「どういう意味だよ」 「おまえ、ナルトの言葉の意味、わかってる?」 答えないサスケにカカシはため息をつく。 「正直、俺はすこしお前を疑ったよ」 いったカカシをサスケは見つめるだけでなにも言わない。波の音が響いている。やがてぽつりと呟いた。 「疑うだけの、理由がある。あんたの立場なら仕方がないだろ」 「……ナルトがさ」 「あいつが?」 「お前のことを、しょうがないって、言うなってさ」 なあサスケ、とカカシがか細い息をつなぐ。 「何年か前に俺はお前に復讐なんてやめとけって言ったよ」 そんなことも言ってたな、とサスケは返す。 「でもオレはやめない」 「知ってるよ。でも黙らないよ」 「いくら言っても無駄だ」 なおさらだ、と呟いてカカシは言葉を続ける。 「お前が俺のいうこと聞かないんなら、俺だって聞かないよ。今もその言葉は撤回しない。だってお前が幸せになれないんなら、やめればいいんだ。お前はどうしたかったの、どうしたいの、どうなりたいの」 いつかのナルトと同じことをカカシはいう。タズナとおなじことをカカシはいう。けれど知るもんか。そんなの、しらない。夢なんて自分はない。忘れた。あいつがこの夜のうのうとどこかで息をしているのだって許しがたい。 「ふざけたこといってんな」 「ふざけてなんかないよ」 「あいつのことを忘れられるわけ、ないだろ」 返されるカカシの声はどこもゆらがなかった。 「そんなのわかってる。だから、できないんなら自分のためじゃなくたっていい、誰かのためでいい。おまえも自分がいやでしょうがない人種だろ。誰かのためのがたぶん、息するの楽だろ。だから言うよ。お前が不幸せだと」 ナルトやサクラが泣くよ、という。続く言葉にサスケは絶句した。 「オレはそんな情の濃い性質じゃないから、四六時中お前のこと思ってるなんてとてもいえないけど、思い出すとききっと笑ってればいいなあと思うよ。隣にいてもいなくても」 何で俺が兄を殺さなきゃいけないんだろう。何であの人は俺に殺せというんだろう。 『何で兄さんが』 言い訳がききたかった。 だって兄を許したかった。 バカみたいな理由だってよかった、兄本人の意思ではどうにもならないことで両親を殺したと言って欲しかった。許したかった。 でもまざまざとオレの弱さを狡さを月明かりに晒した奴は、言い訳すらくれなかった。 オレのなかにはあの月の夜からどうしようもない塊りが口をあけていて、口をあけるたび叫んでいる。幻術を食らったあの幻の永劫のなかでも俺はずっとずっと叫んでいた。今だって鼓動と同じだけ絶え間なく聞こえる。暁に呼ぶ声は俺の声だ。 俺はどうしようもなく、ただ、真実ずっとずっと兄を愛していたかったのだ。どうしてなんて俺こそが知りたい。 だけどナルトを殺すなんてこともできない。 この心はすてられない。 あの男をゆるしたら、オレが見殺しにした父さんも母さんもあんまりかわいそうだ。傷ついた俺だってかわいそうだ。兄を愛して父母を愛する俺の心があんまりかわいそうだ、すくわれない。 おまえはさ、とカカシは言葉を続けた。すこしあきらめたような笑い方だった。 「イタチと決着をつけないと、一生後悔するんだろ。だからこれは、俺らがかってに思ってることだ」 イタチに向かう引力のような憎しみのベクトル、笑いだしてしまいそうなほど、たしかに俺は兄からの答えを希求している。真っ暗な他人のいない宇宙みたいな小部屋の中で外に出て行ける日をいまも待ってる。 「ナルトとサクラが、お前の一番の味方だよ。多分、ずっと変わんないよ。おまえらみんな強情だから、あきらめなよ」 サクラなんて、泣かしてばかりだ。頭がいいくせにバカじゃないのか。この手は誰の涙も拭いてやれない。抱きしめてなんてやれないんだ。選べるわけがないんだ、最初から選択肢にもならない。選択肢なんて最初からない、答えはひとつなのだ。なにも抱きしめない手にどんな価値があるわけもないのに。 けれど泣かしたいなんて一度だって思ったことは、誓ってないのだ。 兄を愛することが苦しくてたまらない、息が詰まる、はやくやめてしまいたい。