通信をしらせるざらついた音に眉をしかめて音量を上げるが、聞き取れなかった。枝を蹴り逆上がりの要領で三段ほどあがるとナルトは太目の枝に立ってぐるりと夜の森を見渡した。通信が復帰したのに耳を押し当てれば現在位置はどこかとかすれながらも聞き取れた。 「こちらナルト、三時方向にカラクリ砦、オーバー」 『了解、一時間後に補充人員と合流地点で落ち合う』 「了解ー」 ぶちっと通話ボタンを切って、腰のポーチにトランシーバーを戻した。首の後ろを掻けばざらりと土ぼこりの渇いた感触がする。 桜がちれば落花の雨ごとに影を濃やかにしていくのは緑、午ごろにあわあわしくさった時雨のせいか蒸された土の匂いと靄が森にやわらかく漂っている。新月にまぢかいからか月は水平線のむこうに沈みきり、高いところを流れる雲のすきまからぼやけた星が瞬いていた。 (くっそ、はやくでてきやがれ) これで2週間、森の見回りばかりだ。 火の国南方、波の国にも船で八時間ほどで着くヒウチ島は緯度が低いため気候帯は温帯というよりも亜熱帯に属するが、小島はむかし火山島だったこともあって海抜にかなりの差がある。高低はそのまま気温の差にもなるため、人口およそ三千に満たない小島には冷帯から亜熱帯までおよそ四つの気候帯が存在し、ヒウチ島独自の植生および生態系が見られる。 火の国を通しヒウチ島の自治体から木の葉隠れに来た依頼の内容は、ヒウチ島で横行する密猟者の取り締まりだった。本国から海に阻まれているため、ヒウチ島の生態系の頂点には猛獣が存在しない。豊かな森と天敵が存在しないために、ヒウチ島には二種類ほど飛ぶことのできない鳥がいた。密猟の対象となったのはそれらの稀少な鳥たちだった。 依頼主はヒウチ島の植生を研究する火の国の機関と、自治体の連名だった。研究機関のほうは稀少な動物の保護、自治体のほうは付近住民が鳥用にしかけられたトラップに子どもがひっかかったこと、また密猟者たちが猟の解禁を待たず、繁殖期である春から夏にかけてまでも行なうことが理由になっている。保護法の草案はすでに議会に提出されていたが上院下院での可決、公布、施行までは最低半年のインターバルがあるため、とりあえずの取締りを木の葉に依頼したわけだった。 ほぼ山といっても等しい広大な森をカバーするため、見回りにあてられた人員は小隊三つ、十二人だ。トラップの除去とパトロールをしながらの任務はひたすらに地味なうえ、網をはってじりじりと目立たないよう待ち伏せをする類のことはあまりナルトの性に合わない。 (やっぱこう、陽動してノコノコ集まった奴らをイチモウダジンっつうのがよ) ヒーローみたいでカッコいいよなあと思いながらナルトはもう一度首の後ろをがりがりと掻いて夜の森を走った。 「よお」 「シカマルじゃん!」 島の南にある唯一の入り江のそばに新しいボートが繋がれているのあたり、桟橋のそばでドラム缶に焚かれている火のそばでしゃがみこんでいたシカマルが右手を肩のあたりまで上げる。 「手間取ってるって聞いてな」 「でも報告でかえるのが二名だから、補充も二名つってなかったか?」 「あー、あいついまションベンだ」 「トイレぐらい最初っから行って来いっつの」 「八時間船の上なんだからしょうがねえだろが、お、来た」 プレハブ小屋のそば、仮設トイレから出てきた人影にナルトがうげえ、と声をあげるのにシカマルがそういうと思ったぜ、とため息をついた。 「よう、ドベ」 ポピー、雨上がりの空へ 「…オレはもう二度とおまえらがいる任務には出ばらねえ――…」 シャワーの合間に念仏のように聞こえた声にナルトはひどいってばよ、と隣のブースに顔を出す。胡座をかいてシャワーを浴びていたシカマルがぎろりと睨みあげてきた。 「なんだ、おまえら。一応作戦って奴を授けてやったっつうのに無視しくさって」 「ありゃサスケが!」 「あーあーそうだよな、てめえらにチームワークなんつうもんを要求したオレが間違ってたんだな」 「……成功したんだからいいじゃんかよう。アホな連中をひきよせてイチモウダジン!」 「よくねえよ、だれが事のついでに山焼きしかけろっつったよ、あー、きっとあの研究員どもが喧喧諤諤だぜ、めんどくせえ」 「雨ですぐ消えたじゃん。いつまでもぐちぐち引きずんのは男らしくねえってばよ」 「おい」 襟足で髪の毛をしぼりながらシカマルは外からかかってきた声にカランを捻ってお湯をとめる。 