日差しのまぶしさと暑さに目覚めるとイルカもナルトもいなかった。軽いノックの音に振り向けばゲンマが扉によりかかっていた。メシいるかと尋ねられたので襟衣の袖に腕を通しながらうなずく。

テーブルには春捲と具、野菜を多めに使ったスープがある。うすい春捲を長い指先で丸めては口に運ぶゲンマをみおろしていれば、新聞におとされていた眼差しがあがり、いぶかしげに細い眉がしかめられた。なにつったってんだと呟くとサスケの手前の椅子が軋んだ音をたてて動く。足だが椅子をひいてくれたのに座ると皿が押しやられてきた。

「皿がかたづかねえからとっとと食え」
「……」

もそもそと春捲に手をのばし、咀嚼するさまは数ヶ月前の船上とはまったくかけ離れている。すこし寝癖のついた黒髪、ほどけた紐子をそのままいかにもひっかけただけの襟衣はもとはよい仕立てだったのかもしれなかったが洗いざらしでくたびれていたし、着崩れてもいた。

(でもなんかみょうな水気みたいなのがあんだよな)

寝汗で黒髪のまつわるうるんだ首筋の肌は磁器のようににぶく光り、ひらいた襟ぐりまで女の線とも違う硬そうなけれどなめらかな線をえがいている。どこか重たげに瞬きをする伏せられた切れ長の二重の眼は直い睫でけぶり、頬に蝶のような影を落としていた。指先についた膏を舐める赤い舌の動きに妙に目が行く。

まあ食指の動く奴がいても不思議ではないなと心中でつぶやいたゲンマは新聞に目を落とし、急須から茶碗になみなみとお茶を注いだ。紙面をおっていたところで、呼びかけに目をあげる。

「なんだ」
「イルカ先生とナルトはどうした」
「あいつらなら出てる」
「……」

形のよい眉を盛大にしかめた子供に、ゲンマはこれじゃあ答えになっていないなと気がついて口を開いた。

「迎えに行ったんだよ」
「迎え?」
「カカシさんだよ」

がたっと椅子を鳴らして立ち上がった子供にゲンマは茶碗を卓子に戻す。すこし強ばった顔をしたサスケにちょっと笑ってしまった。

「…嫌われたもんだなあ?」

日の光をすかした琥珀色の眼が可笑しさを堪えるように眇められる。自分ではない、うしろをみる眼差しに振り向こうとした瞬間、体を捕らえられた。

「どういう意味よ」

どこか甘やかさを残し響くテノールが茨の鎖のように体を縛りあげ指先ひとつ動かせないような錯覚に陥る。両手首を後ろからをつかまえる指先の渇きも、吐息まじりの声が悩ましくかすれることがあること全部覚えていた。

「聞き捨てならないよね」

耳殻をたどる濡れた唇がまぎれもない自分の名前をかたどるのに、息を呑む。体をつつみこむ海のにおい、耳の後ろに落とされたキスがたてた音にサスケは我に帰った。

手首をゆるく戒めていた両手を振り払いざま、こめかみに入れようとした肘をあっさりとつかまれる。灰髪とあまり色みのない眠そうな片目、億劫そうにとじられた左瞼の上にはしる傷あと、うすい唇がひらめくよう笑う。

「あっはー、いいねコレコレ」
「カカシ!」

海水でしめり片袖のぬけたスーツ、埃にまみれてボタンがはじけとんだシャツ、ネクタイで乱雑にゆわえられた腕の傷口、どこの脱走者かと疑うほどの格好で、カカシはなにサスケ?と首を傾げた。
















恋人は危険な暗殺者2











「こりゃひどいですね、カカシさん」
「まーねー。あー、俺の一張羅が」
「クリーニングじゃきかないんじゃないですか?」

うわ、海草、とバスルームの外で呟くゲンマの声にシャワーの下につっこんでいた頭をカカシはぶつけた。

「…ま、しょうがない。いま何時?」 「10時です」
「あと3時間か。イルカ先生にメシつくってくれるよう頼んでくれる?」
「もう作ってくれてます」

さすが、とカカシは笑いシャンプーを勢いよく泡立てた。

タオルを首にひっかけたまま卓子についたカカシの前に蒸篭からとりだされたばかりの饅頭と春捲、朝のスープの残り、カシューナッツと鶏肉の炒め物や白菜のクリーム煮とつぎつぎに皿がのっていく。長身ではあるがあまり大食漢ともおもえないうすい体のどこにはいるのかとおもうくらい皿が気持ちよくあいていくのをなかば呆気にとられつつナルトとサスケは見ていた。

ごちそうさまです、と両手をおさえ箸をおいたカカシは時計をみると、1時間くらい仮眠しますんでミーティングはその後、と立ち上がると奥の部屋に入ってしまう。部屋に案内したナルトが珍妙な顔をしてるのにゲンマがどうした、と尋ねれば、三秒で寝たってばよ、と大きな眼を瞬きさせる。

厨房でイルカの後片付けと仕込みを手伝い終わったサスケは、ゆっくりと奥の部屋のドアを開けた。おろされたブラインド、おちる細い光がシーツの波を浮かび上がらせている。穏やかな寝息を聞きながらベッドの横に佇んでいると、寝返りをうった。顔の半ばをかくしていたシーツがすべり、整った顔貌があらわになる。はだけた夜着からのぞく肩に銃創をみつけて息がつまった。

しなやかにしまった肩先の肌の一部、わずかに皮膚の赤みを帯び、肉がえぐられたようになっている。

触れようとのばされた指先は躊躇い、うわかけのシーツを引き上げた。 ベッド脇の肘掛け椅子に座り込み、指先をもう片方の手で包む。触れなくても感じた体温に、体中がざわめきたつのがわかった。今も鼓動が跳ね、息が乱れてくる。胸苦しいまでの切なさがこみ上げふいに泣きたいような気持ちが襲い掛かって、体を縮めたサスケは唇を噛んで悪態をついた。

「…あんたの、せいだ」
「それはひどいな」

足首にふれた熱にサスケは眼差しを跳ね上げる。足の甲に傷だらけの男の手が乗っていた。

「なにが俺のせいなの」
「……」
「言ってなんて、くれない?」

カカシは目をとじたままうすい唇にやわらかな笑みをたたえていた。足をいつかのように掴まえられているわけではない、ただ掌分の重みだけなのに、体が動かない。

「…こっち来て」
「……」
「お願い、疲れてるし眠いんだ」

のろりと出来のわるい操り人形のように四肢をうごかしてサスケは床に足をおろす。たちあがりベッドの脇にたつと、カカシの白い睫がふるえオパールのような魅惑のオッドアイがサスケをからめとった。

「なんか疲れのせいで、幻覚なんじゃないのかな」

独り言のように呟きわらったカカシの手がもちあがり、サスケの指先をやわらかく捕らえる。幾度かにぎるとゆっくりと持ち上げ、傾けた唇を寄せた。

「……ッ」
「寝たら消えちゃうのかな」

サスケ、と眠りの淵におちる寸前の囁く声に目を閉じる。力がぬけて振りほどけるにも関わらず逃げようとしない、嘘つきな指の背にかさついた唇が幾度も小さくキスを落とした。

「―――逢いたかった」

小さな部屋にはもう昼も夜もなかった。














「ルビーにくちづけ」/カカシサスケ













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