打ち上げ花火のおまけのように晴れ上がった空高く高く投げ上げられたモールつきの玉、漣のように広がったため息と歓声にカカシは目を細める。午後の競技は、最後をしめくくる紅白対抗リレーの三つ前から点数表が隠されるが、配点基準は中高合同六学年の長い間に内部生徒のほとんどがわかっている。紅白対抗リレーの一、二位を独占したとしても、この競技で損失した点数を白組が埋めることはできない。

校庭の周り、桜のほか部室棟の手前から野球のコートからテニスコート、校庭のフェンスの間、ランニングにはちょうどいい幅にぐるりと植えられた木陰は午後の日にもう延びていて、教師達は忙しい幾人かをのぞいてのんびりとしたものだ。毎年顔ぶれが違うとはいえ、同じ行事をくりかえして飽きないのだろうかと思うが、教師達の眼差しはどれも楽しそうなものだった。退屈をしている風にも見えない。

「どうしました?」

財布を開けている体育委員会の顧問にカカシは声をかける。イルカはいやあと笑った。

「優勝したらハーゲンダッツ奢ってやるっていっちゃいまして」

クラス全員に、と言ったのに笑ってしまう。量販店で買うにしても30人以上、財布の中身を確認していなかったのであれば予想外の出費だろう。イルカはカカシと違って常勤だが、給料に違いがあるわけではない。

「ATMならあいてますよ、郵便局の隣にあるでしょ」
「あ、そうか、ありがとうございます!便利な世の中でよかった」

ようやく財布の中のレシートをさぐる指先を止めてイルカは財布をジャージのポケットの中にしまいこんだ。

昨日あげたアイスは溶けないうちに食べてもらえただろうか。

遠め、校庭の向かい側、椅子でできた応援席に引き上げていく土ぼこりでうすよごれたTシャツの背中をカカシは見る。まっすぐ前を見すえてかけ戻っていって振り返りもしない。自分が校庭をかけまわっていたときとなにも変わらない光景だ、人が違うだけで六月の日差しも学校もなにも変わらない。

後ろから走っていった金髪の少年が何か言うのに、眼鏡をかけなおした少年が振り返る。ひきずられるように手を引っ張られて、クラスメイトが投げてよこしたペットボトルを受け取っている。彼は太陽の下であんな顔で笑うのも知らなかった。

ふっと洩れた息に、いままで自分が緊張していたらしいとカカシはおかしくなる。自分は安心したのだ。大丈夫、と心中で呟いた。なにがとか誰がとはいわなかった。ただ大丈夫、とだけつぶやいて目を閉じる。

夏至を過ぎたばかりの太陽は木漏れ日でも目を閉じても瞼を赤くゆらした。夏は何度もやってきて、夕暮れの匂いだけを残して去る。朝は何度もやってくる、雨天もいつか晴れる。白すぎる太陽、光の多すぎる写真みたいにまぶしさにまぎれそうな笑顔がちらついてまた暗くなる。子供たちは校舎にざわめきだけをのこして夏へと走る。その音をきいて校舎に取り残される自分はどこに行くのだろう。けれど夏はまた来る。知っている。

(…大丈夫)







発車ベルが聞こえたのにカカシはすこし急いだ。改札へと向かう人の流れにさからい清掃員の横をすりぬけ、水ぶきをされたばかりの階段をふみしめて上りきるが、ドアはちょうど閉じかけだ。走れば間に合わないわけでもなかったが、買い物袋をさげた老人や子供連れの母親をおしのけるようにするのは抵抗があるし、汗をかきたくもない。時間ぎりぎりというわけでもなかったから一本ぐらい逃してもかまわないのだ。

見送った駅員は帽子をかぶりなおしゆっくりと階段を下りていった。

高架を遠ざかっていく電車の昆虫みたいな窓を見ながらカカシは据付になったベンチに腰を下ろした。煙草に手をのばしかけたところで、喫煙所を探す。ホームの中ほどにある自販機のさらにむこうに見えるのにやれやれと立ち上がった。

