ビデオの中、砂埃が湧きあがり、カメラマンの動きにしたがって視界がぶれていく。叫びと響く足音、サポーターをつけているからかえってお構いなしに手が出ている。ルール違反だと怒号も聞こえるが仲裁にはいる教師もなかば命がけだ。これでよくPTAからクレームがこなかったものだと思ってしまうほどだった。 「お前、熱心だなあ」 ずっと見たままのサスケにキバは半ばあきれて中身が半分ほどになったグラスを傾けて飲み干す。ペットボトルから注ぎ足し、サスケのグラスにも足そうとしたがほとんど口をつけていないようで無理だった。 「真面目だよな」 「そうか?」 「気合入れるのもわかるけどよ、三年の時とかでも別にいいだろ。ま、でもこういうのはやんねえとダルいだけだからな」 シカマルなんかその典型だろ、とキバは笑い、空になって放り出されているビデオのラベルに目を落とす。胡散臭い数学教師にも高校生の時があったのだと驚かされた奴だ。騎馬戦の様子を逐一見守っているサスケをみながら画面に目を移す。 この頃の騎馬戦のルールは現在の大将をたおしたら終了なのではなく、総当り戦だ。制限時間内で騎馬が残っている数が多いほうが勝ち。それでも大将には五倍の得点が与えられていたから、大将も大変だった。 開始のピストルの音と同時に綱から解き放たれた牛かなにかのように突進していく。けれどよく見れば三手ぐらいに分かれていた。散開して相手の横を捉えるものと攻撃の主力部隊、それと大将の周りについて守るものと。 「…よく、動くな」 「あの二組だろ」 「これはたけと、このちいせえの、すげえな」 なんかこれお前に似てるな、といえばサスケはすこし見覚えのある、ちょっとなんとも言いがたい妙な顔をしたあと、従兄だからな、と答えた。 「いくつだよ?」 「14上だな。もう亡くなってるけど」 「……わりぃ」 「いや、ちょっとちいせえ頃に遊んでもらったくらいだからな」 よく葬式とかもわかってなかったし、とサスケが答えるのにキバはちょっとだけ安堵する。 「俺もばあちゃんの葬式とかわかってねえんだよな。ばあちゃん子だったからすんげえ泣いてたとか言われたんだけどさ、薄情だけど記憶自体ねえからさ」 なんか申し訳ない気分にもなんだよなあ、と呟く。 「……だからおまえ、はたけと仲いいンか?」 何の気なしに尋ねるとサスケがなんだそれはといわんばかりの顔をした。 「や、だってお前最初っから顔見知りっぽかったじゃん。言わなかったけどよ」 「同級生だったから、法事で顔あわしてた程度だ」 サスケは妙な顔をしたまま初めてグラスに口をつけた。眼鏡ごしの眼差しは充電器につながれたままになったシンプルなフォルムの携帯電話を見ているのもしっている。 「お前って、妙なとこで鋭いよな」 「鼻が利くっつってくんねえかな、サスケ君」 笑って言いながらキバは思い出す。すこし目を伏せて面白くもないのに唇をすこしもちあげようとする、サスケが上手くもない嘘をつくときの妙な笑い方。 「そうだ、キバ。来週の水曜、オレ休むから」 「お、優等生がなんでよ?」 「法事があんだよ、その従兄の。だから実家帰るんだ」 また笑う。 どうしてわざわざ独り暮らしなんかしてるんだと訊いたときの笑い方と一緒だ。 家に帰るとやばいから、と笑う顔と一緒だ。 「……死ぬ」 「……」 びくびくと上膊が痙攣する。日に日に高く南中する太陽からふりそそぐ光は足元に円い影をつくり、グラウンドを白く見せる。昨日、スプリンクラーでしめらされたばかりのせいか、たちのぼってくる湿気った土の匂いで窒息できそうだった。ずりさがったメガネをなおしたサスケはうめくような声に最大の恨みを乗せる。 「ウスラトンカチ」 「……ドジョウがない男だってばよ」 隣の金髪は声変わりもろくろくできていない声で文句を垂れる。反論ではないのは自分に一応非があるのを認めているからだ。 それにしても度量だと突っ込む気すら失せさせるのが両腕にかかる重みだった。