6、斜陽








勘違いだったですかね、というのにサスケは常とかわらぬ波紋をうかべもしない水面のように静かな眼差しを向けるだけだ。

「班長であるわたしの指示があるまでは、現場で待機。軽挙妄動はくれぐれも慎んでもらいたい、と前もって言っていたと思っていたのは私の勘違いだろうかね」

いいえと簡潔にかえすと、ゴトクという中忍は大仰にため息をついた。

「今回は、――――いいか、今回は、偶然いい方向に終わったからよいものの、もし他に潜伏していた仲間がいたらどうするつもりだった」
「地点甲と乙に侵入者用のトラップが仕掛けてあるのは木の葉の下忍にとっては周知のことです。待機していては野火中忍ひきいる第四班全滅のおそれもあるとして―――」

言葉がとぎれたのはゴトクが壁をたたいたためだ。アカデミーの廊下を過ぎる任務上がりの者たちや夜勤にはいるものたちがなげる好奇の視線が、サスケとゴトクの上を撫でては離れていく。

「うちは下忍。わたしが今問題にしてるのは、違うということをいい加減わかってはくれんかね」

肩口をつかまれまるで突き飛ばす勢いで離された拍子に壁にかるく背中を打ちつける。床をみつめたままのサスケにいったん手を握ったゴトクはなおも言葉をつづけた。

「なあ、わたしもね、いいかげん四十になるんだ。君みたいな若手の逸脱行為を許すとね、班長としての責務もあるし体面ってものがある、ほかの班員に示しがつかないってことを理解してほしいだけだと、何度もお願いしてるだろう?命令じゃないんだ、私としてのお願いなんだよ」

言葉に口がついていかないのか、もつれるような口調で何度もくりかえす。ええ、と口をうごかしたサスケは頭を下げた。

「無責任な行動をとったことをお詫びします。大変申し訳ありませんでした」
「私にいわれても困るんだよ。むしろ迷惑を蒙ったのは私じゃなくて君とうごいた班員なんだから」

黙ったサスケは申し訳ありませんともう一度続けた。

「何度もおなじことを言わせないで欲しいだけなんだよ」

ええ、すみません、と繰り返す。

「わかってくれたらいいんですよ」

わかってくれたら、と口早にくりかえしたゴトクは私はもう帰るから、と報告書をサスケにおしつけてくる。うけとり損ねたのがばさりと音をたてて廊下に落ちる。折りしもあいていた窓から夕凪まえの風がはいってきて遠くまで散らばってしまう。いそぐでもなく拾っているうちに、ゴトクは早々にでていってしまったらしい。

書類のそばにきてしゃがみこんだ人影にサスケは視線をあげる。

「これで全部?」
「ああ。悪い」
「ううん」

磨かれた爪がきれいで細い指が角をきちんとそろえる。文字が見える方向をさしだしたサクラにサスケは短く礼を言う。遠巻きにすれちがいざまに注がれるままの視線がだんだんと興味をうしない外れ出すのがわかってから、サクラは口を開いた。

「忙しそうだけど…」
「楽な任務ばかりだけどな」
「体は大丈夫なの」
「べつに」

日が落ちるのも随分はやくなり、アカデミーに明りがつくのもだんだんと早くなっているが、長く延びだした夕明かりが照らすころはまだ点灯しない。橙と灰色ばかりに染まっているせいだろうか、顔色が悪いのは。

