朝焼けか夕焼けかはわからない。何時間たたかっていたのかもわからない。呼気を白く吐き出したのと同時に胡桃ほどのどろついた血の塊りを口から溢れさせたサスケは膝をついた。

分銅のついた縄が足に腕に絡みつき、水を含んだ綿でできたように力の入らない四肢が八方から脱臼するかと思うほど引っ張られる。獣じみてひびわれたうなり声をあげながら、がくんとのけぞって仰いだ空に女の爪痕のような月が墜ちようとしていた。

残っていた起爆札を動かない腕の変わりに口で抜き取れば何を勘違いしたのか、ナルトの拳が口のなかに突っ込まれた。がりっと噛みしめた口のなかに血の味が広がる。

(こんなところで死ぬかよ)

たたきふせられて土に顔がついて咳きこんだ。口の中に土が入る。片足を折られたナルトがよろめきながら立ち上がって叫んだ。

『うるせえよ!おまえのことなんかしんねえよ!知るもんかよ!』

かってにオレらのことおいてっちまってよう、おまえ、しんねえだろ、しんねえだろ。おまえが、帰ってこなかったらだめなんだ、と泣き声みたいな怒鳴り声が聞こえた。

バカじゃないのかと思って笑えば、喉に血の塊りが詰まって激しく咳き込む。酸素を失った体がもがくうちにサスケは意識を失った。

















9、黒白2












「つーかおかしいつってんだろ」

観葉植物をおいた廊下をまがったところで聞こえた馴染みの声にカカシは眉を上げる。警務隊とも警務隊とも呼ばれる建物は十年ほど前に一度取り壊されて移転され、まだどこか新しく見える。

「なんで任意なのに拘置されなきゃなんねえんだってばよ」
「わ、私からはお答えいたしかねます…」

花崗の受付に両手をついたナルトが唇をとがらせて言えば、電話をおいた受付の女性は取ったメモを手の下に隠しながら頭をさげる。

「班員つれてかれっぱなしじゃこっちだって困るんだって」
「ただいま電話したらすぐこちらに来るそうなので、す座っておまちください」
「そういって何時間待たせてんだよ」

情けなく眉を下げ、唇をへの字にしたナルトは玄関にあるベンチに歩み寄り、紙カップに入ったコーヒーに口をつけながら腰をおろした。鼻にしわを寄せて顔をしかめる。苦いのは駄目なようだ。

「ナルト、おまえ声でかすぎだよ。はずかしいからよしなさいって」
「先生も来たんかよ。たいしたことじゃないから別に平気だぜ」

俺が処理するし、といったナルトにカカシはちょっと眉を上げて、そういやそうかと頭をかいた。元教え子たちに会うと、どうも教え子たちが成長していることを失念してしまうから困り者だ。

「ああどうもうるさくてすみませんね、こちらで待たして頂いていいですか」

頭をさげて笑えば、ナルトの相手をしていた三十を半ばほどの女性はすこし強ばっていた顔を和らげてどうもすみませんと謝ってくる。ナルトの方にすこし怯えた視線をなげるとお待ちください、といってイスにすわりなおした。

「もう先生んとこまで報告いっちまったの?」
「いんや、別口別口。俺サクラの付き添いなのよー。顔出さなきゃいかん集まりもあるしね」

サクラはイルカ先生にきいたみたいなんだけどねえ、とカカシが言うとナルトが首をこそばゆそうに竦めて笑った。

「イルカ先生にはオレが言っちまったから、そっか」

サクラはどうも落ち着かないらしく、受付の女性のところで二言三言、言葉を交わしているのをみたままナルトが口を開いた。

「あのさ、一応白黒つくまで周りに伏せといてくんね?」
「そりゃ当たり前だけどどうしてよって……あー、お前か」

おなじ上忍とはいえ、駆け出しのナルトとカカシでは格が違う。にもかかわらず、親しさゆえの無遠慮だけではなく強い響きにナルトの顔をみたカカシは首をかしげ、それから、あのお方も甘いなァとため息をこぼした。

帰参し里長の名を以って復名を果たしても数ヶ月間は監察下におかれるのが抜け忍の定めだ。

「ま、そゆこと。アイツに関しての報告はオレ通しだから」
「で?なんだって」
「ゴトクさん、だっけ?班長ってさ。その人が里を通さないで任務を請け負ってたんだと」

ふうん、とカカシは呟いてタバコをさぐるために胸ポケットに指を入れる。かさりとあたって封筒の感触に一度だけ鼓動が跳ね、また元に戻った。

「おい、カカシか、ちょうどいいところに」

いきなり名を呼ばれたのに顔を向ければ額宛で頭を覆った傷痕だらけの堂々とした体格の男が立っている。カカシとナルトはほぼ同時に立ち上がった。

「あー!中忍試験の!」
「おお、うずまきナルトか。噂は聞いてるぞ」

強面にもかかわらず、白い歯を咲かせるよう闊達な笑いを覗かせたイビキはカカシに手招きをする。

「おい、ちょっとこっちに来い。あわせたい奴がいる」















結局一晩、拘置所でとめおかれたサスケが帰宅したのは翌日の夕方になった。

一日数時間に及ぶ尋問にもひとしい取調べにもサスケは終始一貫したことを言ったのみだった。無関係と判断したのかなにかまたあれば再びひっぱればよいと思っているのかは判然としない。

