je te veux 正直、簡単な仕事だと思っていた。 この国の国王直々から請け負った殺しの相手は、天才だか史上最年少のピアノコンクールの優勝者だか知らないが、要は唯のピアニストだった。凶器を手にしたこともなければ、人を殺すなんて考えもしないような人畜無害の夢想家だ。つまりは、そんな相手にミスをするなんて誰が想像する? 戦火の中、反戦を訴えレクイエムしか奏でないピアニスト。 群衆の高い支持のもと、国王さえも脅かすその存在。 しかし、どんなに群衆の支持を受けていようと民間人の集まりに他ならない。武力に訴えてしまえば後は烏合の衆だ。実際、殺すなんて訳はないと思った。崩れかけた教会に忍びこんで、気配を絶ち直ぐ傍まで近づいた。手馴れた動作でリボリバーの撃鉄を起こし引きがねに手をかける。そして、立ちあがり際、一瞬で間合いを詰め目標の眉間に銃口を向けた。眉間から銃口まで、距離にして5センチほどの近さだ。この距離で外すわけはない。そう、外すわけはなかったのだ…、本来なら。 なのに俺は、引き金を引くことができなかった。 奪われたのだ。一瞬で。 もぎ取られたのだ。その心を。 濡れ羽色の髪をもつその少年に。 射抜かれたのだ。無抵抗だと思っていた相手に。 凶器を持たない無抵抗の少年は、闇のように深く強い眼差しと陶磁器のように白い肌をしていた。 「その銃口を突きつけられたら火傷ものだな」 はじめて聞いた少年の声は、思ったよりも低く甘いものだった。そして、先程、教会の蝶番を壊すのに銃を使い、今もその時の熱がまだ銃口には残っているのを示唆され、俺は笑った。 「その白い肌に醜い火傷など似合わないさ」 「火傷どころか、殺しにきたんだろ」 自分を殺しにきたのだと理解している相手にたいし、一切の物怖じをみせない少年は不条理などに屈しない瞳をしていた。堂々としていて、これではまるで銃口を突きつけられている少年の方にこそ分があるようだ。否、事実あるのだろう。 「ああ、そのつもりだった」 「だった?可笑しなことを言う」 半壊している教会の、崩れ落ちたステンドグラス。その枠に張りついた残骸が、満月の明かりを受けて妖しげに影を作った。 世が世なら、自分と少年が出会うことなど皆無だっただろう。天才の名を欲しいままに、少年は数多の人々から祝福を受け、賛辞を浴び栄光の中、なんの不自由もなく生きたに違いない。けれど歴史はそれを許さなかった。音楽などという非生産的なのもは排除され、切り捨てられた。つまり、彼がいくら天才であっても世間はそんな少年の存在など知らないのだ。いや、知ってはならないのか…。 「可笑しいか。だが、俺はお前を殺さない」 「依頼人を裏切るのか?アンタ、殺し屋だろ」 崩れかけた教会に、不釣合いなほど立派なオルガンがそこにある。少年が奏でたならば、さぞいい音で鳴くのだろう。淡い光りが射しこむ講堂で、崩れたステンドグラスを背に、埃舞う音の無い世界で、視線が絡み合う。 「そうだな。そして、俺が依頼人を裏切るのはこの濡れ羽色の髪と、全てを見透かす深い湖のような瞳に心奪われたからだ」 思った通りを口にすれば、少年の柳眉が僅かに跳ねあがった。 「銃口を突きつけたまま言う台詞じゃない」 「ああ、すまない」 「本気なのか」 銃を落ろし、少年を見据えた。適度な緊張感と、静謐な空気に酔ってしまいそうだ。 「殺し屋の言うことなど信じられないか」 「どの道、オレは男だ」 愛の告白など何年ぶりだろうか?にも拘らず、少年は俺を軽くあしらおうとする。慣れているのか、そうじゃないのか。 不意に、陶磁器のような白い頬に触れたくなり、そっと手を差しだした。少年は微動だにしない。怖くはないのだろうか、仮にも自分を殺そうとした殺し屋を。 「俺と逃げないか」 問えば、今度こそ少年の顔色が変わった。頬に触れ、輪郭をなぞる。