5、火種








ロッカールームの名札をひっくり返したサスケは頬のあたりに走った痛みに手をやり、親指に視線を落とした。すこしはりついたような感触に、ロッカールームの四分の一だけ照らすうすぐらい蛍光灯の光に指をさらせばすこし血がついている。夜勤の連中が上がるのは朝方、太陽が昇りだすころだから自分が最後だろう。

ロッカールームの明りを落とし、施錠したサスケは電灯がおとされたままの階段を非常口の小さな明りだけを頼りにのぼる。アカデミーの外に出ると風がでていた。雨のたび空が高くなり冴えてゆく風に葉の色を褪せさせ、日差しも遠くなってしまった。夕暮れがにじむのが早くなり夜明けは訪れを遅くし、ともすると風は悲鳴のようなさむしい音をたてた。

建物の間をふきぬけた風に振り仰げば、南の空に冬の三つ子星がならび瞬く下、夜ごと不具になっていく月に雲がかかっている。木立にくくりつけられた電灯の明りがしらじらとおちる暗がりの道をサスケはすこしおぼつかない足取りで歩き出した。もう息がしろい。







戻ってきた気配を拾いあげ、カカシは目を閉じたまま眠りの淵から浮かび上がる。最近、入居したばかりのなつかしい気配にすぐまた浅い眠りへと戻っていった。次に目がさめたのは空が明らんだころ、鳥の声がどこからともなくしているからあと数分で日は昇りきり、里を洗うことだろう。まだカーテンもつけていない部屋で彼は眠れるのだろうか。

今日は里をおりて情報を収集する下忍である傀儡たちから定例の報告があるはずだ。そろそろカカシも波の国にまたもどらなければいけない。ほぼ日課になってしまった碑まえまで行こうとおもったところでドアノブにかけた手を躊躇わせた。

(また出るの?)

元気だねえと思いながらドアをあけ外に出れば、黒髪の旋毛が見えた。

「おはよ」
「……あんたか」
「出勤?」
「報告書の提出」
「へえ」

目の下にうっすらと隈が見えるし、顔色も弱冠あおじろいのは気のせいだろうか。まあ体調管理ができないほどじゃないから過保護はよそうと思いながら、カカシは廊下を歩くサスケの横にとびおりた。黝い瞳が横に流されカカシを見、また前をみすえる。

「いかねえのか」
「ん」

どこに、ともなにをしに、とも聞かないのに甘え、曖昧に笑ってごまかしてもなにも訊かない。踏みこみもせず、踏みこまれもしないのは昔のままだった。サスケをみているといつでも昔をなぞってしまうのは、きっとまだ慣れていないからだ。





上忍詰め所に行く途中で廊下の向かいに欠伸をかみ殺すナルトが見えた。よう、と腕をあげるのにサスケは軽くうなずくのみだ。カカシはカカシでおはよう、といえばナルトがぎょっとした顔をする。

「先生が昼前に起きてるなんてろくな事がねえってばよ」
「なによそれ」

その後でさっさと受付に歩み寄ったサスケは懐から報告書を出しにいっていた。いくつかのやりとりをしているのをぼんやりと見てるとナルトがサスケの背中を見ていた。昔のようななにか追いかけるような眼ではない。

「書式がちがうってつっかえされたんだと」
「へぇ」

相槌を打ちながらカカシは首をごきりと鳴らすとじゃあねと手を振った。入れ違いにはいってきた中忍が頭をさげるのにおはようさんと声を返す。うちは、とその中忍が呼ぶのに視線を投げるとどうやらサスケのいまの上司らしかった。サスケが提出していた報告書を横合いから手をのばして覗き込んでいる。

後からきこえるやりとりは、サスケの声が低いせいで片方しかよくわからない。やれやれとため息をつく。

(あんまいい顔してない人だねえ)

交代要員と入れ替わりに帰還した班がもちかえった書簡にみる定例報告は先月と変わらない。特に異常なし、とのことだった。

(あと二ヶ月したらまた行かなきゃならんし……)

