ゴトクって男は、と階段裏手の壁にもたれたままイビキは話し出す。

「まあ、真面目一辺倒な男だ。遊ぶでもなく働いてた。ただ親の代から借金があったみたいでなあ、貯金はなかったらしいな。それで、負債のほとんどは返し終わったらしいところにイロリさんが病気になったらしくてな」
「木の葉の忍びなら保健がきくだろう」
「それもたかが知れてる。知り合いの診療所に頼んだみたいだがなあ、こういうのはな、値段っていえば聞こえが悪いが、上下があるわけじゃない。どこも一緒だ。だが家に帰ったからってよくなるわけでもない。その、負債の利子だけも返せないぐらいまでなってな、けっこう困ってたみたいだな」
「それで任務を里を通さずに請け負ったと」
「重い罪にはならんと思うがな。珍しくもない、話だ」

珍しくもない、とイビキの言葉をうけとってカカシは頭を掻いた。

「どーにも、気が滅入るねえ…」
「気持ちのいい話ではないな。他人事でしかないから言うが、運とかめぐり合わせとかいったものが悪い、そうとしかいいようがない」
「真面目な人ではあったからね」
「なんでだろうな」
「そんなの、俺が知るわけないでしょ」

それはそうだな、と呟いたイビキの目の前にがさりと開封ずみの封筒が投げ出された。



















10、黒白3












「見ましたか」

日が沈むのかとたずねるような声にとっさに答えあぐねた。不自然な沈黙に、彼は重ねて見ましたかと問いかけではなく呟いた。幾分かやつれてうまく眠れてもいないのだろう、やや憔悴した面は髭もあたっていない。だが不思議と眼は格子のはまった窓からのぞく夕凪の空をたたえて落ちついていた。

パイプ椅子にあさく腰掛けたカカシは一つ目を閉じて肯定を返した。

イビキにゴトクが面会を求めているがどうするかと尋ねられたのに頷いたのだった。

ゴトクの手には手錠がかけられている。
ひとりって言うのは、とゴトクはつぶやいて口を噤む。カカシが促すように見れば床をみつめたままゴトクは続けた。

「なにもすることがないですねえ」
「お暇ですか」
「ひまというより、なにをしていいかがわからんのです」
「ゆっくりすればいいでしょう」

カカシの言葉はとらえようによっては皮肉にも聞こえたろうが、端々ににじむ労わるような響きにゴトクはそうですねと笑って頷いた。

「ねえ、ゴトクさん」
「はい」
「ひとつおききしていいですか?」
「ええ。どうぞ」
「あんたあれでどうするつもりだったんです?」
「よくできてたでしょう?あれは。きっと貴方が考えてる通りのことです。でもわたしはもうしたくない、しません、だから頼んだんです」

しませんよ、とゴトクは呟き、だからお願いしますと頭を下げた。











悲しむ奴なんて、誰ひとりいないじゃないかと思ったんです。

わたしだって、もう親は亡いですがちがう。イロリがいる。イロリがいたんです。あの女は弱い女です。体とかじゃない、弱くて私がいないとやっていかれない、そういう女だったんです。気が強くたって体がつよくたって、こう、ここが弱かった。

子供ができたことがありました。長くできなくて、ようやくでした。でも流産しましてねえ、骨なんてね、少ないもんです。あいつは毎日、線香をあげてた。骨になったってよすがだ、私はたまに骨壷をあけてのぞいたりしました。ろくろく骨もなくって、喉仏っていわれたってね、ほんとうに小さなもんです。それがね、減ってるんですよ。

―――食ったんだ、あいつは。食ったのかってきいたら、かわいいからって言って泣くんです。

ああこいつは、だめなんだと思いました。わたしが思うよりかこうずっとよわい、女だったんです。子供が好きで、近所の子をどんだけかわいがってたか。それから私がどれだけ、死なないよう気をつけて生きてきたかわかりますか。だってあんな、あんな女を残して死ねない、しねないですよ。

入院費だってばかにならんのです。ひと月、二月ならいい、でもあいつのそばについてやろうとすると任務を削らなくっちゃならない。任務を削れば収入がなくなるんです。収入がなくなったら、私のかわりについててくれる人を頼むこともできない。それだって、ただってわけにはいかんでしょう。ましてやこの里です、医師だって看護師だって手が足らんことぐらいわかってる、だれかついてなきゃいけないんだ。

じゃあ病院から出して、どこに寝かせればいいんです。よくもないってわかってたのに、イロリだって退院しようとしたぐらいだ。でもそんなのできるわけないじゃないですか。死ぬってわかっててどこの誰が。

