「イタイイタイイタイ痛いってばよサクラちゃん!」

もうちっと優しくして!と涙目でいうナルトの傷口に手をあてたサクラはため息をつく。静かにしなさい、とカーテンが半分とじたサスケのベッドを見やった。

「傷口もふさがってないのに、無茶なことやって、自業自得でしょうがバカ」
「うう、でも止血剤のんだってばよ」
「自慢になるか!」

叱られた犬のようにしおしおとうな垂れたナルトは、ぼんやりとひかるサクラの白い手からつたわってくる温かさに目を細める。風呂にはいっているような、深いため息がでた。

「でも、びっくりした、いつ医療班に配属されたの?」
「あんたたちが里にいない間にね。まだ初級もいいとこだけど」

でも痛みがどんどんひいていって、ナルトはすごいなあと純粋に感動する。

「カカシ先生は?」
「事後処理で走り回ってるわよ」
「そう」

点滴につながれたサスケが青白い顔をして眠っているのが目に付く。つがれたばかりの腕は神経がどうつながってるかはわからないが、痛覚はあるらしいと聞いた。そのことに誰もがほっとした。神経がつながっているのならなんとかなるだろうと思う。

ぐい、と身を乗り出したナルトになによ、とサクラも頭を近づける。ナルトは声をひくくして囁いた。

「サクラちゃん、あっち、いかないでいいの?」

あっちってどっち、と真顔で聞き返したサクラはナルトの視線をおいかけて首をふる。

「いいのよ」
「なんで?」

きょとんと尋ねるナルトにサクラは震える声で言う。

「……我慢できそうにないから」
「なにを?」
「怒っていいんだか、泣いていいんだか、最近、サスケくん見てるとわかんなくなるのよ」
「サクラちゃんも?」

笑うナルトに、サクラは、ものすごいむかつくわ、と震える声ではき棄てた。

「久しぶりだっていうのに、あんたたち、怪我してるし、サスケくんなんか手首よ。一生、使えなくなることだってあるのよ」

バカじゃないの、と震える声で呟くサクラにナルトは正直にごめん、と謝る。

「謝られたってかえってむかつくのよ。変える気もないくせして」
「ごめん」
「でも謝んないのも、むかつくのよ」
「それじゃどっちだってだめじゃん」

呆れたナルトにサクラはだから我慢できないって言ったじゃないと言い、歯を食いしばった。チャクラをひっこめた手を白くなるほど握りしめる。

「あんたたちって、ほんとやんなる」

サクラの翠色の眼は潤んでいても、涙はあふれそうになっていない。けれどサスケを前にしたら多分、あっというまにぐずぐずになってしまうことをナルトは知っている。初級ということはまだ実戦配備には程遠いはずだ。アカデミーで任務をうけるときに連れて行けとごねたに違いない。

やんなる、と拗ねた子供のように言うくせして手当てをする手はものすごく暖かく優しい。そういうサクラが、世界中で一番かわいくてナルトは大好きだ。







人が寝てると思って薄いカーテンのむこうで、てんで勝手に話をしだした声をきいているうちに、やたらと瞼が熱くなるのを、サスケは自覚していた。

息を吸ったとたん、鼻がすこし引っ張られるような熱をもつような感覚がして、息が詰まる。ああ、まずいと思ったとたん視界をふやけさせた表面張力がこわれて片手で覆った。掌の下がどんどんぬるんであつくなり、眦からこめかみ、耳の横に流れ落ちてシーツに散らばっては冷えていく。涙腺がいかれてるとしか思えない。手首をかんで声をあげるのだけは堪えた。

バカみたいな見栄だなんて一番わかってる。だけど絶対に知られたくない。サクラちゃん、なに泣いてンのといったナルトのほうこそ鼻声だった。つられて泣いてんじゃねえよ、ウスラトンカチめ。サクラが泣いているんだろう。

泣くなよ。

泣かせたくなんてないんだと、いったいいつになったらちゃんと面とむかって言える。言いたいことはたくさんあるのに何一つ、声にはならなくて涙だけがバカみたいに溢れてシーツを湿らせていった。 カカシに言ったことは嘘じゃない。

きっと遠くない日にまた自分はさよならを言う。兄に会いに行く。この先、何度も泣かせる。だけど同じだけ泣いたって構うもんかとこの手を握ってくれる。とうとう捕まってしまった。捕まりたかった。 いつか掴みかえしたい。ありがとうなんかじゃないと怒られるまでもなく、ありがとうはもういえなかった。ありがとうなんかでは、到底足りなさ過ぎる。

