―――この心は棄てられない。


















1 帰郷


風が鳴るたび風車が軽らかに音をたてた。街道脇、ふるさびた地蔵堂の影で小休止していた男は近づく行列に水筒の栓をしめながら頭をめぐらせた。

春めいて際をかすませる夕空に白布がひるがえる。青らむ水底の草のように風を孕みはたはたとひるがえっていた。

先遣りの子供の手から惜し気もなく花がまきちらされる。ようよう日暮れが遅くなりだした浅い春によくもこれだけ、とおもう。続く黒衣の女が打ちふる鈴音によりそい声明がわきあがった。うすらいだ光りのなか波のようにいつ途切れるともしれない声が韻韻と行く。のそりとたちあがった彼は通りすぎる老爺のかかえる鉢に懐からだした金子を落としこんだ。

揃いの黒衣、跣でゆく列の真中、男衆にかつがれた小さな白木の柩が見えた。屍はすぐさま火によって焼かれる、あるいは使役する獣に食われる男にとっては縁のない話だった。からからと風車が赤に青に回っていた。

白い布帛をひるがえす葬列をしばらく見送っていた男は、行く手をまた見た。





ばちんと爆ぜる音に門衛は転寝から醒めた。くるまった毛布をかきあわせて、結露した窓をすこしぬぐって空を見あげればさむざむと星が瞬いていた。月は天頂にさしかかっている。

寒さはだいぶん緩み、花もちらほらと見え出したが、まったく火の気なしで夜どおし過ごすのはまだ辛かった。バケツにはいった石炭をストーブの口にざらざらと入れ、火箸でかき回せば赤い火が強くなって心なしか温かい。薬缶に汲みおきの水を足し、お茶を入れることにした。夜食はもっているが不寝番は長いのだ。

携帯用の酒瓶からブランデーを落としこんで啜れば、茶碗に半分ほど飲んだぐらいで体が温まってくる。今夜も異常はなさそうだ。夜明けになり、大門を開いてから彼は眠りにつく。明日の休みをはさみ週明けから彼が所属する小隊は門衛ではなく外地への任務が割り当てられるだろう。子供たちへの土産はなににしてやろうかと考えながら彼がうつらうつらとしていると、カツカツとドアが外から叩かれた。

小窓をあければ、外套をまとった男が一人立っている。夜目にも明らかな旅塵にまみれた服装といい、猫背がいかにもくたびれていた。

「夜分に申し訳ない。通して頂けませんか」
「こちらなら一里ほど先に宿場町があったでしょうに」

はやく帰りたかったもので、とのんきな声をさせた男は笑ったようだ。通行証をみせてくれと言うと、すいとしめされたのが銀色の鉢金。まぎれもない木の葉隠れの印がある。

「任務明けですか?お一人で」
「急げとせかされましてね。俺だけ別行動です」
「ご苦労様です」

小部屋からでた門衛が鍵束をさしこみ、木戸を開けると男はどうもと身をかがめ、外套の頭巾を後ろに流しやった。あらわになった色のない髪、隻眼と顔の半ばまでおおう覆面をみて、これが写輪眼の、と門衛は二つ名を思い出す。だが左目は眼帯で覆われていて見ることはかなわない。

「おつとめご苦労様です。あー、暖かいですね」

お茶でもどうですか、といってもやんわりと辞退される。それでは、とぺこりと頭をさげた男は窮屈そうに木戸から抜けでた。さむい、とどこか抜けた口調でいったきり、あとは白煙が残るだけ。仮にも同じ忍びでありながら、と気配を追えもしなかった門衛はため息をつき、おそらく彼が向かったであろう里の中央部、いまは黒々と夜空の底を切り取る火影岩のほうを見て目を細めた。

任務の話をききたがる子供が聞けば目を輝かすにちがいないと思ったが、しいていえば捉えどころがない、あんまり印象のうすい男だった。









「入りな」

短い答えに入ります、といったカカシは両開きの扉の片方をずらし、入室した。執務机に山積した書類に肘をついた里長が早かったじゃないか、というのに、疲れましたよ、と答える。

