心臓の中で骨の転がる音がする。 12、暁の声2 階段を上り火影の控え室に急ぐのは、けしてサスケのためではなかった。 どこから見ていた、と睨みつけてきたときのサスケの顔はいつかとなにも変わらなかった。爪と牙を隠すことを知りもしない若さと同じだ。気まずさと罪悪感だけからくる苛立ちの薄氷に覆われた底の水、目の弱さがまったく変わっていない、とため息が出た。 (サクラだって、やめればいいのに) ナルトやカカシのように必然的に責任が伴ったり、サスケに関わらなければいけない立場ではないのだ。サクラだったらきっともっとずっといい相手がいるはずなのに、とても直向きな眼で涙をこぼした、あれは昔の無力であることで誰かを動かそうとするものではない、誰に見せるでもない誰に拭われても尽きない口惜しさと怒りの結露だった。あんな泣き方をさせて、と思う。 けれど言ってもどうにもならないこともよく分かっている。きっと言ったところでサクラは笑ってありがとうしか言わないのだろうとも知っている。サクラにしかどうにもならないことでしかないくせに、サクラでもどうにもならないことなのだ。 「このたびの不始末、申し訳ありませんでした」 頭を下げればサスケが冷水でも浴びせ掛けられたように震えたのが分かった。 ツナデが去ったあと顔を見ればサスケの青白く強ばった色を満たした眼が伏せられたのに笑ってしまった。 『みんな殺してやろうか』 『もういない』 怒りと憎悪で張りつめた眼をたいして痛みもしない傷をちらつかせることで断ち切ったときと寸分たがわず同じ顔だった。明瞭だったはずの現実が裏返って無垢の横っ面を叩く痛みに歪む顔だった。頭を何回か上下するだけのことが何だというのだろう。サスケと最後に言葉をかわした日にみたことのある顔だ。 かっこ悪いね、と笑いながら手甲を当てれば金属の冷たさにかサスケは眼を閉じた。 「なんて顔してんの、お前」 だからその笑いはガス漏れのような失笑だった。許すための笑いではなかった。むしろ責めるための笑いだった。手を掴んで歩き出すとよろめくようにサスケも歩き出した。 「あのな、みんながみんなお前のことしってるわけじゃなし、事情を知ろうと思ってくれるわけでもないんだよ。ましてお前なんて、写輪眼だしね。お前を庇うあいつらの立場も考えてやりな、お節介だとか思うかもしんないけどね、あいつらの居心地が悪くなるようなことだけはするな。立場ってものをきちんと弁えろ」 つかんだ指の隙間から熱が少しずつ逃げ、冬の空気に冷やしていく。 「俺はなにか難しいこと言ってる?」 「いや」 短い返答の簡潔さになんの動揺も見出せない、自明のことだと弁えた声に沸いたのは満ちるに足りない月をみるような据わりの悪さ、落とした墨が流紋をうかべながら澄んだ水を濁らせていくようだった。白刃を前に首を垂れた人間にことさら青い刃金をちらつかせるような心地がした。 「きつい?」 「なにが」 「言ってること。何人も預かるようになるとさ、判断材料があまりないのに一人一人に時間かけてられないから」 「別に」 「―――おまえ、ゴトクさんの家計がきついって知ってた?」 本当は尋ねるつもりもなかった。予想通りにだまったままのサスケにため息が出る。 「悪いこととは言わないよ、でも下手すれば背任ととられることだって、あるんだよ。だいたい」 ゴトクがなにを考えていたのかは知れない。だがゴトクがあとすこし悪意を持っていたら取り返しがつかないことにだってなっていた。五代目のおかげで監察程度の生ぬるい処分が下されているが、いくらでも掌中にうちはの最後の正統を縛り付ける手段はあるのだ。 (ほんと、立場ってものわかってんのかね) ナルトやサクラが必然的にあまりよくない立場になるのも目に見えていた。苛立ちがこみあげてくる。ナルトやサクラだってもう少し、サスケを心配するのをやめれば楽なのだ。いちいちじぶんだって引っ張り出されなくてすむ。サスケがどうなろうとそれはサスケの問題だからいい、サスケの決めることだ。 まさか到底言葉にはできず、カカシはつかんだままだったサスケの手首を離した。 「もうちょっとうまくやりなよ。あんま心配かけなさんな」 かわいそうだろ、と付け加えて洩らしたため息は冬の明るいだけの光の中、カカシが意図したよりよほど重く胸にわだかまった。 