だから丁度いいと思ったんです。
生きて何の価値がありますか、誰のためにもならない人間が。

里に仇なしおめおめと帰ってきて、血ですか、それになんの甲斐がありますか、誰が喜びますか。それが私のなんに勝るっていうんですか。私はちがう、私にはイロリって人間がいるんだ。いたんです。

だから、だから。







「よくできてたでしょう?あれは。きっと貴方が考えてる通りのことです。でもわたしはもうしたくない、しません、だから頼んだんです」

床に足をついて頭をさげようとすると肩をつかまれる。おかまいなしにお願いしますと繰り返せばわけもわからず涙が溢れてきた。年若い上司がすこし驚いているがお構いなしだった。

情けなかろうがみじめだろうがなんだってよかった。いまゴトクはゴトクのためだけに頭を下げているのだ。わかってたまるかと憤りさえ混じっていた。おまえらに、と思い浮かべれば不遜な目をした無愛想な部下の顔が浮かんだ。十八になるやならずの削げた顔をしていた。

新入りの部下は第一印象にたがわず、逸脱までは至らないが個人で走りすぎるうえ、あの見透かしているような凪いだ眼が厭だった。どうしてああも倣岸に顎をあげていられれるのか。どうして恥じずにのめのめと生きているのか。

(生きて何の価値がありますか、誰のためにもならない人間が)

冬のまぶしいだけの光が差し込んでいる。暖房もつけずに参列者名簿を下敷きに仕上げていった。

幾枚もたまった書類の、承認者の欄をことごとく書き換えていく。手間はかかったが時間は充分にあった。書式は決まっているのだ、あとは花押を丹念に見て真似をすればいいだけだ。

封をするまで手は震えなかった。
震えたのはこわれかけのチャイムがほとんど聞き漏らしそうな音で小さく鳴ったときだった。幾度か鳴らされたあと、ノックの音にゴトクは封筒をかき寄せてのろりと立ち上がる。

ドアを押し開ければ折り目正しい所作で頭を下げた。

「式のほうに出れなかったので」

焼香を、と彼が訪ねてきたのだ。
指先がしびれたように力がぬけて封筒がばさばさと軽い音をたてて散らばる。しゃがみこみかき寄せるゴトクの視界に、筋張った手が映ったのを慌ててはらった。

「すみません」

封筒からこぼれていやしないかと目を走らせて口早に呟く。安堵して笑みを口にはりつけて、立ち上がろうとすれば膝から力が抜ける。よろついたのを支えられるのが可笑しくて、すみませんともう一度呟いた。

焼香だけをすませ、彼は失礼しますと頭を下げた。
玄関まで見送ったその足でゴトクは外にでると、封筒をゆっくり投函した。戻ってぼんやり座っているとまた客だ。

人を殺すよりは生ぬるいことだとおもいながら恐ろしいことをしたと気分が昂ぶっていたのだろうか。年若い上司相手にゴトクはとりとめもなくしゃべった。

なあんも、してやれんかったですからね、と呟いて白木の箱を見てそのまえに飾られている写真が熱くぼやけて揺れる。もうすこしいい顔で笑っている写真があったかも知れなかったが、小さすぎてだめだと思ったのだ。

イロリがもういない。

(生きて何の価値がありますか、誰のためにもならない人間が)

自分とどう違いがあるのだろうと考えて愕然とした。
震えは手どころか口まで上ってきた。
それでは、と隻眼の上司が辞去しそうになるのに慌てて玄関まで走った。

「その、妙なことを頼むようですが」

なだめるように帰った上司を見送ったあと、ゴトクは部屋を片付け出した。しばらくは帰ってこれない。

坂道をのぼるたびにぎしぎしと霜柱が折れる音がする。イロリの顔を思えば捨てたもんじゃないと足音が鳴った。捨てたもんじゃないともう一度呟いた。

顔をあげればアスファルトに夕日が燦爛と照った。









なんだこりゃ、とイビキが呟いたのに、カカシは見たままでしょ、と返した。
木の葉の、依頼書の書式だ。承認者の欄はことごとく同じ印が押されている。

「子どものいたずらか?」

イビキはゆっくりと紙の表面をなでると、蛍光灯の明りにすかした。
修正液で消した痕ともともと紙に押されている印が浮き上がって見える。

「ゴトクが俺のとこまでおくってきた奴だよ」
「穏やかじゃねえな」
「だけど、そんなんじゃ自分がやりましたっていってるようなもんでしょ」
「うちはの坊主を陥れるつもりでか」

じゃあなんでやめたんだ、とイビキが呟くのにカカシは再び俺が知るわけないよと返した。




















「焼けない心臓 10」/カカシサスケ











焼けない心臓 9
焼けない心臓 11







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