彼と彼は恋人。
もうやだ、と顎をつきだして机に突っ伏したナルトの前にばらばらと飴玉が落とされる。頭脳労働には糖分でしょ、と形のいい眉をしかめたサクラが翠の眼を眇めて見下ろしていた。 「ため込んだのはあんたでしょうが。ばかねえ」 「だってさー」 「なんで始末書だけでそんな枚数になるのよ、ありえないわよ」 「……字が読めねえって、つっかえされて」 「致命的ね……うわ」 ほんとに汚い、とサクラが遠慮なしにこぼすのに、ふてくされたナルトはフィルムをはがして飴玉を口に放りこみ右から左にごとごと動かす。嘘みたいなイチゴの味だ。 「?」 ふと慣れた匂いみたいなのがしてナルトは受付から身を乗り出して見回す。けれど行きかうのは報告をする帰還した外勤の忍や移動するシフト交代の要員ばかりでなにも引っかからない。 「あんたね、きいてるの」 紙面をきれいに磨いた爪ではじいたサクラに首根っこを引き戻された。秀才の誉れたかい彼女は呆れ顔でため息をつく。 「だいたいこんなの書式がきまってるんだから、日付以外ぜんぶ作っちゃえばいいのに」 「あ…サスケとやったのだ」 ばさばさと出てきた書類にサスケくんにまた迷惑かけたたの、と言い掛けたサクラはナルトの前に手をつきだした。 「ん?なんだってばよ」 「ちょっと貸して……やっぱり」 ざっと視線をはしらせたサクラの眉間の皺が深くなるのに、女の子がそんな顔しちゃだめだよなあとナルトはのんきに見上げている。それでもかわいいなと思うのはいつものことだ。サクラはやっぱりいつでもかわいくってやさしくってナルトは大好きだ。 「なんで九月の任務報告書があるの!しかもあんたの欄が不備だから返されてんじゃないの」 きゅっと首をすくめたと同時に雷が落ちて、だって、とナルトは言葉を続ける。だってもくそもないでしょ、と手短にでも的確なお説教が終わるころには口の中の飴はなくなってしまった。呆れたため息でしめくくったサクラは書類にまた眼をおとす。 「……サスケくん、長いわね」 「のろまなんだってばよ」 ぶちぶちとつぶやいていた所で、キバが顔をのぞかせた。 「サスケの話か?」 「おう」 「あいつなら帰還してるはずだぜ。昼番と交代間際に手続き待ちしてたもんよ」 がたり、と響いた音に報告書書きにせわしない事務所にいる面々が振り返る。ひっくりかえったイスのキャスターが風車のように回っている。開けっ放しの窓をとじ、書類をかきあつめたサクラはすみません、と頭を下げた。 これはいったいなんなんだろう、とタオルを頭からかぶったままサスケは床を見下ろす。だいぶ長く伸びるようになった夕暮れの光は床に落ち、壁をのぼりサスケの足の甲までてらしていた。ごつ、とゆっくり足をうごかすと、やわらかい髪の毛の感触。 (なにやってんだ、このウスラトンカチ) サスケが受付に行ったときにはサクラのそばで書類に悩んでいたくせに。声をかけるほどでもないと思ったからほったらかしてきたのに。 しゃがみこんだサスケは牛乳のはいったグラスでナルトのこめかみをすこしつつく。くふくふと猫が寝ぼけたときにだすような息をしたナルトは床に丸まった。寒そうに両腕を太ももに挟みこんで薄手のシャツに鼻先をうずめている。風呂上りの自分には床の冷たさも別に苦ではないが、寝てればどうしようもないだろう。 バカか、と考え、バカだからか、と納得する。夏にならなければ風邪なんてひかない。 濡れた髪からおちた雫がナルトの頬に散る。指先をのばしてぬぐうとむずがるように眉をひそめた。光をはじいているのに睫の先まで本当にはちみつの色だと妙なところに感心をして、観察するように顔を近づける。翳った睫は琥珀色になった。気取られないよう知らず息をつめながらゆっくり指をすべらせる。頬から耳までたどったところでナルトの瞼が痙攣した。 「……」 詰めていた息をはきだしたサスケは触れていた手をかるく握る。 「っでェ!」 「起きろ」 音がしそうなほど勢いよく瞼をもちあげたナルトは叩かれた額を押さえて顔を顰めた。慌てて何度か瞬きをした眼は電気もつけないため灰色に沈みだした天井をさぐり、横を探って上半身裸のまましゃがみこんでいるサスケをみつけた。 