小さな屋根裏部屋のドアを開け、サスケが先に入ってゆく。促されて中に入ると、裸電球のスイッチを入れた。電球が杖をつくサスケの影をゆらゆらと壁に映し出している。部屋の中の天井の低い小さな部屋は家具らしい家具といえるものはベッドしかない。

サスケは杖を壁際に立てかけ、木製のベッドに身体を沈めるように座り込むと深い息をついた。

「疲れるんだろう、その脚じゃな」
「…もう慣れた」

隣に腰掛け、手を捕えたその途端、サスケの唇から小さな吐息が漏れた。

「アンタは左目を?」
「爆風で眼に機体の破片が入って失明したんだ」

サスケは左眼を不思議なものを見るように覗き込む。

「義眼がはいってるのか?」
「ガラスの眼球だよ」
「よく出来てる。本物に見える」

瞼に残る傷跡を愛おしむように指先を触れてきた。サスケがなぞる部分が焼き印のように熱い。

「…痛かったか?」
「眼の痛みはすぐ忘れた。心の方がずっと痛かったよ…、サスケを失って苦しかった。何度も死のうと思ってた」

ただ辛いだけの日々だった。友人の好意で回してもらった仕事が当たり、ハリウッドに新設したスタジオが成功し、映画女優との交際が噂になり、傍目からどれほど順風満帆に見えていたか分らないが、現実が華やかであればあるほど失ったものが心に重くのしかかり、胸に穴を穿たれるような苦しさにいつも苛まれた。

「オレの傷も見るか?」

サスケが目の前で黒い長袖のシャツの裾をめくって、左の上半身をはだけた。左上腕、背中の半分から腰にかけて大きく火傷の痕のケロイドが広がっている。

カカシは震える息を堪えてそっと背筋を撫ぜた。

「…熱かったろう…。かわいそうに…」

惨たらしく引き攣れた皮膚の上に丹念にキスの雨を降らせて抱き締めた。

「抱いてもいいか…?」

サスケと重ねてきた日々が、肌の温みが必要だった。





身体をベッドに横たえると、脱ぎかけたシャツを肩から外し、床の上に落とす。
胸の奥底から言い様のない熱い思いがつき上げて、何度も何度も唇を重ねた。

「…夢を見ているようだ…信じられない…」

吐息のように囁く言葉がサスケの脳裏に重複するように聴こえて来る。かつて何度この胸に抱かれ、この胸の中で眠ったことだろう。

「…思い出してきた…。アンタとオレは…」

小さなスタジオの照明や、現像液の匂いや、白いリネンの清潔なベッドルームが瞼の裏に浮かぶ。 声をあげて泣きたくなるように懐かしい、息が詰まるように切ない記憶の結ぼれが解けてゆく。

「…そうだ。オレとキミは家族のようだった」

手を探り当てて握りしめ、指先に口づける。指を絡め合わせ、額と額を合わせて目を瞑った。

裸の胸に手を載せるとブレスや心拍の高鳴りが肌を通して感じられる。
胸の先端を親指の腹で撫でたとき、サスケの口から微かな喘ぎが漏れ、うっすらと肌が粟立ったのにカカシは柔らかく微笑んだ。