その夜中、ドアが外から激しく叩かれるのに睡眠を邪魔され機嫌は最悪だった。 ナルトにせっつかれてドアを開ければ、抵抗なく取っ手が動くのに面食らう。せまい玄関に投げ出されたサンダルは一つきりでしまわれもしていない。気配は静かだが確かに部屋にあって、二人して安堵してしまった。 「焦らせんなってばよ」 「勝手に焦ってただけでしょうが。だいたいおまえ、こんな時間に非常識でしょ」 「いや、ちょっと急ぎの用事が…任務出ちまうからそのまえに言っておかねーと。サスケ?おーい」 声こそ遠慮していたがナルトはもう廊下の中ほどまで進んでしまっている。俺は寝るよ、と踵をかえしたところで、ナルトが戻ってきた。 「先生、サスケやばい」 「は?」 「あーもう、鈍いっつうかやさしくねえなあ!先生!サスケが熱!」 昼間つかんだ手は妙にあたたかかったとか、顔色が悪かったようだとかいまさら妙なことを思い出す。 電灯のスイッチをいくらおしてもつかないのに切れてる、とナルトが苛立ったように舌打ちをする。ナルトのこの苛立ちはサクラと同じ、サスケがまたいなくなったのではないのかという不安がいくらかの反発になっているのだろう。夜目はきくほうだったから闇になれさえすれば大概のものは見えたが、明るいほうが都合がいいに決まっていた。 スタンドの明りをつければ洗面器と洗ってあるものだろう、寝巻きが一揃い枕もとによせられたイスに置いてあった。用意がいい。 小刻みに唇が震えている。暖房もついていない部屋の中で、サスケの息の白さで視界がすこし曇った。 ナルトがばたばたと台所をひっくり返すのを聞きながら座っていると、物音に目覚めたのかサスケが重たそうに瞬きをする。 「起きた?ごめん、勝手に上がってる」 なんで、と口だけを動かすのにカカシは肩をすくめた。ナルトが顔を出したのにこれ幸いと立ち上がる。ナルトには悪いができればはやく帰って眠りたかったが、頼まれ物をしてしまった。 部屋にかえり、目についた役にたちそうなものだけ袋につっこんでサスケの部屋に戻れば、人を笑いの種にしているらしい。忍び寄って拳を金髪頭に落とせばサスケがウスラトンカチと呆れたように呟いた。 どうやらサスケは着替えているようだ。妙なところで気のつく奴だと感心しながらすることがなくて粥を温めにいったナルトの傍らに立つ。 「明日おまえ出勤でしょ」 「じゃあ先生やってくれる?」 ひょいとカカシは眉をあげて息をついた。 「……しょうがないでしょ」 「んじゃこれ作ったら帰るわ。つーかさ、先生」 鍋にいれたおかゆに、台所をあさってみつけた葱と玉子を手早くいれて菜ばしでかきまぜながらナルトはカカシを呼んだ。ちょっと人差し指で耳を貸すよう促されるのに、耳を寄せる。 「なに」 「そういう、ため息みてえなのしない方がいいんじゃね?」 囁くようなどこか呆れた様なナルトの声にカカシはひどく狼狽した。だが習い性で自分の顔面はどこも動かなかった。青い眼にカカシの顔がいびつに映っていた。その顔がいつもどおりの笑いに歪む。 「そんなにしてる?俺」 「してるよ。つうか病人相手にちょっと気になる。いいよ、明日の朝になったらサクラちゃんにいっとくし、サスケもサクラちゃんのがいいだろ」 「女の子は、親御さんが」 「だってしょうがないだろー、あいつほっといたら病院いかねえもん、絶対」 「わかったって」 先生ありがと、と打って変わって明るくナルトが笑うと結構きついことをいわれたはずなのになんだかいいような気分になってしまってカカシは苦笑した。言わせてやろうという気分だった。教え子に説教じみたものを言われていい気分になるなんてちょっと想像がつかなかったから、すこし楽しい。 その苦笑にごまかした。 サクラちゃんを呼ばないでね、と念を押すナルトを見送れば部屋はひどく静かになった。 布団にもぐりこんでどれぐらいだろう、浅い眠りを破ったのはちいさな喘鳴だった。気配をたどるでもなく明りのこぼれるトイレにいけばサスケが蹲り、背中を震わせていた。 背中をさすれば痙攣し、いくらか戻した。 「……んな」 「なに」 「へー、きだから、もどってろ」 足腰たたないで、へたりこんでいるくせに唇のはしで笑う強がり、そんな頑ななところばかり変わっていない。