「明日は?」
「非番だ」

2週間ぶりだな、といえばサクラの眼がいぶかしげに細まったがサスケが気づく前に伏せられてしまう。

「じゃあ、これ」

検診の案内、と書かれた紙が差し出される。

「春にうけられなかった人の分だから。予備日はいくつか設けてあるけどなるべく早めにってことなんだって」

いらない、と言う前に押しつけられてしまう。

「非番のうちにいかないと忘れちゃうでしょう」

憮然とした顔をしたのに気がついたのかサクラは口元だけでちいさく笑って見せる。

「そういって忘れる人が一番多いんだから。医療班も大変なのよ」

膝を両手でたたいて埃をはらうと、呼び止めるまもなくいってしまった。













ばたばたと廊下を通り過ぎていく看護師が医者と一緒にとなりの部屋にはいっていく。六人一部屋のドアを軽くノックしてはいると、どうも目的の人物はトイレか散歩かいないらしい。目当ての一番奥のベッドはつい先ほどまで人がいたのをしめすように布団がまくれて、サイドボードには雑誌が積み重ねてあった。待たせてもらおうかとおもって廊下にかさねてあったパイプ椅子をカカシはとりあげると、ゆっくり腰をおろした。

暖かな昼下がりの風は寒くもなく丁度いいぐらいで、窓の外を見下ろせばすこし葉を黄色くそめだしたポプラが見える。

「アオバさんをお訪ねの方ですか?」
「はあ」
「あと少しで、検査から帰ってくると思いますよ」

さっき階段ですれちがいましたから、と頭をさげて彼女は斜め向かいのベッドのカーテンを開ける。こんにちは、とかけた声に返事が返ることはないのは、自発呼吸がむずかしいために気管切開を先日したためだ。

「今日は機嫌がよさそうね。天気がいいからかしら」

病院に設置してある洗濯機であらってきたものを早々にとりこんで来たのだろう。かかえてきた籠を床におくと洗濯物をかきまわしだした。

手持ち無沙汰で暇をもてあましたカカシも口をひらく。

「ご家族の方ですか」
「いいえ、近所に住んでるんです。ご家族の方がいま遠くに行ってらっしてねえ、いくらかいただいてお世話してるんです」

文句をいうわけじゃないですけどね、お子さんが三人いなすってでも一週間にひとりもこないんですよ、と続ける。

「毎日忙しくたって来る方もいらっしゃるのに。まあ急には難しいですしご都合もあるってわかりはしますけどね」

曖昧にカカシが笑っていると、手をうごかすのと同じ早さで60をいくつか越えた様子の彼女はつらつらと話だす。

「だからわたしもほら、年寄りでしょう。お勤めはできないけど、いくらかお小遣いになればねえと思って」
「旦那さんとお出かけとかするんですか」
「ええ、そうですね。のんびりしちゃってねえ。どうして男の人って年取ると家の中にばっかりいたがるんでしょうね。わたしなんか息が詰まっちゃって」

やんなりますよ、と笑いながら洗濯物を膝の上でてきぱきと畳んでいく。

「あのう、タバコの自販機ってありますか?」
「売店かそうね、廊下の端っこに休憩所みたいなのがあるからそっちだと思いますけど」
「ああ、じゃあ。またちょっとしたら戻ってきます」

よいしょ、と立ち上がり日の光が入らないぶん、蛍光灯の明りがあってもすこし暗い廊下に出たところで先日見た顔だ。

(たしかサスケの)

「あら、お久しぶりです、ゴトクさん」
「イロリは部屋ですかね」

声がかかったのはうしろから、先ほどの老女がにこやかに頭をさげるのに、ゴトクと呼ばれた中忍が頭をさげた。

「イロリさんならさっきいらっしゃったとおもいますよ」

どうも有難うございます、と頭をさげたゴトクはカカシの視線にきがついたのか、かるく会釈をして横を通り過ぎた。

「奥さんが入院なさっててね、ほとんど毎日いらしてるんですよ」
「はあ…」

お仕事もとても忙しいって仰ってたしねえ、だんなさんの方も心配ですよ、と老女は続けた。自販機ならあっちですよ、と指差すと、洗濯機に忘れ物でもしたのか洗濯部屋のほうに彼女はぱたぱたとサンダルを鳴らしながら歩いていった。

結局自販機のところにはタバコはうっておらず、カカシは売店まで下りた。自販機の前に屈みこんで箱をとりだしながら、さて灰皿はどこだろうと探せばガラス張りの玄関の外に設置してあるのがみえる。

