつかない。体が衝き動かしていく。 「おまえ嫌がらないの」 笑えと警告がなるのにしたがって目を笑ませた、カカシの思惑に気もつかず喉元にカミソリでもつきつけられたような顔をサスケがした。青みがかった白目の中、まだらの光を反射した透明な黒い瞳がカカシをうつしこんでいる。すこし血の色のうせた、知ったばかりのかさついた唇が震えた。 (あ、にげる) 後ろに引きかけるのを手首を掴んだ。動きをとめられたせいでサスケの体が反動ですこし前につんのめるのをみて後悔をもうひとつ重ねた。三十センチほどの距離しかないサスケの眼がカカシの胸あたりをさまよっているのがわかる。睫の下でどこかを凝視しているようでなにも見ていない眼がせわしなくうごき、さがすべきでなかった答えをサスケの中から探しあてようとしている。雲ひとつないのにあたりが暗くなったのは視界が覗き穴でもみるように狭く閉じていくからで光がなくなったわけじゃない。いけない。 言ってくれ、言わないでくれのどちらをいえばいいのかわからないまま、答えはカカシの中で形を持ち名前をもってしまった。禁じられた果実の名前は知恵、知恵とは言だ、言は世界をつくりだし至高き宮におわす方が鎖していた瞼をおしひらいて裸に怯える子供たちを光の外へと放逐する。 サスケくん、先生、どこ、とナルトとサクラの声がする。森の明るいところから自分たちは影になって見えないのだ。 おもわず掴んだ手から力がぬけた。 息を呑んだサスケの眼が焦点にカカシをとらえる。きっとサスケは気がついていないだろう、子供そのものの無知で覆いかくした無遠慮で乱暴な視線がある種の熱をのせている。心臓をつかみあげられて全身に熱がひろがっていくのがわかる。耳の後ろで鼓動が跳ねていた。 「カカシ」 ついぞ聞いたことのない迷った声音は、もぎとれと囁く蛇の声だった。 |
「It ain't a love song,not like a love song」/カカシサスケ |
恋におちる瞬間って、とおもいながら書いてました。 |