太陽が目をつむる
4.あすなろは唄う【前】











最近おかしい。

天井の板目をサスケは見あげた。なんでこうなるんだと前髪をかきむしる。何かがおかしい。絶対におかしい。

起きた、と後ろのかたまりが身じろぐ気配がして腰のあたりにどしりと腕がのせられた。

「あー……ぬくい」

わさわさと脇腹の辺りをくすぐられるのに寝起きの神経が跳ね起きて、慌てて体を丸めた。

「っにしやがる」
「もうちょっとゆっくりしたら。おまえ今日アカデミーでしょ」

ちがったっけ、と言うのに肯定の意味で黙ったサスケは上体を起こすと渋々といった態で振り向く。よっこいしょ、とベッドに転がったカカシは欠伸をしつつ、いけずうずうしいことをのたまった。

「夜勤あけで眠くてさ」
「だったら家帰れ」
「おまえんとこのベッドってでかくていいよね」

十時になったら起こして、といったカカシはマスクをおろす。手甲をそれぞれひきぬいてベストのポケットに突っ込み、額宛をはずして床に放り投げた。装備がこすれあって存外重い音が立つ。もそもそと布団のなかにもぐりこむのにサスケはため息だ。

「――――あんたな」

ばさりと上掛けが跳ね上がるのに、ようやくまともに取り合うきになったかとサスケは安心した。のも束の間、カカシは脱いだアンダーの黒いハイネックを床に落とすとまだ布団の中にもぐりこんだ。しかも手で布団を丸めて、繭にこもる徹底ぶりだ。

ち、と短く舌打ちをしたサスケは前髪をかき回し立ち上がった。数秒後、顔を洗うべく向かった洗面台、コップにいつのまにかもう一本歯ブラシが刺さっているのにもう一度、盛大に舌打ちをした。

「奢るからさ」

のそりと布団から顔をだしたカカシは、顔をあらうべく頭にタオルを結ぶサスケの背中に声をかける。

「あ?」
「だから今日の買出し分、奢るって云ってんの。ベッド代」
「……」
「要らないならいいけど」
「いる」
「がめついねえ」

自分から言い出したくせしてからりと笑ったカカシは蛇口を捻った。かすかな水音がたつ。まぶしくともどこか熱を失いはじめた初秋の朝の光りが窓から落ちている。洗面台に屈みこむ裸の背中に文句言うならでていけ、と悪態をついた。

だが貰えるものはきっちり貰う。

「そうだ、サスケ」
「なんだ」
「悪いんだけど、需品科いって薬もらってきてくれない?」
「……怪我はしてないだろ」
「心配しないでいいよ。補充のがきれてんの。申請は書いてあるから」
「てめえでいけよ」
「用があるから頼んでるんだよ。頼まれてやってよ」

おやつ好きなのかっていいからさ、と付け加えるのに、いつまでもくどくど会話につきあうほうが面倒くさくなってさしだされた申請書をひったくった。

「おやつは三十両までね」
「いるか、ボケ」





夕凪の終わりを告げる風が堤の芒をゆらし、川面は鬱金に鈍く照った。

白く雲すら灼いた残暑はいくつも野分の来ぬうちに静かに行き過ぎ、里にはどこに咲いたともしれぬ金木犀の香が漂う。睦まじく飛びかっていた蜻蛉も暮れかたにひとり花穂に休むのを見かけるばかり、木々が霜の訪いに粧いをかえ葉を落としだす日もそう遠くはない。

ながく足元から伸びた影の傍らを八手の葉をもった子供達が笑いさざめきながら駆け抜けていった。ふりむきながら、先生さようなら、と声をあげるのに手をあげて軽く振る。ふと仰げば星影こそなくとも青く翳りだした空に満ちるには足りぬ月が白く浮かんでいた。

呼び声に校庭をあるいていたサスケが振り向く。
渡り廊下の窓ガラスから、みなれた教師が顔をのぞかせていた。

「サスケ!っと悪い、急ぎか?」
「需品科に行くつもりです。……なんかあるんですか」
「じゃあいいや。また来週よろしくな!」

今月から週三でアカデミーの授業の手伝いに呼ばれていた。なんでも産休でひとり教師が減ったため、忙しかったらしい。あげくイルカは先月過労で倒れた。だが他の教師陣も手一杯で復帰したところで時間がたてばまた倒れることになるかもしれない。

人手が足りないとわかっているが急にいわれて、教員希望で研修可能なものにはすでにいっぱいいっぱい仕事がふってある。結局、カリキュラムを適切に進められる教師が増えるものでもない。

だが屋外でおこなう演習の監督ぐらいは、中忍であれば十分できる。演習は模擬戦として行うが、やはり子供だけでは危険がともなうものだしで、どんな小さなものであったとしても中忍以上が一人、下忍二人が監督をしなければならないのだ。