親を見殺しにして許してくれと泣き喚く弱い子供の手を振り払ってしまいたい。息もできない。いつか足がさびついて暗い部屋から出て行けなくなるんじゃないかと怖くてたまらない。暗い部屋には父と母がいて赤い目をしたあいつがいて、おびえて泣きわめくだけの子供がいる。苦しくて窒息してしまう。この拳が破れても、ドアをたたかずにはおれない。 あの人は俺が真正面に立つのは戦いのときだけしか許してくれない。 だから俺はイタチと戦わなければいけない。 ナルトやサクラ、カカシのそばにいると、苦しみも悲しみも、痛かったことも苦しかったことも感傷になって優しくなり、オレはオレを許してしまいあの人をわすれてしまう。忘れたら終わってしまう。 だってあの人はオレの手なんかとうにはなしてしまってるのだ。 だからなおさらあきらめられない。あの人にあって、答えをきかないかぎりあの夜の暗い部屋からもうどこにも行けない。 だって、あの人はたったひとりの兄さんなんだ。 オレがやめたら結局、あの人の真実に触ることもできないまま結局あの人のなにも知らないまま、オレたち兄弟は終わってしまうじゃないか。 声は震えた。喉で力をいれないと、嗚咽になりそうだった。 「ナルトとサクラが、お前の一番の味方だよ。多分、ずっと変わんないよ。おまえらみんな強情だから、あきらめなよ」 しぼり出されて帰ってきた声はあんまりかぼそかった。 「……あんたは知らない」 「なにを」 「……」 俯いたまま昔とかわらない頑なさで首を振る。言えないんならいい。言わないほうがいいこと知らないほうがいいことはたくさんある。でもナルトは生きているだろう。おまえが、殺さなかったんだ。サスケの手首をつつむ包帯の白さが目に付く。殺そうとした手で、ナルトを助けたじゃないか。 だからおまえみたいなのは、しあわせになんなきゃいけないんだよ。 十二のときにくらべれば大きくなった手のひらでたくさん幸せを掴まなければいけないのだ。人間は幸せになるために生まれるのだ、笑うために生まれるのだ。でなければやってかれない。思うぐらいはいいだろう?その権利をだれだって、サスケ自身だって侵すことは許されない。 おまえはきっとイタチを殺したときに泣くだろう?泣かなくたって、ひどい傷になるだろう。たやすく想像できるんだ。イタチのことをすてられないぐらい。 お前がイタチの手を放したくないのかな、放せないのかな、どっちでもいいけど、きっとナルトやサクラがおまえの手を何度も握ろうとするのと一緒なんだ。おまえが背中をむけたって何度だって握ろうとするのと一緒で、きっとおまえはずっとイタチの手を放せなくて、放したくなくて、きっとそれはイタチがどう思ってようが関係なんかないんだ。ずっとベクトルを向けてるんだ。そんなことしたって無駄で、きっとあいつは振り返らないって思うけど、なんで気がつかなかったんだろう。 おまえだってこっちを向けばきっと幸せになれるのにお前が振り返らないのは、イタチを見捨てないからだ。 ナルトとサクラと俺がお前をだきしめなかったら誰がお前を抱きしめるの。おまえがイタチを抱きしめなかったら誰がイタチを抱きしめるの。きっとそういうことだ。振り返るとか振り返らないんじゃないんだ。 だからサスケはイタチの手を諦めないのだ。 だって誰かを思うことはとても無力なんだ。なんにもできやしないんだ。思うことそれしかできないんだ。それを自分では知らずでもどこかでちゃんと知ってておまえは振り返らないんだ。振り向かないイタチの手を、後生大事に捨てやしないんだ。 サスケはずっと、ずっとイタチの背中に呼びかけながら歩いてる。振り返れと呼びかけている。あんなに愛そうとしている。 ばからしいほどひたむきに、イタチを愛したいだけなのだ。 (なんであんとき、――――おっかけねかったんだよ!) なんであのとき、十二歳のおまえとあった最後の日、俺はもっと話さなかったんだろう。今と同じことを伝えればよかった。伝えようとすればよかった。 無駄とかそういう問題じゃない。おまえが行くのはいやだって泣いて叫んで地団太ふんで言わなきゃダメなんだ。