そのときは逗留がほぼ半年の単位になる。波の国との国交を深めること、畢竟、他国からの庇護と同時に火の国への傘下へ入ることを求める動きは重要だ。大名側からも使節は派遣されているが下調べは当然、木の葉隠れに回ってくる。

(ま、なんかあるって睨んでんでしょうけど)

なにもなければいいなとカカシはため息をついて書類をまとめた。上忍のなかでも古株になれば現場へ出向くだけで終わりとはならない。参謀部の意向をくんで小隊を掌握する中忍の配置、指示と煩雑になっていく。







無線からきた連絡は演習場ちかくの森に侵入者があったらしいとのこと、発見した一斑が交戦中、応援要請に哨戒をおこなっていた小隊四名がかけつけた。

ピィーと鳥の声を模した呼ぶ子の音にしたがってサスケはたわむ木の枝を蹴って前へ前へとすすむ。漏れきこえる剣戟の音をめざして駆け寄るや、木の幹にはりついた。他三人がまだ追いついていない。

侵入者らしき他国の忍は見えるだけで三人、応戦する木の葉の忍は四名。動きをざっとみたところ中忍がひとり、下忍が三人、だがあまり連携がとれていない。おされ気味だ。クナイをよけた中忍の瞼の上が風圧でぱっくりと割れた。血赤がとびちって片目が血で曇る。いきなり狭まった視界に中忍が一撃をくらってふっとんだのに、下忍が狼狽し陣形をくずした。

舌打ちをするがまだ気配は遠い。広大な森をカバーするため散解したからしょうがないことだとはわかっていたが。

雨あがりの木肌はしめり、駆け抜ける間も足音をすいこんでいるのに問題ないと判断する。ポーチから取り出した包みを解いてクナイにくくりつける。振りかぶりながら呼ぶ子を鳴らせば、木の葉側の班長らしい中忍がはっと顔をあげた。

「新手か!」

数本飛来したクナイが侵入者にむかって飛んでいく。かろうじて避けた侵入者が向かいの木の枝に姿をあらわした年若い黒髪の木の葉の忍に目をとめた。その侵入者の仲間が警戒の声をあげる。

森をゆるがしたのは小さな破裂音。咄嗟に顔面をかばい飛び退るが飛散した粉末に目の前が白く曇る。

びりびりと鼻と眼をつらぬく刺激にのたうちまわっていた眼の前が翳る。こめかみをかたいものでがんと揺さぶられ、木の幹にたたきつけられる。踵でしたたかに蹴りとばされたのだと気がついたのは土の上に倒れこんでからだ。名前を呼ぶ声がするが彼にこたえることはできない。意識ははっきりしていてもゆさぶられた体からは平衡感覚がきれいに引き抜かれ、眼から耳から飛び込んでくる情報を処理して出力することができなかった。

「……ァ」

喉から漏れたのはぶざまな声だ。よどみなくくみ上げていく印形に逃げろ、と思うが体がうごかない。庇うようそばに降り立った仲間が大丈夫かとに腕をひきあげる。いけない。







ほか三人がおいついたときには、うちはサスケが小隊の班長の目を手当てしているところだった。侵入者は、と言えば無表情のまま顎をしゃくる。待機を命じられた下忍三人がとまどった顔をしているのにいぶかしむまま、縄をかけられて倒れている侵入者を足先でひっくりがえそうとして、まさか殺したのかと胸が冷える。

「幻術をかけただけだ。二、三時間もすれば戻る」

淡々とかかった声にびくりと跳ね上がったのは三人の侵入者たちだった。尻でいざるようにして逃げるようにするのに生きているのだと思う。だがこの周章狼狽ぶりはなんだ。がちがちと歯も根もあわぬほど震え、視線をさけるように膝の間に顔を埋めようとしている。

血止めの軟膏をすりこみ、ガーゼを中忍にはりつけたうちはサスケがゆっくりと立ち上がるのに、そろそろ班長がくる、と言えば彼はため息をついたようだった。




















「焼けない心臓 5」/カカシサスケ











焼けない心臓 4
焼けない心臓 6







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