自販機で缶コーヒーを買ってから煙草に火をつける。ベンチから投げ出すでもない爪先には六月の太陽が影を落としていた。登下校時には生徒と通勤のサラリーマンでごったがえす私鉄の駅も昼間は静かなものだ。向かいのホームには大学生らしい女性がベンチに座っているだけで、他に人影もない。

線路に面した学習塾や医院の看板などを斜め見て駐輪場のトタン屋根を見下ろす。バス停のない出口側には手持ち無沙汰なタクシー運転手たちが下車をして雑談をしていた。商店街をあるくのは主婦や老人、たまに学生もいるがみなのんびりとして見える。車も少ないから静かなものだ。練習しているのか、どこかからもつれたようなピアノの音が聞こえた。ネクタイを緩めようかと思ったがやめる。どうせまた締めなおさなければいけない。

ゆっくりとすい終わった煙草を灰皿におとすと、カカシは缶コーヒーのプルタブを上げベンチに腰掛ける。階段をのぼって現れた人影に目をほそめると、ゆっくり手をあげて立ち上がった。

「よ」

ヘッドフォンをはずしたサスケはプレイヤーの電源をおとすと制服のポケットに戻した。早退か、と尋ねてくるのにカカシは頷く。

「おまえは休んでたね」

二限はカカシの担当する数学だ。日曜日の体育祭で月曜は代休、翌火曜から平常どおりの授業にもどって今日は二日目の水曜、七月はじめに控えた期末テストのためそろそろ授業配分に気をつけなければいけないころだ。

「来週、再試するから」
「ん」

電車がやってくるのを知らせる放送に立ち上がる。サスケが歩き出すのについていった。なんで、ときくと階段が近いからと簡潔に答えが返ってくる。

「へんなとこにこだわるね」
「そうか?」

めんどいだけだろ、と滑り込んできた電車の起こす風が生ぬるい。乗り込んだ車両には二、三人しか乗客がいない。車両のはじのイスに座った。南向きの窓はすべてスクリーンが下ろされている。まだ冷房にははやいのだろう、開いた窓からゆるやかに風が入ってきていた。日陰にはいって青みがつよいカッターシャツの肩の向こう、炙られた錆び色の線路と車両の間の空気が水のように揺れていた。

降りる駅は二つ先だ。

ここ二十年の間にベッドタウンとして作られた駅付近は、ニュータウンの看板どおりのそろった家並みとひろびろとした道路と公園が配置されている。まだ建設中のマンションや団地も見えるが、駅からすこしはなれて坂をくだれば赤白の鉄塔を等間隔に並べてビニールハウスや田畑がひらける。道路の脇に屋根がいくつかずつ固まっているが、大体はこのあたりに昔からいる農家だ。家ではなく耕運機をいれておく車庫なのかもしれないが、門の外からは伺いしれない。

白い二トントラックが通り過ぎるのをまって用水路の上にかかった短い橋をわたり坂を上っていく。北側の茂みを背に風雨であせた源氏塀で囲まれている古びた大きな家がサスケの実家だった。来客をみこしているのか、門はひらかれ日の当たる庭の様子がよく見えた。よく手入れをされているのだろう、山茶花が塀の傍にぐるりと植えられ、おおきな桜がゆるい風に枝を遊ばせている。楓が青い影を落とし、玄関のそばでは紫陽花が花をつけていた。梅もあるのだから、この庭はいつきても花が咲いているのだろう。

じゃあ、と振り返ったサスケに頷いた。カカシはいつも法事をする正念寺の墓所にみなより先に行って墓参りを済ますことにしているのだ。白いシャツの背中に木漏れ日がうれるのを見送ってから、ゆっくりと坂道を登った。