言うだけじゃない、伝えなきゃいけなかった。どんなにお前がイタチを追いかけるのをやめないっていったっておなじだけ、届いたって届かなくたって、お前がどこに、そうだ、どこに行ったってお前の手を放したりなんかしないっていわなきゃいけなかった。 たった十二歳の子供に、足をふんばってる子供に、おまえがどこにいたって、お前が手放したっておまえの手をずっとずっと繋いでる人間がたしかにいるんだって。手放したって何度でも掴もうとする人間がいるんだって。世界中の誰が悪いと責めたって味方になる人間がいるんだって、お前の幸せを真実ねがう人間がいるんだって伝えなきゃいけなかった。 サスケが振り返るとか振り返らないじゃないんだ。 サスケだって知ってた。ナルトだって知ってた。サクラだって知ってるんだ。バカなのは俺だ。 なんであのとき俺は抱きしめなかったんだろう。お前の手を放せるわけないってどうして気がつかないの。おまえが幸せであれと思ってるんだよ。おまえのこと見捨てていいなんていうなよ。忘れろなんていうなよ。いやだよ。もうなにも捨てたりなんてしないよ。だって、それしかできないんだ。 じゃなきゃオビトが死んだときから一歩だって前に進めてないじゃないか。誰も抱きしめない、抱きしめられもしない一生なんていやなんだ。それがおまえら以外に誰がいるんだ。おまえらのことを抱きしめられない腕しかもたないオレなんて、いっぺんの価値もないじゃないか。オレは一生くだらない、誰一人幸せにできない奴のままじゃないか。 あの日の約束、覚えてる? おまえにも聞こえただろ、確かに聞こえただろう。この国に向かう途中でいったんだよ。おまえら全員ころさせやしないって死んでも守ってやるって、言ったんだよ俺は。一方的だっていい、お前らが忘れてたって俺だけは棺桶まで忘れない。 あれはたしかに約束だったんだ。 だから俺は、あの日、あの木の上でおまえを抱きしめなきゃいけなかったんだ。なんで抱きしめなかったんだろう。 「…おまえの幸せのためにがんばりな」 親を愛せない子だって子を愛せない親だって、お互いを捨ててしまう家族だってある。母性本能なんて本当は存在もしやしない。愛は業だ。とても曖昧で不確かな名前がつけられないかなしくって激しいものだ。幸せも不幸せも運んでくる。サスケはイタチをひたむきに愛しているだけだ。 「人間てのはそういう風に生きれなきゃ、生きた甲斐がないでしょ。ちがう?」 問いかけに答えがかえるにはずいぶん長い沈黙があって、けれど急いで答えが返るような問いかけでもないからずっと待っている。ちいさく息を吸い込むのに耳をそばだててカカシはサスケの言葉をきいた。 「……たぶん、オレは忘れる」 「なにを」 「ナルトとかサクラとかといれば、きっと忘れる」 サスケに置いていかれてサクラもナルトももちろんカカシも傷ついた。 だがサスケはどうだったのだろう。イタチすら見捨てられないのに。忘れたっていいことだって、サスケは多分わかっているのだ。 だけど、と咽ぶ声は小さく響いた。 「それだけはできない。俺にはできない」 サスケが震えかすれた、どこにも迷いのない声で言う。わかってるよ、と返せば泣きそうな顔をした。 カカシは目を閉じる。サスケはナイフみたいな外身でいつだってばかみたいにやわらかい心をしている。ベッドの脇には一葉の写真がある。ふてくされた十二歳のままの顔をしている。 (俺はそろそろサスケをゆるしてやらなきゃいけない) ばかな子だ。ばかみたいに情が深い。ナルトやサクラが大事でも、サスケ自身どうしようもなくたしかにイタチを深く思ってるのだ。 「おまえがいなくなってから、とても、ひどかったよ」 ナルトはひどく身長がのびた。大人びた顔をするようになった。サクラは泣かなくなってしまった。 (時々思い出して、たまらなくなったよ) うつむいたサスケの背中をみる。この寂びた背中にいつだってなにをしてやれるか、誰かを守るためといって人殺しの方法を教えていたってわからなかった。いまだってわからない。サスケをみてると哀しくなるのは、人が人に出来ることがあまりにすくないと知らしめるからだ。