紅色が乾いた音をたてて落ちた。ふちだけ日焼けした頁におちた色に目を上げたサスケが指でかるく払えば、花びらは枯れていたのか砕けてしまい、指先をすこし汚した。

風もないのにどこから、と見れば目の前に花瓶があって、サスケは納得した。

アカデミーの図書室、数期前の卒業生が寄贈した記念品は、大きな樫材の机だった。不心得な後輩にボールペンやカッターで落書きされた机の窓際に一つずつ花瓶がのせられ、色つやのいい猫の毛並みに似た尾花をつけるススキと紅紫の小さな花をつけた萩の花が挿されていた。春の若緑ともちがう、うす緑の葉は子供の頬のようにやわらかだ。

閉館五分前だぞー、と司書がいうのにがたがたと生徒たちが立ち上がりだす。サスケも花びらの欠けらと紙魚をかるく吹いて飛ばし、頁をとじた。図書委員らしいアカデミー生が厚手のカーテンをまとめだせば、まだ赤みのない西日が書架の影をながながと伸ばした。

貸し出し手続きのため、背表紙の裏からカードをひきぬけば、確かにかたい用紙の上に三ヶ月ほど前の日付でチームメイトの名前が記してあった。彼女らしいきれいなピンク色で、すこしうすくなってしまっている。

なんとなく興味をひかれてカードに必要事項を記入しながら他の名前も見てみる。2週連続でかりたため、二つ並んでいるサスケの名前のうえに「春野サクラ」、あとはなんとなく見覚えのある名前が一つ、そこからいきなり五年程前の日付けにまで飛んでいた。

あまり借り手がいない本なのか、表裏それぞれ10個の記入欄がある両面書きのカードはすこしくたびれているのに、裏面にさしかかったところだ。鉛筆書きの名前はもうあまり見えなくなっているのもある。気をひかれて、ページをめくり初版の年を確めてみれば、もう十五年も前に出された本らしい。紙のふちは日焼けして黄ばんでいたが、中身は印字もはっきりしていたし落書きもなく、きれいだ。背表紙の糊もはがれず指があたるところが手垢じみていないのも、閲覧されること自体あまりないかららしかった。

昇降口でサンダルを履きながら、トラックがあるほかは砂場ぐらいのせまい校庭をみやった。ところどころに水溜りがあるのは、一時間ほど前にとおり雨があったからだ。 梅雨がながびいたせいか、今年の夏はいつも以上に去るのがはやかった。あわあわしい時雨がさったあとの空気に土の匂いがまじることもなく、かえって冴えたように感じる。空も遠く、もう涼しいとしか言いようがない。

アスレチックなどの施設はみんな近場の森で間にあわせているが、桜の木だけは校庭の壁際やとおりにでる坂道のわき、いたるところに植えられている。春になればけむるような花をつける桜並木も染まりだし、熱のない欝金色にぬれたアスファルトが照らされていた。西空にたなびく細い雲のふちがもう赤い。










夕べの星










数日前のことになる。
窓際の席に腰掛けたカカシがペンをキャップに戻すのをみて、三人の子供たちに緊張が走る。

アカデミー特別棟の二階、視聴覚室だ。めぼしい任務は上司の遅刻を待っている間にみんな他の班が持っていってしまい、その日一日演習に当てることになったのだ。

「上から94、72、40。はい、サクラ。ケアレスミスだけだね」
「はい」
「それからサスケ。おまえね、ちょっと甘いな。ちゃんと細かいところまで目を通すこと」
「……チィ」
「ナルト、お前は基礎からどうにかしろよ」
「う〜。アカデミーでてからもペーパーなんて聞いてないってば」
「言ってないから当たり前。それぞれ直したらもってこい」

渡されたプリントをつきあわせて三人が顔をしかめているのにカカシはどうしたもんかとため息をついた。実践の経験がつみかさなるのはいいとして、忍びの常識問題ばかりのテスト結果が思ったよりも悪い。

「サクラちゃん、教えて」
「あんたねえ、なんでこんな計算問題まちがうのよ。あれ……」

ナルトのプリントを覗きこんだサクラが首を傾げるのに、いつもの本を開きかけていたカカシは採点ミスでもしていただろうかと顔をあげる。

「ちょっとサスケ君の見せてもらえる?」
「ああ」
「どうしたのサクラちゃん」
「悪い、サクラ。おまえの解答すこし見ていいか?」
「うん、もちろん。ねえ、先生」
「なに?」