みんなの手が重い。

小さな声ひとつききのがさず、惜しみなく未来に向かって歩き出せと背中を押す手のひらだ。傷がたくさんついてるのもしってる。負けそうなときに負けるなと言ってくれる。負けたって、負けたことに負けるなといってくれる。

こんな俺でも幸せになれといってくれる誰かがいる。頑張れといってくれる。幸せになれといってくれる。 何度バカなことをしても何度も怒って怒りながらも許して、たとえ許さなくても、変わらずに幸せになれといってくれる。

俺が俺をバカにすることは、そいつらをバカにすることだ。
逃げだしたいほどたまらない。
俺はその手にかなうなにができるんだろう?その手にかなうことができない人生なんて、どれだけむなしいだろう?

オレは誰ひとり抱きしめられない、涙も拭いてやれやしない。
オレが死んで泣く奴より笑う奴のほうがきっと多いだろう。チガヤの問いかけになにも答えられず、カガチの問いかけに黙すしかなかった。なんでそんなことを言ってくれるんだろう。ありがとうなんかでは到底足りない、幸せになる以外で自分に返せるものがなにひとつ見つからないなんて、とても怖い。幸せになれといわれて息苦しくてたまらない。

(いつか)

なれるかではなくて、なりたい。

いつか俺は俺のことが好きになりたい。俺は幸せになりたい。俺はこいつらの幸せにかなうよう幸せになりたい。 それでいつか、オレがなにになりたかったかを、言いたい。満月の夜から閉じ込めてしまった小さなオレの夢がなんだったか、オレはどこにいきたかったのか、誰といたかったのか。いまもそこはあるのか。見えるのか、届くのか。

嘘でも届くといってくれることを、オレはもう知っている。知ってしまった。幸あれかしと願うことが愛ならばオレはたしかに愛されている。世界は気づかないときでも、あまねくいつだってオレに優しかった。額づいて許しを請いたくなるほどあんまり優しい。

『がんばれ』

カカシにもナルトにもサクラにも、いつだって笑っていて欲しい。ひとり永夜の盲にたちすくむときも星が見えるよといって欲しい。

星が見えない夜中でも俺はその声があるだけで最果てまでひとり歩きだせる。
うそじゃない。
きっと誰ひとり抱きしめられないオレのなかでたったひとつ輝かしいものの全部だ。

ナルトを殺せなくてよかった。
ナルトが、強い奴でよかった。
カカシが教えた技で心臓をつぶそうとした左手を、そらしてくれた右手の熱。
サクラだってそうだ。行くなと泣き喚いてくれた。一緒に行くといってくれた。

人生のなかで掴みとれば、生きる意味にだってなるものをついに壊せなかった。得がたく何ものにも替えがたいものに取り返しがつかないことを、しないでいられた。壊させなかった。

ナルトが強くてよかった。友達だといってくれる奴がナルトでよかった。サクラがいてくれてよかった。七班で、あいつらが友達だと、仲間だとよんでくれてよかった。

『おまえのしあわせのためにがんばりな』

世界中で、他のだれが心底、幸せのためにがんばれと真実いってくれるだろう。そんな人を誰一人、殺せないでよかった。

どれほどの時間があれば、この人生の借金を清算できるというのだろう?

道の果て、振り返って地平の彼方なにも見えなくても瞼にはいつも星。呼ぶ声をずっと自分は見つけて、行き先にたどりついてもたどりつかなくても、道が続いているのを知ってしまった。

(どこへだって行ける)

振り返れば、サクラに別れを告げた十二歳の夜から、いまこの瞬間まで全部が、帰り道でしかなかった。もしかしたら父と母をうしなった日からかもしれない。あの日なくしたお帰りといってくれるドア。何度さよならを言ってもドアの外へ出て行っても、道の途中でたおれても瞼の裏に思い出していつでも帰る。父が母が死に、兄と別れた満月からずっと言えなかったただいまが言える、お帰りとこたえてくれるドアが夜の下にたしかにある。世界中のすべての道が帰り道になる。

(泣くな)

泣いたって心ひとつ棄てられない。

ありがとうなんかでは到底たりないことがある。両手でも抱きしめきれないものがある。誰かのためにも脈打つ心臓が自分の中にたしかにある。死んだりなんてできない。

(泣くな)