繁忙期というほどでもないため、体のあいているものが持ちまわりでアカデミーをおとずれることになったのだ。サスケもその一人だった。同期連中のなかではシカマルやシノも呼ばれているし、新顔ではサイといった顔ぶれもある。

それぞれ、特技があるのはいいが特化しすぎると使いづらいという弊害もある。忙しいときと暇なときの差が激しいが、ある程度任務を与えなければ、収入をえることができない。アカデミーにとっても仕事がない忍にとってもありがたい話だった。

サスケに関しては単純に扱いかねるといったほうが正しい。かつて里抜けしたことをかんがみれば外勤に出すことは憚られるし、内勤で使うにも優秀であるためかえって使いづらいことこのうえない。実力だけであれば、上忍と目されていることは周知の事実だった。

「子供の相手疲れるかもしれないけど、またな。お疲れ」

体調気をつけろよ、とすこし痩せた顔でいわれるのには笑うしかなかった。過労で倒れた人のいう科白じゃない。お先に失礼します、といってサスケは需品科にむかった。

月末が近づいているため、補充をしろとせっつかれているらしく方々の部隊の連中がごったがえし、待合のベンチは埋まっている。煙草の煙で電燈のあかりがにじむほどだ。事務係たちは足早に奥と窓口を行ったり来たりしていた。

需品科の受付で記入済みの個人用申請書とあらかじめ渡されていた受け取りの委任状を出すと、一瞥もせず事務係は整理券をつきだし少々お待ちくださいと無愛想に告げた。

整理券の番号は今呼ばれているものにくらべて相当はやい。十五分以上はかかるかと観葉植物そばの壁によりかかったサスケは机におかれて申請書類の束や陳列されたチラシを眺めていた。古びた掲示板にはさまざまな告示や募集要項、研修の案内などがはられている。

委任状があるあたり用意周到で、最初からいいように使うつもりだったことがあからさまで癪に障る。

大隊や部隊に所属するものは隊単位で需品科から支給をうけるが、カカシのように少人数で小隊を組み難度の高い短期任務をこなすものは個人で事前なり事後承認なりで支給の申請をあげることになる。だが里もいわれるまま支給していれば予算が尽きてしまう上に、忍によっては携帯する装備に制限もある。他人に受け取りを頼む場合は、のちのちなにかあったときのため紐付けの意味で委任状を添付することは必須だった。

整理券の番号を呼ばれるのに窓口に行けば、あわせて申請をしていた装備が重い音をたてて置かれた。中身をたしかめてから、顔をあげると申し訳なさそうに伝票をひとつ出された。

「すみません、このキットいまこっちで在庫がきれてるんで、明日受け取りにするか薬局に自分でいかれるか、どっちかになります」

さんざん待たされるのに明日もまたくる羽目になるなんてゴメンだ。

「薬局で」
「じゃあこちらお持ちしてください。伝票だせばすぐくれますので。すみません」
「いえ」

余計な手間がかかると思うが請け負ったからには、行かないわけにはいかない。面倒くさいと装備を背負い、病院まで向かった。受付に近づいたところで、女の声がサスケを振り向かせた。

「サクラ」

廊下の向こうから小走りに歩いてくる。

「どうしたの?」
「救急キットの補充」

伝票をみせると、サクラはサスケの手からひょいと取上げた。

「ああ、需品科できれちゃったんでしょ。大隊の申請がいきなりきたもんだから、ごっそりもってかれちゃったのよ。貸して」

そろえてくる、といって薬局のほうにサクラは向かってしまった。

「あれ、サクラは」

今度は誰だとふりむくとサイが立っていた。こいつはあまり好きじゃない。苦手だ。相手も同じように思っている気配があるからお互い様だとかえって気兼ねなく接することができる。

「薬局」
「なんで」
「救急キットそろえてる」
「なんでサクラがやってるの?」

心底不思議そうな声と顔で尋ねられて、サスケが知るか、というと、サイはじっと見つめてきた。虫でも観察するような不躾な眼差しにサスケは眉を顰める。

「僕にはいまだによくわかんないんですよね」

だまっていたところで、サイはお構いなしに言葉を続ける。

「なんでサクラもナルトもそんなに君が好きなのかな」
「……知るか」
「知るかって君のことでしょう。きいても教えてくれなかったんですよね。お前にはわからないって」
「わかんねえでいい」

答えるとサイはかすかに目を見開いて驚いているらしい。

「そうなの?」
「口、閉じてろ。うるせえ」
「僕、友達あんまりいないからわかんないんですが、もしかしてこれケンカ売られてるんですか?」
「……」
「残念だな、君とは仲良くしたいんだけど」

