朝の歌










暗幕を切って落としたような、すっきりとした目覚めだった。

あおい光の降りた部屋がまだ朝を迎えていないことに焦点の定まらない目をゆっくりと瞬きをした。とろとろと眠気の残る体に、やわらかくあたたかい布団は心地よかったが肩が妙にさむかった。物足りなさに違和感を感じ、おかしなことだと思いながら布団をかき寄せる。

素肌を滑るシーツに、物足りなさの正体が自分が寝巻きを着てないことだと気づいてますます違和感は深まった。ぎょっとして身じろぐとひどくやわらかいものに背中があたってびくつく。

はっとした。布団がちがう、枕がちがう、天井もちがって、何より匂いが違った。かぎなれた自分の部屋のものじゃない。だけど知らない匂いではなかった。だが脈拍を鎮める助けには全くならなかった。

三度も四度も跳ね上がった心臓は肩口をくすぐる呼吸の湿りにぎゅうっと縮み上がった。頭にのぼった血がそのまま手先足先まで通って、耳の後ろがどくどくいった。詰めっぱなしのままそろそろくりかえしていた息を吐き出すと、音が響いてその音にまたびくりとする。体の震えが伝わったんじゃないかと視線ひとつ動かすにも鼓動がはねた。

だがカカシは起きなかった。

ほっとして、でもサスケは少しむかついた。なんだか自分だけバカみたいだ。

眠りはせいぜい一、二時間だと思う。居たたまれなくて、上掛をはいで肩から羽織るとそっとベッドを抜け出した。ベッド傍の床に散らばっている服からは強いて目をそらした。関節がきしむような体の痛みが鈍く、今までに知らなかった類のもので、少し下がった血がまた頭にのぼった。

(ほんとにバカみてぇ)

夜明けを待ってきんと冷えた空気がフローリングの床に硬直していた。雪が降る前の無音に似ている。時計の音だけが固まったものに針をつきたてヒビを入れていた。

裸足の形に蒸気が床についたが、冷えてすぐに消えた。窓ガラスに額を当てると、目の前が曇った。

しじまに無表情でよこたわった町並み、空が明らみ紺青から碧藍、紫紺、星が色をうしなって見えなくなり金色の雲が高いところに繊くたなびいていた。東のふちが水紅色に染まりながらうすれ、爪みたいな月が白くうつりかわり淡青の一色になる。

靄のように眠る町をつつみこんでいた闇がすきとおって希くなり、だんだんと木々の緑、青や銅の瓦が水底からゆらゆらあらわれだす。

新聞配達のエンジン音が響いてくる。いまさら遠い鳥のさえずりが耳に飛び込んできた。

カカシのエロさは想像を絶したが、何も変わらない。
特に何も変わりない、いつも通りの朝だった。







汗のひいた体はそれだけでも冷えていたのに、裸で窓辺に突っ立っていればますます冷える。シーツを掻きあわせたサスケは、まだ中に何かあるような違和感に眉を顰めながら洗面所へと歩いていった。







昨夜いれたままの湯は誰も漬かっていないから落とされもしなかった。ぬるかったが体を暖めるには充分だ。寒さにかぶせ湯をするのも忘れ、サスケはバスタブに片足を突っ込む。

「!」

ぬるりと内腿をつたったものに背筋が粟だった。

ずるりと滑りかけてあわてて足をバスタブに手をついて体を支える。
その拍子にまた水と違うぬるみに膝の後ろをなぞられて、ぶるりと震えた。










つい最近覚えたばかりの感覚を、刷毛で撫でて探し出すように時間をかけ、丹念に引き出された。呆れるほど辛抱強く、でもたしかに愉悦を持って見られていた、ぜんぶを。

自分の指とは比ぶるべくもない、無骨な刃を扱う指先から想像できないほど繊細な動きに暴かれて、呼吸を整える暇もなかった。掌で爪でどこがいいのか教えられて、どこが逃げたくなるほど深く浚うかも気づかされた。

追い上げられたとわからないうちに落とされて、目の前を火花が散るような気がして、腰から総毛立つような震えが這いのぼった。

汗ばんだ肌を手のひらが這い、唇にたどられて濡れた音に混じる息の乱れが他人事のようだった。抵抗が意味を無くして、含まされた指のそよぎに力の抜けた足がむやみとシーツを乱した。

