首元をつかんで壁に叩きつけられ、サスケは小さく咳きこんだ。背中がびりびりと熱くなり、痛みに変わりだす。無言で加害者を睨みつければ、ナルトの方こそ痛そうな顔をしていた。
「なにが気にいらない」 だいたい元からおかしかったのだ。元通りになるだけだ。 「なにも変わらないだろうが」 「……おまえはっ」 「オレは女じゃない」 ナルトは紺碧の双眸を見開いてから、眉根を寄せた。 「そんなん、当たり前だろ」 「だからもうテメエの部屋には来ない」 「だから、何でそうなんだよ」 サスケはいったん床に視線を落とし、それから間近にあるナルトを見据えた。 「オレはお前にもう関わらないからお前もオレに関わるな」 「いやだ」 1 second flat 「いちいちうざい。だからやめる」 うすい唇から吐きだされる言葉の棘にナルトは怯えそうになりながら、サスケの腕をつかまえた。つかんだ肘の血管がつよく脈打つのを感じた。 理不尽な圧迫を跳ねかえすように血が流れ込む、まぎれもない拍動に自分の細胞を燃やしているような錯覚すらおぼえる。 「離せ」 「やだ」 ずいぶん子供じみた返事だと思う。だがどれだけ口数を費やそうと、いう意味は同じなのだ。 離すつもりはない。 (オレが何するか、わかってんだろ) (オレが何したいのかも、わかってんだろ) (わかって来たんだろ。オレんところに来たんだろ) (見ろよ) サスケ。 (オレを見ろ) どれだけ力を入れてこの腕を握っているか、骨が軋むほど血の流れが淀むほど、それだけの力でいま捕まえている。だがしゃにむに抗えば振り払えばすぐに外れる、そんな力だ。だからいま、自分を見ろ、とナルトは強く思う。願いではない、希求だ、欲する力だ。 (でもおまえ、振り払えねえだろ) (突き放せねえだろ) (サクラちゃんのことも、突き放せなかったもんな) ナルトは唇の端をゆがめる。三人で班を組んで、いろいろと見えていなかったことがあったのを知った。わずかの時間に、ほんのわずかにサスケが変わり、ナルト自身も変わっていったことを知っている。アカデミーの頃だったら、こんな腕振り払うこと、おまえ躊躇わなかったもんな。うざい、で終わってたよな。 でももう、サスケは同じ言葉を自分やサクラに言えない。 だがそんな中途半端なものはいらないのだ。やり方が卑怯だっていい。 「顔、あげろよ」 「……離せ」 「顔、あげろって」 「離せ、ナルト」 「何でそんな緊張してんの、おまえ」 ぎっとサスケの歯が軋む音がした。視線だけで人を殺せるとしたら、サスケのいまの目がそうだ。ナルトは唇の端を吊り上げる。脅迫は後ろに恐怖があってはじめて成り立つものだ。だけど結局サスケには自分を徹底的に突き放すこともできない、せいぜい殴り飛ばすだけだ。自分は殴られても躊躇わないし、かまわない。だから意味がない。サスケは一番単純なことがわかっていない。 優位を見せるナルトの笑みにサスケは目を閉じて、唸るように低く言った。 「離せ」 肌の記憶は生々しいだろう。熱も覚えているだろう。自分はまだ熱を覚えている。目を閉じても耳をふさいでも、感覚器ではない違うところに深くつよく焼きついているはずだ。思い出せ、と思う。 「サスケ」 (オレが何するか、わかってんだろ) (オレが何したいのかも、わかってんだろ) (わかって来たんだろ。オレんところに来たんだろ) (じゃあ見ろよ) (オレを) (見ろ) 「いい加減にしろ、離せっつってんだろ」 声音がわずかでも震えている、最悪だと思った。 時おり、時おり、サスケはナルトにはかなわないと思う。カカシとは違う。圧倒的な力の差を見せつけられるとか、そういう外的な力量のことではない。なにかもっと根元の方、人間の芯、生きぬくために必要な大事な、飢えとも同じしがみつく何かだ。 生まれたときから束縛があった。兄により架せられた枷は何より重い。だが既にそれはサスケの芯に食い込んで抜くこともできない。存在意義だ。だからこそ、サスケの根底にはしがみつきたいという思いと、打ち壊したいと思う真実が相克しながら存在している。 だからサスケは、ナルトに叶わないと思う。 (なにやってんだ) (なにやってんだ、オレ) (離せば終わりだろ) (それでみんなお終いだろ) (うぜえこともなくなるだろ、それでいいだろ) 唇を噛む。つかまれた腕、その力と込められた問いかけの意味を知らないわけがない。だが、それをおまえが言うのか、と思う。 (よりによっておまえが) (おまえが) 振り払え、と思う。だが確かに発せられたはずの電気信号は体の末端まで行き渡らない。数年前よりはるかに筋張って大きくなったナルトの手は、どうしたってサスケに強迫めいた感情をゆりおこさずにはいられない丁寧さで触れてきた。そんな仕草は似合いの女にでもすればいい。 