ありえない科白をきいた気がしてサスケは思わず首をねじむける。だが思いのほか近い位置、真正面にサイの顔面がぎょっとした。近い。

「おまえ、……気色悪い」
「ナルトにもよく言われるんだけど何でかな」

ケンカを売られてるのはどちらかといえば自分のほうだと問い詰めたい。なにか種類が違うとしか思えない、白い指を頤にあててサイはすこし悩むようだ。

「僕としては、君といるとブス女がうれしがるような気がするからしてるんだけど」
「あ?」
「なにやってんのよ!サイ!」

ブス女って誰のことだ、と聞く前に、廊下を高い大声がこだまする。ね、とサイは思いのほか子供みたいな顔でサスケに笑いかけた。

床を踏み抜く勢いでやってきたサクラはサイの首根っこをふん掴まえてひきはがすと、救急キットの包みをおしつけた。

「はい、サスケくん。これ」
「悪い」
「ううん。気にしないで。っていうか先生不精しすぎ。サスケくんもやさしくしてあげないでいいのに」

本人がきいたなら泣いてしまいそうなことをサクラはいいつつ、サイの耳をひっぱっている。タップをしてサイが痛みを訴えようとおかまいなしだ。

「おまえは、どうしたんだ」
「具合が悪かったんでしょ」

答えたのはサイだった。黙ってろ、とサクラがいうのもお構いなしにサイはサクラを指差す。

「ブス女、身の程知らずに任務つめすぎて体にでて、五代目に謹慎食らったんだよ。で、あってるよね?」

ひょい、と首をかしげて顔を近づけるサイの頬を、閃いたサクラの右手がおもいきりビンタした。盛大な音にサスケはそれと悟られないながら、大声に驚いた猫のようにわずかに首を竦めた。

「よっけいなこと、いってんじゃないわよ!」
「あんまり昂奮すると、お肌に悪いんじゃないの」
「ストレスそのもののアンタがいうな!」

ぽんぽんと交わされる忌憚ないやりとりにサスケは呆気にとられるしかない。

「体にって、どこ」

それでも尋ねたサスケにサクラが、う、と詰まる。答えたのはもちろんサイだった。

「婦人科」

直後に壁に顔面をサイは強打する羽目になった。同情していいものかは、いたたまれなさそうなサクラをみているとわからなかった。

「そこで気まずそうな顔しないで。お願いだから」

サスケくんにそういう顔されるとほんとに困るから、とサイを締め上げながらサクラがいうのに、サスケは押し黙るしかない。

「大したことないんだから、心配しないで。師匠にきつく言われて通ってるだけだから」
「わかった」

うなずくとようやく、ほっと息をほどいたサクラは待合のベンチに背中を預けた。

「サスケくんのいいところよね。ナルトとか煩いし」
「あいつは昔からだろ」
「まあね。声でかいし。アカデミーに顔出してるんでしょう?慣れた?」
「ガキはうるせえ」
「あはは、煩いからって脅かしちゃだめよ」

なんでばれたんだとサスケは黙る。

「イルカ先生がこないだ言ってた。サイからも話聞くし。ほら、あんたいい加減立ちなさいよ」

腕がしびれちゃう、と可愛いことをいうサクラに赤くなった喉元をおさえたサイがぼそりと呟く。

「サクラは筋肉ばかりつけるから胸ないんじゃないの」

数秒後、信じられない、と怒髪天をつく勢いのサクラがサイを引きずっていくのを見送って、サスケはぽつりと呟く。

「……なにやってんだ、あのウスラトンカチ」





イエス!とガッツポーズをとる子供の襟首を、まきあがった土煙のなかからのびた二本の腕がひっ掴まえた。ぶっきらぼうと言ってもたりない冷徹な声が響く。

「ホタル、足が遅い。減点」
「っぎゃ!」

悲鳴をあげる子供を後ろに放り投げたサスケは、木の枝をクナイできって落とした。

「ミツバ、フタバ、アオイ、あわせて減点」

口々に声をあげてどさどさと落ちてくる子供達がちゃんと受身をとっているのを見て取って、とりだしたワイヤーを引っ張れば、はなれたところで子供の大声が響き渡る。

「わー!」
「逃げようとしたハギとエノコロ、キジも減点」
「なんでばれんだよ!」

ワイヤーに絡まれた足をばたつかせながら睨みつけてくる子供にサスケは取り付くしまもない口調で簡潔に答えるだけだ。

「どいつもこいつも気配の殺し方があまい」

んなこと言われたってよぉ、と文句をいうのにつべこべ言うな、と黙らせて目隠しをはずした。

「隠形ができねえ忍なんて忍じゃねえ。ハンデやってこれかよ」

情けねえな、というと地団太をふんで子供達は悔しがる。

「一週間!一週間後みてろよ!」
「やれるもんならな」
「おいおい、あんまり煽るなよー」

怪我すんだから、とボールペンで頭をかいたイルカが苦笑すると、きゃんきゃんと子供達が口々に噛みついた。

「イルカ先生は黙って見てくれてりゃいいの!生徒がせいちょうすんの、嬉しくねえのかよ!」
「実習もいいけどお前等のチームは、ペーパーがなあ。このままいくと補習になるぞー。補習は面倒なんだよなあ」

