恋人は危険な暗殺者!? さて時は少々さかのぼり、船内を歩き回っているゲンマである。 『イタチの狙いが読めないんだよ』 昨夜遅く定時報告の後、サスケのねむる部屋のとなりで平素とかわらず凪いだ眼差しでいいきったカカシの顔を思い出す。年少ではあるが、はたけカカシが有能な諜報員であることはゆるぎない事実なのだ。なんのつてで培ったかわからない膨大な人脈、人にむだな警戒心をいだかせない雰囲気にも一目おいていた。 『うちはがなぜイェンに従う?なんの恩義があるんだ』 『そのことと今回の仕事になにが関わりあるんです?うちはを気にしすぎですよ、あなたは』 『素通りさせてくれる甘い奴じゃないだろ、イタチは。それにイェンを守るつもりなら、俺らの存在をほうっておけるわけがないんだ』 『まあ、たしかに』 『ま。いっててもしょうがない。ポーターたちに話きけんなら話きいといてちょうだいっていったよね』 『あんたがうちはにかまけてる間にね』 『ふーん、イェンとせっかくお友達になった俺にそういうこというんだ、ゲンさん』 勤労意欲そがれちゃうなあ、といったカカシにゲンマはどっぷりとため息をついた。 『はいはいはいはい、悪かったです、俺がわるかったですよー』 『じゃあさ、火影さまにちょっとお願いしといてくれる?』 『はいはい、あとで聞きますよ。とっとと働いてくださいよ。ほら、ポーターたちの情報』 ディスクをさしこんでファイルを展開する。あらわれたグラフと詳細なレポートに、木の葉の情報部の見解が添えてあった。 『幹細胞…?』 『そんぐらい勉強しときなよ。まだ未分化の細胞のことだよ。腕に髪の毛つけても、同じDNAだとしてもくっつきゃしないだろ。でもこいつはちがう。破損したとこにね、こいつをいれると、組織が修復されるっていう』 『ああ、脊髄損傷とかの特集でくまれてますね』 『ま、ね。で、現在とくに使いやすいのが胎児のもの』 『胎児…?』 『本人からもとろうと思えばとれるんだけどね。やな予感してこない?女性が一生につくれる卵細胞の数は決まってるし、妊娠する回数も、死亡する胎児の数もたかが知れてる。だけど中国で黒亥子になるのは女子がおおい』 ゲンマはゆっくりと眉をしかめた。 『……農場って、ことですか?』 『っていうのも考えられなくはない、って話』 『…人間って、どこまで人間なんですかね』 『できることをしないっていうのは難しいことだよ。一生歩けないって宣告された人は必死だろうしね』 『……』 『ただ、ルールってもんができるまでは、自重するのが良識ある人間ってものだ。このクイーン・エリザベスはチェンの一大プロモーションなんだよ、表でも裏でもね』 でも、とゲンマは口を開く。 『イェンやチェンみたいな奴がいるから、生活できるって思う連中もいますよ』 『しょうがないよ、イェンがどれだけやすく労働力を得てるんだか知らないんだから』 『無知は罪ですか』 『ぜんぜんちがうよ、わるいのは無知につけこむ奴らでしょ。ま、二人で手分けしてさがすしかない』 おはようございます、と頭をさげる彼らの臓器が売りさばかれたりするのだろうかと考えると寒気がする。年端もいかぬ少女が孕み、名前もつけられない子供の細胞に値段がついていく、だがそれはありうることなのだ。 雑居房にほぼひとしい三等室わきの階段をおり、船倉に近づいていく。浸水したときのために締められているはずのハッチがあいていた。おそらく鍵だったのだろう南京錠も破壊され、よくみればハッチも溶接部がおかしくなっている。 「……?なんだ?」 ギィ、ときしませ、船倉におりる階段に踏みこんだゲンマは異臭に顔をしかめた。その拍子に足元にあったなにかの部品を蹴飛ばす。があん、がん、と小さく高くなりながら部品は階段をころがりおちていき、わんわんと壁に音が反響した。 「…だれか、いるのか?おい?」 だが声はかえらない。 「おい?しゃべれんのか?」 (いや、しゃべれねえのか?) ゲンマはゆっくりと壁を叩いた。 がん、と叩くと遠く、かすかにがん、と音が返る。剥き出しの白熱球のあかりだけを頼りにゲンマは天井近くにぶらさがった標識をみあげた。英字で数字の捺印されたコンテナがうずたかく積みあがっているのが浮かび上がっている。 (……貨物室?まさか) 「こちらは、立ち入り禁止と言われませんでしたか。――――不知火ゲンマさん」 撃鉄を起こす音が聞こえた。 