たちの悪い熱に炙られて泣かされ枕を噛まされて、あとはもうほとんど覚えていない。

切羽詰ったみたいなそのくせ食事する犬みたいに嬉しそうな目をした顔が映って、それが。











「――――っ」

おたがいの息づかいを肌で知って顔がぼやけるほど近づいた時なんかとは比較にならない、とほうもない恥かしさだった。慌てて洗い場にでるとシャワーのコックを勢いよくひねる。水を頭から引っかぶって心臓が止まりそうになったが、問題にならなかった。

(ぜったい無理だ!)

水が入らないよう赤く火照る耳を両手で抑えながらぶんぶん首を振る。

いつも通りの朝なんて嘘だ。まったくもって錯覚だった。とんでもない錯覚だった。

親の仇のようにスポンジに石鹸を泡立て、もれていくぬるつきを洗い落としながら、顔はほとんど泣きそうだった。

(信じらんねえ!)

体を洗い、シャワーコックをひねってお湯を止めるとバスタブにどぶんと勢いよくつかる。湯気を上げる水面から出た膝に額を押し当てると、深呼吸をした。

「……信じらんねえ」

それでもあーとかうーとかうめきながら、体の芯が温まってくる頃にはサスケはいつもの調子に戻っていた。腹をくくればあとは早い。

どうせ奴のことだ、いつもとおなじくすっとぼけた面で緊張感を削ぐだろう。大丈夫、大丈夫だ。へらへらしているがそこら辺はしっかりしてると信用している。なにせ大人だし上忍だ。

ふう、と何度目かのため息をついたとき。

がらり。

ばちりと音がしそうなほど真正面から視線を合わせた。驚いた心臓は却っていつも通りに落ち着いたようだった。

「……フロ借りてるぞ」
「……あ、あー、うん」

いつも通りの切り口上に加え、バカみたいに当たり前な科白に、ぼさついた髪が鳥の巣のようなカカシは曖昧に頷いた。そのことにサスケは少し安堵する。大丈夫だ。ちっとも変じゃない。

少々ためらいはあるがいまさらだ、カカシも準備万端でタオルのほかは裸だ。いまさらだ、とサスケは男らしくバスタブから上がった。

「もう上がる、入れよ」
「あ、いいよ、べつに」
「いや、もういい」
「………………………」
「?」

形の良い眉が寄った。カカシの何処を見てるか良くわからない眠そうな表情に何の変わりもない。昨夜は余裕もなくてじっくり見れなかったが、左目を隠す眼帯の端から引き連れた傷跡があるほかは意外に整っている。

「カカシ?」
「……ぅ」
「ウ?」
「……うー、あー、……やっぱ俺駄目だー」

ひどく情けない響きと同時に、ぷしゅうと空気が抜けるようにカカシはずるずるしゃがみこんだ。

目を丸くするサスケの前で、がっくり垂れた頭、眼帯で覆われた左目の表情はわからず、右目も髪に隠れてわからない。白っぽく光る銀灰のすきまから、赤く血の色をすかした耳たぶだけが見えた。

「あのさ……とりあえず、隠してくれる?」
「っ!何であんたが照れんだ!!」
「……俺だって照れるよー……」

どぶんっとまた勢いよくバスタブに逆戻りしたサスケの怒鳴り声に、少し掠れて苦りきった声が返る。

アホか俺は、いなけりゃ普通フロだろ、とかぶつくさ言いながらカカシの耳はちっともいつも通りにならない。傷跡の残る手がしがしと頭をかき回しだして、猫っ毛の頭はとんでもないことになっていった。あとで櫛をとおすときに大変そうだ。



心臓が口から出そうな沈黙と緊張のあとに。

「帰っちゃったかと思った」

もう血管が切れそうだった。






カカシサスケ「朝の歌」





後朝(お初)。
恥かしさか怒りか、それは皆さまのご随意に。
風呂ネタが多いのは私が風呂好きだから。
「虹をこえて」のパラレル続き(なんじゃそら)。




カカシ編







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