「…左側のほうが好きだったね」

左側の乳首を口に含まれ、サスケは息を震わせた。舌先で薄く色付く突起をなぞったかと思えば、唇で啄むようにキスを落とす。焦れるような丁寧さで弄ばれ、唇から声が迸る。

「…カカシ…」

硬く尖った先端に甘く歯を立てられ、耐えかねたようにサスケはカカシの肩に指の先を喰いこませながら呟いた。

「何度もアンタはオレの夢に現れた…」

カカシはサスケの萎えた左脚を膝裏から抱え上げた。右と比べるとひと回り以上も太さが違うその脚がたまらなく愛しく感じられた。

「この左脚がお前のパーツの中で一番の贔屓だ」

内腿を探るようにキスを降らせてゆくと、サスケが躊躇うように口を開いた。

「カカシ…、アンタに言っておきたいことがある」
「…なんだ?」
「こんな身体じゃ男娼をやるか、阿片の密売人をやるくらいしか食ってゆく手立てがなかった」

サスケは顔を逸らせて視線を合わせない。

「バンコクでゲイの売春宿にいたこともあるぜ…。知ってるか? 肢体が不自由だと案外高い値段で買われるんだ。…初めて取らされた客に3Pで好き勝手に嬲られた後は熱が出て身体が動かなくなった」
「……」
「部屋で寝込んでたら、支配人から革のベルトで打たれて結局その日も客をとらされた。食事として与えられるのは毎日2杯の粥と豆を煮込んだものだけだった」
「…バンコクにはどのくらいいたんだ」
「半年だ。無理が祟って、客の腹の上に血を吐いた。結局解雇されて、精製した阿片の袋を積んだトラックの荷台でジャカルタへ送還された」

咳き込みながら粗末な亜麻布にくるまり、トラックの荷台に力無く高熱の身体を横たえるサスケの姿が瞼に浮かんだ。

「…あの頃から比べれば阿片の密売なんて楽な仕事だ」
「もういい、サスケ。もう何も言うな」
「…オレとアンタは住む世界が違う。もうアンタのところへは帰れない…」

サスケの目尻から涙がひと筋つたって流れる。

「バカ言うな。どんな思いでここまで来たと思ってる? 何が何でも連れて帰るさ」
「オレは今、汚い泥を啜って生きてる…」
「そんなことは関係ない。生きていてくれただけで充分だ」
「カカシ…」

額の髪を掻きあげ、濡れた顳かみを指で拭った。

「オレの人生に戻ってきてくれ、サスケ。お前がいない生活はもう耐えられない」

綿のパンツが下着ごと腰から太腿に向かって下げられてゆく。カカシの手が下の方へと移動して脚の間を包み込んだ瞬間、押し止めるようにサスケはカカシの腕を掴んだ。戸惑うような眼で見上げてくる。

「カカシ…昔のオレじゃない。事故のときに腰の骨を折った。今でも痛みがある。…身体を無理に曲げられない」
「無理にはしないよ…」 「多分、バックなら…大丈夫だ…」

語尾が上擦り、首筋が斑に紅く染まってゆくのを見て、その含羞に目眩がしそうになる。

「いいんだ、サスケ。こうして抱き合ってるだけで充分だ」
「そうじゃなくて、オレがそうしたい」
「サスケ…」

掌で頬を包みこむと、今日もう何度目になるかわからないキスを繰り返した。







カカシの唇が項から脊柱をひとつひとつをゆっくりと数えるように降りてきて、腰の辺りで止まった。

「なにか、湿すものはあるか?」
「…傷薬用だけどJAMUならある」

サスケがベッド脇の棚に手を伸ばして取りだしたのはジャムゥと呼ばれているインドネシアの伝統的な塗り油薬だった。蓋をとると南国の果物の香りが鼻孔をつく。

「それは傷の治療用だけど、精力剤のJAMUもあるらしいぜ」
「いいこと聞いた。明日買いに行くから売ってる店を教えて?」

とろりと水っぽい油薬をたっぷりと中指で掬いとり、中心の粘膜の襞に馴染ませるように塗り込んでゆく。

「サスケ?」

返事が返らないのに、顔を覗き込むとサスケがシーツを握りしめて瞳をきつく閉じていた。

「…感じてる?」
「…聞くな…」

指の第一関節を曲げるようにして内部を探ると熱い内壁がきゅっと収縮して締め付けてくる。
受けた愛撫のせいかわずかに震え、白い肌はますます紅潮して汗ばんでいた。

「我慢しないでいい…。抱き潰してしまいたくなる」

なおもしばらく抜き挿しを繰り返し、油薬が体温で温まったころを見計らうと腰骨に手をかけ、そこに屹立した昂りを押し当てた。

「…あぁ、ああっ…」

ゆっくりと分け入ってくる熱いものに耐えかねて、サスケの声にならない喘ぎが喉からあがる。身体が仰け反るように捩れようとするのをシーツに押え込み、狭窄なそこへ根元まで全部収めてしまうと、カカシは目を瞑じて静かに息を吐いた。額から流れる汗が雫となってサスケの背中に落ち、肩甲骨の下を滑って右脇に流れる。深く繋がった内部の熱さを自分の中心の脈打つものに絡みつくように感じながら、身体の下で息を荒げているのが鎮まるまで待った。