「まだそんなくだらんものにかまけてるのか、小燕シャオイェン」 「ポーカーは非常に知的なゲームですよ、四大叔もやりませんか。ルールぐらいはご存知でしょう?」 「品のない、つまらんゲームだな。徹夜までしてやるものか。囲碁ウェイチーのほうがよほどいい」 「父親に似て育ちが悪いものでしてね」 ポットウォーマーを外しながら、サスケはそ知らぬ顔でしろいボーンチャイナに、セカンドフラッシュのダージリンを注いだ。チェンが甥の妻、つまりチャールズ・イェンの母親に手を出したのは有名な話だ。 「その呼び方もよしてくださいよ」 「ならば海藍風ハイランフォンの連中をかたづけろ、小燕。まったく、あの連中がいつまでも香港に居座ってるかと思うとすわりが悪い」 「あなたがいた時代と一緒にしないでください、殺して終わりがまかり通った時代じゃないんだ」 「なにをいう。だいたいお前は部下に対する構えがなっとらんのだ。幣はいっこの家族だ、父の痛みは子の痛み、兄の涙は弟の涙、それを忘れて家が成り立つか。おまえは部下の面倒をちゃんとみてやっているのか」 朝食の給仕をするサスケがとどいたばかりの新聞を届けると、それまで黙ってチェンの長口舌をきいていたイェンが口を開いた。 「あんたの説教はうんざりだ。いいかげん錆びきっているくせに長老面で舵取りをしようとする。子供に孫にとりついて、まるでヒルだな」 「なんだと?」 どさりとチャールズ・イェンがなげだした新聞をチェンはとりあげる。チャールズ・イェンは獲物の喉元を捕らえた猛禽の薄笑いを浮かべていた。 「……きさま…、裏切ったか!」 「社の利益を一番に考えた結果ですよ。緊急招集された役員会で満場一致であんたの辞任がきまりました。引退後のバカンスはカリブ海にでもいってきたらどうです?」 「ばかな!」 「あんたは全権をオレの親父に委譲するんだよ。書類は全部そろってる。ご丁寧にあんたのサインも頂いてる。閨房の中まで仕事をもちこむ遣り口はオレのお袋と一緒だな。一枚ぐらい白紙が混じってても気づきやしなかったろう?」 チャールズ・イェンの哄笑がひびくなか、呆然とさまよった老人のにごった目が、淡々と控えるサスケをとらえる。サスケは恭しく頭を下げ、老人の疑惑を完全な確信へとすりかえた。 「まったく、お粗末な手にひっかかったもんだな」 特等室の乗客だけがつかうことのできるデッキ、静止の声があがり、だれかが階段を駆け上がってくる。ばん、勢いよくあけられたドアに、チェンとチャールズ・イェン、そしてサスケが振り向いた。 銃声がとどろく。 つづいてガラスのわれ砕ける音、誰かの悲鳴がクイーン・エリザベスに響き渡った。 (……銃声?) 船尾近くをさぐっていたカカシは振り返る。おそらく、おとからすれば、船内の上部、ロイヤルキャビンに宿泊する客だけがゆるされたデッキのあたりだ。 やおら響いた着信をしらせる振動にカカシは携帯端末をとりだし、ボタンを押す。 「ゲンさん?」 『……あーあの、ですね、ちょっと証拠みたいなの発見したんですが、イタチに左足、打ち抜かれちゃいましてね』 ああ、くそ、あの野郎、とゲンマは吐き捨てた。 『ちょっともう走れそうにないんですよ』 「どこ?そこ?」 『船倉のおく、コンテナとかしまってある、貨物室です。奴ら信じられねえ』 怒りをおしころしたゲンマの低い声、耳をすませば聞こえる低い波のような音、だがカカシは確実にそれが人の、低いうめき声と気づいて愕然とした。密輸入するときにコンテナに人を乗せる手口はある。だがコンテナにわずかな空気穴をあけ、日程分の食料と水だけの閉鎖空間、想像するだに恐ろしい。 『そうそう、三代目からお知らせです。あんたのカバンの取っ手んとこの右側のネジ、つついてみてください』 「……?」 とりあえず言われたとおりつついてみる。がばん、とプラスチックがはずれ、とびだしてきたのはコブラ用のマガジンだった。 『予備はあったほうがいいでしょう?』 「……ありがと」 『電話は、オレがしときますんで』 「大丈夫か」 スピーカーごしでも荒い息にカカシが尋ねるとすこし笑う気配。 『武器もありますし、なんとかなりますよ』 至近距離で三発撃ちこまれ、それぞれ胸部、腹部にあてられ、テーブルにうつ伏したチェンの体が数度痙攣し、弛緩する。床にふしたチャールズ・イェンの姿をみとめ、じわりと白いクロスをぬらす血を認め、サスケはゆっくりと男の首からナイフを引き抜いた。 フィリピン系の若い男だった。なにを叫んでいたかはわからない。