キスでも出来そうな距離まで近づいて、至近距離からその瞳を覗きこんだ。 「莫迦を言うな…」 吐き捨てる少年の唇を、その吐息ごと奪って口づけた。 □□ 「サスケっ!!」 突然開け放たれた、講堂の重厚なドアの向こうに、金色の頭をした少年が現れた。 「どうした」 「おいっ、なんだよそいつ。なんで銃なんて持って…っ!」 サスケ…、と呼ばれた俺のターゲットは静かな声で続きを促した。しかし、銃を手に持ったままの俺の存在に気づいたらしい金色の頭は、まずはそっちを優先させたようだ。サスケに詰め寄るような勢いで走ってきたかと思えば、無遠慮に俺を指で指してきた。 「ああ、いいんだ、ナルト。それよりどうした?なんかあったんじゃねえのか」 「そうだっ!国王軍の奴ら…、とうとう見境なく町中の男を収容所に連れていってやがる!!」 「…そんなっ」 「ここももう危ない!逃げろ、サスケ!」 ナルトというのか、かの金色の頭の持ってきた情報に、サスケが顔色を変えた。陶磁器のように白く滑やかな頬に青味がさし、意志の強そうな深い瞳は不安に揺れた。はじめてみる、その憂いを帯びた表情に不謹慎ながら、心が湧いた。 「ナルト…、お前は?」 「下水に引きこんでなんとか撒くさ」 サスケの問いに簡単に答えると、ナルトは次に俺に向き直って言った。 「アンタ、信用できるのか?」 「俺のことか」 「そうだ!」 「さあな、どうだろうな」 例えば、依頼人を裏切らないことが今までの俺にとっての信用の礎だった。しかし、それは脆くも崩れ去ってしまったのだ。そんな俺に、「信用」なんて言葉を振りかざせるはずもない。 そう思ったのに。 「頼む、サスケを連れて逃げてくれ!」 次の瞬間、金色の頭は俺に懇願してきたのだ。サスケと同じ年頃の、碧眼の少年。その少年の瞳にも、世の不条理を許さないという強い意志と、サスケを守りたいという祈りにも近い思いが垣間見えた。俺は驚いた。12〜3の少年達に、これほどの強さがあるものなのか。 「ナルトっ!」 悲鳴にもにたサスケの声が、ちいさく反響した。 「時間がないんだ!早くしないとサスケが収容所へ送られちまう。唯、ピアノを弾いてるだけなのに」 「………」 「この国は狂ってる。他国を侵略するばかりか、平和を願う自国の国民にさえ辛い労働と勝手な管理を強いて。それに意を唱えようものなら、音楽家だろうが思想家だろうが強制収容所送りだ」 「………」 「そんなこと許されていい訳がないんだよっ!!!」 俺には、命なんてどうだって良かった。誰を殺し。誰を生かし。そんなことに興味など抱けなかった。 殺せと言われればそうした。依頼人は絶対だった。仕事を断ることもなかった。考えることさえ面倒で。ちゃんと生きてなかった。だから知らなかったのだ。人々の憂いも、焦燥も、苛立ちも…。 変わるなら今だ。 大切な人を守る為に、それだけの為に銃を握ろう。 「それで俺はどうすればいい」 「町の北に廃屋がある。その地下にはちょっとした仕掛けが施してあって隠れ家にはもってこいだ」 「北…、だな」 「仕掛けの外しかたはサスケが知ってる」 「わかった」 廃屋と聞いて俺はピンときた。伊達に、この世界で生きていた訳じゃない。 「おいっ!勝手に話を進めるな!ここにはまだたくさんの人が…」 「心配すんな。危なねーことはしない」 「…ナルト」 「後でおち合おう、なっ」 「わかった……」 歯を食い縛り、それでも頭を縦に振ってサスケが瞳を閉じた。 「頼んだぜ」 「ああ…」 ナルトに言われ、俺は頷いた。守るために戦うのははじめてだ。でも、サスケは必ず俺が守る。どんなことをしてでも、どんな無様な姿をさらしても…きっと、守ってみせる。 「必ず生きて帰れ」 サスケのその言葉に、ナルトが笑ってみせた。 