(しかもいるし)

ガラスドアを肩で押し開けると特別上忍のアオバが空き缶に灰を落としながら振り返った。

「お、来たか」
「来たかってお前」
「五代目にお前をよこすっていわれてな」
「だったら病室に戻ってくるのが常識ってもんでしょうよ」
「病室にはあんまり戻りたくないだろうが」

ベンチの隣に腰掛ける。

「怪我っておまえどうしたのよ」
「いや、ただ単に崖から落ちて全身打撲だ」
「……」
「崖って言うよりもなんだ、あれだ、二メートルぐらいでな」

頭に巻かれた包帯をとんとんと指差して8針縫ったと続けた。

「飛び出したところが丁度あいてて、いやあ慌てた慌てた。頭打ってるから一応検査ってことになってな。ついでに入院しただけだ」

飯作るのも面倒くさいからな、と笑うのにカカシはそうだなと返す。

「五代目に聞いたら入院したっていうから慌てちゃったでしょうよ」
「あのお方も食えないからなあ」

笑ったアオバは包帯の際を痒い、といってガシガシひっかく。

「波の国にそう動きはないんだろう?」
「まあね。定例報告はいつもどおりだよ」
「へえ、砂は風影のおかげでだいぶんおさまって来た印象なんだがなぁ、木の葉崩しの一件でだいぶ外にでた連中が戻ってきてるな」
「いい意味でか?」
「いいも悪いもだな。ただ雨にいった連中がいるから、砂も門扉を軽軽しくひらくって訳にはいかんだろうな」

間諜を泳がすのも泳がさないのもまた戦略だ。
先の大戦では木の葉がかろうじて五大国の盟主として同盟を取りまとめたが、中忍試験妨害に端を発した五年前の一件により同盟の事実上の無効を知らしめることとなった。なおも同盟を維持することに五代目が未だに東奔西走しているのをカカシもアオバも知っている。

「やっぱり雨だな」
「まあ、そうだろうな。火の国にどこが煮え湯を飲まされたかっていえば雨だもんなぁ」
「だが雨と木の葉とがぶつかることはないだろう。昔といまとじゃ時代が違う」


大戦ってやり方はもうしないだろう、とカカシが告げるのにアオバはふと視線をむけてくる。

「おまえは大戦に参加したんだっけか」
「まさか。後方支援もいいとこだよ」

後方支援だってないだろう、とアオバは苦笑する。
ベンチに両腕をかけて上をみるカカシの表情は左側に座ってしまったせいで伺えない。職業として人に表情をうかがわせないのだろうが、友人としては悪い癖だとアオバは口をわずかにゆがめ、ベンチから立ち上がった。

「あとでお前のところに参謀部に通された資料が行くはずだ。目を通しといてくれ」
「はいはい。もう帰るの」
「すこし風が冷えてきたからな。薄着ででちまった」
「悪いね。それじゃ」

俺も帰るよと立ち上がる。ロビーに戻っていくアオバの背中を見送ったカカシはおやと目を瞬いた。受付となにやら離しているのはサスケだ。

玄関の外から病院内のロビーにもどれば、外来の患者が座って待っている向こうで受付での話はおわったサスケが気づいたらしい。片手をあげると壁際の観葉植物の陰にたっているカカシのそばまで歩いてきた

「なにしてんだ、アンタ」
「知り合いのお見舞い。おまえこそどうしたの」
「検診だ」
「なんだ。にしても顔色わるいね」
「ちょっと立て続けに任務が入ってたからな」

寝不足はどうにかしろって言われた、とサスケはすこし皺をよせた眉間をおさえる。おやと目を瞬いたカカシがなんとはなしに手をのばそうとしたところで、サスケが姿勢をただした。

「班長」
「こんにちは」

サスケが頭を下げればすこしあわただしく会釈をした彼はすこし顔を強ばらせながら看護婦のあとについていった。




















「焼けない心臓 6」/カカシサスケ











焼けない心臓 5
焼けない心臓 7







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