下向いたままサクラが呼ぶのに、カカシはのそりと椅子から立ち上がって近づく。

「ここ、ナルトの印刷ミスじゃないかと思うの」
「ありゃ、気づかなかった。えーと、そうすると」
「プラス?」
「みんな五点減点かな?」

カカシの言葉にもしかしてラッキーか、と顔を輝かせていたナルトの目がいっきに細められた。サクラとサスケも五点ずつ、と聞いて表情がすこし曇る。

「えー?何で引くんだってばよ」
「そこは無かったことにして、九十五点満点にしようかなって。でもナルトの答案ちょっと貸して」

カカシはポーチから出したペンで印字ミスをなおしてからナルトにプリントを手渡す。

「ナルト、これで解けたらみんな減点しないでやるし、おまえに正解分の五点やるよ。サスケ、おまえ大問三の問二わかった?」
「水の国の農産物一位は米、麦、それから大豆。ただし火の国にくらべて米の比率が高い、たしか」
「たしか、じゃない。ちゃんと覚えろ。木の葉も米が主食で麦、大豆の順番だけど、水の国の場合、米の自給率は100パーセントを超える。他国に輸出できるぐらいだからな。順番だけじゃなくてちゃんと比率のわかる円グラフも覚えること。ナルト、出来た?」
「う〜、ちょっと待って」

みんなの減点がかかってることに奮起したのか、いつも問題を解いてる最中によそみをしたりラクガキをしたりするナルトにしては真剣に取り組んでいる。カカシはすこし目を細めて見ていた。

「先生、わたしの見てもらえる」
「はいはい。サクラのは最初から写し間違いだからね。はい。昼休みにしていいぞ」
「はーい。サスケ君がんばってね、ナルトも」

手渡された解答とプリントをまとめてちゃんとファイルにいれたサクラは、手を洗いにでも行くのか後ろのドアから廊下に出て行った。

「おい」
「ああ、はいはい」

後ろの席にすわっていたサスケがたちあがり、カカシのいる机の前まで歩いてくる。赤ペンを片手にカカシはプリントに視線を走らせた。サスケの字はあまり筆圧が高くなく、細かいのですこし見辛い。

「お前ね、教科書レベルの基礎で間違いはほとんどないんだから、甘いところだけ穴埋めしな」
「わかった」
「ま、女の子は暗記もの得意だしね。資料が欲しいんだったら、そうだな」

カカシが答案の隅に何冊かの本の名前を書き加えていく。

「ざっと目を通すだけでもちがうよ。ぜんぶアカデミーにあると思うし」
「……」
「はい、じゃあお前も昼休み」

黙ったままの黒目がプリントをじっと見ている。解答を見て、自分の回答も見比べていた。

「どっかおかしい?」
「いや」
「イルカ先生がくれた奴だからあってると思うんだけど」
「……」
「……いきなり真面目だからおかしいと思ってたんだってばよ……」

サスケの眉間に皺がより、がりがりと鉛筆を動かしていたナルトまで白い目で見るが、当然カカシにこたえるはずもないのだ。

「ナルト、できたか?」
「ま、まだ」
「できなかったらお前だけ昼休みなしだぞ〜」
「ぅう」

その横でサスケがお昼を食べだしたのに、ナルトの腹がぐうと鳴った。見越したようにカカシの声がかかる。

「弁当もナシ。午後からは演習だからな」
「ぅう、絶対解く!」








「だからねー、予備動作が大きいっていってるの。お前の場合、踏み出すときに一拍があるんだよ。右に行くなら軸足になる左足に体重をかけるのが一目瞭然なわけ。だから」

サスケの右上段蹴りをカカシは片腕で受け止める。
ナルトとサクラはぽかんと口を開け、動きを追うので精一杯だ。

「よ、予備動作ってサクラちゃん見える?」
「わ……かんないわよ。サスケ君、踏み込み早いんだもん」
「右だろ、左、右。こら、ナルト、サクラ、他人事だと思ってんじゃないぞ、ちゃんと見てろー?はい、左だろ」
「……ッ」

左の回し蹴りも脛のかたいところで受け止められ、サスケは小さく息をつめて、後方に飛ぶ。

「体勢を立て直すために一回後ろに下がって、着地。お前、すごい早いし、型も奇麗だよ。でも予測してる俺とかが相手の場合」

だん、と着地寸前を狙って低く踏み込まれ、とっさにサスケは下からの打撃を警戒して両腕を交差させる。あったままの右目がふと笑いに細められた。カカシが両手を土につける。しまった。

「ざーんねん、足払い」
「……チィ!」
飛んで避けようにも、憎らしいほどぴたりとあわせてきたのは、着地するそのタイミングだ。がくんと崩れた体勢を無理に立て直さず、サスケは土に手をつけ側転をしてはなれる。そのまま、トンボを切って、木の枝に上った。

「そう、このタイミングで間合いを取るのは大事だな。得点5。ところでそっちは?」
「……!?」
「隠形のとき風下になるのは大事だけど、見つかってから風上をとるのは基礎中の基礎だろ」

