ガラス戸を引く音にカカシが振り返ると、カーテンの中から鞄を脇にはさんだ帰り支度、つまらなさそうな顔をした教え子が顔を出している。 「ごめん」 まだ大分残っているタバコを白衣のポケットからとりだした携帯灰皿に押しつけて消そうとするといや、とすこし聞き取りにくいながらも返事を返してくる。じゃあ甘えて、といってまたしばらく吸った。最近はどこも喫煙者に対して肩身がせまいような状態で困る。特別マナーがいいほうではなかったが、悪いほうでもないとは思うのに。 ようやく春らしくなってきた空は青みを濃くしているが、まだ暮れるにははやい。ただ西の方にかかっている雲がやわらかな黄色みを帯びだしているばかりだった。 「いつもベランダで吸ってんのか」 「まあね」 「こないだもあがったろ」 「なにが?」 「税金」 「ああ、タバコのね。うん、厳しいよねえ」 百害あって一利なしなのはわかってるけどしょうがないしね、とカカシは笑い、おまえも吸いなさんなよといえば、あんたが言うなと片方の唇を引き上げて笑う。成長を見込んでの採寸なのだろう、すこし大きめな学ランの襟はカラーがしっかりしていて、気持ちがいい。脱色しないのがかえって珍しい黒髪と眼鏡に隠されているが筆ではらったような切れ長の目尻を細めた容貌を見下ろして、女の子に人気があるのもまあ分かると納得する。いかんせん無口無愛想無頓着だったが。 「ごちそうさん、そんで、今日はなに?」 タバコを消してから、学ランの肩を軽く押して数学研究室の中にはいった。 「ナルトがいってたろ、体育祭のビデオよこせよ」 バイトが入っているのだろう、壁にかけている時計をすこし気にしている。 「ああ、あー、あれね」 「……」 「そんな目で見ないでよ。怖い怖い」 探すからちょっと待って、と言い置いてからプリント類の山積した机から離れ、参考書や解法辞典で埋まった本棚を見上げる。どこ入れたっけか、と呟くと案の定つめたい一瞥がきたのに傾いた眼鏡をかけなおす。 「随分いっしょけんめいね」 「今年は負けねえ」 雪辱ははらすと息巻くのに薄く笑う。先輩として気持ちは分からないでもない。 5月の最後の日曜日に行なわれる体育祭は旧制中学の名残か十年ほど前まで男子校だったせいか文化祭など比較にならない規模で行なわれる。中高合同で中一から高三まで六学年が同じクラスの五団体に分かれて角を突き合わせるのだった。 中でも午前の部、午後の部それぞれ目玉競技で大きな点数が動く騎馬戦と棒倒しは毎年熾烈な争いが繰り広げられる。しかも進路決定のせいでそのままクラス替えをしないでもちあがる高校生ともなると、体育祭が終わったとたん翌年の作戦が練られるのも特徴だった。 「大将がナルト?」 「バカだがちいせえからな、上に乗っけるのに都合がいい」 五センチと変わらない身長のくせしてよく言う、とカカシは頭半分下の黒い旋毛を見下ろした。 「おまえね…。そんでおまえは?前?後ろ?…おまえの性格じゃ前か」 守りなんてまだるっこしいことやってられるかと攻めてくタイプだろう。一撃でしとめないとおそらくスタミナが続かない、電光石火の先手必勝型。 「たりめーだ」 どこから溢れるんだこの無駄な自信はと笑いながら机にのぼったカカシは本棚の上にあるダンボールを覗いていく。 「って、あら、これβだわ」 「ベータ?」 「おまえらそっか、知らないんだっけ。昔なー、今のDVDと同じでビデオにもスタンダード争いがあったのよ。それで買ったのがVHS、負けたのがコレ」 ダンボールをかかえて机から降りたカカシが手招きするのにサスケは歩み寄る。雑然と年代もなにも関係なくつっこまれたビデオの山のなか、差し出されたのはふつうのビデオより幾分か小さなものだった。撮影したらしい年度が日焼したシールにマジックで描かれている。 「…プレーヤーあるのか?」 「…ない、ねえ。よっぽどのマニアじゃない限りこれは。画像が当時きれいだったらしいよ、こっちのが」 「……使えねえ」 ちょっと残念そうだ。 「放送部のとこになら残ってんじゃないのかな、別撮りで」 「そうか」 「っていうかお前らこんな古い奴までひっぱりだして研究すんの」 「まあな」 せいぜい頑張りな、と笑うとサスケも笑った。 「カカシ」 「ん?」 自分から呼びかけたくせに躊躇うように床に視線を下ろしている。カーテンでやわらかくぼけた春の光が柔らかそうな睫の影を頬におとしていた。 「…来月、どうする?」 来月、と聞かれてカレンダーをみてすぐ思い出した。 「あー。行くよ、もちろん。七回忌だろ」 そうか、とすこしだけサスケは安堵したらしくいつも皺をよせてばかりの眉を和らげた。 |
「晴天なり。」/カカシサスケ |
シリーズ化、しました。 高校生イインチョです。 掌編でぽちぽち行きます。 next |