金属バットに硬球があたる高い音がひびく。 水のように晴れた空の高いところを鬱金色に染まりかけた雲が流れていった。とおく霞んで見えるのが雲の峰か、ほんとうの山かは裸眼ではよくわからない。 昇降口から校門まで帰るもの、校舎のまわりをランニングするもの、放課後の生徒たちはせわしない。 祝日にせまった招待試合のため、野球部や豆粒のようなサッカー部の練習にも気合が入っている。某サッカー大国と同じカナリアカラーのユニフォームビブスをつけて、紅白試合をしているようだ。手にもった空き缶にタバコの灰を落とそうとしたが、フェンスをゆらした風にさらわれてしまう。くたびれた白衣の裾がばたついた。 不意に足元近くで聞こえた軋んだ音に視線を流せば、教室棟の脇にある鉄製の外階段、最上階である四階のドアから教え子が姿を現した。少し錆びてざらついた手すりからカカシは上体を乗りだして目を細めた。 ゴミ当番を押し付けられ両手がふさがったままドアを開けていたサスケは背後から呼ばれて、横目にふりかえる。 「……なんだ」 「あ、あの」 「ゴミ捨てにいくんだけど」 ぼそりというと、サスケに声をかけた女子は大きな声をむりやり飲み込んだような顔をし、すぐにごまかすように笑った。いそがしいときにごめんね、というのを背中にききながら、一旦あけたドアに肩をはさんで押した。 隣りのクラスの奴か、空き教室掃除の上級生が面倒くさがったのか、サスケのクラスのゴミ箱に不法投棄をしたらしく、ゴミ箱は無駄に重い。気の強いのばかりがそろった女子の面々を思い出して騒ぎだすのを考えれば、じゃんけんの一発負けでもまだマシだと思えた。しかしあとで絶対文句をつけてやると決心する。ここで活用しなければクラス委員の肩書きなど無用の長物だ。 体育館裏手にあるゴミ焼却場で清掃員にゴミをわたしたサスケは、すっかり軽くなった青いプラスチックのゴミ箱を片手で肩につっかけ、一段とばしで階段を昇りきった。足元ちかいコンクリートの壁に影がちらつくのに視線を上げる。 「?」 「よ。お掃除ごくろうさま」 「……どうも」 本館屋上に張り巡らされた手すりの隙間から袖を灰で汚した手のひらを軽薄に動かすカカシにサスケはメガネの奥で眉をひそめたらしい。そしてそのまま無言で校舎の中に入ってしまう。 またふられちゃった、とカカシは手すりを背にずるずると腰を落とした。白衣のポケットに乱暴につっこんだメガネを下敷きにしかけて慌ててとりだす。無頓着でどうもいけない。熱のない上滑りする日差しに透かすと、翠や赤紫の傷がちらついた。 数十秒後、屋上のドアが開く音がした。左眼の視力が極端にわるいカカシの視界はいびつだ。左眼にひきずられてすこし右も近眼気味のため、太陽や月はいつでも五つ以上に見える。だがふしぎなもので人を認識するのに不自由はない。 「屋上は立ち入り禁止だぞー」 お前が言うな、と言わんばかりに白けた眼をしたサスケは鞄を脇にはさんでいる。屋上への階段は本館に一番ちかい中央階段しかないのだから、帰り支度をしてわざわざこっちに上がってきたらしい。 「こないだの」 「はいはい、真面目だね」 ホチキスで留められた課題プリントを座ったまま受けとったカカシはメガネをかけながら、どうぞ、と隣りに腰かけるよううながした。といっても三十センチほどの高さの場所に幅十センチほどの段差があるだけなのだが。 課題プリントは、希望者だけに配布された応用問題のものだが、定期テストにほとんど類似の問題が出るため、配布量はけっこうある。といってもきっちり解答するものは数人で、もらった解答のコピーが学年内で出回るだけだったりする。 鞄を足の間においたサスケは腰をおろし、手すりの間から校庭を見おろした。 「知り合いでもいる?」 「ちっこくて見えねえよ」 「そりゃそうだ」 タバコ吸っていいか、とカカシが言うのにサスケは横目に一瞥したのみで勝手にしろと頷いた。 「最近、職員室で吸っても怒られるんだよね」 「だからっていいのか」 建物が老朽化してるため、屋上には立ち入り禁止と生徒指導部がいったのは今週の朝会での話だ。