照りかえすアスファルトにおちた自分の影をみながら歩いていくと、すこし気の早い草ゼミの声がした。





寺の傍にある売店でひとおり花と供え物をそろえるとカカシはゆっくりと墓地に向かった。先客があったらしくまあたらしい花が飾られ、墓石はすこし濡れている。つけたままになった蝋燭からありがたく火をもらって、カカシは手をあわせた。

(七年もたっちゃったよ)

事故の日のことで覚えているのは電線にきりとられた、純色の青空だけだった。カカシが昏睡している間に通夜も葬式も終わってしまっていて、黒縁の写真にちょうどよく納まった写真みたいに全部、画面の向こう側の出来事のようだった。親しい人間の死にたちあったのは初めてではなかったけれど、弔いもできなかったのはひどかった。指がおぼえている電話番号や、ノートの端々にのこった文字、そんなものが全部過去になってしまったなんてなかなか受け入れることができなかった。いつかの行方不明のときみたいにドアをあければヘルメットをかかえているんじゃないかと思ったりもした。

(おまえ、ひどいよな)

自分のものではない左眼をおさえても答えは返らない。自分は左眼のほかにいろいろもっていかれてしまったままだ。







それでは、とひととおり御仏の御慈悲についてのありがたい話を終えると、法衣の裾をならして僧が出て行く。楽にしてください、という声がかかるや皆、畳に膝をくずして立ち上がり、墓地のほうへと向かいだした。

境内の石畳へとおりながらカカシはぼんやりとサスケの姿をさがすと、ずいぶん前のほうにいた。スーツをきた青年がなにか言うのに、サスケは短く答えを返し制服の喉元をゆるめる。よく似た、数年前よりずいぶんと大人びた横顔にイタチだとわかって驚いた。視線があうとかるく会釈をしてくるのに、頭を下げた。

どこからどう見ても兄弟で、数年前になにかがあったようには見えない、ごく普通の家族のありかただった。

「ごく軽く、お食事も用意してますので」

故人の思い出話でもしながら、ゆっくりしましょう、とミコトとオビトの両親に誘われて断る機会を逃してしまう。七年も前の知人もいい加減すくないが、それでも何度か法事に顔を出すうちに顔見知りになったオビトの遠戚と適当に話をしていると横合いからグラスにビールが継ぎ足された。

「どうも」
「お久しぶりです」

頭を下げるとこぎれいなスーツをきた品のいい中年の女性がビール瓶をもって立っていた。オビトの母親だ。

「毎年、どうもありがとうねえ」
「いえ、ご無沙汰してます」

各テーブルをおそらくまわっているのだろう、空いている席をすすめると彼女はじゃあ失礼をして、と腰をおろした。立派になって、と細めた目が泣いていないことにほっとする。亡くしたばかりの頃は話をするたびに涙ぐむものだから申し訳ない気分にもなったのだ。仕事のことや結婚のこと、お定まりの話題を振られるのに受け答えをしていると、オビトの母親はでもねえ、と笑った。

「私、思うんですよ、ほんとにあなたが来てくれてよかったって」
「いや」
「気を悪くされるかもしれないけどね、オビトの目がね、生きてあなたの役に立ってると思うと、すごい、これはすごいことだなって思うんですよ」

ねえそうは思いませんか、と熱っぽい口調で説かれてカカシはそうですね、とぬるいビールのはいったグラスを傾ける。頷いて笑うと、彼女はうれしそうに顔を綻ばせてちいさい頃オビトがどんな風だったか、小学校にあがった頃の話を話していく。すこし酔っているのもあるのだろう、数年の間にきいたことのある話を彼女はいつもうれしそうに、カカシの左眼をみて話す。