「なんだ」 「オレ先でてる」 「報告書つくんなきゃいけねえんだから帰るんじゃねーぞ、食堂に言ってろ」 わかってる、とばかり右手をあげたサスケのぬれた黒い頭がシャワーブースの向こうにみえる。やすっぽいペンキで塗りつぶされた配管もむきだしのシャワールームをよこぎってでていくの見送ったシカマルもオレもあがるかと立ち上がってからため息をついた。 「ぐちぐち引きずっちまってんのはお前だろ」 「……んだよ、それ」 サスケの声がしたとたん、電池のきれたラジオのように黙ってしまった隣のブースの壁をシカマルは蹴っ飛ばす。 「いい加減にしろよ、お前ら。顔にほとんど出してねえサスケはまだしも、ナルト」 「…」 「なにがあったかしらねえけどな、お前の態度はお世辞にもほめられたもんじゃねえぞ。任務中に認識あわせを怠るなんてな」 「……ごめんってば」 「お前もとっととあがれ、これから始末書かかなきゃいけねんだから」 ちょっと苛めすぎたかとシカマルはため息だ。 その壁一枚向こうでナルトはシャワーブースのタイルに額をごちりともたれさせて、苦いものをむりやり食べさせられる子どもみたいな顔をしていた。 (だってよー、あいつがよー) 悪かった、とひどく穏やかな声が振動でわかるぐらい近く聞こえて、首元をつかんでいた手が力を失ってTシャツの襟がもとの場所に戻る。どんな顔をいま自分はしてるんだろうとナルトは思う。世界の終わりみたいな気持ちなのは本当だ。床板をめくればすぐに地獄だっていう話をきいたことがある。いま目の前にいるのは地獄ではなく、サスケと同じ顔をしてるくせに思いもよらない知らない奴みたいな顔をしている人間だ。 喉からもれたのはたるんだバイオリンの弦からきこえる音のように小さくわなないた。 「や、やー…いや、なんかオレも酔っちまったし」 だよな、と簡単に相槌が返ってくる。サクラがどれだけ話し掛けてもろくに相槌も返さないし、ナルトの言葉だってバカにするような響きがなければつまらなさそうに鼻をならして終わらせるくせに。その相槌はやたらとそつがなくてますます落ち着かなくなった。 久しぶりにあって飲みすぎただけだよな。 へんな組み合わせで酒飲んじゃったせいだよな。 酔っ払ってるせいだよな。 言い訳は頭の中で泡のように浮いては消えていってしまって、ナルトは思わずうろうろと床に眼差しをさまよわせた。じゃなかったら聞き間違いだと思いたいし、不意打ちの二度目のキスだって悪ふざけだと思いたい。 不意打ちなわけではなくても、会話の間にふとおちた湿りのようなものがあって、きっと二人してうっかり落ちてしまっただけなのだ。 だけど窓からおちてくる夜の街灯の明りで、色を喪った世界のなか闇にもとけきらない黒髪とか黒目とかが暗がりの水面みたいに浮き上がっていて、輪郭はあまりに明瞭すぎた。サスケはナイフみたいでナイフになりきれない奴だと思い出したのはいつごろだろう。普段のサスケから想像もできない穏やかな顔をしていることがわかる。 だからけして嘘じゃないのだとわかってしまった。 もともと冗談なんてサスケが言うわけはないのだ。無口だし罵詈雑言いがいは口下手で冗談のセンスなんて1ピコグラムにも満たないと自他ともに認める野郎なのだ。 そのサスケがだ、うすい唇の端をひきゆがめて笑う。 「ネタにもなんねえよな」 「やめろよ、オレがサクラちゃんにボコられちまうってばよ」 なあ、あの子はお前のことが好きなんだぜ。 そんでオレは、あの子が好きなんだって知ってるだろう。 笑えよ、頼むから。 思えばサスケはダセえ奴だなと期待通り、微塵の狂いもない完璧さで笑った。 サスケはナイフになりたがるくせにナイフにはなれない奴だと、知っている。 (あーもう!) 考えてたってはじまらねえやとシカマルとサスケが言っているだろう食堂を目指す。大ぶりな木がいくつか植えられていて、土をならされた地面に木洩れ日があおく揺れている。フェンスの脇にさいたポピーを揺らす風は強くもなく梨の白い花をゆらして、ピクニックでもしたら気持ちのよい日だった。自販機で缶ジュースを買ってから食堂に向かっているところで、こっちだと声がかかった。 アカデミーの視聴覚室の窓からサスケが手招きをしている。 「れ、食堂じゃねーの?」 