誰も知らない。
オレは知ってる。





"Where is my shoe?"







サスケくん、と呼びかけられて振り返ると、サクラが立っていた。寒いねとマフラーに顔をうずめながらくすんと鼻を鳴らした。

「あけましておめでとう、今年もよろしく」
「今年もよろしく」

厚めのタイツに包まれた足の膝をすり合わせている。応えるサスケもぐるぐるにまいた黒いマフラーに赤くなった鼻を埋め、ジャケットの中にはいった冷たい両手をそれぞれ握った。吐き出した息の白さが目の前をかすめていつもよりずいぶんひろがる気がするのはそれだけ気温が冷たいからだ。顔の表面の皮膚がぶあつく冷えてびりびりと痛い気さえした。

それにひどく眠い。瞼が気を抜けば上下に張り付こうとする。午前4時半だから当たり前だった。夜明け前というより、真夜中といいたくなるような空の色だった。暗やみに星ぼしが瞬いている。朝が近いとかろうじてわかるのは、空の低いところにあるすこし痩せた月のせいだった。

「…あ、ナルトきたよ」

水たまりの氷でも踏みつけてるのだろう、街灯の下で片足で地面をけりつけようとして滑っていた。アホかサル。鼻を鳴らすと、隣でサクラがなにしてんのよあのバカと呟いていた。

「あけましておめでとうサクラちゃん!」
「おめでとう」
「今年もヨロシクだってばよ!」
「テンションたけえよ」
「おまえみたいなネクラとくらべんなっつの!新年早々むかつく!初むかつき!」
「なんでも初つけりゃいいってもんじゃねえだろ」
「ムッキィイイイイイ!」

それはアンタでしょうが、とサクラがナルトの脛を蹴飛ばした。むき出しの脛を寒いときに、しかもサンダルの硬いゴム底でやられるとかなり痛い。飛び上がったナルトはひどい、と口の中でぶちぶち言いながら、真っ暗なあたりを見回して呟いた。

「つーか問題はさあ!」
「先生は何時に来るんだろうね」
「期待するだけムダじゃねえのか」
「……お前ら、知ってて言ってる?」

やれやれとため息をついた教師に、ふりかえった子供たちは日ごろの行いが悪いんだろうと異口同音だ。三者三様の責めに頭をかいたカカシはまあ、と首を傾げた。

「あけましておめでとう。今年もよろしくな」





「サクラ親御さんになんていってきたの?」
「みんなと初詣っていっただけよ。終わったらすぐもどるし。でも先生がまともに来るなんて驚いた」
「…朝早いけどね、まあ暗いし」

そんないじめないでよ、と猫背が寒そうに縮こまる。参道の落ち葉もほとんど落ちきってしまって、石段の端にすこし寄せられているだけだ。鎮守の森は常緑樹ばかりだから、冬も夏も昼でも薄暗い。今は遠めにも鮮やかに煌々とした篝火が焚かれ、石灯籠にも灯がはいり参拝する客の影を浮かび上がらせていた。

「……わ、並んでる」
「そんなに人いないかと思ったんだけど」

参殿と本殿がある築山に近づくにつれ、緑青にまみれたおおきな鳥居のむこうまで、すくなくない人影があるのがわかった。任務に赴くのかそれとも帰りなのか忍装束のままの姿がちらほらと見える。境内にはいればすぐ参拝できるかと思ったが、手水舎のあたりまで人がならんでいた。

作法どおりに手をあらい口を漱いだナルトは冷たいといいながら参殿から長く伸びた列の後ろに走って並ぶ。おいかけたのはカカシの声だった。

「ナルト」
「なに?」
「参道の真ん中は踏むなよ」
「なんで?」
「そこは神様が通るからだよ」

え、そうなの、と飛び退るのにそんなのも知らないの、とサクラが言って横にならぶ。オレわかんねえもん、とナルトが赤い頬をすこしふくらませる。不意に聞こえた喉の奥で小さく笑う声に、サスケは斜め上のカカシを見上げた。左側にいるからどんな目をしているのかはわからない。

(おまえらの印象は……嫌いだ!)