握力はもう限界に近くて痛みで痺れたような感覚すらある。ずるりと傾きそうになるのを必死で支え、両足をふんばって持ち直す。本番のときには鉢巻で結んだほうが賢明だろう。 位置について、とお決まりの声が聞こえるのにトラックの対岸でタスキがけをした先輩が太鼓の撥を振り上げる。うげ、またかよ、とナルトがうめくのにサスケも立ち上がった。 校庭をかこむよう植わった葉桜をゆらす五月の風に赤組の旗がばさりとはためく。 笑いまじりの歓声に女どもの携帯カメラがいくつも向けられるのをにらみつける。 (撮ってんじゃねえ!) おまえもだ、と視線をとなりにむけたサスケは「喜んでスカートをめくってんな」とスカートの裾がまくりあがるのも気にせず(気にした時点でなにかが終わる気がする)蹴りを入れる。セーラー服の裾をなおしたナルトは「DV反対」と恨めしそうに怒鳴って、ウェーブをつくりに校庭の反対まで走っていった。時々プリーツスカートがめくれるのを楽しむようにツーステップでターンをしてみせるのは完全に嫌がらせかなにかだろう、みょうな可愛気があるところが気持ち悪い。 スカートのめくれもお構いなし、ナルトが走りながら男子に怒鳴る。 「次の次、棒倒しだかんな!予行演習だからって気ィ抜くんじゃねーぞ!」 女子に嬉々として渡されたセーラー服の自分を見下ろしサスケは舌打ちをした。髭剃り用のカミソリでくまなく全身処理をしたのは昨日の話だ。みょうにつるつるピカピカ輝く自分の肌がきもちわるい。 予行演習である。 「なんていうか、壮観だねえ」 吹き抜けになった天井から擦りガラスごしの光が幾筋もおちて床のモザイク模様を照らしている。おおきく開け放たれた玄関からながれてくる風に乗って、競技のざわめきが聞こえていた。 「……うるせえよ。棒倒しでぶつかっただけだ」 「本番前なのにいいの?」 眼鏡をはずしているせいで近視の三白眼をすこしすがめて伏せている。エアーサロンパスを吹き付けすぎで近寄るだけで湿布くさい。本番を三日後にひかえて盛大に怪我をしてるがいいのだろうか。指の甲にいくつもできた擦り傷は、おそらく殴りすぎだろう。血の気が多いのはいい加減しっている。片手で半ば覆われたまだ細い顎からしたたった血が破れて肩までずりおちたセーラー服の胸元を汚している。しみじみとお祭りとはいえ倒錯的な格好だなとのんきに思った。 「あんたこそサボリか」 「することないからね、タバコ」 白衣のポケットから箱をだしてみせれば俯いて鼻を鳴らしたようだ。 「血ははやく洗わないと染みになるよ。お湯につけると固まるし」 「わかってるよ」 サスケは顔の下半分からはずした掌ををみおろし、血がべったりとはりついているのに顔を顰めた。唇もきっているのか、すこし腫れている。 「痛いんじゃない?」 指をのばして血のこびりついた唇を親指でたどる。かさついた感触のなかみょうになめらかに感じた違和感に一度だけ、往復させると驚きに見開かれた視線と結ばれ一度鼓動が跳ねる。だがひらめくようにサスケの眼差しは床に落ちた。顎をひいて俯かれ、かすかに震えていた唇も指から離れる。 「……いてえよ。だからさわんな」 「……ごめん」 声が掠れている。ふいと俯いてサスケは足早に保健室のほうへと歩き出してしまった。足の甲に杭でも打たれたように歩き出すこともできないまま、心臓だけが足早に胸を叩いている。 そうして初めて気がつく。 サスケの視線がただ一度をのぞいて全部そらされていたことに。 「うん?ああ、いいよ別に。いつものとこで待っててくれれば。迎えにいくから」 悪い、と声の出しすぎですこし嗄れた、聞き馴染んだ声にじゃあね、と返して通話ボタンを押したカカシはまだ使い慣れない携帯を机の上にほうりだす。 (別に謝ることでもないとおもうんだけど) この間泊めた夜からなんか遠慮してるようだ。今更だろうにと思う。椅子にぎしりと背中をあずけ、蛍光灯がならんだ数学研究室の天井を見上げてため息をつく。眼鏡をはずして袖で拭くとそれも机の上においた。