「ひとんちでなにやってんだ、てめーは」 「……ぶつなよ」 ぶっきらぼうなサスケの声はすこし嗄れているようだったし、気のせいでなくすこしやせた気がする。自分もよくあることだからわかるのだが、任務中は緊張を強いられるし栄養はたりていてもおいしいとはお世辞にもいえない食事ばかりだから数キロ落ちているなんてざらだった。 「つまんねえ任務に時間かけてんじゃねっつの、だっせえってばよ」 「おまえがいってたら時間をかけずに失敗がオチだろ」 だからといって素直にお疲れ様なんていえるはずもなく口をついてでた悪態に同じだけの悪態がかえってくる。眉をつりあげたナルトにサスケは数ヶ月前とぜんぜん変わらない笑みをうかべただけだった。まったくこんな笑い方ばかりが上手でほんとうにいやな奴だと思う。 寒いと文句を言いながら体をおこしたナルトになにかがなげてよこされる。頭にかぶさる前に慌ててつかむと、なんのことはない長袖の上着だった。そういえばサクラちゃんが寒そうにしてると上着着てこいと言い出すのはいつもこいつだったと思い出し、ほんとうにいやな奴だとナルトはちょっと耳だけ赤くした。 (…やな奴) 上着にごそごそ袖を通していると、サスケも着替えているらしい。ベッドに腰掛けTシャツを頭からかぶってまるまった背中には肋骨の一つ一つがまるで彫刻みたいにうかびあがっていた。ぺたりと触るとお風呂あがりのせいか掌にぴたりとすいついた皮膚は熱い。骨のとがりを確かめるように撫でると、おい、と低い声が聞こえた。シャツの袖を通しながらサスケはなんだよ、と尋ねてくる。 「……いや、おまえ痩せちまったなあと思って」 三キロは落ちてるんじゃねえのか、と呟いたナルトに量ってねえからわかるかよ、とサスケはかえす。背中のくぼみをなぞると、ぶるっと背中を寝起きの猫みたいに震わせたサスケは舌打ちをした。 「わり、冷たかったか?」 「いまさらきいてんなよ」 不機嫌に押し込めた声で言う、眉をきつくしかめながら視線がそらされている。なんかこの顔は見たことがある、と思ったが台所に足音たかく向かっていってしまったサスケを追っかけるのに気をとられて忘れてしまった。 「あ、一応、メシになりそうなもん買ってきてるってば」 「……買ったんじゃなくて、持ってきたんだろ」 ビニール袋からこぼれ出ていたのはいかにもな野菜達だった。図星を刺された逆噴射でナルトは声をおおきくする。 「人の好意を疑うなよ!嫌な奴ゥ!」 「タダだからなんでもいいけどな。もらうぜ」 「……おう」 流しの下の調味料をつっこんであるところをひっかきまわしていたサスケはちょうどよく使えそうなものを見つける。野菜も使えるし悪くはないだろう。 「何つくんの」 「カレー」 切っていためて後は煮るだけ。仕込みが終わりさえすれば、うまくはないがまずくもないそれなりの味になる。手間もあまりいらない煮込み料理は男にはうってつけだ。煮ている間に報告書もたぶん書けるだろう。 黙々とペンを書類に滑らせるサスケの後ろで巻物を読みながらナルトは落ち着かない。 「急いだって生煮えだぞ」 「……や、ちげえってば」 制するように言われてナルトは貧乏ゆすりをしていた足を止める。ざらりと髪の生え際をなで、かさついてピリピリする唇を舐めた。視線をあげるとサスケと眼が合う。ちょっと驚きながらも眼をそらすのはなんだか負けたような気がして顎をひきつつ見つめている。白熱球のオレンジ色にぼけた明かりのなか、サスケの眼は虹彩と瞳も一色ただ黒いだけで、どこを見ているかも遠近もわからない。サスケの眉がひそめられた。 「なんだよ」 「別に」 別になんでもない、なんていいながらぜんぜんなんでもなくない。なにかがおかしい。なにかが変だ。でも何がおかしいのか変なのかよくわからない。ナルトは頭を掻いて、ちっとも頭に入らない巻物をしまおうとまとめだす。目をあげるとやっぱりサスケが見ている。 夕暮れにだんだん冬の風がまじって木々が葉を赤く黄色くしておとすように、確かになにかがおかしいのだ。 秋のジャガイモは痩せていて小さいし崩れやすい。それでもゆうに五人分はある量をつくると野菜も多くなるからそれだけカレーはおいしかった。