懐かしむようないとおしむような、見てるこちらが切なくなるようなとてもやさしい眼差しだった。日の当たる窓をみあげるよう、光のはいりすぎた古い写真みたいに色の淡い、やわらかい。気がつくことはそう難しくはなかった。だってずっと見ていた。





The laughing man







紫に沈む未明のくらがり、おもいのほか近くに舟影が浮かび霧のむこうにまた消えた。朱い灯りをにじませ流れ漂う霧に舳先に立つ人影さえ誰かも定められないほどに深くなってきた。まだ鳥の声もせず人の声もない、遠く重い波の音が霧のむこうからひびいてく。

「まだ二時間はつかないよ」
「…いや」
「冷えたんでしょう、被ってたほうがいいかもしらん」

起き上がったサスケに女船頭が毛羽立った毛布を指差す。

「あまり寝れんでしょう、揺れるし」
「そんな繊細な奴らじゃないですよ」
「子供は寝るもんです。見るもんもないですし。霧がなけりゃ、きれいなとこなんですけど」

今時分だと桜が咲いて、もうすこし経つと柳の棉がとんで雪みたいに飛んできれいですよと一生懸命にかたって聞かせる。言われてみれば掘割の水面に細い枝をたらしているのは柳らしく、ぼんやりけぶるように見えるのは桜らしい。晴れた日はやわらかい色の空と青泥の水面にあさい緑と淡紅の花雲はさぞかし映えることだろう。

「絵になるところですね」
「古いだけですけど。若いのはみんな出稼ぎだとかで出てくから人もようけおらんし、十年もたてば寂れる」

最近は、人攫いもでるしと女は黙った。
河口にちかい海沿いの小さな港町は、月に三度市がたって人でも多い。はるばる舟に荷をたくさん乗せる、待合のすし詰めの船にのってやってきて一日を商いに費やし、黄昏どきにふりかえると、後ろにいたはずの子供の姿が消えているという。

届けがあっただけでこの月ですでに二桁の子供が姿を消していた。

数日前に依頼を聞いて、難しいですねといったのは当たり前だった。カカシは依頼人である町の代表の前でページにしおりを挟んで本を閉じる。

「そういった子供の誘拐で規模が大きい場合は、どうしたって組織みたいなのがあると見るのが確実です。根本的な解決をおのぞみの場合はこちらも介入が難しくなってきます。おさめてるのは各大名ですから忍者が入るとややこしいことになる」

ですが、と言い募るのと騒ぎ出しそうなナルトを後ろからさりげなく関節を極めて押さえ込みながらカカシはそうですねえ、と笑った。

「手がかりぐらいは知ることができるかもしれません。それと、自衛の手段ですかね。手口がわからなければ注意もできないでしょうから」

大きな問題はもちろん、大名にお願いすることになるでしょうがとつづける言葉に第七班の次の任務が決まったのだった。

作戦は単純に囮捜査だ。捕まえるまでには至らない。ナルトは不満そうだったがカカシとサクラに懇々と理を通されて納得したらしくいつものように意気揚々として、水路にはいった夕方にはくたびれてしまったようだ。

日がそろそろ上るのだろう、だんだんと霧につつまれても辺りがあかるくなりだす。カカシは霧で濡れた髪の毛をすこしうっとうしそうに撫でつけた。寝ないのか、というカカシをみつめてサスケは女船頭にきこえないようひそめた声をだした。聞こえなくとも唇だけでカカシは読めるだろう。

「…あんた、最初はこれ断るつもりだったんじゃないのか」
「なんで」
「面倒そうだった」

カカシはお前は聡いねと右目だけで笑った。

「こういうのはね、タチが悪いことにたいがい忍び崩れみたいなのが混じってるからね、ランク的にはBに近いの。それに自治体のね、警務隊みたいな人たちには管轄外に鼻をつっこむなっていい顔されないから面倒なのよ。報酬に見合わない」

やな話だけどねえとカカシは言ってから、ナルトとサクラをみた。

「これ、内緒ね。いい話じゃないから、あまり言うなよ」
「わかった。じゃあなんで断らなかった」
「警務隊に言えばいいなんてこと、あの人たちもわかってるに決まってるでしょ。そんでもわざわざ忍者に依頼してきたんだし、こいつがうるさいからね」

言ったカカシに答えるようにナルトが大きくくしゃみをして体をちぢこませる。

「あ、こいつサクラにくっついてるよ。ちゃっかりしてるなあ」

くつくつと鳥みたいな声で笑ったカカシがナルトの肩から落ちてしまった毛布をひろいあげる。優しいなと何の気もなしに思わず呟けば、カカシはそれこそ鳩が豆鉄砲を食らったように驚いたらしく――本当に驚いたらしくしばらく絶句して、そうかな、と小さく言った。

あのねえ、とナルトとサクラの毛布を掛けなおしながら、カカシはサスケから視線をはずした。口のなかで困ったようにすこし躊躇って、自分でその躊躇いがおかしいのかナルトを見てすこし笑う。

