11、暁の声 連れて行かれたのは里中を見渡す建物のもっとも高いところに設えられた部屋、両開きのおおきな扉の前だ。まさかとサスケが驚くまもなくドアが開いて、シズネをしたがえたツナデが姿をあらわした。外出をするのか外套を肩にひっかけて欠伸をしている。 「おや。どうした、カカシ」 ふとサスケに目をやってツナデは片目を眇めた。 「あたしは忙しいんだ。手短に頼むよ」 「お時間は取らせませんって」 「じゃあなんだい」 カカシはサスケの腕をひっぱると横に並ばせる。 そして深々と頭を下げたのに、ツナデ、シズネ、サスケの三人が面食らった。 「このたびの不始末、申し訳ありませんでした」 袖をひっぱられてサスケも慌てて頭を下げる。 「まあ、こいつがなんかしたわけじゃないだろ」 「いえ、それでも口添えありがとうございました。以後、わたしを初め、気をつけますので」 頭をさげたままの二人にツナデはやれやれと欠伸をもう一度すると、虫でも追い払うように手を振った。 「反省してんなら、そいつを休ませろ。出勤回数がふえられると給与を増やさないといけないからね。道をあけな。遅れるとまずい」 ツナデと離れ、踵の高い靴を鳴らせて戻ってきたシズネがあまりお気になさらないでください、と気遣わしげな声をかけて回廊を去っていく。 カカシがかがめていた上体を起こすのを横目でみて、サスケはのろりと頭を横向ける。 「なんで、」 「だってお前おれの部下でしょ。部下の失敗は上司が始末つけるのが当たり前だろ、なにいってんの、お前」 カカシは風のように笑って手をひらひらと面倒そうにふった。なんであんたが謝るんだよとはもう言えず顔をゆがめて俯いた。 「ほら、とっとと行くよ。まだいくつか回っといたほうがいいとこはあるんだから」 通行人のじゃまだよ、と腕をひきずり上げられのろのろと立ち上がる。 「はは、かっこ悪いね、おまえ」 頬にカカシの手甲がおしあてられ、金属の冷たさにサスケは瞼をとじた、その冷たさに自分の頬が体温を持っているんだとまざまざと感じさせる。 「なんて顔してんの、おまえ」 男前だいなしじゃない、といわれたって、どんな顔かなんてわからない。ぐいぐいと腕を引っ張られながらサスケは床の模様が流れていくのを見つめる。あのな、としばらく歩いたところでカカシが口をひらいた。 「みんながみんなお前のことしってるわけじゃなし、事情を知ろうと思ってくれるわけでもないんだよ。ましてお前なんて、写輪眼だしね。お前を庇うあいつらの立場も考えてやりな、お節介だとか思うかもしんないけどね、あいつらの居心地が悪くなるようなことだけはするな」 いったん言葉をきったカカシは振り返るとすこしサスケの顔を覗き込むようにしたが、左向きのせいでかろうじて向こうで瞬く眼が見えただけだった。 「立場ってものをきちんと弁えろ」 溢れかえるものを無理に言葉に押し込めたもつれはどこにもない、悪趣味でつまらない冗談をいうのと変わりない平易な声だった。 「俺はなにか難しいこと言ってる?」 「いや」 「きつい?」 「なにが」 「言ってること。何人も預かるようになるとさ、判断材料があまりないのに一人一人に時間かけてられないから」 「別に」 弁解ともとれる科白に短く返せばカカシはそう、と呟いた。強がりはなかった。むしろはっきりと境界が引かれて安心したくらいだ。触れないかわりに触れさせもしない、カカシの距離のとり方は昔から楽だった。 「お前、ゴトクさんの家計がきついって知ってた?」 応えられずに黙っているのは肯定だとしっているのに首を振ることもできなかった。カカシは短く嘆息する。 「悪いこととは言わないよ。でも下手すれば背任ともとられることだって、あるんだよ。だいたい」 そこで口をとざしたカカシは謝るのなんてただなんだから、と呟いてサスケの手をはなした。 「もうちょっとうまくやりなよ、色々」 手首が体温を奪われてすこしだけ冷えた。 「あんま心配かけなさんな」 かわいそうでしょ、かつて何度も聞いた同じ科白は聞き落とすことを許すような曖昧さまで同じで、つづく叱責も難詰もない。サクラを泣かせると怒鳴るのはいつもナルトで、カカシは困った顔をしていただけだ。カカシは何もサスケに要求しない。細い糸が幾重も首元にゆるく巻きつくような気まずさがこみあげてくるのまで変わらなかった。 (泣くぐらいなら) 昂ぶった声は震えていやしなかっただろうか、また泣いているのだろうか。 けれど後ろはふりかえらなかった。自分には何もできないことを、彼女の望む何もできないことを知っているからサスケは一度だってサクラをかえりみない。ずっとだ。 背中をむけて歩く男の曖昧な声はそれすら見透かして責めないのだろうか。 白んで明るい廊下をわたり、自室のドアを閉めると影の幕が下りてやきついた陽光の残像が目の前を泳ぐ。瞼があつくなって視界がすこし潤んだ。 (どうして) 手首をはずそうとしてもはずれなかった。サクラの泣き顔を思い出した。ナルトの怒鳴った声を思い出した。あの手が、はずれないしはずせない。 息を深く吸って吐き、瞬きをすれば光の色も涙も跡形もなく消えたが手首がすこし痛んだ。 ちいさい針を爪ではじくような音と明滅する電灯の明りに重い手をもちあげ、サスケは光を遮る。 手でかるく目を覆いながら電灯をけしもせず寝てしまったのかと自分のことながら呆れ、目の前にはりついた髪をはらった。首から上だけ重たるく暖かな空気を感じるのは熱がまだ高いからだろう。濡れ髪のまま外出をしたせいで風邪を引き込んだ様だ。肘や膝が痛い。背ににじんだ汗でへばりつく寝巻きの肩をつめたい空気がなでかすかに肌が粟立った。 切れかけているのか、蛍光灯が重いまばたきをくりかえしていた。 どこかあいているのかと部屋をまだぼやけた目で見回せば、ベッド脇のカーテンが手のひらほど中途半端に開いている。硝子の結露でぬれるのも構わず手の甲で拭えば暮れかけの空が現われる。 力尽きたように光をよわめた蛍光灯がふつりと切れ、青い闇が部屋を浸した。 柑子や赤、紫と色水でぼかしたよう移りかわる西の空、ちいさな穴でもあけたよう一つ、白い星がまたたいている。地平のきわにひるがえる晩霞が星星をかすませているのにも構わず、ひとり我ありとばかりに浮かんでいる。 けれどつましく結ばれた光は月と同じくどうしようもなく夜のものだった。 日の光が夜に跡形もなくかくされて、空満つ星星があらわれても細い光は闇を塗りかえることもできず散らばっている。水銀のような光だ。ガラス管からほうりだされ、表面張力の孤独に丸まった冷たい。寂しいと小さいころは思ったが、星星はそういったことも知らないとばかりに光っている。 ぱたぱたと走りまわる音や小さく笑い声が小波のように響いてくる。里抜けをするまで住んでいた集落と違って、ここは人の気配が近くて夜でも何かが息づいている森の中のようだった。手足を引き寄せて丸まる。 しばらくしてサスケは立ち上がった。 よろつきながら壁に手をついて流しまで歩き、水を飲んでから氷嚢をつくる。製氷皿にあった氷を全部落とし込んだ。洗面器や着替えを用意してまたベッドに戻ったときはすこし熱があがっていたのか、歯の根があわなかった。 三日の謹慎となれば休みだろうが、休みのうちに治るかはわからないとぼんやり思いながら布団にもぐりこむ。どこかに出かけるのだろうか、外で楽しげな子どもの笑い声が聞こえる。カーテンを閉じながら星をさがしたが結露のせいで見えなかった。 明りもつけない部屋にしばらく咳き込む音がきこえ、とぎれた。 つぎに目覚めたのは、自分以外の物音がするからだった。 「起きた?ごめん、勝手に上がってる」 なんで、と口を動かせばベッドの脇で本を読んでいたカカシは肩をすくめる。時計を見れば夜中の一時を回っていた。かるくノックされる音とほとんど同時にドアがひらいて、廊下の明りが部屋にはいってくる。上着に袖をとおしながらナルトが入ってきた。 「先生、氷ねえから買ってくる」 「ぜんぜん無いの?」 「ぜんぜん無え。冷蔵庫んなか玉子しかねえし」 「俺の部屋の冷蔵庫にあるよ」 「ほんと?」 「夜おそいんだからもうちょっと静かにしなさいって。氷とってくるよ」 「べつに俺いくってば」 「やだよ。だっておまえ楽しそうだもん。なにするつもりよ」 えへへバレた、とわざとらしく笑ったナルトにサスケが起きたよとカカシが告げた。ナルトはふうんと相槌をうって、スタンドだけをつけた暗い部屋まで歩いてくる。入れ違いに立ち上がって出て行こうとするカカシにナルトは呼びかけた。 