「人が多すぎて書類書くどころじゃねえ」 「シカマルは?」 「いま職員室に許可もらいにいってる」 「へえ」 不法侵入かよと思うが、今日は休校日らしいから子どもたちはいないし、忍者なんだから今さらだ。始末書と報告書、それぞれのコピーを数枚とりだしてサスケは下書きでもしていたのか消しゴムをあらくかけていた。 お前も書けよ、と促されてサスケの斜め後ろに座る。書類と筆記用具をわたされても机とイスのサイズが合わなくて困った。よく見ればサスケも手足を窮屈そうに上体を屈めて書面を覗き込んでいる。 しばらくエンピツの動く音だけがして、しずまりかえった建物におちつかないのか耳は時計の秒針の音まで拾いあげるようになる。 うつむいたサスケの首筋にカーテン越しのやわらかい光が落ちている。はりつめた背中やシャツに包まれた肩はどうみたって若い男のものでしかない。自分も同じだ。 「…おまえ」 「あ?」 「最近サクラに会ったか」 「いや、会ってねえけどなんで?」 「こないだ病院であったら休みの予定おしえてくれだと」 「へえ、いいな、あいてえな」 口にだすと言葉が音になって心にブーメランみたいに戻ってくる。会いてえともう一度つぶやけばサスケが肩越しにすこし振り返る。 「予定あわせて会えばいいだろうが」 「だな、うおー、楽しみ」 言って膝のあたりにある虫刺されを掻きながら落ち着かなくてしょうがない。サスケの視線ひと凪ぎでこの様だ。なんでサスケのほうが平然としてるのかがわからない。おもわず強く掻いてしまって、掻き壊したのに驚いた膝が机をゆらした。 「あ!」 消しゴムが転がって落ちる。屈んでイスにつかまりながら手をのばしても、机の高さは低くて到底届かなかった。舌打ちして立ち上がろうとしかけたところで、机と床にきりとられた空間に他人の手が割り込む。 「おとしてんなよ」 ウスラトンカチ、と馴染みの悪態をききながら斜めに傾いだ視界のまま消しゴムをうけとる、ときに指先だけまるで体温だけが触覚に引っかかった。 そのさざ波のようにサスケの上に広がったものをなんていえばいいだろう、あえて言えば色みたいな、ちいさな空気の違いだった。空の色をうつしこんだ水面が気まぐれな葉っぱにかきみだされて光をゆがめるような、些細なもの。 喉が干上がって腹のそこから冷たい泥みたいなものが持ち上がってくる。 「なあ」 「…なんだよ」 「あれ、マジか」 世界が息を呑む音を聞く。 「…そうだっつったら、どうすんだよ」 「なんでお前、サクラちゃんじゃだめなんだよ」 心臓を鷲づかみにされるような息苦しい沈黙の後、おまえは、とサスケの声が床の上を這った。 「阿保だ馬鹿だドベだいってきたがテメエは真性ウスラトンカチだな。つうかうすらどころじゃねえな生温い。正真正銘のトンチキやろうだ。おい、オレはもう帰る」 ドアをがらりと足で開けると、引き戸に手をかけようとしていたシカマルにサスケは書類を押し付ける。 「後はこのアホとどうにかしろ。オレのぶんはあげた」 「って、おい」 シカマルが振り返ったときにはもうサスケの姿は消えていて、机の上に撃沈したナルトが一人だ。視聴覚室の数段になっている座席の間をあるき、借りてきた鍵をポケットに入れながらシカマルはため息をつく。 「おまえ、アホか」 「……シカマルまで言うなっつの」 あんにゃろうトンキチだと、とナルトは唸る。 「トンチキな」 「トンキチってなんなんだってばよ、ばかにしやがって!」 「おう、トンチキだな」 「おまえまでトンキチトンキチ言うなっつの!」 「んだよ、うるっせえな、めんどくせえ。だいたいそんな反論するぐらいなら面と向かって言えよ」 つまったナルトにシカマルはやれやれとため息をついた。 「面と向かって言えねえってことは、お前は後ろめたいってことだろ」 「別に、なんも」 「おまえなあ、オレのかってな憶測で話すがサスケがどの女と付き合おうがお前が口出しすることじゃねえだろうが。そこに春野の名前だすなんて、言っちゃわるいがサスケに振られた春野のことバカにしてんじゃねえのか」 「んなわけねえだろ!」 「じゃあお前、あいつのなにが気にいらねえんだよ。あいつの付き合ってる女が気にいらねえんだろ。その女じゃなきゃ、いい訳だ」 「……」 「だったら正直にそう言えよ。サスケがきれんのも当然だな。おまえのキャラじゃねえだろが。