布団部屋行こうぜ、と立ち上がるナルトにサスケもまた腰をあげた。制服についた段ボールくずをはらい、使っていたカッターの刃をしまう。いよいよ明日にせまった体育祭の会場設営のため、体育祭実行委員会と有志が何人か学校で泊り込みが許可されている、というのは建前で、有志のほとんどは応援団員が多く、前夜祭といったほうが正しい。

「うちの学年、何人、とまりがけなん?」
「女子が七人と男が五人。女子はもう取りにいってる」

時計をみればもう夕方の五時半をまわっている。階段の上につくられた明り取りから赤い光がさしこんでいた。西にはよこざまにたなびく雲がかさなり、桜色になっている。全館が閉鎖されるのが六時、準備で生徒の何割かが校舎内にのこっていて、ときどき笑い声がきこえた。

「布団部屋の鍵って何先生がもってんの?」
「職員室いきゃわかる」

教室棟から渡り廊下をわたっていく途中、布団のかたまりにでくわした。

「シカマルじゃん」
「重いしめんどくせー」

手がしびれてきた、とぶちぶち文句をいいながらシカマルは自由にうごく首をごきりとならし、顎を敷布団の上にのせて持ち直す。

「まだある?」
「敷布団はあるぜ。ただ掛け布団がぼろぼろのしかのこらねえぞ」
「先生、誰だ?」
「数学の、若い方。だれだっけ。……あー、無理だ」

手前の教室にどさどさと落としたシカマルにナルトとサスケが顔をしかめる。

「おまえ、なんだってこんな欲張ってんだよ」
「おいコラいのぉ!おめー、俺にばっかはこばせてんじゃねーよ!」

すこし怒鳴ったのに三つさきの教室から顔をひょこりとのぞかせたジャージ姿の金髪が怒鳴り返す。

「うっさいわねー、すぐとりに行くわよー!」

隣でナルトがうわぁと息を飲む。シカマルの口が最大に顰められた。練習していたらしい、バトントワリング用のバトンをもったいのとサクラが教室から出てくる。振り付けを確認するように幾度かまわしている、その手首にもテーピングがされていて、どれだけこの学校は体育会系なんだと思う。

「やだ、あんた、ひとりでとりにいってたのー?もう声かけてよー」

ばたばたと走ってきたいのが足元に積み重なった布団をみて大きく声をあげる。細い眉をしかめるのに、シカマルの顰め面がほんのすこし揺れた。

「何度いってもきかなかったからだろうが。春野、おまえの分も」
「あれ、ありがと」
「もー、ごめんっていってるでしょー!あー、もう!あとでなんか奢る!チョージにやっちゃだめだからね」
「掛け布団はしらねえぞ」
「あ、それはいいのよ、サスケくんといくからー!」

ね、とサクラといのに張り付かれて、いきなり視線があつまったサスケはめがねのむこうで眼を瞬く。ナルトがぶすっと唇を突き出した。シカマルはあーそうかよ、と白けた視線になって、とっとといって来い、と掌をおいやるようにしっしと動かした。







ごくろーさん、と対してねぎらう風でなく布団部屋の鍵をカカシはナルトの掌に落とした。 数学研究室でつくったプリントをコピーしていたらしい。カカシの後ろですこしタバコのヤニで黄ばんだコピー機がひっきりなしに紙をはきだしていた。

「今日はしゃぎすぎて、明日寝るなよー」
「あったりまえだっつの!つーか勝つ!」
「いちいちおまえうるせえよ」
「はいはい、俺はテスト問題があるから行った行った。……見るなよ」

まったくおまえらは、とカカシはコピー機にさりげなく近づこうとする子供の背中をぐいぐい押す。

「はい、お菓子あげるから」

職員室の戸棚から勝手にとりだした缶をあけてカカシは飴をざらざらと取り出す。甘いものが不得手なサスケには、近所の菓子舗で夫婦が毎日焼いているせんべいだった。

「じゃ、ま明日がんばってね」

あったりまえ、とはしゃぐナルトとサスケの背中をカカシは職員室の外までつまみだすようにして追い出した。ぴしゃりと扉が閉じるのに、ナルトが眉をあげる。

「なんだー、先生、機嫌わるいでやんの」

お菓子くれたのに変なの、とつぶやいたナルトは金髪の頭をがしがしと掻いた。日焼けをしたせいか、頭の皮がすこし向けている。応援団の連中は多かれ少なかれ、みな真っ赤な顔になっている。日焼け止めをぬっている女子、いのだって日焼けしているのだ。