ただあんなセリフを笑って吐いた人間とおなじようには見えない。マフラーに鼻をうめると吐き出した息のぶんだけ暖かかった。

「サスケ寒い?」
「当たり前のこときくなよ」
「はは、そりゃそうだ。甘酒あるよ」

後ろを振り返れば、鳥居の外にいくつか屋台が組まれている。まだ客もすくないだろうから営業はしていないが、日が昇って増える人を当て込んで、遠からず灯をいれるだろう。それとは別に社務所のそば、いくつか緋毛氈の床几がおかれ、甘酒と赤く書いた幟がゆれていた。白熱球のオレンジの明かりが湯気でやわらかく潤んでいた。

「…甘いのは」
「買っておいで。おごるから……って、お参りしたあとね。邪魔だし」

甘いのは苦手だといいそびれた。ただ無性におもいだして飲みたくなるときはある。最初の一口二口はのめても冷めてくると酒粕の匂いが鼻をついて残して、いつも残してしまったのだけれど。

「え?先生おごってくれんの!?」
「なんでおまえそこだけ耳敏いのよ」
「お年玉ー」
「サクラも……やんないよ、おごるけど」

忍者である以上孤児もおおい里では、孤児にたいする保障を里がある程度負担している。里をあげての祭事やこういった新年での行事への参加もボランティアが請け負い、サスケやナルトも同じだった。ここ一二年、参加はしていなかったけれど、それなりに楽しくもあったことを思い出す。すこしマフラーのなかが息苦しくなって吐き出した息は白く流れ、明かりをかすませた。

神馬がいるはずの厩舎にいってもなかにある馬は白い張りぼてであるのに文句をいったりして進み、新年の抱負を五彩の布でかざられた参殿で声にださずに誓う。おみくじを引いて一喜一憂する横顔をすこし笑う。

「っあー!なんでオレだけ凶なんだっつの!」
「わたし大吉」
「ていうか凶のほうがすくないんじゃないの」
「さすがドベだな」

ドベじゃねっつの!と赤くなった鼻の上に皺をよせたナルトは、石畳からむきだしの土におりて、あまりおみくじでいっぱいになっていない枝をさがしている。たいがいの枝は白い花でも咲かせたように結ばれて重く枝を撓ませていた。

かじかみかけた指でおみくじを結ぶのはむずかしい。一度おとしてしまって、サスケはしゃがみこんだ。低い声が耳をついたのはそのときだった。

自分にむけられたものではない。だけどあからさまな低い声の、ある程度年のいった男の低い呟きだった。

「…めえみたいなのがきてんなよ」

すこしくたびれた靴先をたどれば、みなれた土でよごれた黒いサンダルがオレンジ色のパンツがある。ナルトの背中は振り向かない。

紺色の額宛のかわりにゴーグルをひっかけ、赤い小さな耳をを覆ったのは、黒い手甲をした大人の手のひらだった。

「てめえみたいなのがきてんなよ息してんなよ、えらそうなこといってんじゃねえよ、お前みたいなのがいるから世の中おかしいんだよ。無職の奴が増えてよ、おまえみたいなガキがよ、みんなの金食いつぶして社会わるくしてんだよ、新聞とかみたかよ若い奴が親をなぐったりしてよ親が子供殺したりしてよ世の中狂ってんだよ、わかるかよ、おまえみたいな奴のせいでよ」

抑揚もなくつぶやいた男は土を幾度か爪先で蹴りつけた。カカシのサンダルに霜柱がくだけた氷まじりの土がかかる。あたりの参拝客が遠巻きにしているのがわかる。かかわりないようにしているのがわかる。

「覚えとけよ、おまえが悪さしてもすぐわかんだからな。警務隊もバカじゃねえんだからてめえなんか即、つかまって裁判かけられていままでの責任とらされるんだからな、せいぜいビビッて待っとけ。みんなみんなわかってんだぞ」

落ち着きなく幾度も爪先で土をひっくりかえした男は、まだ口のなかで呟きながら参道の人ごみの中に消えていった。カカシののんびりとした声が耳をついた。

「おまえ、耳ずいぶん冷たいね」
「先生の手だってつめてえっつの」

カカシの手を両耳から引き剥がしたナルトは、カカシを見上げ歯をむき出すようにして笑った。絵馬をかざってきたらしいサクラがサスケの横をとおりぬけて、二人にちかよる。カカシが振り返り、笑った。

地平が赤らんで、雲が金色にひかっていた。めざめたらしい雀の声がする。ながく影がのびて、のぼりだした旭日がサスケの頬を照らした。

「じゃ、帰ろうか」

いらないといったのに、帰り道押し付けられた甘酒はやっぱり一口二口で飽きた。けれどおごってもらった手前すてるわけにもいかず、甘さに辟易しながら最後まで呑んだ。しもやけになりかけなのか、手や耳が赤くなってすこし痒い。自分で耳をおさえると、風のうなるような音が聞こえた。









「"Where is my shoe?"」/カカシサスケ





まだ続きます。
→065:「冬の雀」
続編→「092:笑い男」










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