しずむ夕日は赤々と空の片側をそめかえても日影にあった霜柱を溶かしもせず冷たく光らせるばかりだ。

朽ち果てて立ち入り禁止と書かれた文字も判然としない札や縄が張り巡らされた門をくぐったところでサスケはすこし目を見開く。夕凪の終わりをつげるように冷えた風が吹き抜け、すっかり綿をとばしてひらききったススキが乾いた音を立てて揺れる。一面、ススキとセイタカアワダチソウの枯れ色に覆われていた。更地にならされてもう数年が立っているのだろう、見覚えのある木があったのに歩み寄れば、かつて庭に水を引き入れてつくっていた池のなごりに一叢の葦が枯れたまましげっているばかりだ。

とけた霜柱でふやけて水っぽい土を踏んで見渡してみても、置いていかれた重機が難破した船のように黒く翳っている。しげった木のあたりに今夜の宿を定めたのか、鳥の無数の鳴き声だけが耳についた。

立っている場所は同じなのに世界は確実に流れていってしまっている。もう笑顔も明りも瞼の裏にだけしかない。よすがもない。

(いつになったら)

いつか、と言いながらそのいつかは、何時くるのだろう。

(まだ、早い)

居心地がいいとはいえないが里にいる意味はけして皆無ではないだろう。抜け忍とあらば賞金首として狙われることが皆無なわけではないし、サスケはよく知っている。生き物が群れをなすのは群れが確実に己を守ると身に沁みてしっているからだ。数年は要するだろうがイタチの情報にも触れることができるかもしれない。

寮の階段をのぼったサスケは、自室のドアの下にメモ書きが挟まれているのに屈みこんだ。拘置所を出たらアカデミーに顔を出せと勢いと筆圧ばかりがひどく、読むのにすこし時間がかかった末尾はどうもうずまきナルトと書いてあるようだ。

シャワーのコックを捻れば白い煙をあげながら水がタイルを流れた。手早く裸になり、ほぼ三日着たままだった服を洗濯機にほうりこむ。指を濡らし小さな針のような冷たさになって刺さっていた水がやがてお湯になった。

髪の毛をあらい顔をぬぐったところで顎のあたりがざらつく。裸のままドアを開けて剃刀をとるとざっと剃った。

十五分ほどであがり、髪の毛もろくに拭かないまま身支度をととのえるとサスケはアカデミーに向かう。

受付に顔をだしたところでざわついていた空気が水を打ったようにわざとらしくしずまりかえった。サスケは内心でこそ顔をしかめたが、無表情は大分むかしから板について読ませない。

「サスケくん」

受付の机でファイリングをしていたサクラがイスを鳴らして立ち上がった。足がぶつかってしまってよろけた机の端にのっていた書類が音を立てて崩れた。

「ごめん」
「別に」
「その、平気なの?」
「さあ」

知らない、と短く返すサスケにサクラはすこし眼を見開いてから眉を潜めたが、顔を書類にむけて一枚一枚を拾いあげる。淡紅の髪が肩口をすべった。

「今日はこれから出勤なの?」
「いや、復帰できるって伝えにきただけだから」

もう帰る、と残った束をサクラの腕にのせたサスケは立ち上がってすたすたと歩きだしてしまう。

ちょっと待って、といいながら追いかけても振り向いてはくれない。一階の階段を下りたところにある掃除用具のおかれた裏口の前に走ったサクラが前に入ってもサスケに止まる気はないようだ。

すれちがいざまにサスケの腕がサクラの肩にぶつかる。よろけてロッカーに手をついたサクラの耳に、構うなと言い重いドアに手をかける。なかばほど開けたところで肘のあたりを後からつかまれる。足を踏みかえるほど引っ張られ振り向いた先に昔より遠くなったサクラの額があった。ドアが閉まる音が背後でした。

うすい色の睫をふせた眼差しは床をうろついていたが、まばたき一つで躊躇いは消え、眼をあわせればそらすことを許さぬ強さでサスケを見た。

「か」

白くなるほど握力をこめた手を見下ろす扁平な黒ガラスのような眼に足が震えそうになり、サクラは唇を湿らせた。

「かまうな、なんて、言うなら心配させないで」

木像にはめこまれる玉眼のように強くはあっても色のない目をみはったサスケは形のよい眉をひそめると、ごく軽く体をひねりサクラの手を払った。

「頼んでない」

昔より広くなって大きくなっても全然ちかづいた気になれない背中を見、空になった手のひらを見下ろしたサクラは息を吸った。ともすれば震えそうになる喉を叱咤すれば声はひどくかすれて低くなった。

