先に動いたのはゲンマだった。厨房までわずか数歩、まっすぐに詰め寄り身をひるがえした少年の肩口をつかむ。引き倒された卓子から青磁の花瓶がはねとび石楠花の赤が血のように石床の上で砕け散る。喉元に右腕をねじり混むようにして卓子に縫い止めた。

喉元を圧迫された少年が軽く咳込んだ音にめまぐるしい事のなりゆきを傍観するしかなかったイルカが少年への暴挙に声をあらげる。

「いきなりなに−−ゲンマさん!」

後半、転じて警戒をよびかける響きにゲンマはイルカへと視線をはしらせる。その耳元でかすかに空気のなる音がした。とっさに腕をふりあげる。イルカとナルトの声がした。

「よせ!」
「サスケ!」

下膊に衝撃、視界の端をかすめた軌跡が顎のわずかしたでぴたりと止まる。あえかに綻びた柔らかな唇が白い歯に噛みしめられてあわいろに染まるのを茫然と見下ろした。チイと響いたふさわしからぬ舌打ちに横目にみればボールペンだ。舌打ちをして細い腕をらえたところで、イルカが割って入った。

「なにやってんだ、おまえらバカか!」

双方をひきはがしゲンマの両肩を押しやるイルカの肩越し、卓子に肘をついて軽く咳込む少年と驚きにみひらかれたままの視線が結びあう。

「子供相手になにやってんですか!」

闇よりなおくらい魅惑のオニキスに讃えられたひそやかな、だがあまりに不遜にして不敵な輝きと笑みにゲンマはしばし言葉をうしなった。やりそこねた、と確かに聞こえた声に目をすがめる。

「ナルト、サスケつれてあっちにいってろ、ゲンマさんの手当てはオレがするから」

イルカの掌に背中を軽くおしやられて言われたナルトは、乱れた服をなおしているサスケを斜めしたからみあげると肘をつかんでひっぱるように厨房へとひっこんだ。

卓子の足をつかんで直し、砕け散った花瓶の欠片にゲンマは指をのばす。壁際の物置から掃除用具をとりだしたイルカもまたおおきな欠片を拾い集めた。ゲンマの歯ががちりと千本をかむ。

「……止めたのは、オレじゃなくてあいつか」
「ボールペンでも頚動脈は死にますよ」

淡々とした反駁にゲンマはちょっと目を見開く。諜報員たちと渡りをつけ会合のお膳立てに携わる人間はやはり只者ではないということだ。木の葉の末端に甘んじ、子どもの相手ばかりをしている顔しか見せないから忘れてしまいがちだが、とゲンマはイルカに対する認識を改める。軽く肩をすくめた。

「さすがにあんなガキにやられるつもりはないんだがな。にしてもあいつ、オレに殴られかけても瞬きもしなかったぜ、やっぱ只者じゃねえ」
「サスケと知り合いなんですか?」

そりゃオレのセリフだとゲンマは唇をゆがめて笑った。

「で、カカシさんがどうしたんです」
「まあそりゃ落ち着いてからにしてくれねえか」














恋人は危険な暗殺者2











水を欲しがるように渇いた唇がうすく喘いだ。

天井から吊るした蚊帳に簾越しの窓明りが糸のようにまつわって、少年の上でかすかに揺れていた。エアコンを好かない家主が就寝前に開け放った窓からなまぬるくしめった夜風と男人街の遠い喧噪、花か香料かなにか甘い香りも流れてくる。

狂おしいほどの力のこもった指先がシーツにちいさな波をつくり、くもの巣のように少年をからめとる。麻地の夜着が見えない手にひきおろされるように華奢な肩からすべり落ち、闇の中しろい肌がうかびあがった。はだけた夜着のすそからのぞく太股に浮かんだ水晶のような汗が雫をつくり、幾筋もつたいおちていく。ゆるく立てられた膝が跳ね、爪先がちいさく引き攣る。つややかな黒髪が枕の上で乱れた。

「…ぁっ」

息を呑む自分の喉が鳴る、かすかな音でサスケは目覚めた。胸はいまだおさまらない呼吸に上下している。首筋をしめらせる汗を掌でかるくぬぐった。まるく雫をつくり肌をすべり落ちていく感触に肩を震わせ、両目を押さえる。

心臓を誰かにわしづかみにされて無理やり鼓動を早くされてるような気分だ。いくら息をしても半分ほどで止められているように息苦しい感じがする。目が醒めるまでサスケを惑乱の淵にとらえていた夢の吐息がまだ甘たるく四肢にからみつき、脈打つたび体の奥をゆさぶるのを目を閉じて堪えた。

隣のベッドで寝ているナルトが起きていはしないかと視線を走らせたが、皺のよったシーツとタオルケットが夜の光をうけているだけだ。安堵に息をほどき、サスケは重い体を起こした。