「かけるがいい。ご苦労だった」
「どうも」

顎でしゃくられるまま応接用の椅子に腰かければごきごきと首を鳴らしたツナデはシズネに「茶を入れな」と声をかけ、カカシと向かい合うようにして座る。後ろのほうで水を使う音がきこえてきた。

「めずらしいですね、五代目。残業ですか」
「サボっていく予定だった徹マンがつぶれただけですよ」
「余計なことをいうんじゃないよ、シズネ」

どん、とこぶしで叩いた拍子に書類がなだれを起こしかけ、ツナデはあたふたと書類を支えた。

「あ、どーも」

白い手にさしだされた茶椀をうけとって、ようやく人心地ついた。

「波の国はどうだった?」
「雨がちょうど終わったところで、よく晴れてましたよ。日焼けしました」
「そうか」
「そうか、ってどこがだとか聞いてくださいよ、つまんないなあ」
「うるさいね。とっとと報告しな」

右手をさしだしたツナデに意を汲みとったシズネがファイルを手渡すのを見ながらカカシはため息をつく。

「波の国の動向なんて諜報部から来てるでしょう、俺つかれてるんですよ」
「お前にどうだったかって聞いてるんだよ、若造。確かあんた五年前も行ったそうじゃないか。霧隠れの抜け忍とやりあったんだろ」

がん、と蹴られた机が脛にあたる寸前で止まるのに怖いなあ、と茶椀に口をつけ、喉をしめらせたカカシはぽつぽつと話し出す。

「人出はまったく比較になりませんね」
「そりゃ、あそこはなにもなけりゃ南海への出口だ、あたりまえだろ」
「海から橋から、すごいもんでしたよ。船の数も増えてます。あたらしい港もつくるみたいですしね」

足を組んでいたツナデはカカシの発言にすこし身を乗り出す。

「初耳だね」
「計画段階だそうですから、まだなんとも」

肩をすくめたカカシにツナデはしばらく黙考し、口を開いた。

「霧はどうだい」
「霧の連中はちらほら見かけましたね、とくになんの動きがあるといった感じでもないですが」
「関税は下げられるわ、通行税もさげざるを得ないわできりきりしてるんだろうね」
「先の大戦で雨と火の間で線引きをしたっていっても、まあ百年もたってないですし」
「そうか。――以上かい?」
「俺は諜報専門じゃないんで。詳しいことはみんな報告書まちですよ」

なんだ、意外につかえないね、といった里長にカカシはマスクのしたで口をへの字にする。

「いったい、なんなんです。こんな子供の使いみたいな報告させて」
「自来也の奴がとびまわってるのにあたしが札場にもいけないのはつまんないじゃないか」
「取材旅行だそうじゃないですか」
「エロ本のかい」

じろりと見られればあいまいに笑うしか出来ない。

「八つ当たりはやめてくださいよ」
「乱用しない職権なんかいらないね」

よく意味のわからない言葉をはいたツナデはごきりと肩を鳴らすと立ち上がった。しっしと犬の子でも追い払うように手を振る。

「ごくろうだったね。下がりな。明日は休みにしてやったぞ。―――目を覚ましたそうだ」

見舞いにもいきやすいだろうよ、と言った里長に笑いは顔面に張りついた。任地にあっても里の動向は知れるようになっているから、知ってはいた。

「よけいなお世話ですよ」

掛け値なしの本音だった。









一ヶ月ぶりになる帰宅に、ドアをあければすこし埃くさい。ベランダに出しっぱなしになっていた植木をとりこみ、窓をあけると夜風が入った。浴槽の埃をあらいながしてからお湯を張り、標準装備のベストを脱ぎ落とす。

留守録のボタンが点滅してるのを押せば、数件のメッセージが再生されだした。

あ、いないんだ、という独り言めいた言いだしから始まったメッセージは、喜びよりもむしろどこか緊張が混じっていた。

『――先生?いないみたいなので、伝言、のこします』

先生、こんにちは。サクラです。――サスケ君が起きました。面会時間は三十分ぐらいです。私は毎週土曜日に行っているので、今度ナルトと一緒にお見舞いに行きませんか。私のほうで誘っておくから。電話、聞いたら折り返し連絡ください。待ってます。

ピー、と短い電子音がなり、テープが捲き戻る音が響いた。




















「焼けない心臓 1」/カカシサスケ







焼けない心臓 2






back