血に濡れた手で仲間の首に刺さったクナイを引き抜き、認識票を胸元からぬきとって立ち上がる。けものの声がする。血のにおいに引かれてすぐにやってくるにちがいない。ここから離れなければ。

一瞬だったはずだ。

死にたくない、と小さな声でうめいていた声を一生忘れない。首からぶら下がった認識票を手にとる。うすっぺらな鉄の表面にうつりこむ顔がゆがんだ。三人組六単位編成の中隊の残りが一桁、なんてことだ。三つもある。右足をひきずり、よろめきながら森を歩いていたカカシは大木の根元に倒れこんだ。なんとか腕の力だけで上体をもちあげ、幹によりかかった。これ以上うごくとまずい。

暗色の下衣を膝下からいっきに切り裂く。

青黒く腫れあがる右足、含み針でうたれた毒が血の流れと一緒にまわってくるのがわかる。拍動のたびに骨の芯まで叩くような痛みはひどい。体の芯はひえびえとして震えていても、にじみだすいやな汗がある。

瀉血するしかなかった。

包帯代わりのさらしをきつく太ももの付け根に巻くとクナイを下にさしこんで大きく捻り、即席の止血帯ををつくる。肉と布をまきこんで締め上げたため、するどい痛みはあるが表層のことなどどうでもいい、重たくにぶく毒が回ることのほうが怖い。さらにきつく締め上げると、口ともう一方の手とでぬめる手のひらでクナイを巻きつけた。刃に薬油を塗りつけ、震える手で腱にさわらないよう傷口を切開する。止血帯を緩めると、驚くほどの勢いで血が流れ出した。

血だまりがだいぶ広がるのを見てから止血帯をきつくする。一定時間でゆるめていかないと、血の流れが滞って足が腐る。朦朧としながら鉄剤とさいごの兵糧丸とを噛み砕き、ぼんやりと木々の間からみえる空を眺めていた。暮色に雲がひろがりだしている。この夜を越えることができるかどうか。

雨呼ばいの蛙が森のどこかで鳴いていた。

どれぐらい時間がたったのだろう。右足の痺れはとれない。 ひそやかに消された気配、ときおり獣の声をよそおってささやき交わされるみじかい合図、近づく足音に警戒をつよめたカカシは低木や細い若枝を鋼糸でしばりつくった雨よけに手がかかった瞬間、うごいた。

「カカシ」

振りかざした刃は、手首をつかまれて止められた。
夜にみえるはずもない、太陽の色をした髪。

「けものの巣みたいだね、うまくできてる」
「……先生」
「斥候からきいて、急いだのだけど」

首からぶら下がった三つの認識票を一瞥ししただけで了解したのだろう。すこし雨滴にぬれた金髪からのぞく凪いだ海のように青い眼をすがめた彼はうなだれた少年の頭をかるく撫でた。

「何人、生きてる?」
「さいごに見たのは日暮れ前、オレをいれて八人」
「そうか。よく、生きてた」

そわりと彼の後ろ夜の闇からぽつぽつと湧きだした白い面がいくつも葉ずれの音だけを立てカカシの横をとおりすぎる。とん、とひとりが軽くカカシの肩を叩くのに視線をやった。見間違えようのない親しんだ背中はあっというまに森の闇に呑まれる。かつての師は、行くといって聞かなかったんだ、とすこし笑った。

「さあ、帰ろうか」

この戦線は遠からず木の葉が凱歌をあげるにちがいなかった。










2、けものの眼








酸素吸入器から流れこむ空気は水蒸気を混ぜられていても粉っぽく、喉の奥から確実に水分を奪っていった。ベッドの斜め上に設置された酸素吸入器のわきにとりつけられたボトルの中で水が泡立っている。乾燥し体力が落ち抵抗力もさがっているために口内は炎症を起こしてしろっぽく爛れ、渇きに似たひりつきがただただ酷かった。

白く霞んだままの視界にうごく影が酸素マスクをずらし、スポイトをあてがう。むせそうになりながらも飲み干した水はひどく甘く、離れる手を掴めばその人はたじろいだようだった。何度か水をもらううちにまた瞼が重くなり、意識が遠ざかる。