煮込み料理はなんでか大鍋でつくらないと不思議においしくないものだ。 台所にたってお代わりを食べようとコンロをつける。接触がわるいのかなかなかつかず、ナルトは何度もコンロのつまみをガチガチと回した。 「サスケ、おまえは?胃袋ちっこくなってんじゃねえのか?へばるぞ」 「ひとんちのメシだと思ってバカバカ食ってんな」 「バッカ、炊き立てのうちに食ってもらったほうが米粒だってホンモーだっつの」 カレーと米しか食べるものがないうえ、まだまだ成長期の男二人にかかっては四合炊いたご飯も底がしれている。明日の分は夜に研ぐかとお代わりをよそったナルトはサスケの分の皿も取り上げて勝手によそってしまう。皿に盛られれば残すことができない性分だとしったのはそう昔の話ではなかった。 (ん?) スプーンでご飯とカレーを寄せながらナルトはすこし眉を寄せる。信号のように頭の中でなにかがナルトの意識を引っかいていた。さっきから何度も感じている違和感と似通っている。一口、頬張ったカレーは名前のわからないスパイスがたくさん入っているだけあってそこそこに辛いし、煮込んでやわらかくなった鶏肉も野菜もおいしい。けれど堪能することが頭の後ろでちらちらする違和感のせいでできないのが気持ち悪い。 「っ!」 「なにやってんだ、てめーは」 がちんと思い切りスプーンを噛んでしまったナルトは痺れた歯を押さえる。奥歯か耳の横を通った痛みにぎゅっと目をつぶっていると瞼の裏がふっと暗くなった。翳ったのになんだろうと目を開ける。 (!) 見るのとサスケの指が触れるの、どちらが先だったかはわからない。吸い込んだはずの息が喉の奥で一気に膨張したようになって、耳の中がわ頭の中身がぐらりと揺れる。手元をおさえた手を引き剥がすサスケの、クナイの握りすぎで皮膚が硬くなってかたい指から視線が這い上がる。骨と筋がうきでた腕、シャツの下になった肩からうつむいた首、首から頭まで水を飲むキリンみたいなライン。思わず床に足をつっぱって、のけぞるとナルトの手をつかんだままだったサスケの体が引っぱられて肩口にサスケの髪が触れた。 「〜〜ッ」 掠めた息にまじった体温にぼんと頭のなかで何かが破裂する。おもわず逃げようとつっぱった足が床から浮く。おい、とサスケの声がきこえたナルトの目の中、白熱球のオレンジがちゃちな太陽みたいに上から下に昇って落ちていく。 (あ、わかった) 床にひっくりかえったナルトはたった埃にちょっと咳きこんだ。 「……たんこぶできてる」 「そりゃできるだろうよ、なんかおかしいぞ、おまえ」 「おかしくねえって」 頭をかいて床にねっころがったナルトはしゃがみこんだサスケのほうをごろりと向くとサスケの影の中にはいる。 腕をのばしてサスケの二の腕あたりをつかむと、サスケは眉をしかめた。でも文句は出ない。サスケの沈黙はけっこういろいろ意味をもっていたりする。ナルトは自分のことが好きな他人の沈黙は無関心の表れみたいで嫌いだし、読めないから困惑することが多い。だけれどサスケの沈黙は自来也だとかカカシとかと違って、嘘つきなものではないというのも知っている。 「なんかさ、サスケさ、おまえちがくない?」 「……どういう意味だそりゃ」 「わかんねーから訊いてんだよ。多分、俺がおかしいっつうんならおまえのせいだってば。なあ」 「……」 黙りこんだサスケはけれど話にならない、とかばかにするなとか突き放しはしなかった。ナルトは二の腕をつかんだまま俯いてすこし翳ったサスケの顔を覗きこむ。痛みをこらえているみたいに眉をしかめている。たとえば痛いなら、腕をつかまれているのがいやならふりはらえばいいのに、サスケはしない、目もそらさない。 (あ) 瞬きもすくなくなるぐらいまっすぐな、痛いようなでも粉砂糖でもまぶしたみたいな。彼女のドロップみたいな眼がいつもサスケを追いかけているのをみていたからわかる。 (サクラちゃんと同じ顔だ) 「……サスケ」 「なんだよ」 「これってトモダチじゃねえよな?」 俺ら、違うんだよな、とナルトは肘をついて起きあがった。 「なんかお前、今日そんな感じだよな」 「……わりぃかよ」 「ちげえよ、なんかドキドキすんぜ」 ものすごいあからさまだった。