「辛くないか?」

肩で息をしているサスケの耳元に囁くと、かろうじて掠れた声が返ってくる。

「…少し。でも我慢できる…」
「オレもちょっと辛い。揺すっても平気?」
「ん…」

腰をゆっくりと突き動かすと二人分の重みを受け止めた木製の簡素なベッドがぎしり、と軋む音を響かせ始める。 やがて音は微かながらも、響く間隔が短いものへと変わっていった。









空が白み始める頃、糸が切れたようにサスケが無心に眠るのを眺めながら、カカシは折り重なるように凭れて微睡んでいた。若木のような背中や尻や脚を撫で続けながら、つらつらと眠りにつくこんな至福の瞬間は、他の誰かではありえなかった。











ガラスのポットに熱湯を注ぎ入れると、固く捩れた茶葉がゆったりと解けてゆく。透明な湯が深みのある金色に染まってゆくのを待つ、このささやかな時間がカカシは好きだった。

古い窓枠に縁取られた風景はこの世の果てのような荒れ果てたスラム街だが、今この部屋の中は懐かしく、長く探していた安寧に満たされていた。もうすぐ夜が明ける。あとしばらくもすれば清廉とした朝の光が差し込むだろう。

カカシは充分に温めたカップに美しい色の紅茶を注いだ。静かに、最後の一滴もポットに残さぬように。夏摘(セカンドフラッシュ)の紅茶独特の爽やかな香りが湯気とともに辺りに漂った。 カップを片手に部屋に運んでゆくと、シーツの海の中でうつ伏せに眠るサスケが眼に入る。ベッドの傍らに膝をつき、暫く安らかで無防備な寝顔を眺めていた。少し乱れた髪の中に指を潜り込ませるとゆっくりと梳いてみる。 遠くから歌うような柔らかな朝のコーランが聴こえ始めていた。

シャッターを切る音が小さな部屋の中に乾いた音を響かせて、サスケは重い瞼を開けた。毛布をたぐりよせて裸の胸に引き上げる。

「…アンタにそうやっていつも寝起きの写真を撮られた」
「サスケの微睡む顔が好きなんだ。満ち足りた気分になる」

構えたカメラを降ろしてベッドの角に腰を掛けた。前髪を掻き上げて、額に、瞼の上に鼻梁にと唇を落としてゆき、最後に唇を軽く触れ合わせた。サスケの身体には昨夜の情事の余韻が残されているようで、唇を離すとふうっと熱い吐息が漏れる。

「身体の奥にまだアンタが挟まってるみたいな気がする…」
「…そんなことを言って…。俺が恥ずかしくなるだろう…」

ついさっき身体を重ねたばかりだというのに、愛撫は飽くことがない。腕を回しあって、互いの隙間を残らず埋めるような抱擁を続けた。

「ずっと一日、ベッドの中でこうしていたいね」

熱っぽく潤んだ瞳を覗き込むと息継ぎのような笑みを漏らす。…夢のようだ、とカカシは小さく呟いた。

「昼飯はどこで食べる? ブランチをタムリン通りあたりで一緒に食べないか」
「いつも屋台(ワルン)で軽食を買ってきてここで食ってる。歩くのが億劫だからチャイナタウンからは出たことがない」
「オレの泊まってるホテルにおいで。美味いレストランがある。表通りからタクシーかバジャイに乗ればすぐだ」
「無理だ。昼過ぎにはナンディーが来るし、店を開けなきゃならない」

ナンディーというのは昨日窓口に座っていたマレー人の名前なのだろう。サスケがようやく半身を起こして、壁際に立てかけた杖に手を伸ばしたのを絡めとり、胸の中に引き戻した。
「嫌だよ。もう一瞬も離れていたくないんだ」
「駄々っ子かよ、いい大人のくせに…」