周りの気配がざわざわとしている。濡れたタオルで顔を拭かれ、体を拭かれた。そのたびよびかける声が聞こえたが、ぶあつい半透明の膜が目に体にまつわるようでさえぎられ答えることは出来なかった。

息ぐるしさにマスクをずらすと冷えた清新な空気が肺腑をみたし、意識の曇りがわずかに晴れる。だが胸と腹が痙攣し、つよく何度も咳きこんだ。ぴりぴりと喉を焼く痛みと息苦しさに涙が浮かび、えずくように咳きこむ。ただそれだけのことで息があがった。みあげた視界に穴のあいた天井がうつった。

「うちは、サスケさん?」

呼びかけに今度こそサスケは目覚めた。





昇降機のドアに肩をぶつけながら、片足をひきずり廊下を走ってくる。まだギプスをはめてるくせに頓着もしない。あんな歩き方をしたら、かばった足のほうが駄目になってしまうではないか。小さく口の中でバカ、とつぶやいたサクラをすこし肩を上下させたナルトはまっすぐ見下ろした。

「今は面会時間じゃないから、ごはんでも食べて待ってよう。カカシ先生にはわたしが連絡入れておいたから」
「医者は、なんて言ってた?」
「リハビリにすこしかかるかも知れないけど、怪我自体はもう治ってるから、大丈夫だって」

そっか、と長いため息を吐いて言ったナルトはいまさら疲れたように壁に右肩をぶつけ、寄りかかった。サクラは買っておいたパックのオレンジジュースを差し出す。すこし驚いたナルトの顔がかがやいたのに、つられてサクラも笑った。

「あげる」
「センキュー、サクラちゃん。うえ、足いてえよ、サスケの野郎」

瞬く間に呑み切ったナルトはぐしゃりと手の中でパックをつぶし、クズ籠になげた。だがふちにあたった紙パックは軽い音をてて転がる。サクラがあるきだすより前にナルトは松葉杖から手を離し、ひょこ、とまっしろな壁に手をついてびっこをひきながら拾いにいってしまった。背中に窓からさしこんだ木漏れ日がくだけている。

「ナルト」
「なーにー?」
「ありがとうね」

ゆったりとニど瞬きをした影が頬にひらめく。ゴミを拾うためにしゃがんだナルトは、へへ、ごめんと口元だけで小さく笑った。髪の毛をゴミを持ってないほうの手でぐしゃぐしゃとかき回し、両膝の間に顔を伏せた。次に聞こえた声は潤んでいた。

「……先生とかアイツには、いわないでー」
「……」
「いま、今だけ、三秒だけだから。ないしょ。おねがい、サクラちゃん」
「……嬉し涙はいいんでしょ?」

もう一度、ありがとうと雨のようにやさしく降ってきた言葉に頷いて今度こそナルトは唇を震わせて泣いた。サクラのハンカチが冷たくなるまで泣いた。サクラの笑顔にはじめてサスケが帰ってきたんだと実感し、五年間、痛みっぱなしだった傷がすこしだけ浅くなったのを感じて泣いた。

「……ハンカチ、いいにおいがする」
「そう?」
「サクラちゃん、やっぱすげー好き」
「バカ」
「へへ、まじで好き―」

サクラはやっぱり潤んだ声でバカとしか言わなかった。

カカシが来たのは病院付属のちいさな喫茶スペースで軽食を二人が終えた頃だった。ロビーの奥、昼休みで係員のほとんどが席をはずしている受付に歩み寄る猫背をガラス越しにナルトが見つけた。

ぶんぶんと手を振るのに気が付いたのだろう、一言ふたこと、係員とはなしたカカシはひょいと右手をあげ、こっちに歩み寄ってきた。

「なんかひさしぶりだな、おまえら」
「おかえりなさい、先生」
「ご苦労さんだってばよ」
「あのね、ごくろうさんっていうのは目上の人に使うもんじゃないんだよ。この場合はお疲れ様」

そうなの、といったナルトはカカシ先生が先生らしいこといってるってばよ、と白い歯を咲かせるように笑った。

「面会時間までまだちょっとあるんだって?」
「そう。先生もなにか飲む?コーヒーとかぐらいしかないけど」
「じゃあそれで」
「オレやるよ、サクラちゃん」
「けが人がバカ言わないでよ」