「わかった」 言ったナルトにサスケがちいさく微笑みかけ、俺はサスケの手を取ると奥の扉から教会を後にした。 その後、教会のあたりから大きな爆撃の音と、人々の悲鳴とが木霊した。 「ここだ」 そう言ってサスケが示した場所は、廃屋から更に北に位置した場所にぽつりと佇む、ひとつの枯れ井戸だった。そして、サスケは無言のまま、蔦で蔽われた井戸の中へ、その蔓を辿って下りてゆく。そこそこの体重の大人が身を預けてもその蔦はビクともしないらしく、俺もサスケの後に続くと蔓を伝って下りはじめた。下りてゆくほどに暗く、ジメジメとしている狭き空間を抜け地に足をつければ、先に下りてきていたサスケが、井戸の底の横穴から顔を覗かせていた。 「井戸の底に更に横穴があるのか…」 感慨深く呟けば、「早くしろ」と顎でしゃくられた。 横穴は南へと続いていて、方向的に廃屋へと続いているのだろうと理解できた。問題は、なぜ、このようなスタンスを取っているかということだ。俺は、廃屋と聞いてまず、その地下に隠れるところがあるもんだと思い込んでいた。しかし、地下ならば必然的に廃屋のどこからかに隠し通路があるはずである、まさか井戸の中から続いている横道が、廃屋へと繋がっているとは誰も想像しないだろう。 そして、井戸から1キロほど進んだ場所に、開かれた場所が現れた。 「へえ、ずごいな」 「灯りを点けるから、じっとしてろ」 感嘆の声を漏せば、サスケが感情の籠もらない声で言い放った。そして、手際よく石油ランプの芯に火を点けると、灯りひとつなかった空間に光りが満ちる。そこは、思ったよりも幾分広く、また奥には廃材なのだろうか…、無造作に木の板が立てかけられていた。 「適当に座れよ」 「あんまり埃っぽくないんだな」 「掃除は小まめにしてる」 「へえ…」 床にはしっかりと木板が敷きつけられ、壁と天井はコンクリートで固められていた。こっそりと置かれた空調のせいか、空気の淀みもなく思ったより湿気もなかった。持ち込まれた毛布と、クッション…流石にベッドまではなかったが、隠れ家だとするなら、これほど快適なものもないだろう。 「そこの水って飲めるの?」 「ああ、地下水を引いてある。湯は沸かないが身体を拭くことはできる」 「ふーん…。で、お前はなにしてんの?」 「見てわかんねーんのか」 「わかんないから訊いてるんですけど」 ランプの明かりをふたつに増やしたサスケは、立てかけてあった廃材(木材)を器用に組み立てている。なにをしているかんてわかるはずがない。戸棚…でも作っているのだろうか?思いながら眺めていると、「手伝え」…と、ひとこと声がかかった。それから俺は、指示されるままにその木材を組み立てた。骨組みを組んでいき、しばらくするとそれは形となって現れた。 アップライトピアノだ。 サスケは、アクションを組み込み次に鍵盤部分に手を伸ばした。そのころになると、俺はお払い箱で何の役にも立たなくなった。打弦や、シーズニングで出た狂いを調整しているサスケの横顔は真剣そのもので、俺は息をするのも忘れてとにかく魅入った。細く骨張った指が繊細に動き、ひとつひとつの動作や仕種に艶が生まれる。漆黒の瞳が仄かな灯りに照らされ、頬には睫毛の長い影が浮かびあがる。透けるような白い項は、動脈はおろか静脈さえ脈打つさまが感じられようだった。張り詰めたような時間が過ぎ、サスケがおおきく息を吐いたのを合図に、俺も思わず固唾を飲み込んだ。 「お、わったのか…?」 やっとの思いで声を出した頃、手持ちの懐中時計が真昼を指していた。昨夜、サスケを殺す為に教会に忍び込んで正味十二時間が過ぎた計算だ。 「まだ調律が残ってる」 「まだあるのか」 「退屈なら、寝てていい」 サスケは、額や項に僅かな汗を滲ませ、それがランプの灯りを受け妙に色っぽく俺の目に映る。 「いや、それより、よくピアノなんか持ち込んだな…。