発砲しそうになったため思わず殺してしまったが、二人を殺されたのは計算外だった。 (コンテナから逃げたか) ごつり、と側頭部にあたった硬い感触にサスケはゆっくりと目だけを動かす。 「裏切ったな」 「……ミスタ・イェン」 腹部をおさえたチャールズ・イェンは右手を乱暴にふるい、銃床でおもいきりサスケのこめかみをなぐった。受身も取れずに叩きつけられ、サスケはテーブルごと倒れる。飾られていたピンクのバラがガラス片とともにまき散らされた。 「なぜ、静観していた」 馬乗りになられ、チェンを殺害した男の息の根をとめたナイフを首の横に突き立てられる。 「こたえろ、晩霞」 「その薄汚い手をはなせ。チャールズ・イェン」 朦朧とした意識が聞きなれた声に引き上げられる。なぜ、とサスケはぶれる視界を必死で取り戻そうと瞼をこじあけた。 まぶしいほどの朝の光を背に、わすれることのない銀灰の髪、猫背の男が銃をかまえながらひらりと右目を瞑って見せる。 「おそくなって、ごめーんね」 「……カカシ!」 「あの男止めようとしたら肩うたれちゃってさあ、片手つかえないと走りにくいもんだね」 「その手で撃てるかよ」 ガラス片に頬をあさく切られ、眼つきをぎらぎらとくらく輝かせたチャールズ・イェンはせせら笑いながら、サスケの襟元をひきずりあげ、ゆっくりと自分の盾にする。カカシのシャツの右肩にはゆっくりと赤い染みがひろがりだしていた。 「利き手じゃなくても使えるよ。サスケを殺してみろ、その瞬間、オレがあんたをころしてやる」 「……はったりだろう、お得意の」 「試してみるか?」 唇をもちあげながら、心中でカカシはまずいな、と舌打ちする。チャールズ・イェンとサスケの距離が近すぎる。いつもならまだしも、片腕を負傷した状態でどこまでの精度がのぞめるかは怪しい。 その逡巡が命取りになった。 「!」 チャールズ・イェンがサスケを突き飛ばす。よろめいた体を思わず抱きとめたカカシの視界に、チャールズ・イェンがゆっくりと左手で撃鉄を起こすのが飛び込んできた。 サスケを庇うようにカカシは床にたおれこみ、テーブルの影に転がりこむ。 プシュン、と炭酸がぬけるようなかすかな音がした。 (…なに?!) 終幕は突然ひかれた。 どん、と両膝をついたイェンの体が前のめりにゆっくりと倒れるのをカカシは呆然と見ていた。耳にのこる残響はサイレンサーで消された銃声、青い硝煙をあげるコルトパイソンを構えたイタチが、竜巻がすぎさったようなデッキの上をかつん、と靴音をならして近づいてくる。血によごれたテーブルクロス、散乱した食器の残骸、朝の光にきらめくガラス片、巨人に踏み散らされたような、東向きの窓のあとに、ながく影が伸びる。 三メートルの距離をのこし立ち止まったイタチは、サスケを抱きかかえるカカシを見下ろしていた。照準は額だ。身動きのできないカカシにイタチは唇をひらく 「サスケをこちらに」 「どういう、ことだ。イェンはおまえらの」 「うちははなにものにも飼われません。今回は依頼主なんて最初からいないんです。イェンは十年前俺たちの両親を殺し、その体を売りさばきました。チェンもまた同じです。司法の手になんて委ねませんよ」 これは復讐なんです、と呟いた。 がちんと撃鉄を起こす音がひびくのにオートではないのかと場違いな感心をする。イタチのほの暗く燃える赤眼をみつめた。銃口が据えられたのはカカシの、同じ色をした左眼だ。 「木の葉がひとつ落札したとは聞いていたんですよ。あなたの名前も。ずっとお会いできるのを待っていました」 背中をいやな汗が伝う。まさか。 「……俺を殺して目をえぐりだすか」 近づく銃口ではなくイタチを見据えたままカカシは声を張る。イタチは答えない。 ぴくりとイタチの引き金にかけられた指をみとめ、カカシは腹をくくった。 「っ」 がちん、と引き金が噛む音が響く。 「運がよかったですね、カカシさん。弾切れみたいです―――サスケ、物騒なものを下ろせ」 まだよく事態を理解していないカカシが腕の中を見下ろすといつの間に目覚めていたのだろう、サスケがイタチにむけて震える手でベレッタを構えていた。 「片手でなんておまえが撃てるわけないだろう」 「……兄さんの冗談がたちわりぃんだ…っ」 反動で関節がいかれるぞ、と淡々という兄に反してようやく呼吸をつなぐサスケは手を下ろした。冗談だったのか、とイタチをみつめるがまったくもって感情を読ませない鉄壁の無表情にどこかうそ寒いものを感じるカカシである。 