「え、やだ、じゃあ今度のテスト難しいんじゃない?」

どうしよう、とナルトといのが顔色を変える。

「大丈夫よ、先生、本当に公式しかつかわないいい問題だすもの」
「サクラちゃんのいい問題はあてになんねーんだってばよ!」
「ていうか一位に訊くのがまちがってんでしょー!」

ぎゃあぎゃあやかましい三人の後ろでサスケはそういえば難しくするっていってたな、とつらつら考える。そうか、機嫌がわるいのか。

(なんか)

「おい、イインチョ!おまえどうにかしろってばよ!ぱくってこい!」
「サスケくんを悪の道にひきずりこまないでよ!」
「だって俺赤になっちまうってばよう!」

なぜだろう、ずっと目が見れない。自分よりずっと髪がみじかい、自分よりすこし声が大きい、自分よりたぶん背は小さい。

(そんなに)

それでもたぶん、ほかの人がみれば自分に似ている。
あたりまえだ、親戚なのだから。







あれ、と階段そばの非常口にでたところで、アスファルトに濡れた光がおちているのに雨だときがついた。軒の雨どいからむせぶように水が落ちている。有志の生徒たちの引率はそれぞれ各学年にいるため、宿直の見回りもすぐに終わった。消灯で夜十時には電気がおとされているが、教室でそれぞれ楽しんでいることだろう。

夜の学校のそこかしこにはいつ足音がひびいても可笑しくないような、子供たちの声の残響がいつも残ってる気がするのは気のせいだろうか。昼間あれだけ人口がおおかった建物が空っぽになってしんと静まりかえるのは、たしかに空恐ろしい気はした。学校の怪談がはやるのもわかる。

けれど子供の気配がそこかしこに本当にあるなら別だ。自分まですこし楽しみだしているのもわかった。担当している学年の生徒たちに差し入れしようかとも考える。

数学研究室までもどっていく途中で階段をおりてくるサスケとちょうどよく出くわした。

「もう消灯だよ」
「飲み物買いにいくだけだ」

寮にある自販機だろう。

「いいよ、夜食買いにいくからおまえもおいで。奢ってあげる」





がさがさとずいぶん大きくなったコンビニの袋がペットボトルとアイスの冷たさ、雨粒とで汗をかいている。スニーカーに泥じみた水がはねた。

「なんかあんた、いつも俺にもの食わそうとしてねえか」
「ん?そう?なんかねえ、おまえらぐらいの年ってすごい食うだろ。見てて気持ちいいんだよね」
「……」
「ついでに食ってると、たいがい機嫌よくなるだろ」

ばかにしてんのか、と思って思わず一歩ふみだすと水たまりを踏みつけてジャージが汚れた。爪先に水がしみてくる感触に舌打ちをする。降りの激しさからいってたぶん、すぐにあがるだろうが明日の校庭のコンディションは最悪だろう。

「そういやあんた言ってたな」
「ん?」
「『悩み事は空腹でできてる?』」
「半分は、だよ。言いえて妙って俺はおもったけどね。おまえの従兄だよ」

あんま頭はよくなかったけど、と笑う。ガードレールの外をはしるライトの明かりが一瞬カカシの面をないでいく。すこし泣きたいような懐かしむような眼差しの、粉砂糖でもまぶしたような甘い色だ。あまい声だ。

悩み事の半分は空腹でできているなら、その半分がどうにもならないものだということ、きっとカカシも知っている。

なんかおまえに言うのもあんまりなかったけど、とカカシはいい大人のくせにビニール傘をくるりと回した。

「一週間ちかくずーっと食パンで生きてて、変な湿疹でるくらいやばかったみたいでさ、バイト代でてメシ買い込んだときにいってたから、すごい真剣だったと思うよ。結婚式のスピーチでたぶん言ってたね」
「……なんでだ?」
「え?」

聞き返したカカシが眼鏡の奥でゆったりと瞬きをする。ずいぶん久しぶりにカカシの目を真正面から見た気がする。左眼に走った一文字の傷跡。カカシの右目はもともとすこし緑にもにたような灰色だ。左眼は近視ぎみなのもあって色が暗い、そんなのも知っている。自分と同じ色をした目だ。よく似た目だ。たぶん犬みたいな目をしている。主人をまつ犬みたいに、おろかな目だ。



