恋でも恋じゃなくても。








no place












ふいに遠ざかった波の音と木の実が落ちるようなかるい音に降り出したのだとわかった。雨戸やカーテンをぼやけた光がふちどりはじめている。夜明けがちかいのだ。

海鳴りにはなかなかなれることができない。疲労の果てに引きずりこまれていたはじめの数日はよかったが、ふとして浅い眠りをおとしてしまうと波音に洗われるように眠気は遠ざかってそのまま夜明けを迎えてしまうこともままあった。日中もだるい眠気が晴れず床でぐずぐずとして寝ては醒めてをくりかえし沈沈たる夜の底でまた波音を聞く羽目になる。

聞こえる雨音はごくひそやかですこし薄汚れた窓ガラスから見える雨脚も糸のようだ。 ゆっくりと起き上がった。橋の上での死闘から一週間弱、二日も寝込めばチャクラ切れはなんとかなる。問題なのは筋肉痛の解消と寝込んでいる間におちた筋肉やカンを取り戻すことだった。一日、気を抜いてしまえば取り戻すのに一週間はかかる。

(こればっかりは、どうにもなんないよね)

親友から貰い受けた左眼はおそろしくチャクラをくう。ひとえにカカシがここまで生き延びることができたのは、左眼が数ある瞳術のなかでも自分の性にあっていたこと、かろうじて提供できるだけのチャクラをもっているからだ。だが左眼をつかわなければ勝てない上忍クラスとの戦いで持久戦に持ち込まれれば危うい。リスクをどうやってカバーするかはもう何年課題になっているかわからない。単独任務に適性のある能力ではないとわかっている。

チームワークを、というのは戒めの言葉であると同時に、カカシにとっては必要でもあるからだ。

隣で寝ている、昨日病院から自宅療養(正確には自宅ではないが)になった子供を眺めた。看病が必要な人間はまとめて同じ部屋だ。布団からのぞく首筋や腕のどこもかしこも清潔で白い包帯に覆われている。

枕もとの水差しがあまりのこっていないのに立ち上がり、台所の流しで水をみたした。ついでにグラスを借りてのどを潤す。

おいてやろうとかがんだところでいつ目覚めたのか、うすく茫洋とした子供の黒い目と目が合った。もう少し寝てな、といえばいぶかるように目を眇める。はやいからと囁くように返せばゆっくりと重たげな瞬きをした。かさついた唇があえぐように開く。

なに、と耳を寄せた。だが子供のわずかに動いた唇を読み取ろうにもわからない。今度ははっきりと、なんでもない、とかすれた声混じりに唇がうごいた。何の大事かとおもったが、と拍子抜けしたついでに頭をなでる。

「もう少しねてるといいよ」

すこし熱があるのかもしれない、水で冷えた指先に少年は眠がる猫のように白くうす光りする瞼をおろす。じわりとしみてきたのはひどく無防備であどけない熱だった。生きてる温度だ。

(まずいな)

思って吐き出した吐息は安堵で、気づいてしらず笑い声になる。

アカデミーを出たてのヒヨコどもになにひねくれた問題ばっかだしてやがる、と同僚たちに何度言われても頑なに変えなかった。合格する三人組が証明して欲しい答えをくれたら何でもしてやると決めていた。

まだ熱の残る手をすこし握る。水で冷えていた手を温めようと、どんどん血が流れ込んで熱っぽい。

(おまえらみんな、殺させやしないよ)

いいチームだ、と布団にもどったカカシはこんどこそ小さく笑った。









遠く高く響いた声に仰向けば、鳶が風を切りながら大きく旋回している。百日紅を落とした雨が東へといってしまったとたん、日なかの光も夕べのように弱くなり影をながく伸ばした。西日に金色の繊雲が高いところで横ざまにたなびき、薄の葉を穂を揺らす夕風も草いきれよりかわいた日向の土の匂いだ。

小さく聞こえたくしゃみに右目を動かせば、すこし後ろ、まだ橋の半ばにいる黒い頭をした部下が鼻を擦っているところだった。

「風邪引くなよ」
「くしゃみしただけだ」
「うつさないでね」

髪の隙間からにらみあげてくるのにカカシはひょいと右目の眉だけをあげて見せる。病原菌みたいな扱いが気に入らないのだろうか。ナルトにしてもサスケにしても髪型だけでなく体中で一生懸命、バカにすんなとなめんなと力が入っていて、悪いがほほえましくて笑ってしまう。自分もこんなだったのかなと思うと恥ずかしい気もするが、まあいいかとおかしいのも事実だ。喉を鳴らして笑うと案の定形のいい眉がしかめられた。

ごめんねと言えば、嘘つけと切り返されてますます笑ってしまった。

(変なところで敏いなあ)

森から里を横切る川を渡り終わったところでまっすぐ進むか曲がって進むか、まっすぐ行くのはうちはの集落に帰るサスケで曲がるのはカカシだ。

「俺、こっちね」

じゃあまた、を言おうとする前にサスケが曲がったのにおやと眼を瞬いた。

「こないだ借りたの、返す」
「ふうん」

別にわざわざこっちに来なくたっていいじゃないのと思うが口には出さない。修行熱心なこの部下はよくカカシの家でほったらかされている巻物だとかを借りていくのだ。ざくざくとタンポポの地面にはりつきだした葉っぱを踏む子供の足を見る。サンダルはすこし新しい。多分、春よりサイズが大きくなっている。

(……なんだかな)

鳶がもう一度鳴いた。

たぶん自惚れでなくなつかれている。

(それに、たぶん)