ったくめんどくせえ奴らだな、お前らは」 サスケがサクラのことをちゃんと大事に思ってるなんて知ってる。だからサクラもなかなか恋を白紙にできなくて辛いんだろう。じゃあその手をずっと握ってやれないサスケはどうなんだろうなんて考えたこともなかった。あまつさえ何度も泣かせて平気な奴だなんて本気で考えるわけない。 「…悪ぃ」 「おう、そう思ってんならキリキリ始末書書けや」 ちなみにそれ言う相手根本的にまちがってるからな、と指摘されてナルトは頷いた。 「でもナルトのほうがよく会うんじゃないの」 「や、つっても配属が違うし」 あんま最近会ってねえやとナルトは笑う。そうなの、といったサクラは三人で会いたいんだけどなあと残念そうに呟いて、キレイな爪で服にはりついていた髪の毛を取ると床に落とした。嘘ではない、もうあの任務から2週間サスケの顔を見ていなかった。 三人、というのに引っかかりを感じてナルトは首をかしげる。 「カカシ先生は?」 「ん?先生もいてもいいけど、なんか子どもだけで会いたいなあって、でもじゃあ今度四人で会えるかな」 「一ヶ月ぐらい前に決めとけばいいんじゃねえの」 「具体的に決めないとこういうのってお流れになっちゃうもんね」 でも楽しみだな、とサクラが笑う。 「今度はちゃんとサスケくん連れてきてね」 「結局サクラちゃんそれだよなー」 「一生愛の人生だからね」 そこらの変な女にとられてたまるもんですか、と言う横顔がカッコいい。サクラのカッコよさがナルトは好きなのだ。サクラに好きになってもらえたら絶対幸せになれる気がする。 ちぇ、と舌打ちをしてトイレに行こうとたちあがった背中、居酒屋のドアがガラガラとひびいて暖簾をくぐる見慣れた頭だ。 「悪い、遅れた」 こっち、とサクラが顔を輝かせるのに立ち上がるタイミングを逸してしまった。任務帰りなのだろう、すこしうすよごれた忍服をきがえもしていない。 口数はすくない相手でも三人にもなれば話題はつきなくて、閉店まで結局居座ってしまった。 サクラの右側と左側をはさんで送っていった後、夜の道を歩き出せば、街灯の明りに照らされた影が花みたいに広がっては伸びをくりかえして揺れた。 べつにサスケと話すことなんて今までも特になにもなかった。だが沈黙はこんなに気詰まりだったろうか。 「サスケ」 「なんだよ」 「あのさ、すんげ、遅いけど…こないだは悪かった」 別に、と返ってくるサスケの声はひどく凪いでいた。 でも、と続けようとするとサスケがこちらを向く。 「言うな。別に分かってるから」 ひたりと目の前に夜よりくらい闇が落ちてくる。髪の毛をおさえ、額をゆるく押すどこか硬い感触にサスケの手だと気がついた。 「しょうがねえだろ。目、開けんなよ」 これきりだから見ないでいい、と相変わらず穏やかな声がして泣きたくなった。傷ついたときしかこんな声が出せないなんて、自分にわかるぐらいたやすく傷つくなんてサスケはひどい奴だ。たかがキスでレイプなみにナルトを打ちのめし自己満足で終わろうとしている、このキスが終わったら今度こそナルトのことを諦めて夏しか追いかけない渡り鳥みたいに涼しい顔をするんだろう。 バカみたいに潔くてナルトのことをひどく苛立たせる。サスケの優しさは地面におちた鳥の羽みたいに大声ひとつで吹き飛んでしまいそうな類が多くて困る。掴まえにくくって困るんだ。 おもって今更、サスケにこんなキスをさせる臆病さを叩き込んだなにかを憎んだ。 笑顔ひとつ、気の利いたセリフ一つだけでナルトが望むべくもない女のやわらかい胸にいくらだって抱きしめてもらえるだろうになんだってバカヤロウ。 この甘い手をひきはがせ。 酔ったふりなんてしてやるもんか。 サクラちゃんをこいつはまた泣かせる。 でもオレも共犯だ。 ああくそ、わかるか、お前とオレの最低の所業だ。 甘い手を引きはがしてそれからキスを。眼差しと眼差しを結んで唇と唇を呼吸をひそめ、手足をからめるようにあの内緒話のように胸が苦しいのか蜂蜜みたいにあまくなるのかわけのわからないキスをして。ああでもそんなものは両手を拳にしかできないオレらにはいつくるかしれない天国より遠い。 |
「ポピー、雨上がりの空へ」/ナルトサスケ |
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