トイレで水を流す音が聞こえ、ぺたぺたと軽い足音がちかづいてきた。ぎ、とドアが開いて部屋の外から細い明りが洩れてくるのに顔をあげたサスケは眩しげに目を細めた。ナルトがタンクトップの裾に手を突っ込んで腹を掻きながら寝起きの掠れた声でぼそぼそと尋ねてくる。

「サスケ、おきたんか?」
「…暑くて寝れねえだけだ」

イルカとゲンマは話をしているのだろう、明りを絞ったダイニングキッチンのカウンターには皿がいくつかとアルコール類が乗っているのがのぞき見えて、時折笑い声が聞こえてくる。のろりと体を起こし、ナルトの横をすり抜けようとすれば、やわらかいこどもの手がサスケの二の腕をつかんだ。青い目にすこし驚いた自分の顔がうつりこんでいる。

「なんだ」
「おまえ、熱でもあんじゃねえの?」
「……ッ」

ぴた、とトイレで手をあらったせいか、すこし冷たい掌が首筋に当てられてサスケは形のよい眉をひそめかるく息をつめた。

「平気か?」

熱でもあるのかと思ったのだ。この奇妙な同居人は眠りが浅いほうなのか、いつも隈があったけれど、今夜はことさら気だるそうに睫を伏せた目元に翳りがあったし顔色が白いようにも見えた。だのに唇だけがみょうに赤いのに、ナルトはなぜか目を逸らしそうになる。けれど心配が先に立った。

「さわんな」

もれた言葉と振り払われた手にナルトは寝起きの悪さも手伝ってむっと顔をしかめる。

「なんだよ、心配してやったのによ」
「頼んでねえ」

なんだと、ばか!と罵るナルトの声を後ろに、足早に廊下をあるいたサスケはバスルームにすべり込み、後ろ手に扉を閉じると冷たいドアに背中を預けた。明りをつける気もしない。ずる、と暗いリノリウムの床にしゃがみこむ。汗とはちがう感触がショートパンツの裾からぬるく伝いおちてきたのにぴくりと爪先がはねた。

(くそ、また…)

膝を抱えてサスケは夜の中で体を縮める。まるで皮膚が一枚うすくなって、神経がむきだしにされたようだ。潤んだ肌にサスケはきつく眉をしかめた。

もうまるで自分は違う体になってしまった。

(アンタのせいだ)

もうどれだけこんな夜を数えただろう。夢に乱されて夜中に目覚めて、じりじりと体の奥でただれる熱をもてあます。

優しくしたいと言ったくせに容赦なく暴いた指先、甘い嘘ばかり重ね余すことなくキスを降らせたかさついて温かくない唇、自分をすみずみまで犯しつくし焼き尽くしたあの男は夢に姿を借りて夜毎サスケを犯した。ふいに耳元で名前を呼ばれたような気がしてサスケはさらに膝をひきよせる。身じろぐたびにかすかに鳴る水音、膝につぶされながら尖りきった胸の果実の疼き。弾けそうなほど張りつめてとろとろと蜜をこぼす浅ましさに泣きそうにすらなる。こんなのはいやだ。

(くそ、がまんできねえ…)

かわいた唇をサスケは舐め、きつく目を閉じた。

太股を押し開く手は自分のものではない。焦らすように肌をなぞる掌も。

「ふ」

ゴムの間をくぐりぬけて弱く揉まれればくちゅりと水音が立つ。指の腹で先の窪みをぬるぬると回すようにされて喉が鳴った。膝頭に額をこすりつけてサスケは声をかみころす。

「ん……」

付け根のうすい皮膚を幾度もなぞられ、揉みこむようにしていた手がゆっくりと握りこむのに待ちかねていたようなため息がもれる。はやく動かして欲しくても口にだして言うことなどできない。けれど幾度もひきつる下腹に糸をひきながら落ちる雫を指先がかきまわしたのしむようにのばした、うすい唇がすべて知っているといいたげに笑ったこと、全部おもいだせる。うつむいたこめかみから流れ落ちた汗が瞼をたどりまるで泣いているようだ。

『…サスケ』
「―――ぁ、ァッ」

爪先が反り返る。ぽつぽつっと指の間から涙のようにおちた白さにサスケは喘いだ。

そうやってどれほどしゃがみこんでいただろう、立ち上がったサスケはよごれた服を脱捨てると洗濯機に放り込み、バスルームのタイルを踏む。シャワーのカランを勢いよく捻れば水がスコールのように白磁の肌をぬらしていく。下腹に甘くのこる倦怠感と虚脱感、なのに体はまだ渇いていて足りないと叫んでいる。

小さく呟かれた名前は誰がきくともなく水音に掻き消された。

夜はまだ明けない。



























「ルビーにくちづけ」/カカシサスケ













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