「離せよ」 「目、あけろって」 言えるわけないだろう。認められるはずないだろう。おまえが、このオレに。 (おまえが言うのか) 「おまえの言うことをきく筋合いはねえ。離せ」 振りほどけば、だらりとナルトの腕が下がった。ナルトは床を見つめ、サスケは力なくぶら下がったナルトの手を見た。 「嫌ならいつだってやめられたじゃねーか」 「……」 ナルトの顔がゆがんだ。泣き出す寸前の子供の顔だった。 「お前だって、オレが好きだろ」 震えてかすれきった声に不覚にもサスケは詰まった。自惚れがすぎる、となじんだ嘲笑の形に口元の筋肉を引きつらせようとして失敗し、仕方なく黙れば、ただお互いの呼吸の音だけが響いていた。沈黙に耐え切れず、好きだろ、と押しつけがましく呟くとナルトはちきしょう、としゃがみ込んで膝の間に顔を埋めてしまった。 「……黙るなよ」 ナルトは力なくうめいた。ここで黙るのは卑怯だ。こんなずるいことってない。 沈黙なんていらないのだ。サクラちゃんに対する優越感だって、最低なことだが、確かにあった。サスケに思いを寄せる誰よりもどんな女より近くにいて、どんな奴よりもサスケの傍にいた。 膝に置いた手の甲に額を押しつければ骨のでっぱりを感じた。熱をもちだした瞼をつよく押えた。サスケの顔は見ない。見ても意味がない。情けない自分の顔を隠そうとしてるわけじゃない。目さえ見えなければどんな格好だってよかった。サスケの顔さえ見えなければどんな目隠しだってかまわなかった。安易な無表情や沈黙のように、ごまかせるものなんて何もいらない。サスケの答えが欲しいのだ。 「黙るなよ、答えろよ、ここで黙るな!」 だれが言っても。 「お前がいやだって言ったって、信じねえ」 だけど自分は女にはなりえないし、サスケだって女にはならない。わかっているが、わかることと納得できることは違う。納得はできないし、諦められない。自分の道は曲げないし、曲げたら自分は確実に負けてしまう。そんなのは嫌だ。 「……なに」 なに、ともう一度かすれた声が上から降ってきて、「なに、お前泣いてんだ」と訊かれた。 アホか、バカか、こいつは。何トボケたこといってんだ。お前のせいで、お前のせいでこんな鼻水出してまで泣いてんだろ、お前のせいだろ、お前が泣かすんだろ。 じゃあ何でオレとしたんだ。あれがセックスじゃなくてなんだ。お前が俺の肩を掴んでできた傷だって、オレがお前の首筋をかんだ傷だって、まだ塞がってやしないだろ。あんな悔しそうな顔でオレとすんのに、なんでもない事だってお前は言うのかよ。 女の子としたいなら、そっちに行くに決まってんだろ。何でわざわざお前なんかとすんだよ。気づけよ。何でオレとすんだよ。 こんなのねえだろう。こんなアホみたいなことってないだろう。なんだってオレはこいつなんかに。こんな頭悪い奴なんかに。だけど諦められないなんて誰よりわかってる。だってアカデミーから、スリーマンセルからずっとだ。オレとサクラちゃんとカカシ先生がわからなくて誰がわかるんだよ。ずっとお前だけなんだ。 呼吸の拍子に涙がでた。 いつだってお前がオレの目の前にいて、オレは振り返れ振り返れって思ってるんだ。だってお前、オレらのこと捨てたじゃねえか。カカシ先生もサクラちゃんもオレのことも、お前自身のことだって捨てちまったじゃねえか。一度だけじゃない、三回もだ。波の国で、砂の奴と戦った森で、その後で。何度だって捨てるんだ、こいつは。 しゃくりあげるように嗚咽を上げ、ナルトはサスケを憐れんだ。 何ひとつ捨てたっていいもんなんかないんだ、捨てて引きかえに何かを手に入れても後悔が残らないものなんかない。オレは誰が何を言ったってオレだけの味方でいる。オレはオレを捨てたりしない。 泣いてるんだ、だと?可哀相なのはオレじゃない。ちり紙交換のトイレットペーパーに吸い込まれちまうような涙が、この情けなくて惨めったらしい涙が、自分の傷さえわからないお前のせいじゃなくて、なんだっていうんだ。お前の口癖だろうが、オレに言わせてんじゃねえよ、このウスラトンカチ。 「……言えよ」 すべりでた息は引きつった喉のせいであえなく震えてしまったうえ、膝と膝の間でくぐもって到底サスケを怯ませることなどできない。 オレの手をふりはらって後悔しないはずがないんだ。おまえみたいなあほな野郎と付き合える奴なんてそうそういるもんか。 苦しい、辛い。こんなのは嫌だ。お前が捨てられちまうような片づけられちまうようなもんになりたくないんだ、もう一度だってお前の背中なんて見たくねえんだ。 1秒だって待たせてやらない、1秒だって余裕なんかやらねえよ。 答えろよ、黙るなよ、言えよサスケ、お前の口で言えよ。今ならキスひとつで許してやるから言えよ。 オレが好きだって言え。 |
「1秒フラット」/ナルトサスケ |
秒速100m…… |