サスケが頬を紅潮させて抗議する。カカシはサスケの指先をしっかりと握り込んだ。

「…ねえ、サスケ、オーナーに会うにはどうしたらいい? 話をつけなきゃならないだろう?」
「カカシ…」

サスケの瞳が曇る。言いあぐねるように唇が動いた。

「…幇主が許す筈がない。相手は幇会…チャイナマフィアだぞ」
「諦めないよ。相手が鬼だろうが、マフィアだろうが…。お前は心配しなくていい。俺が談判するから」

サスケが動揺しているのは明らかで、幇主のことを口にした後は急に無口になった。

「事務所にファックスを送りにホテルに一旦帰るよ。またここへ戻って来る、そしたら一緒に何か食べに行こう」

不安気に口を噤んだサスケを宥めるように顳かみに口付け、顔にかかる黒い髪を丁寧に耳へかけた。









ホテルのファックスを借りて事務所宛にジャカルタでの滞在を延長する旨の文面を送信し、PCに届いていたメールを数件チェックした。すべて仕事のオファーの件で、事務的な返信を送っているとフロント係の従業員が届いていた手紙を持ってきてくれた。礼を言って受け取ると、1通はアスマからで、もう1通はアニタからのものだった。サスケを連れ帰り、再びサスケとの透明で静かな生活を切望する自分にはアニタの手紙を読む余裕がない。事務所にほど近い都心の一等地にある瀟洒な家を売却し、どこか気候の好い郊外に移住すること、大怪我の後遺症が深刻なサスケの身体を診せるための設備の整った病院を探すこと、その二つが帰国してからの急務だった。彼女から口汚く罵られるだろうことは想像にかたくない。婚約解消の件はいずれ弁護士を通してきちんと話をつけなければならないことだが、全て帰国してから片付ける話だった。とりあえずは出国だ。二年前の事故の行方不明者扱いとなっているだろうサスケの身元を証明する書類も整えなければならない。大使館への電話番号を押しながらカカシは封も切らないその手紙をそっとホテルの屑篭の中に捨てた。

髪から落ちる雫をタオルで拭いながら、サスケはひび割れた鏡の中の自分を見つめていた。胸の中央に、鎖骨の辺りに、首筋に、腕の内側に、紅い花びらを散らしたような痕が残されている。サスケは胸の中央に印されたそのひとつに指を触れた。身体の芯にはまだ甘く疼くような痛みが脈を打っている。

「夢じゃない…」

呟いたとき、呼び鈴が鳴った。時計を見上げると、あと十分ほどで正午だった。

(カカシか…?)

逸る心を押さえて急いで椅子にかけてあったシャツを被った。杖をつきながら階段を降りてゆき、深く疑うこともなくドアを開けた。

「…!」

思いがけず目の前に現れた人影の凄まじい威圧感にサスケは思わず後退りする。

「…サスケくん、久しぶりね」

慌てて閉めようとしたドアの隙間に、人物はすかさず靴の爪先を差し入れて来た。必死に片手でノブを引こうとするが、ドアは次第にこじ開けられてゆく。

「聞けば、昔の恋人が遥々探しにきたそうじゃないの」

唇を歪めるようにしてクッと低く笑ったのに、サスケは肌が粟立つのを感じた。
ひるんだ隙にバランスを崩して床に倒れ、杖が床に音を立てて転がった。

「…幇主様…」

幇主は屈み込んで金属の杖を拾い上げ、片手でサスケの顎を冷たい手で捉えた。その手がすっと降りてきて、長く伸ばした爪の先で首筋をなぞる。

「こんなところに痕までつけさせて…。夕べは何年ぶりかの逢瀬を楽しんだというわけ?」
「……」
「私から逃げられるとでも思っているの…?」
(撲たれる…!)

思った瞬間、固く目を瞑ると、金属の焼けるようないやな匂いが鼻をついた。
幇主の手の中で杖は中央から二つに折り曲げられていた。











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words by ロザリンド・フランチェスカッティ(Bisogno)














ROSSO

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