懐かしさより苛立ちが先に立った。苛立ちはカカシの中のかすかな衝動を引きずり出す。 「一度吐いたら楽だから」 呆れたように笑った自分の声にわざとらしいと思う。いやだ、と噎ぶような小さな声に手が一瞬ためらう。触られるのもいやなのだろうか。 「いやだって、サスケ。子供のわがままじゃあるまいし」 すべりでた声が人攫いめいて無駄に甘かった。 小さな拒絶を無視したまま撫でさする手のひらの下で肩甲骨が震えている。まだ筋肉の感じはうすいし、手足も骨ばっていて細い。それでも肩のあたりや肘のはしばしに生まれたての子馬のように乱暴な成長の兆しが見えていた。自分の知らないところで当たり前にサスケは成長している。 冷えるのが流石に心配になって毛布を持ってきてくるむようにする。狭いトイレは二人もいれば一杯で、仕方なく一緒に包まろうとしたがサスケは窮屈そうに体を丸めてまた戻した。黄色い酸い液を吐き出しただけだった。ペットボトルに入ったすこし塩をいれた湯冷ましを含ませた。ナルトは本当に用意がいい。 煩わせるのが心底いやなのだろう、戻っていいというようなことをしきりに呟いているが、言うことを聞いてやろうとは思わなかった。半ば子どもじみた意地にも近く、カカシもトイレに居座った。 呼吸が落ち着いたと思って顔をようやく覗き込めば眠ってしまっている。ちいさな明り取りの曇り硝子から霧う夜明けの光に涙の痕がすこしにじんでいた。 脇の下に両腕をとおし胸の前で手を組み合わせるとカカシは立ち上がった。引きずるようにしてソファにもたれさせると、湿って冷えたシーツを換えてからサスケをベッドに突っ込み口元まで布団をひきあげてやった。起きているのだろう、瞼を閉じたままサスケが唇を動かす。 「なに?」 ベッドのそばにしゃがんで耳を寄せれば、わるい、とひどく掠れた声がした。 「だいぶ、楽になったから。平気だ」 「そう?」 「――上にかけあえ」 脈絡もない言葉にカカシが黙ると、サスケはカーテンから落ちた光に青白い瞼を貝のように照らせながら、ゆっくりと続けた。 「こんな、つまんねえことにアンタをかかずらわせるなって言えよ。面倒が減っていいだろ」 「監察のこと?」 「ああ」 「俺じゃないよ」 サスケの呼吸の音がむりに落ち着かせるように細く深くなり、じゃあナルトかサクラか、とすこし苦い声で呟いた。 「言っておくが、お前の意見が受け入れられるわけはないよ」 「だからアンタに言ってる」 「それもどうにもならないよ。こっちがどういおうと、他人からすりゃ関係者って一括りになるんだから。ナルトもサクラもだよ」 「そうか」 「そうだよ。つまんないこと言ったり言わせたりしないで寝な」 思ったより口調は早まってきつく響いた。だがサスケは息をほどくと、すこしかさついた唇のはしだけほころばせ、ほのかに笑った。疼痛をこらえるためか弓弦をきつくはられたような眉とのぞいた歯の淡雪のような白さがやけに目に付いた。 悪い、と耳にかそけく届いた声がかつんと小さな石になってカカシの中に転がった。 疲弊しているのだろう、すぐ穏やかに静まっていく寝息を聞きながら、転がった石はだんだんと軋った音を立てた。引き伸ばされた日の光がさしこみだせば眠りの裾は尚更にカカシを撫でることはなかった。 隠しから煙草を取り出し、台所に向かう。ガスコンロで火をつける。ひとさし吸い込むと、ひさびさのせいかすこしくらりと目眩のような感覚がした。 やめようと何度も思って長続きしたためしはなかった。わずらわしく思いながら気がつくと手を伸ばしている。いくらも吸わないうちに流しにおしつけて捻りつぶせば小さく音が立った。大分残りのすくなくなった煙草を箱ごととりだすと、蛇口を捻って水をかける。 秒針の動く音が耳をついた。 石の軋みは骨が風に転がるよう軽い音でありながらひどく煩わしかった。 カカシは前髪をかき回し首の後ろを撫でた。 軋みがなんなのかは分からない。 ひとつだけわかっているのはサスケによるものだということだけだった。 |
「焼けない心臓 12」/カカシサスケ |
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