「似てんの。昔お世話になった人に」

面映げに右目をほそめたカカシが気づかれると思わなかったと感心したようにいえば、なにかものすごい気恥ずかしいことをしでかした気がする。

鼻を鳴らして霧がうすくなりだした川面をやたらとみつめる。耳が熱ほてった。春告鳥の笑うような声はカカシの笑い声に似ている。桜の花びらが緑の浪に遊ぶよう流れていった。

たぶん自分はカカシのことが随分好きなんだろうと知った。







カカシ、と聞こえた呼びかけになんでしょうね、とふりかえる。パイプを持った三代目火影がこちらにこいと言うように顎をしゃくった。つれていかれたのは火影の顔岩をのぞむ里でも随一の高楼だ。今日は風がつよいこともあって人影もみえない。

「で、なんでしょう、火影さま」
「ナルトはどうじゃ」
「ナルトですか?伸びてますよ、普通に。今日も人買い相手に大活躍。問題も山積みですけど」
「そうではない」

苦々しい顔で言うのにカカシは誤魔化されてはくれないかと笑う。だがカカシの気分も察しているのだろう、三代目は燐寸をすって煙草に火を入れた。あおく煙が夕風に流れる。

「波の国で、封印が解けたかと思いましたが、今は安定してます。ただね」
「なんじゃ」
「腹をよく壊してます」
「ありゃ、腐った牛乳のせいじゃろ」

まあそれも否定できませんがとカカシは返した。カカシを指して鼻がきくといったのは三代目自身だ。瑣末なことでも報告はしろと言われている。

「ストレスが腹に出るって言うのは、子供によくあることでしょ。あいつそういうのじゃないですかね。まあ言ったところでどうにかなるもんでもないでしょうが」
「わかってお前はそれを言うか」
「だから言ったじゃないですか。どうにもならないかもって。あとは月の夜は腹をよくおさえてます」

付け加えた言葉に三代目はしばらく煙草をふかして、甍をにぶく輝かせる入日をみつめていた。

「封印もそう強くはないということかの」
「波の国でゆるんだのは確かですね。今後どうなるかは、わかりません」
「おまえの見解はわかった。今後も頼む」
「了解です。じゃあ俺報告書ださなきゃいけないんで、いきますね」

報告書をどさりと提出するとはいどうも、と無骨な手が伸びてくる。決まりきった書式に記入ミスがないか確認しているのを待っている間、ため息がおちた。

「…どうかしましたか」
「はい?」

おつかれですか、と鼻一文字のスカーフェイスがカカシに笑う。黙っていればすこし怖いだろうにそんな笑顔ひとつでこっちも気分がなんとはなしに明るくなるのだから人徳だなあと思う。

「子供の相手は疲れますよね」

楽しいですが、と笑う顔にこの人も濃い同僚と同じだったかとしみじみ思う。子供達を教えることは、植物を育てることによく似ている。土を見て肥料をやって虫をとって病気のところは手入れをして、添え木をして、たまに話しかける。自分にむいているとは正直思えない。

「そうですねえ」
「そうですよね」

曖昧に肯けば嬉しそうに笑うものだから、なんだか甘いものを口につめこまれたようなこそばゆい気分になって閉口してしまう。ナルトはどうしてますかね、と相変わらず小さい声で父親みたいな顔できいてくるのに、よくやってますよ、と答えながら思い出すのはもう一人の男の子だった。

ときどき、困ることがある。

やたらとまっすぐな眼差しで自分を見ているのだ。今日なんかはサクラがサスケを見てカカシを見てへんな顔をして首を傾げていた。だが視線を返すとすぐ猫みたいに眼差しをそらしてしまうのだ。

(…懐かれてるかなーとか、思ってたんだけど)

なんのかんのいって直球な子だなと思う。ナルトと比べれば妙に分別くさいところもあるが、黒い瞳にはいつだって躊躇いはなかった。見てるカカシのほうがたじろいでいる。確信していいだろう。

なぜだろう、粉砂糖でくしゃみがでそうな気分だ。やたらと照れくさい。単純にうれしいのだ。子供に自分が好かれるほうだとは微塵も思わない。好かれるのはどう考えてもいま目の前にいる、この人のいいひとだろう。ナルトの懐き方を見てもよくわかる。

じゃあお疲れ様ですとイルカと別れ、アカデミーを出る。しばらくあるいた道の先、ビニールハウスの傍にたてられた新鮮野菜安売り、とかかれた販売所の傍にしゃがみこんでいる黒髪の子供がいる。今日も、と出した口調の面倒くささは自分でも自覚している。知らず自分が笑っていること、冷蔵庫になぜかトマトがよく入るようになったこと。