「そういう風に、わ、私がうざいって思うんなら、うざくならないようにしてって言ってるの。サスケくんが……サスケくんがしっかりしてたら私だって、わたしだって心配なんてしないよ」
「放っとけって言ってるだろ」

バン、と大きく響いた音にサスケは振り向いた。翡翠のように翳りのない目の奥がつよく光ってサスケを見た。つよく片足で床を踏みしめたサクラはサスケに歩み寄り距離を詰める。

「放ってなんて、おけるわけ、ないじゃない!バカにしないでよ!構わないでいられるよう、しっかりしてって私は言ってるのよ!」

だまってないで弁解ぐらいしてよ、とサクラは言う。

「どうして、一言ぐらい、関係ないって言わないの。サスケくんは、知らないかもしれないけど、ナルトだってずっと、ずっと、走りまわってたし、カカシ先生もそうよ、イルカ先生だって心配してるの。でもサスケくんがなにも言わなかったら意味、ないでしょう。言いたいのも怒ってるのも私のことなんかじゃないよ、それを頼んでないって、なに?そういうのってないでしょう!」

無表情に見下ろすサスケにまた届かないのかと思う。

「……ありがたいとは、思ってる」

ありがたいって、とサクラは絶句しこめかみのあたりの髪の毛をかき回した。足先で小さく床を踏む。

「ありがたいって、もう、ちがうってば。ありがたいって、思ってるってなによ。そうじゃないよ、ありがとうなんて言って欲しいんじゃないの。もう、なんで、もうば、バカじゃないのッ」

どこがありがたいことなのだ。心配されるなんて当たり前のことがありがたいと思うなんて、どこまで愚かなのだ。一番だいじなことがサスケはわかってない。よしんばわかっていたとしても、自分のおもうままにしかしないのだ。最低だ。怒りなのか悲しみなのかよくわからないまま、喉を通りすぎて瞼の周りが熱で潤む。

「なんでそんな勝手ができるの。わたし、……私もしサスケくんが同じようなこと今度したら許さないから」

泣かないように目を見開きつづけて睨むのが精一杯だった。表面張力で眼球をおおう涙のおかげで瞬きをしないからずっとサスケの眼を見据えていられた。

サスケの嵌めた面のような無表情に、どこかが痛むようにゆがんだ唇がひび割れて動いた。

「俺は、だれかに許されようなんて思ってない」

抑揚のない響きにまばたきをしてしまえばあれほど落としたくなかった涙が生ぬるく頬を流れ、顎をたどって胸元に冷たく落ちる。隠すまでもなくサスケが背中を向けたために見られることはなかった。













「やりこめられたねえ」
「……どこから見てた」

人聞きの悪いこと言わないでくれる、と右眼を軽薄に笑わせた男にサスケは眉を顰める。

「まったく」

短くため息をついたカカシは顎をしゃくった。

「ちょっと来い」













目覚まし時計を見たいのは顔をしかめると白く結露した窓ガラスに首を竦め、布団をかぶったまま窓の鍵を外す。指からすいとられた熱に眉をひそめると、布団をさらにかきよせて頭をのぞかせた。手を振ってくるのにため息をつけば白くなる。

「なーによーアンタ……もう」

鍵あけるから裏に回って、といったいのはイスにかけてあったパーカーをとりあげると寝巻きの上に羽織って階段をおりる。手探りでスイッチをおせば白熱球のオレンジ色の明りが台所に満ちる。小さな裏口をあければ頬も鼻もかじかんだのか真っ赤にしたサクラが立っていた。

「走ってきたのー?もう、危ないでしょ、何時だと思ってンのよー、なにやってんのー」
「わ、私、言ってやった」
「え?」
「サスケくんに、がつんて言ってやった……っ」

ぐしゃりと顔をゆがめてサクラはいのに抱きついた。戸惑ったようにそれでも力づよいたしかな腕が背中に回り、一度肋骨が苦しくなるほど抱きしめてくれる。寝ていたのだろういのからはあたためたミルクのように甘いにおいがした。やさしく撫でてくるのに息を吐いていけば、ゼラチンがとけるようとじた瞼のしたから温かにあふれていった。

『俺は、誰かに許されようなんて思ってない』

誰が責めるのかもわからないのに、大きくなってもあの背中はいつも独りだ。
あんなかわいそうな声、聞いたことがない。


















「焼けない心臓 9」/カカシサスケ











焼けない心臓 8
焼けない心臓 10







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