「まったく、早まるなといったろう。だからそんな怪我をするんだ」 「……」 ため息まじりのイタチの声に、サスケは唇をかみ締める。イタチはカカシに目線をながした。 「カカシさん、サスケをこちらに」 「いやだ」 「サスケを殺すつもりですか。おそらくゲンマさんでしょう?木の葉に連絡をつけたのは。協力要請をうけた哨戒船がすでにこちらに向かっているんです。俺たちも逃げなければならない。あなたたちがほしかったのはイェンが掌握する人身売買ルートの手がかりでしょう?」 デッキにイタチがなにかを落とし、靴先で蹴ったものはカカシの膝にぶつかって止まる。データディスクだ。 「サスケ、いくぞ」 イタチの呼びかけにサスケがのろりと体を起こす。バラバラとひらめく影にサスケの髪がなびき、表情をかくしてしまった。旋回して降下してきたヘリにイタチがゆっくりとつかまる。操縦席におさまるのはキサメだ。 サスケの手がカカシの髪の毛をかきあげ、左の瞼に、それから唇に、天使の羽がかすめるような口付けをのこす。ちいさく聞こえた声は唇とおなじく震えていた。カカシ、と名前を呼ばれ、すがるように覗きこめばカカシの魂を吸いこみそうな黒水晶の瞳がかすかにぬれていた。 「あんたのこと、イェンに近づくための嘘でも、うれしかった」 伸ばした腕はむなしく空を抱く。 「サスケ!?」 すりぬけたサスケはイタチの腕の中におさまった。浮上したヘリにつかまる影が遠ざかっていき、吹き荒れる風がひきとめるための声すべてをさらっていってしまった。やがて銀色の影も消えてしまい、海上パトロールが到着するまでカカシは海と空の青に抱かれたまま、はるか天を見つめていた。 「まーったく、散々ですよ。足は打ち抜かれるわあんたに足止め食らうわ」 「俺だって怪我してんだからさー、いたわってよゲンさん」 「やですね、金輪際あんたとはくみたくないっす。あー死ぬ、退屈で俺はしぬ…!」 「イチャパラ読む?」 「やです」 団体部屋の隣接したベッドで足をつったゲンマとカカシがぼそぼそと会話を交わしている。具合はいかがですか?と顔をのぞかせた女性に不機嫌そうだったゲンマの顔がかがやいた。 「シズネ」 「ツナデさまからお見舞いもってきました。カカシもゲンマも大丈夫ですか?」 「お見舞いってどうせ見合い写真でしょうが。まったくあの方も懲りないなあ…」 「俺は前からいってるじゃないですか。いらないっすよ。カカシさんにあげてください」 「あ、俺ももー要らない」 「どーせあんたは二回ぐらい会ってお断りですからね」 「ちがいますー、俺はゲンさんとちがって身も心も清らかになるんですー」 「俺とちがって、ってどういう意味ですか…」 シズネの前で…!と眼つきをわるくするゲンマにカカシは笑うばかりだ。 哨戒船にたすけあげられたゲンマとカカシである。 イタチにわたされたディスクにはいっていたのは顧客リストおよび船内の詳細な設計図だった。公的機関に届出されていたものと比べ、船室など内部構造の実寸が明らかに異なっていることから調べあげたところ、船底にほどちかい場所におさめられていたコンテナが発見された。穴があいていることからこじ開けたところ多数の子供が発見されたのである。 チャールズ・イェンの謀反によりゆらいだチェン帝国、グループ総帥は預かり知らぬことだの一点張りであるが、追って調査まちである。トカゲの尻尾きりにしかならないだろうが、前進の一歩だった。 「あ、カカシ、火影さまがおまえが引き抜きたい人材っていうのに会わせろ、って仰ってましたよ」 「ああ、それね」 カカシは移植された自分の左眼を押さえる。これが彼の父のものか母のものかはしらない、だが運命の出会いを悔やむことはなかった。 (この眼があるかぎり、俺たちはまた出会う、そうだろ――サスケ) 首に下がるのはサスケのプラチナの指輪に、カカシは唇をよせた。プラチナの冷ややかさにあの熱を思い出す。そのときこそはあんなかすめるようなキスじゃないキスを、唇だけじゃゆるさない、それこそ体中にして刻みつけ、力の限り抱きしめてさらい、己のもとに繋ぎとめてやる。そしてあの危険な恋人にいえずじまいだった言葉をいおう。うそだと言うのなら真実を塗り替えてしまうほど、重ねていけばいい。 あのとき震えていた声が笑っていたのか、泣いていたのか今でもわからない。 『愛してる』と。 |
「恋人は危険な暗殺者!?6」/カカシサスケ |
|