「そいつが好きだったんだろ」



絶句して思わず白く凪いだ面を見る。反論しようとして、喉からでたのは自分でも意外なほどうろたえた声だった。ここ数年、こんなに声を揺らしたのはあっただろうか。

「……なにをいきなり言うかね」

呟けば冗談だとつまらない顔で言うだろうと思ったのに、少年は至極まじめな顔をしている。思えば冗談を言うタイプなんかではぜんぜんないのだ。

冗談を言うのは、同じ黒髪でも別の奴だ。

思ってまた呼吸を止められたような気持ちになる。

「よくみてんのね、そんなに俺のことすきかー」

何気なくいって空気がかたまる。真顔のままサスケは幾度か瞬きをしただけだった。

「――おまえのことなんか好きじゃないよ」
「知ってる」
「好きにもならないよ」

ふと面白そうにサスケは眉を上げて、眼差しを伏せた。

「そんなの、わかってる」
「じゃあどうしたいの」

虚をつかれて呆れたように言えば、サスケもまた呆れたようにすこし笑い投げやりには明るすぎる声で吐き出した。

「知るか」
「なにそれ」
「男だからとかはいわねえんだな」
「知り合いでいるし、さっきおまえに指摘されたしね。ほんとに自分がどうかはしらないけど。どっちも平気なんじゃないのかって言われたことはあるよ。でも平気でもおまえとそうなるつもりはないから」

なぜ、と眼差しだけがたずねるのにカカシは口を開いた。

「親御さんから預かってるだけにしろ、責任はあるし。おまえきっと性癖で悩んだだろ」

黙っているのを肯定としてさらに続ける。

「悪いけど、おまえの性癖を決定づけるような役割もしたくない。責任はもちたくない」
「そんなの」
「おまえのことなんだけど、俺になんも責任はないかっていったらわからないだろ」

 サスケは一度ため息をつくと、ひどく穏やかな眼差しをした。

「それは、どうにもならないってことだよな。だから、別にいいっていってる」

渇いた熱みたいなものはサスケの眼差しにも声にもどこにもなくて、到底カカシは信じられない。他人のことみたいだ。

「きっと、お前はさ――お前の」

躊躇いに辛うじて言いそうなことを押しこめた。息を吸う。サスケにとっての逃げ場がもし、ここにしかないのならそれを断ち切ることはできなかった。

「おまえの家の事情も知ってるから家に来るなとは言わないけど、もうあんまり」

あんまり、と続けたところで言葉が途切れた。いぶかしむようだった子供の眼差しが、驚いて、驚いたあとにきつく怒りだす寸前のようにくしゃつく。

それを見て、この子供は知られたくなかったのだと気がついてももう遅い。声は止まらない。

「何年か経ったらさ、…女の子とかさ、きっと」
「それはオレじゃない。オレはそいつのことをよく知らない。だけどオレじゃない。そうだろ」

がつんと胸のなにか奥、骨の奥やわらかい肉の更に奥ひどく硬いところを叩く声だった。俯いた口元が震えながら持ち上がっていくのをカカシは見る。もう一度口元だけで笑って、サスケはもう一度だけ呟いた。

「オレが、アンタを好きなんだ」

だが糸がきれたようにいきなり全てが凪いだ。俯いた顔をあげ眼差しをあげたとき、つるりとした、磨きたての石みたいな眼がカカシの顔を映しこんでいた。なめらかな表面にのっぺりと広がった薄っぺらい笑顔がはりついているのに、サスケが全部わかってしまったのだと知る。素直に感情の色をのせる眼差し、あの穏やかさは失望の色だったのだとふと気がついた。

『きっとお前はさ、便利なのを勘違いしてるだけだろ』

「……悪かった」

ちがう、そうではなくて、と続けようとして、なにが、と自分で問い返す。水を含んだスニーカーが立てる足音が暗がりにだんだんと遠くなっていった。袋の中でアイスは溶けそうになっている。追いかけて、それから。喉が鳴って、つばが絡んだのにわざと咳き込めば妙におおきく響いた。煙草を吸いたいとひどく思った。足は動かない。はりついたように動かない。足音はもう聞こえない。








「晴天なり。」/(オビトと)カカシとサスケ


ふっちゃった。





next








back