かわいそうだ。 (いつだって気休めみたいなことしか言えなくて) 願いは無力で祈りも無力だ。愛も無力だ。人ははじめから終わりまでずっと一人で、心はだれにも触れない。 (でもなにもしなかったら、だめなんだよね) 「だから、いなくなったっていいよ。でも、しっかりしろよ。おまえのことを、お前が見切りつけるなよ。みんなみんな、お前はこれからなんだよ。しっかりしてよ。手なんてだせないのに助けてやれないのに、心配になるだろ」 サスケの道をだれだって阻めない。辛くないわけじゃない。選ばれずに捨てられることを許せるわけでもない。選べないことがわかっていても、傷ついてゆるせない。でもサスケの傷はサスケのものだし、カカシたちの傷もカカシたちのものだからしょうがない。 許せなくても、この心が棄てられない。 できるならだから全部を抱きしめたい。いつだって帰ってくればいい。何度だってお帰りをいってやればいい。行っておいでといえばいい。 叶うならサスケがどこかで笑ってればいい。でもできるならナルトとサクラで三人いたらずっといい。誰ひとりなくしたくない。祈る。 いつだって自分はこの背中を押して行っておいでをいえる。サスケの手のひらがイタチを抱きしめる二つきりしかなくたって、いつだってあと六本腕があるのを忘れさえしなければいい。抱きしめ返して欲しいわけじゃない、抱きしめたいのだ。 お前が不幸せだと、不幸になる奴がたしかにいるんだよ。 よろめきながら歩くのに手はかせないしかさない。でもずっと見ている。どうにもならないから見てるのとは、言葉が同じだけどぜんぜん違う。転ぶのも立ち上がるのも泣き喚くのもずっと見ている、足が折れそうになったら絶対に、絶対にだ。助けてやる。誰もしらなくても、約束する。約束したのだ。おまえら全員殺させやしないと言ったのだ。見捨てたりなんかしないと言ったのだ。 「おまえのことがみんな好きなんだよ。ナルトだって、サクラだって」 ひゅうっとか細く鳴ったサスケの喉から悲鳴みたいな声が漏れた。 「……そんなの、わかってる」 自惚れてるね、なんて茶化したりはしない。あのとき、ナルトもサクラも傷ついた。カカシもだ。そしてサスケだって傷ついたにちがいないのだ。傷ついてもイタチを見捨てないことが悲しいけれどどこか嬉しい。なんでそんなに人を好きでいたいのか、いられるのか教えて欲しい。 泣く子供の熱っぽさを宿したサスケの吐息が聞こえた。骨ばかり若木のように伸びた体は、精一杯生きようとする力だ。なくしたくない。なにひとつだってカカシはもうなくしたくない、片目だけでももうたくさんだ。おまえらのためなら、できることなんだってできる。 (なにができるかな) ああでも自分は、夜の深さも暗さもよく知っていながらあの月の夜、サスケをだきしめることさえしなかった。抱きしめられたのにしなかったのだ。 「サスケ」 愛は祈りそのものだ。無力で心はだれにもさわれない。けれど肋骨でもない脳みそでもない手のひらでもない、かわいそうなサスケの体からつうじたどこかに心はあるのだ。星明りと同じで途方にくれて泣いてしまいそうなぐらい遠いけれど、耳から目から五官全部から電気信号になって伝わればいい。 (おまえらのことが好きだよ) だからカカシは震える声でサスケにいうのだ。 「がんばれ」 生きてる間に自分は誰をどれだけ抱きしめられるだろう、抱きしめてもらえるだろう。 (みんな、とても好きだよ) ちから一杯抱きしめたら、こたえて抱きかえす腕を人生の全てだと思いたいのだ。誰かの手とつなぐためにこの手はあるのだと思いたい。 「がんばっておいで」 こんなのは柄じゃない。木の葉隠れにもどったら、オビトとリンと師匠に報告をしようと決めた。柄でもない、面と向かっていえない照れくさいことは全部慰霊碑にいってしまう癖がついてしまった。 (……俺、こいつらが結婚したら泣いちゃうかも) 死んでもいえない秘密だ。部下と弟子にはなにがなんでも見栄をはらねば。 |
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