彼が来ることをたのしみにしていること。





「…なんだよ」
「なんでもねえよ」

目を細めて口をとがらせるナルトの子供っぽい仕草にサスケは面倒くさそうに首を傾げる。むっと鼻白むのはいつものことだ。

「飯粒ついてる。行儀わりいな」
「あ?」

サスケの指摘に弁当にいれていた箸を銜えたナルトは頬を両手で押さえてどこだと探し出す。

「嘘だ」
「ああ!?」

バカは単純でいいとサスケが鼻を鳴らすと、おまえマジむかつく!とナルトが足を蹴ってきた。口の中にものいれたまんましゃべんないでよとサクラに言われたナルトは顔をしかめたまましぶしぶとまた弁当に口を付け出す。

「……お前ねえ」

背後からきこえる呆れた声にサスケは黙々と仕出しの弁当に箸を入れる。きんぴらごぼうの味付けが甘すぎる気がしたが、出汁のきいた煮ものや魚の大葉揚げはおいしかった。なんでも今日はアカデミーで大き目の会議があったらしいのだがお開きになって仕出しがあまってしまったらしく、七班がその一部をお相伴にあずかったわけだった。

「仲裁にはいる気もしないよ」
「そんな気ないくせに。下手な嘘つかないでよ先生」
「最初からはいりゃしねえだろ」
「いっつもぼけっとしてよ!」

三人に同時に突き上げをくらったカカシは空の弁当を片付け、割り箸を袋にいれながらやれやれとため息をつく。いったいいつの間に食べきったんだと相変わらず不思議だ。がつがつと箸で弁当をかきこんでいたナルトがむせる背中をカカシが撫でる。

「あんま急いで食うと腹壊すよ」

噎せたナルトにあきれたサクラが竹筒の栓をぬいて差し出してやる。一気に半分ほどかたむけたナルトはありがとうと小さい声でいって笑った。毎日は穏やかで、修行も兼ねた任務は退屈でもあり楽しくもある。サスケはすこし欠伸をする。五月の木漏れ日が瞼の裏ですこし揺れる。草の匂いに夏の近さを感じた。

じゃあそろそろ休憩おわり、とカカシが言うのにナルトがすこし青い顔をして手をそろそろとあげる。なに、とカカシが言うのに、唇だけをもちあげてナルトがトイレ、といった。

「腹こわしたの?」
「…そうみたい」

結局休憩は20分ほど伸びたがナルトは白い顔をしたまま両手で腹を押さえてすこし汗を浮かべている。何度行っても治らないらしいのに流石に心配になって、サクラが病院に、と言い出したときにカカシがナルトを呼んだ。サクラはナルトに飲ませる水をとりに、蛇口のほうに走っていった。

「ちょっと、見せてごらん」

捲りあげたナルトの腹をカカシは触診のように手甲をはずした手で撫でる。う、とナルトが呻いた瞬間、まだ子供らしい線のあまさをのこした腹に紋様がごく一瞬だけ浮かびあがってサスケは目を瞠った。

気づけばナルトの傍にサスケは立っていた。ひょい、と片方の眉をあげたカカシが首をかしげる、いつもと変わりない眠そうな目が、研いだ刃の切っ先をたしかめる精緻さで細まるのに瞬きができない。サスケの背後からサクラの声がかかる。

「先生、水もってきたよ」
「うん」

ぴくりと跳ねた指先が手裏剣ホルダーをさぐりそうになるのをおさえる。頭でわかってしたことではなかった。ただ体が反応したのだ。悟られたら終わりだ。なにを?気がついているのを。

(あのねえ)

カカシの、ナルトにむける眼差しがけして、サスケやサクラにむけられるものと同じではないことを。

(似てんの。昔お世話になった人に)

耳鳴りの奥でカカシが笑う。眩しさに顔をしかめる猫みたいな顔で、口に出す言葉さえ誰にもみせたくない宝物を惜しむ声でいって笑った。だが今見る錆びた眼差しは照準をあわせる目だ。カメラのフィルムみたいにあるがままを焼きつけるだけでどこにも温度のない目だ。下瞼がたわんで細まり、頬の筋肉をもちあげる。

「どうした、サスケ」

カカシは笑う。変わらず笑う。思い出の映画をみるような遠さで、笑う。

「変な顔してるよ」

だってアンタは笑う。懐かしむような眼差しでナルトを見ながら、いつでもナルトの首を刎ねられる左手を隠して笑う。こわばったままろくに誤魔化せない顔のオレを見下ろし、心底傷ついた顔を真実のぞかせてしまったくせに、あんたは笑う。

そしてどうしてオレは、アンタが温度のない目で笑っていることに傷ついているんだろう。
そしてどうしてアンタはしょうがないものを見る目で笑うんだろう。かわいそうなのは泣きたいのはオレじゃないのに、アンタは笑うんだろう。

そしてそれでも自分はカカシが好きなのだ。











「The laughing man」/カカシサスケ




微妙なサスケ初恋物語の様相を呈してきました…。

まだ続きます。
→092:「マヨヒガ」
続編→「059:never more」










TRY !

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