「すみません、ちょっと」

割り込んだ声に顔をむけると、立っていたのはイタチだった。夏用のジャケットを脇に抱え、オビトの母親に頭を下げる。

「あら、どうしたの」
「母がちょっと来てくれるかと」

呼んでます、と伝えたイタチにオビトの母親が立ち上がるのにカカシも立ち上がった。

「あら、じゃあ、はたけさん、また今度、今日は本当にありがとうね」
「いえ、こちらこそ」

深々とお辞儀をして、手を握ってくるのにカカシは首をかしげて笑った。足早に離れていく小柄な背中を見送ってから席に腰を下ろす。どうも、とカカシが頭を下げるとイタチも頭を下げた。

「あの人、話長いでしょう」
「ああ、まあねえ」
「どこにいるかなんてすぐわかります。声が大きいから。カカシさんは今はサスケの高校で教師をなさっているそうで」
「うん、非常勤だけどね。―――それで?」

箸で仕出しをつつきながらカカシが先を促すよう尋ねるのに、イタチは形のいい眉をわずかにひそめ、値踏みするように目を眇めた。先をかってに受け取ってカカシは答える。

「別に心配することはないと思うよ。成績もいいし、授業態度もいたってまじめだし。そんなこと、話さないのか」
「話したがらないこともあるでしょう。特にあれぐらいの頃は」
「そんなもんかね。でも、今日、おまえとサスケが話してるの見て思ったより―――」

躊躇ったカカシの答えを、さっきの報復のようにイタチが先をつぐ。

「思ったより仲は悪くもなさそう、ですか。うちの事情、ご存知なんですよね、あなたは」
「……なんで、あいつは家にもどらないの」

尋ねたカカシにイタチは適当にあったグラスをとり、ペットボトルからウーロン茶を注いで座りなおす。腰をすえて話すつもりのようだとカカシも箸をおいた。

「わかりません」
「わからないって…家族でしょ、おまえの」
「俺はもう実家を出てますから」
「なら、なおさら」
「ええ、だからわからないんです。父も、母もわかってません」

イタチは無表情に瞬きをしただけだった。何年かまえ、たぶん、と奇妙な顔で笑ったのとは違う、真摯な眼差しをしていた。

「気になるなら弟にきいたらいかがですか」
「それこそ、なんでよ。家族でしょ」
「家族だからどうにもならないってことがありますよ、サスケの理由もそうかもしれない。だからオレは聞くつもりはありません」
「でも」
「やめるっていってやめられる関係じゃないでしょう。だから、たぶん距離がないとやってかれない家族って言うのもあるんです」

45センチってご存知ですか、とイタチはカカシを見つめる。

「どういう意味?」
「人間っていうのは身体的な距離がほとんど心理的な距離なんだそうです。45センチっていうのは親しい人間に許す距離」
「それが」
「…子どもの腕よりみじかいですよ、45センチは。でもあいつにとって、オレとの45センチはそんなものじゃないでしょう。射程距離です」

言ったイタチは自分の手を見下ろして軽く握った。数年前この拳の人差し指と小指までは傷が耐えなかったのだ。

「きっと時間がないとどうにもならない。でもそれをどうするかは、オレとあいつの問題でそれこそあなたには関係ない話です」
「……差し出ぐちでわるかったね」

煙草でも吸いにいってくるかと立ち上がったカカシを見上げてイタチは同じセリフを繰り返す。

「だから、気になるなら本人にきいたらいかがですか」
「なんでおまえは赤の他人をたきつけるのよ」
「気になるようでしたので」

ちがいますか、と見透かしたように尋ねる眼差しには揶揄するような光がまじっている。カカシはまったくいやな奴だと肩をすくめた。波濤もなにもかものみこむ夜の海みたいなイタチの、深い眼がたたえている揺るぎのなさにカカシは頭をかいて俯き、ため息をつく。

(やめるっていって、やめられる関係じゃないでしょう)

おまえは、そうだろうね。
心中でつぶやきながら、なにをいまさら言ってるんだろうとカカシは考える。考えたところで答えはでない。








「晴天なり。」/カカシとサスケとイタチ








next








back