目のあたりを何度か擦る。 (わざわざ電話にする要件でもないのに) 同じ校内にいるのだ。確かに今日は自分の担当する授業がない日ではあったが、数学研究室に来るだけで事足りるだろうに。些細なことだとは思うのだ。 (なんか後ろめたい気がするんだよね) ノックの音にカカシはどうぞ、と声をかえして眼鏡をかけた。ドアをあけて顔をのぞかせたのは今年で担任を持つようになって二年目の教師だった。印象的なスカーフェイスと人好きのする笑顔、小学生の先生になっても人気だっただろうなと思う。 「カカシ先生いらっしゃいますか」 「ああ、わたしだけですけど」 「よかった、朝礼で校長が言ってましたよね、そのご説明です」 「……はあ、ありあがとうございます」 はあじゃありませんよ、と資料らしいファイルを持って息巻くイルカにカカシは頭を掻いてすこし笑う。面倒事は好きじゃない。 「でも俺、担任はもってない、ですよね」 「担任じゃなくてもですね、先生は副担任の一人なんですし。人手もいるんですよ、一年からだって悩む子は悩みます」 中高一貫のこの学校の進路指導は高校一年の一学期から始まる。予行演習と体育祭の間にかぶってしまうのは中間期末がない時期だからしょうがないだろうし、体育祭の会場設営の時期に授業をいれるよりは面談をいれたほうが楽だからだった。もう予備校に通いだす生徒もいるのだからはじめておそいということもないのだろう。 お願いしますよ、とここまでいうからには学年主任にきつく言われてるのだとたやすく予想できる。 このあたりの感覚が塾講師でしかなかった自分にはないのだろうと思う。あまり大手でもない塾での講師の関係は上司部下というこまかい組織になっているわけではなく、ただ単に塾長と講師の関係があるだけだったからだ。 教師と名の付くものが授業に使う実務時間外によほど力をいれることだというのだけは変わりないが。 「えーと、じゃあともかく、こいつら分の面談をうけもてばいいんですね」 「一人だいたい二十分くらいですから。お願いします」 「はあ」 「こっちが資料のコピーです。使い終わったらシュレッダーかけてくださいね」 学校なんて個人情報たくさんあるんですから、とイルカに言われてカカシははあそうですかと頷いた。 日程はこちらです、と渡すとイルカは剣道部の指導があるのだろう、戻っていってしまった。机の上にのこされた資料に手をのばして適当にめくりだす。コピーされ重ねられているのは中学からのテストの結果と幾度かあった面談のメモ、あとは備考欄にその当時の担任たちの所見が綴られている。 なんの偶然かとったのは電話相手のものだった。 (へえ) やっぱり成績はいいなとカカシは目を細める。理数系にも強いわりに国語や英語も基礎がしっかりしているのか安定した成績をしている。理数系は比較的あがりやすいが、国語は時間をかけてようやくあがる教科だ。国公立にはいい強みになるだろうな、と考えるあたりは塾講師の名残だった。 部活にはいっていないため、指定校推薦ではすこし不利かもしれないなとまで考える。 ふと、備考欄に目をおとしてカカシは目を細めた。 解法辞典や名簿にまじっておかれている連絡網を取り出し、目当てのクラスからうちはサスケの名前をさがす。 括弧でとじて携帯電話の番号が書いてあった。一人暮らしをしていると来きはしたが、自宅の住所を考えても通学にむりな距離ではないのだ、わざわざおかしな話だとは思っていた。備考欄にはられた付箋につらなったボールペンの文字を辿る。多分に私的見解ではあるが、と但し書きから書き始めながら躊躇やよどみのない筆致だ。 『たぶん、元気なんじゃないですか』 指先に感じたなめらかな感触、あれは古い、火傷痕の皮膚だ。 ―――あれは何年まえの話だっただろう? |
「晴天なり。」/カカシとサスケ |
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