悲しいことなんてなにひとつありやしない。
オレはなにひとつ、手の中から失ってなんかいやしない。









ありがとうございました、とツナミとイナリが頭をさげる。タズナは眼の包帯はとれたが入院中だ。イナリの顔の絆創膏はまだ取れないが、縫うほどのひどい傷はなかったらしい。それでも深刻な心的外傷後ストレス障害がでないとも限らないので、本島の病院にある心療内科に通うことになるそうだ。治療費は木の葉隠れから全額を支給されることになった。霧隠れもだ。

学費のことに関しては、どうも事件の報道をみた実の父親から連絡がきたらしい。まだイナリはしらないらしいが、ツナミはいずれちゃんと伝えると、不安そうな顔をしながらも言った。今度、きちんと三人で会う予定だそうだ。

またどちらの学校に通うかはまだイナリは母親に告げてはいないらしいが、ナルトが訊くと、ふてくされたように大丈夫だって、と呟いた。だから心配をしなくても大丈夫なのだろう。

「ま、イナリはオレの命の恩人だからな!」

といったナルトは性懲りもなく泣きそうになっている。うれし涙はいいんだぜ、とイナリに言われて、オレのセリフをとるなと怒っていた。あいかわらず騒がしい。

「おーい!」

大声で呼ばれるのにサスケがふりかえる。葦でできた編み笠をかぶり、波の国伝統の麻地の着物をきたカツラが手を振って駆け寄ってくる。橋の上にある、出国手続きの列にならんでいるのに気がついたのだろう。

「帰っちゃうの?」
「ああ。あんたは?」
「事務所にいまからいくの。おっさん、なんか出かけてて、たまにあけて掃除しないと、すぐ汚くなっちゃうからさ」

笑うカツラは、スーパーで買い物をしてきたとわかる所帯じみた袋をもちあげて見せた。あのおっさんほんとだらしないのよ、と笑う。そうかと呟いたサスケにカツラは八重歯をのぞかせて笑った。

「たまに来たなら顔出してよ」
「ああ」

サスケ、そろそろ行くよ、とカカシの呼ぶ声にああ、とサスケは答える。カツラは、じゃあねと手を振った。横にならんだカカシがサスケをちらりと見る。

「あの子は?」
「カガチが、ひきとって面倒みてた女だ」
「へえ。あの子、まだ知らないんでしょ?」
「ああ」

アジロが行方知れずになったという報せがはいったのは昨夜、今朝方、海のほとりに死体が二つあがったらしい。焼けたあとに水におちたらしく、かろうじてわかったのは、女と男だということぐらいだ。女のほうは足にボルトを入れた治療痕があったという。



診療所の廊下であった真夜中、カガチはぼんやりといった。

『カツラがよ。あんたに会いたがってたよ。あれで面食いらしい』
『いかねえよ』
『そう尖るなよ。怖い人だね。あんなでも俺にとっちゃ娘みたいなもんでさ。母親似で頭はあんまよくないが、いい子だよ』
『知るか』
『あいつの母親と馴染みだったてのは言ったろう。俺もそのころは浮き草にしちゃあ駆け出しだったが、話の斡旋ぐらいはできる。そんでたまにあいつの母親に話を流してたんだよ』

徹夜のせいだろうか、瞼が落ちたせいでどこかすわった眼差しでサスケを見る。

『あんた傀儡のご法度は知ってるかい』
『内通だろう。……あんたが』
『仲介しただけだがね。まあ、おれもあいつの話を聞くまで忘れてたんだから罪滅ぼしってわけじゃないが。まあ、縁って奴かね』

なんだかなあ、とカガチため息をついて煙草を取り出そうとする。だが思いなおしたように袋をポケットにもどした。

『なんだ、あんた相手だと口が回るね。どうもしゃべりすぎる』

終わった話だと、カガチは笑った。



「……あの子」
「なんだよ」

いや、気のせいだと思う、とカカシはつぶやき、ふと眼を凝らした。サスケも逃げ水のゆれる彼方に眼をほそめる。

ひらりと藍玉をぶちまけたような空に白い布帛がひるがえる。風車がまわる軽い音がした。白く灼けた夏の道を跣であるく黒衣の列のほうから、ちいさい鈴の音とひくい声明がきこえてくる。

立ち止ったカツラが白い傘を脱いで、黙祷をするのが遠く見えた。

じゃあ帰ろうか、とカカシがふりかえり、出国手続きをおえたナルトとサクラがおおきく手をふって呼んでいるのに、サスケは頷いて歩き出す。汐の匂いがする風が頬をなでる。

橋は見晴るかす海のむこうまで、ただ一筋に続いていた。








end

「P.S. I love you.」/TEAM7










P.S. I love you.19









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