教師みずからやぶるのはいいのだろうか。 「人がうじゃうじゃしてるの嫌なんだよ。だいたい立ち入り禁止、とかいったってたしか昼休み、生徒がフェンスの外でメシ食ってたからだから」 フェンスのむこうには一メートル以上も幅があって、足場もしっかりしているから突風でも吹かないかぎりは平気で歩ける。だからといって学校側がなんの措置もとらないのは許されなかった。 「ま、近所の人にみられてたら、そいつは反省文だったね」 「あんたが?」 「いんや、第一発見者は海野先生」 タバコを缶でけしたカカシはよいしょと立ち上がり、見あげるサスケについておいでといった。 本館二階の職員室にある机から必要書類をとってきたカカシについて数学研究室のある四階に向かう。 数学研究室は本館の一番上、旧音楽室や視聴覚室があったフロアで今は特別棟のほうに準備室が移ってしまったため、学校の中でもいちばん閑散とした場所だ。二階にある職員室からは遠いが、数学基礎テストの再試や特別補講の時には臨時の教室にできるため、数学担当の教師たちには不満はないらしい。 曇りガラスから差し込む光がコンクリートの階段を四角く切り抜いている。チョークですこし黄色っぽくなった白衣の背中について階段を昇っていると、階段を急ぎ足に降りてくる女子生徒の頭が見えた。 「あ」 女子があげた声にカカシが女子を見、そして背後のサスケをかえりみる。さがしてたんだ、という言葉にサスケが眉をひそめたのにカカシは人差し指で数研の方向を指し示し、ひらりと手を振って階段を昇っていってしまった。 薄情ものめ、と数研のなかに滑り込んだ背中にサスケは柄にもない悪態を心中でつき、先ほどの女子に視線をあてる。委員会の用事だろうか。 「なんか連絡事項でもあんのか」 「あ、そういうのじゃなくて、私、あの、男子剣道部のマネージャーやってるんだけど」 「……それで?」 「うん、あ、私も女子部のほうなんだけどね、先生に頼まれて兼任してるの。それで、先輩がもう引退だから部員がたりなくなっちゃって。あ、推薦でもう進路決まった先輩が手伝ってくれるんだけど、選手にはできないから」 それで経験者に勧誘をかけているらしい。 「……悪いけど」 断る、と言い、最初の目的地にむかおうとしたら待ってと言われてしまった。なんなんだ、とスラックスのポケットに手を突っ込んだままサスケが振り返ると、その女子はなにかきっぱりとした顔をしていた。だが振り払うにはタイミングが遅すぎる。最初からカカシのあとについていけばよかったのだ。 「……それも、悪いけど」 あんたの名前も知らないし、と内心でだけ言って、後ろを振り向かない。一段飛ばしで階段を昇り、3階と4階の間にある踊り場、階段がおりかえしているため壁の影になっているところに行けば案の定だ。 「素っ気ないね」 「しょうがねえだろ」 「あの子、さっきの子だろ」 「……」 あのときから屋上にいたのか、と顔をしかめる。どうしたって気まずいものだ、こういうのは。聞かれた方も聞いた方も。特に。 振り返らないまでも背中に感じる視線に、みじかくため息をついたサスケは階段の途中でたちどまる。 「あいた」 いきなり止まると思わなかったのか、カカシがつんのめって手すりを支えによろける。階段の段差はだいたい20cmほど、サスケの身長が168で、カカシが181だから一段上ぐらいが丁度いい。 メガネが非常に邪魔だが、レンズの奥で眠そうな目が驚いたのに気をよくする。顔を離したサスケは、唇のはしだけに笑みを浮かべ、傾けていた顔をもとの位置にもどした。 ちょっと顔にひっついてレンズがよごれてしまったな、と思いながらカカシもちらりと笑う。 「……ご機嫌とりのつもり?」 「したかっただけだ。悪いか」 「いんや」 数センチ視界がうえなだけでどうしてこんなに上機嫌でえらそうなんだか、と思いながら数学研究室のドアに鍵を差し込む。曇りガラスに「テスト問題作成中!生徒立ち入り厳禁!」との張り紙があるが、一分後の運命はゴミ箱の中だ。 |
「屋上」/カカシサスケ |
派生して数学教師白衣カカシ登場。 |