「あれ」

秋の日暮れは早い。西に日が傾いたかと思えば、家に帰るまでの間に影が長く伸びてそのうちに影さえも見えなくなって明かりが次々にともりだす。どれだけ電気が点っても町明かりは暗がりから見つめると蛍火みたいに見えるのはどうしてだろう。夜はどれだけ光が塗りつぶそうとしてもたぶん夜のままずっとある。

別の部屋でしばらく書類を片付けた後にもどってくると、ベッドのある部屋の明かりがついていない。暗いままで読むなよ、と思ったが当の本人は寝てしまっていた。

(疲れたのかね)

ベッドにもたれかかるようにして足を投げ出したまま、寝ている。せっかく貸してやった巻物は思い切り転がっていた。顰め面で苦しそうな顔のくせに聞こえる寝息があんまりのんびりしているものだから起こすのも躊躇ってしまう。しょうがないとカカシはため息をつくと、ベッドの上掛けをはいでサスケにかぶせた。

半袖で寝るのは寒かったらしく、上掛けに包まって寝心地のいいのをさがしているらしい。シーツに散らばった黒髪をなでると、子供らしくまだ細くてやわらかかった。

(……だめだなあ)

毎回毎回、勝負を挑んでくる顔の濃い同僚が興奮するたびに言っていたのを思い出す。カカシがアカデミーの生徒をふるい落とすたびに耳にそれこそたこができるくらい言っていた。これで最後、と誰にともなく思いながら指先をもう一度滑らせると、簡単に黒い髪は逃げてしまう。

「…うん」

一言一句間違わずいえる。声には出さない。自分の柄じゃない。
生徒はいいぞ、かわいくてたまらないと。

動く気配に起きたのかとカカシが椅子を回すと、勢いよくサスケは飛び起きた。締め切りのあまり迫っていない書類を机のそばにまるめた。顎のあたりをごしごしと擦るのに涎かと苦笑して、立ち上がる。ぎしりと床が鳴ったのに顔を向けた顔はそのまま犬におどろいた猫のようだった。

「…何時だ」
「8時ぐらい。よく寝てたね」

顎をなでて見せると寝起きでかなり悪い目つきがますます悪くなる。

「…悪い」
「ん、や、別に」

あまり遅いしご飯をつくるにやはり遅めだったのでご飯にお誘いしてみたが、さすがにどうかと思ったらしく首を振って帰るという。

「あ、じゃちょっと待って」

玄関にしゃがみこんでサンダルをはいているサスケをそのままに部屋の奥へとすすんだカカシは、スライド式になった本棚を横にどけて奥にきっちりおさめられた巻物を引っ張り出す。

「そこにいて、あ、ちょっとかかるかも。あーもういいや、あがって……冷蔵庫から勝手になんか飲んで待ってな」

言ったところで躾のいい犬みたいなこの子供は他人の冷蔵庫をあけないだろうなあとも思う。ナルトは結構遠慮なしだったりする。たぶん残りすくない飲み物でも飲みきったあとでばつが悪そうに飲んじゃったと笑うのだ。サクラは二人分をついで、ほんのすこし口だけつけて待っている。

(下手だよねえ)

見つけた巻物に紙魚がいるのを息で吹いて追っ払いながら振り向くと、思ったとおり後ろに立っている。ベッドの脇においてある写真を見ていたようだ。そういえば待たせてる間いつもこれを見てるが、多分退屈で見るものがないから同じものをずっと見てるのだろう。まあ面白がられても別にうれしくもない。

「サスケ、これあげる」

はい、と差し出すとカカシの手を見下ろしたサスケの眼があがった。驚いたように瞠られるでなく、ただ自分をみているのに居た堪れなくなり、カカシは頭を掻く。

「いらない?」
「……いや」
「じゃあ、はい」

下手に整ってる顔の奴って言うのは黙ってると不機嫌に見えがちなんだよ、といつだったか髭面の同僚が新米上忍のくのいちに言っていたのを思い出す。へたな口説き文句だと思ったが、適当なことをいってるわけではないなあとこの部下を見ると思う。唇の端がさがっているのは受け口というのだったかと思いながら、差し出した巻物にざっと眼を通す子供の顔をしげしげと見た。紅をつけるとよく映える、らしい。

「いいのか?」
「ん?」
「貰って」
「うん、俺使わないし」

肯いたとたん眉がしかめられるのを見ている。口元がなにかをこらえるみたいにすこし歪んでいる。

「じゃあ、貰う。ありがとう」
「ん。多分、それぐらいがおまえにちょうど良いと思うよ」

難しいけど遣り甲斐あるだろ、とベッドに腰掛けながらいうと見下ろす眼がもう一度眇められた。近視ぎみなんじゃないかと思うくらい目つきが悪い。だがふん、と鼻を鳴らして笑ったのに機嫌がいいらしいと気がついて驚いた。うれしいときも顰め面なんてとちょっとため息をつく。もうちょっと素直なら、色んなところが簡単になるだろうに。笑ってる人間をきらう奴はそうそういない。せっかくよくできた見てくれなのにもったいない。

(ほんと、下手だよね)

でも褒められて嬉しいのかと思う。どうしようもなく他愛無いこと、なんでもないこと。いつもサクラにどれだけの賛辞をむしろ賛美を受けても当たり前な顔をしてるだけなのに。

階段を鼓動みたいな速さでにおりていく足音に耳を澄ます。

だから多分これは自惚れではないのだ。 サスケが気づいているにしろ、いないにしろ。









「No place」/カカシサスケ








ゆっくりじわじわと。
すこし続きます。
→042:「メモリーカード」

続編→「076: as a dog」










TRY !

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