カカシの手からなにやら粉末のようなものが落ちて、白い煙が空気に漂う。サスケは慌てて口と鼻を覆った。

「これはただの小麦粉。だけど痺れ薬とか幻術用のとか応用はいろいろあるから、下手に風下にならないよう気をつけること。まあ心構えだけでけっこう違うもんだけどな。まあ自分でするときはいうまでもないけど、風向きには気をつける。減点1」
「……くそ」
「じゃ、一旦からだ動かすの止めるぞ。サスケ、降りておいで」

呼びかけにサスケはざっと枝を鳴らして降り立った。カカシはナルトとサクラに手招きをする。

「基本姿勢は覚えてる?ナルトもサクラもおいで。いっしょにやりな」
「両足を肩幅に広げて立って、すこし前後にずらす。体重は右左とも均等。膝は屈める」

サスケがやって見せるのにカカシも同じ姿勢をとる。はしりよったナルトとサクラも同じ姿勢をとった。

「そう。なるべくなら体は前後に細かく揺らしておく。こう言うのって呼吸だろ。サクラ、心得は」
「相手に合わせて自らの呼吸を守ること、相手の乱れをつくこと、相手の乱れを誘うこと、でしょ」
「よく覚えてる。人間っていうのはな、意外に単純だし慣れやすい。たとえば俺がひたすらガードの上から右の攻撃を繰り返すだろ、延々。最初は相手も左を警戒しているんだけどな、だんだん左のガードがおろそかになる奴はけっこう多い。そこで左から攻撃すると、これがあっさり決まったりするんだな。いちばん単純な呼吸の変則の話だ」
「へえ〜」












「……つまんない?」
「なにがだ」

アームウォーマーをはずし、シャツの袖口を肩までまくりあげて腕を洗っていたサスケは、さした影に目も上げずに答えた。

「や、演習」
「なんでだ」
「だってさ、お前らいつももっと派手な任務、とかいうじゃない」
「ああ、そうだな」

さくりと肯定されてカカシは口布の下で口元を歪めた。あっさりと言われるとかなり辛い。モチベーションを下げると作業効率が悪くなる、つまり集中しないことになり、不注意がふえる。不注意がふえると怪我することにもなりかねない。いろいろ、カカシも初心者なりに考えているのだ。どうしたもんかと頭を掻きながら溜め息をついた。

「でもアンタが必要だと考えてしてるんだろう」
「そうだけど」
「だったらそれでいいだろ」

この子相手の会話は最低限どころにも到達しないで終るからカカシは困る。

「それでいいだろって」
「ガキのお守じゃないだろ、アンタは」

ぴしゃりといわれた科白をよく噛み砕いてみる。暗に機嫌伺いをする必要はないといってるのか、とカカシは目を瞬いた。

「……厳しいけどさ、厳しいけど。それって励ましなのかな」

じわじわと笑いながら言った瞬間、サスケはなにやら嫌いな食べ物を鼻先に突きつけられた犬のような表情になる。心外極まりないというような。

「んな訳ねえだろ」
「あ、そ」

口調が自然に浮ついてしまったのは愛嬌で許して欲しい。

「でもなんで今さら基礎なんだ」

問いかけにまあやっぱり不満ではあるのか、とカカシはすこし笑った。年相応で悪くない。

「理由聞きたい?」
「ああ」
「おまえらってアカデミー卒業して何ヶ月ぐらい?」
「だいたい、半年だな」
「仕事のノウハウとかわかってくるだろ。CDランクの任務でも物足りないって思うだろ。いわゆる慣れなんだよな。慣れるとだんだん変な癖とかつくんだよ。あるタイミングになったとき、攻撃するときに右を選ぶか、左を選ぶか好みが固まる」

無言で先をうながされカカシはさらに言葉を続けた。

「アカデミーでの手合わせでもあっただろ、こいつには好きな攻撃のパターンがあるって、だからこっちに避ければいいって。そういう癖って、長い間やるほど修正きかなくなるし、とっさの時に体が動かないもんだから、一定期間を取って基本に帰るのは必要かなと思ったんだよ。以上、説明おわりなんですが、なにかご質問は?」
「ない」
「あ、そ」

もうちょっと愛想ってもんはないのかね、と思ったところでナルトが叫ぶ声が聞こえた。

「あー!カカシ先生ってばまたサスケひいき―!!……ぅお!」

バカなこと言ってんじゃないわよ、とサクラの肘鉄がナルトの腹部にめり込んだ。わざとらしく飛ぶナルトに、カカシとサスケは目を丸くする。

「先生、これで解散?」
「ん」

カカシが答えようとしたときにはサクラはもうサスケのほうを向いてしまっていて、カカシは口をつぐんだ。サスケは午前中カカシが渡した本の題名を見ている。手裏剣ホルスターのあたりに下がったサクラの手が、きゅっと握られるのに、カカシは目を細めた。