ふてくされた声で眉をしかめてどこかよそをみながらサスケは呟く。サスケの照れるときの癖だ。今日のサスケは春の猫みたいだった。 前髪をぐしゃりとかきまわしたサスケがあんま煽るな、と苦い声で落とす。つづく舌打ちにナルトはすこしびっくりした。 「サスケ?」 「……なんでお前、ここにいやがる」 「なんでって」 クソ、と毒づいたサスケのかさついた唇が痙攣している。乾燥のしすぎかもうすこし歯で噛みしめたらひび割れていまにも血がでそうな色だ。ナルトと掠れた声で呼ばれる。腕を掴んでいるナルトの手首をサスケが掴んだ。 「俺は、おまえが好きなんだ」 「そりゃ知ってるって」 「でもおまえはちがうだろ」 もしかしたら、もしかしたらと俯いたサスケの髪がちいさくゆれているのを見下ろしてナルトは思う。 (おまえもしかしてずっとトモダチっぽくやっててくれたんか) 触れたりだとか眼差しだとかから全部熱をそぎ落として、どこからどうみても完璧な友人でしかないみたいに、ナルトも気づかないぐらい、忘れてしまうくらいに。 「なんか有耶無耶になってっけどさ、だって俺らトモダチじゃねえよな?」 そうだよな、と重ねて尋ねると顔をあげたサスケはでもちがうだろ、と短く返してくる。 「なにがだよ。オレ、ばかだからお前がなに考えてんのとか、言ってンのとかわかんねえ。でもこういうのまちがえねえよ」 多分サスケが言いたいのは恋愛の愛だとかそういうもので、ナルトがもってる心と違うといいたいのだ。でも愛でも恋でも恋じゃなくても愛じゃなくても、ナルトには譲れないし譲らない、はなさない。絶対に変わらないし換わらない。守りたいものが増えてもほしいものが増えても増えていくだけでナルトの手は何一つはなさない。はなすことがあってもみんな夢と野望とサスケ以外のなにかをはなすだけだ。 (自覚しろよ) わかってるのだろうか。とっくにサスケのせいでナルトの人生は変わってるのだ。 まだわかってない顔と目をしているサスケの二の腕をさするように掌を動かすと、サスケが息を呑む音がした。ベクトルはまるで北を指す針みたいにいつでも向かってるのに。サスケがナルトを好きだというなら両思いのはずなのに、どうわかってもらえばいいか悩んでるなんて片思いをしてるみたいだ。 胸焼けしそうなほどの甘ったるさと息苦しさを吐き出してナルトはちょっと笑う。サクラのくれた飴玉みたいだ。いつもまるで自分にできないみたいなことはないみたいな顔をしてやがるくせになんだよ。おまえがいない間、どんだけこの部屋の前にいって明かりがついてるかついてないか見たかなんて、知らないだろ。 (もうちっと、自惚れろよ) 「いったろ、お前がいねえとやなんだって」 サスケの肩口に額を押しつけて、首筋に鼻をおしあてる。カレーの匂いとサスケの匂いだ。埋めていた顔をあげて横向くと、唇のよこにすいついた。舌をのばしてかさついた唇を舐めるあざとい仕草をして見せた。皮膚の間近いところから立上るような、たしかな高ぶりの気配にナルトは目を細める。 (ああ、やっべ) 興奮しすぎてたまらなくなってきた。どうかするとじぶんはいつもサスケに泣かされている気がする。高ぶった感情はかんたんに涙を出口にするから手に負えない。いなくても泣くし、いても泣く。切ない。 (エロい顔して我慢してんなよ) おまえずっとオレに発情してただろう。つられて自分が我慢できなくなって唇を寄せた。しゃがんでいたサスケがしりもちをついた足の間に割りこんでいく。湿ったみたいな熱が押しあたるのに背骨にそって火花みたいな熱がはいのぼってくる。 (おまえんことが好きなんだって、わかる?) なんでもできるんだぜ、と言ってやりたい。恋人も兄弟も友達も、なんの約束もなくてもいつでもサスケはナルトの心臓の隣なのだ。シャツをすべりこんではいあがってきたサスケの掌がためらいなく心臓の上を押さえている。なんでもできるんだぜ、お前で。 (これが愛じゃなくて、なんなんだって) |
「夜でも太陽」/ナルトサスケ |
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