しかもバラしたのか」 「バラさないと運べないからな。面倒でも自分で組み立てるしかないだろ」 「それはそうだろうけど…」 「この前にきたとき、全部運び終わったんだ。バラせば子供のオレにだって運べるからな」 「ひとりで…か?」 「まさか、ナルトや他のヤツも手伝ってくれた」 冷静な…、感情の籠もらない声で言葉を紡ぐ少年は、銃声や嬌声に歯を食い縛り、振り返ることなく教会を後にした時の彼とまったく同じだ。強そうにみえても、やはり弱い。しかし、少年の「強さ」と呼ぶべきものがあるなら、それは少年自身が自分の弱さを熟知していることかもしれない。 細く、しなやかで強い一本の糸を張って必死に耐えている。…いつか切れてしまうその時まで。 感情を殺して、人々の思いを受けとめてピアノを弾きつづけるのだろうか…。 「調律ってどれくらいかかるんもんなんだ?」 「じっくりやるからな、二時間ってとこだな」 「今からまだ二時間もやるのか…」 「………今の時間がわかるか」 とてもではないが、今から二時間の集中力が続くとは思えない。疲労はありありと見てとれるのだ。しかし、どう言えば少年を…、サスケを休ませることができるのか俺にはわからなかった。 「ああ、正午だ」 「………そうか」 訊かれたことに答えながら、俺は少し意地の悪い方法を考えついた。うまく乗ってくれれば、作業を中断させられるはずだ。問題は、その後の俺の処遇なのだが、今はそんなことどうでもいい。 「さっきの…、ナルトって言ったか。アイツのことが心配なんだな」 「………友達…だから……」 「それだけ?」 「あたりまえだろ、他になにがあるんだ?」 「いや、あんまり仲がいいもんだから妬けちゃって」 「………」 ニヤついた笑顔で、挑発するように問えばサスケの柳眉が跳ねあがった。 「ねえ、なんで今だったの?」 「なにがだ」 「ピアノ」 「………」 「組み立てんの」 注意深く、言葉を選んでゆっくるりと喋る。言い聞かせるように、わからせるようにゆっくりと…。 「なんかさぁ、無心になって何かしてないと心配で堪らないとか、そんな感じにみえた」 「………勝手に言ってろ」 「こっち見てよ」 「………」 視線を逸らし、顔を背けたサスケに向かって、少し強めの口調で言い放つ。まいったな。そんなに動揺されたんじゃ、ホントに俺が傷ついちゃうじゃない。 「サスケ…」 手を伸ばし、指でサスケの輪郭をなぞる。十二時間前、教会でしたのと同じ仕種…、同じ動作。驚いたように見開いた漆黒の瞳が、俺の行為を拒絶し。サスケの左手を咄嗟に俺の手を払いのけた。 「なに考えてんだ、アンタっ!」 「イイコト…」 「離せって!」 「抵抗すんのは、俺のことがキライだから?それとも、アイツが来るはずだから?」 「なに言って…」 払われた手で、俺の手首を払ったサスケの腕を掴んだ。と、そのまま足を引っ掛けサスケのバランスを崩すと、空いた手をサスケの背中に回しちいさな身体をゆっくりと横たえた。そして、抗議の声があがるより先に、その紅く熟れた唇を奪い取る。啄ばむように口付けては、唇の輪郭をなぞるように舌を這わす。ちいさな拳が俺の胸を叩くけれど、鍛えられた身体はそんな攻撃じゃびくともしない。 「アイツのことが好きなの?」 「っ!」 薄汚れた床に押しつけ、耳元で囁く。怒りのためか、動揺の所為かサスケの顔が朱に染まっていく。その顔が綺麗だと思った。 そして、耳朶に軽く口付け息を吹きかける。ちいさく跳ねた肩が可愛らしくて、そのまましばらく舌先で耳とその周辺を突いたり舐めたりした。息を殺し身体を震わせるサスケの手が、頼りなく俺の腕を掴んでいる。堅く閉じられた瞳に舌を這わせれば、益々身体を堅くした。 (どうやって陥落させようか) 思いながら、俺は、サスケの真新しい白いシャツの裾から手を差しいれた。 →next |