先生、ぶったおれたばっかなんだから無理させんなよ、とけろりと盛大な厭味ともとれる科白を言いはなつのにサスケも生徒も押し黙る。静まり返った空気になにかおかしいと気がついたのか、エンマ帳から顔をあげたイルカは首を傾げた。

「なにおまえら黙ってんだよ。へんな奴等だな」

じゃあ演習終わりな、と話をまとめたイルカは立ち上がるとサスケをみて片手を顔の前に掲げて、ちょっと謝る仕草をする。

「サスケ、じゃあ悪いけど会議はいるから後片付け頼むな」
「あ、はい」

演習に使ったトラップ用の器具の片づけを頼まれて、サスケは頷く。子供達が手伝うのも恒例だ。声をかけようとしたところでサスケは目を見開いた。円陣をくんだ子供達が切羽詰った顔で迫ってくる。

「サスケせんせえっ!」
「あんたを」
「あんたを男と見込んで頼みがある!」





残業代は出ねえな、と同じシフトで上がりのシカマルが言うのに他人事だと思いやがって、とサスケは目つきを鋭くする。

「ま、いいじゃねーか。閑職よりましだろ。ガキに人気でめでてーこった」

比較してマシなだけだろう、とサスケは思う。シノは蟲使いで女子はどうしても引きがちになって言うことは正しいがテンポが独特すぎる、サイはサイで絵をかかせてさえいればどうにかなるが口を開けば放送禁止用語がうっかり飛び出して、男子に無駄に大人気だが授業になるかといえばはなはだ疑問だ。シカマルは比較的、高学年に人気だ。放っておいて遊ばせてくれるのがすきなのだろう。

どう考えても自分の柄じゃないとサスケは唸る。

「こういうのは、あいつのがいいだろ」
「どいつだよ」
「ナルト」
「そりゃ、脳みそがガキと同レベルってだけじゃねーのか。そもそもペーパーにゃあいつ絶対役にたたねーだろ」

否定してやることはまったくできない。基本的な忍歌さえろくに覚えていなかった奴だ。

「オレだって得意なわけじゃねえ」
「春野がいるじゃねーか」
「医療忍は忙しいだろ」
「そりゃそーだ。人数たんねえもんな。ま、ガンバレや。疲れてんなら病院でビタミン注射でもしてもらえよ」

他人事だと思う口調の気楽さが恨めしい。

「……あいつらが補習になったらどのみちてめえも道連れだぜ」
「ばっくれる。オレ、査定そんな悪くねえから。これだって頼まれなきゃやってねえし。人生信用って奴だな」

むかしからサボリと手抜きの上手いやつだったとサスケは思い出す。いかに低空飛行で潜り抜けるかを知ってる奴だ。本気で面倒くさがっているだけなのだからタチが悪い。

「あ」

立ち止まったシカマルが声をあげるのに、サスケはなんだよ、と顔をあげる。シカマルが顎をしゃくった。坂道の下、病院の口ではなしているらしい金髪の背の高い少女が見えた。

「いのだ」
「……」
「そう厭そうな顔すんなよ。ま、ガキんときあんだけへばりつかれりゃ厭になるかもしんねーけど、最近は落ち着いてきたろ。気ィ強えのはかわんねーけど。春野もいんな」

あいつ大丈夫なんか、ときかれてサスケは目を瞬いた。

「……お前も知ってんのか」
「いのがうるせえからよ」
「自分じゃなんでもねえって言ってたがな」
「信用なんねーな。だから女ってめんどいんだよな。特にくのいちはプライド高いから気ぃばっか強くてよ、加減しらねーから。指摘すっとヒスるし」

まあいのはそうだろう。サクラはどうだろう、とおもってけっこう頑固なのだったと思い出した。ナルトと二人して追いかけてきたときの根性は脱帽するしかない。

「お、サイもいんな。なあ、あいつと春野って実際どうなん?」

思いもよらない質問に呆気にとられているのも知らぬ気にシカマルは続ける。サイがなにか変なことをいったのか、サクラに思い切り肘鉄をいれられていた。

いのの笑い声が花のように響いてくる。

その数日後、サクラが入院した、という話をきいた。
同じ日、サスケはナルトに殴られた。








「あすなろは唄う」/カカシサスケ




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