「先生、ついでになんか食うもん、適当にかってきてくんない?」 「おまえねえ、俺を顎でつかうの」 「腹減らした生徒がかわいくないんかよ、ケチ、イケズ!」 「野郎をかわいがってどうすんの、かわいくないよ、かわいくない」 「差別ー!」 「はいはいわかったわかった」 カカシが出て行くとナルトはサスケに体温計を渡した。 「勝手にあがっちまってゴメンってばよ。何べん叩いてもでてこねえし、カカシ先生にきいたら絶対家にいる筈だって言うからさ」 「……」 「ま、いいや、着替られる?」 着替えるならお湯持ってくるぞ、といわれてありがたく甘えることにした。喉がすこしひどくなって、咳き込むと腹筋がいたんだが、熱はそこまで高くないようだ。 「サクラちゃんのほうがいいかもしんねんだけど、こんな時間に女の子呼べねえし」 「いや。悪い」 「つーかむかつくしな」 へっへっへ、とことさら悪ぶったようにわらうナルトにサスケは少し笑った。 洗面器にすこし熱めにしたお湯を張ったのをもってきて、タオルを渡される。 拭き終わると、枕もとに用意してあった着替えを渡される。洗面器につかいおわったタオルをいれると、ナルトは立ち上がった。 「明日、病院いけよ」 「そうする」 「しっかし先生ってあんまつっかえねえのなー。ぼんやりしてるだけなんだぜ」 「……」 まじ使えねえの、本よませてねえとうろつくし、とナルトが笑った頭に拳が落ちた。 「パシらせといてよく言うね」 サスケがウスラトンカチとおなじみの科白をつぶやいた。玄関をあける音をわざわざさせず気配をけしていたカカシも同じレベルだ。頭を抑えるナルトの手の上にカカシはビニール袋を乗せる。 「つべたいー」 「はい、氷とレトルトのおかゆと牛乳。あと薬あまってたから持ってきた」 「嘘うそ先生、すごうい役立つー」 まったく誠意のない口調でナルトは呟くと立ち上がる。 「じゃあおかゆあっためてくるってばよ。台所かりるな」 「おまえもうちょっと声おとしなさいよ、遅いんだから」 「へーい」 粥は半分ほど食べさせ古いが病院で処方されたカカシの薬をサスケが飲んだところで、氷嚢を新しくしたナルトは立ち上がった。 「んじゃな。今度おまえんとこに俺から式いくかもしんねえから。あと蛍光灯かえといたかんな」 「わかった」 「お大事にってばよ、あ、先生頼んだかんな。サクラちゃんとか絶対よばないでね!」 ナルトが去ったとき二人しておもわずため息をついてしまい、笑った。 起き上がったのは夜明け近く、胸のむかつきに厭な予感がした。洗面器を引き寄せて一度サスケはもどした。 立ち上がってトイレにうずくまる。 胸からわきあがる吐き気に強く目をとじた。 背中をさする手のひらの体温がぬるく沁みてくるのに唇を歪める。喉と胸の筋肉が連動して痙攣し、中身を吐きだせと頭をつよく揺さぶった。生理的な苦しさだけでなく涙がにじんできて、視界がぼやけた。リノリウムについた膝がまるで空気の固まりでも踏んだようで、きっと月を歩くより心もとない。便器にしがみつき、支えれていなければそのまま床にぶちまけていた。 「……んな」 「なに?」 聞き返してくる声はまったく柔らかくていやになる。頼むから触らないで欲しい。触るななんて言い方をしたら、こいつが行かないなんてことは泣きたくなるほど長年の付き合いでわかってる。わかってるのにいったのは自分に甘えがあったからだ。だってカカシはこんなときばかり優しい。 「へー、きだから、戻ってろ」 「一度吐いたら楽だから」 あんたがオレを突き放しきれない、こんな夜は1秒だって優しい誰かの傍にいるなんていやなんだと喚けたらどれだけ楽なことだろう。辛いことなんか言うまでもなくわかりきっていて、背中の手に都合のいい勘違いもできやしない。だけど自分からなんて触れない。 「いやだ」 吐きたくないんだ。知られたくないんだ。知りたくもないんだ。 「やだって、サスケ。子供のわがままじゃあるまいし」 苦笑したカカシの手が背中を柔らかく叩く。 いやだとサスケは繰り返したが、カカシの手は日の光が差し込む頃、吐きだすものがなくなるまでずっと離れなかった。 |
「焼けない心臓 11」/カカシサスケ |
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