立ち上がったサクラの好意をありがたく受け取り、カカシはナルトの横に腰をおろした。

「意外に元気そうじゃない」
「そりゃ。先生こそ元気かよ」
「任務明けでへろへろだよー。睡眠二時間。夢見悪いし」

眼がしょぼしょぼする、と目頭を押さえるのをじっとみていたナルトは首をかしげた。

「せんせー、日焼けした?」
「…俺はおまえのそういうとこ、好きだねー。なのになーんで駄目かね」

なにが、と首をかしげたナルトはカカシの視線を追って、べつにいーの!と唇を尖らせた。

「なんの話?はい、コーヒー。ブラックでよかった?」

手渡されるカップとソーサーをうけとりながらカカシはサクラに笑うだけだ。

「いんや、きれいになったねーって」
「…褒めてもなんも出ないからね」

なんだかあからさまに胡散臭がられてカカシは苦笑だ。でも口元あたりにはにかみがにじむ、すれてなくてやっぱりサクラはかわいいと思う。勝気なくせに妙なところで自信がなくて、でもやっぱり真面目でしっかりしてるのがサクラだ。もしかしてナルトはそれがいいのかなあ、なんてことを考えた。

(いまでも、好きなのかな)

よごれた机を布巾でふいているサクラの顔を見ながらあの日涙をいっぱいに浮かべた碧色の眼を思い出す。ありがとうなんて言って欲しくなかったと泣いていたサクラに自分はしょうがないと繰り返すだけだった。

酸味のあるコーヒーを口に含みながら、妙にはやる心を押さえた。あの傷ついたライオンの子供みたいだった彼は今どうなってるだろう。すこしコーヒーは苦い。

よかれ悪しかれ、自分は見届けるためにきたのだ。
彼の処遇がどうなるにしろ、『写輪眼のカカシ』がかかわらずにはおれないだろうから。





身分証明をし、ノートに氏名を書いてから隔離された病棟に入る。看護士がなにかをとりに行くのだろう、病室のドアが開いた。なんとなく居心地わるそうにたっているカカシたちをみて、頭を下げる。それからサクラを見た。

「すこしお熱がでてますので、あまり長くはお話しないでくださいね」
「何度ぐらいですか?」
「微熱ですよ。三十六度九分ぐらい。でももう、マスクはとれてますから」

覗きこんだ病室には、天井から格子がさがりベッドのある側とを隔てていた。かがみこんでレバーをまわし、ベッドの高さや背もたれの角度を調整していた看護師がたちあがり膝をはらった。鉄格子の中をのぞきこみながら、こちらに手を、という。シーツの上になげだしていた手をもちあげ、彼はといかけるように看護師を見た。

困ったように眉根を寄せた彼女は口早に規則ですから、と言いながらしろい制服のポケットから手錠を取り出した。

「両手をこちらに」

面差しは古びた写真よりそげていたし、頬から顎の線も精悍さをおびだしている。病み上がりのせいか、体つきは細かったが筋肉は十分にあるのだろう、浴衣の襟元からつづく肩の線はしっかりと厚みがある。熱のためか顔色は赤みを帯びてずいぶんとよく見えた。

袖口から伸びた手首が格子のむこうから無造作によこされる。すこし動きはにぶかったし震えてもいたが動作にためらいはなかった。

ちりっと火花のようにサクラの緊張がカカシに伝染してくる。頭ごなしの拘束に抵抗もなく疑問もない、それは傷をおって囚われた獣のしずけさに見える。

かちりと手錠が嵌ると同時、鉄格子のむこうで伏せられていた黒眸があがり、ドアそばに立ち尽くす三人をみる。

三人の輪郭をなでる視線は鏡面のように色がない。

むかし傷の痛みにしゃがみこむことさえ自分自身に許してやれなかったあの子供ではない。地に伏せてながく時をまつことをしっている。まぎれもなく五年前にすがたを消し十七をむかえたうちはサスケの姿だった。




















「焼けない心臓 2」/カカシサスケ







ね、捏造しすぎてすみません…。



焼けない心臓 1
焼けない心臓 3






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