「その本、わたしも読んだよ」
「そうか」

さくりと話が終了し、サクラは目に見えておろおろとする。サクラの眉尻はこまったように下がり、ぴりぴりとした緊張が伝染してくる。だがサスケにはどうしようもないのだ。どんなスタンスでいればいいかなんて判らない。

「うー、昼飯もどしそうだってばよ」

よろよろ、とわざとらしいナルトの声にサクラの顔がすこし安堵した。たわんでいた枝がしなって戻るように白い手がナルトの頭にすぱんと当たる。けれど手加減しているのは音でわかった。

「きたないこと言わないでよ、お茶は?」
「さっき全部飲んじった」
「じゃあ、あたしの上げる。汚いから吐かないでね」

ポーチのうしろから竹筒をさしだされて、ナルトは何回も頷いた。がしっと黄色くなった竹筒を支える。か、の形に口が開いたところでサクラが悲鳴をあげて引ったくった。

「だめ、だめよ!ナルトと関節キスなんて……い・や・よー!」

おお、言いきった。と、カカシがのんびりともらすのに、次を予測したサスケの肩に少し緊張が走る。他人事だとわらいやがって。サクラは自分の叫びで調子がでてきたのか、とてもカッコいい顔でサスケにふりむき、笑った。

「サスケ君ノドかわかない?」
「いや、いらん」

五文字で一刀両断されて、サクラが肩を落とす。けれどサスケにとっては、ナルトやカカシがいるときのサクラの方が対処しやすくて楽だ。サクラも楽なのではないのか、と思う。いまも横合いから口出ししたナルトにおこりながら、それでもどこか楽そうにのびのびとしていた。

頁に視線を落としたところでカカシが音もなく立ち上がった。じゃれていたナルトとサクラ、そしてサスケも視線を上げる。

「復習は各自ですること。集合は定時。ハイ、解散」

定時になんか来ないくせに、という三人の呟きは例によって例のごとく無視された。












夕方の帰り道、すこし街から離れた場所で演習をしていたせいか、四人で歩いていた。もう日が傾いて本はよむには暗いだろうに、カカシはいつもの本をめくりながら三人の後ろを歩いている。

「サクラちゃんも読んだの?」
「うん、読んだわよ」
「サスケ、お前も?」
「これから借りる」
「おもしろい?オレ文字あんま得意じゃねえんだけど」

サクラがそうねえ、それなりにおもしろかったわよ、と言うのにナルトは目を細め頭の後ろで手を組んだ。サスケ君は、と話をふってくるのに、あいまいに頷いた。まだナルトが悩んでいるのに、サスケはにえきらねえ野郎だと鼻を鳴らす。こういうのは得意だった。

「だからいつまでたっても頭が悪いんだろうが」
「………読む」

読む読む読むったらぜってえ読む!と叫ぶのに、サクラが無理すんじゃないわよ、バカ、と爆弾を落とし、さらにナルトに火をつけた。

「だったらサスケ、テメエとっとと読んでこいよ、オレが即行かりてやる!」

びしっと指差してくるのにサスケは眉をしかめ、フンといつもどおり一蹴した。心底あきれかえった態度にナルトが食って掛かろうとすれば、服の首根っこをつかまれる。

ナルトが何事かとふりかえれば、カカシだった。右目をナルトから右に、右から左へと流し、にこりと右目だけでわらう。

「じゃ、俺は報告に行くから、お前ら気をつけて帰れよ。サクラ、ほどほどにな」

ぼふん、と上司が消えたあと、ナルトの目の前、こめかみに血管を浮かべたサクラが壁の張り紙を指差していた。

『図書室ではお静かに』
「……ハイ」








「え?」
「いいか、お前、この間五冊本かりてってまだ返してないだろうが。ひとり一回五冊までが約束なんだ」
「え〜……」

司書が古びてボロボロになったノートをペン先で叩いた。そこには明らかにナルトの文字で名前が記されている上、返却確認のハンコがまだ押されていなかった。机の上につっぷしたナルトにサクラがため息をつき、ちらりと自分のカードをのぞきこむ。しかしノートにはサクラの名前もあって、無理だ。

サスケはため息をつく。

「ウスラトンカチが」
「なんだとぉ!」
「ここでうるさくすんなって、いってるでしょうが!」

窓の外、西の空ひくく宵の明星が瞬いていた。
















「夕べの星」/カカシサスケ





宵の明星は9月末だったり。
とりとめもなく秋色に。
続きます。
「円かの月」へ













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